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9 雨季から真冬にかけての王様のこと1

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 人の国から来た人質は貧相な姿をした男だった。第十三王子だと聞いたが、本当にそうなのかと疑うほど王族らしからぬ様子をしている。俺が名を確認すると勝手に頭を上げ、あろうことか俺を凝視する有り様だ。

「あれは本当に王子なのか?」
「間違いありません。メリ様からの報告にも、そう書かれています」

 メリは俺の従弟で、数年前から向こうの王城に入っている。親善のためというのは表向きで、人の国がよからぬことを画策しないために送り込んだ、いわば見張り役のようなものだ。
 人の国との全面戦争は随分前に終わっているが、人はすぐに約束を忘れて裏切る。俺は停戦まで導いた先王である祖父の言葉を肝に銘じ、信頼できる獣人の隊を人の国の王城に送り込んだ。さすがに獣人の目があるからか食えない王もおかしな動きをしなくなった。それでもまだ信用することはできない。
 祖父いわく、人は十年二十年で約束を忘れるのだという。ひどい戦争を経験しても百年経たずにまた大きな戦争を起こす。そんなことになっては祖父の苦労が水の泡だ。そう考えた俺は王族を人質に取ることにした。この提案に向こうが何を思ったのかは知らないが、否とは言わなかった。

(大方ろくでもないことを考えているんだろうが……)

 俺もそれなりのことを考えて提案したのだからお互い様ではある。わざわざ人の王族を迎え入れようと考えたのは役に立つ子を作るためだ。人質との間に子を作り、その子を人の国の王に据える。人の国は男にしか国を継がせない。そのためには男児が生まれるまで子を作る必要がある。それを念頭に、花嫁には俺より十以上若い年齢を指定した。あとは健康で従順であればいい。
 ところがやって来たのがあの王子だった。王には十五の娘と十六の姪がいたはずで、どちらかを寄越してくると思っていたのに想定外だ。

「姫は伝令が到着する前に貴族に嫁いだようですね。姪も遠縁に嫁いでいます」
「あの古狸が」

 俺は男女関係なく孕ませることができる。そのせいで性別を明記し忘れたのを逆手に取られた。ただでさえ気にくわない王の子だというのに、あんな貧相な男を抱きたいなど思うはずがない。しかし、それでは将来のあの国の王を作ることはできない。

(そこまで考えてあんな王子を寄越してきたとしか思えんな)

 つくづく食えない王だ。しかし来てしまったものは仕方がない。俺は用意していた部屋に王子を閉じ込めた。その後は側近のアルギュロスに任せて放置していたが、そうもいかなくなった。
 俺には血の繋がりは薄いがやたらと口うるさい親族が何人もいる。彼らが何度目かわからない「早くつがいを作れ」と騒ぎ出したのだ。しかも純血ではなくていいとまで言い始めた。
 たしかに純血の子を作るのは難しい。そもそも獅子族の純血はもういない。それでも諦めるわけにはいかなかった。病気で次々と死んでいった純血の獅子族たちを思い出しては再び獅子族を繁栄させるのだと決意してきた。

(こうなったらあの人質を利用するか)

 あれでも一応は俺の妃だ。この先子を作るかどうかは別にして、うるさい親族を黙らせるための役に立ってもらおう。

「わたしにはすでに妃がいます」
「妃だと?」
「人の国から来た人質のことか? だがあれは妃ではない」
「人質ではありますが、一応人の国の王族です。それに妃をないがしろにしたとあっては獅子王としての尊厳に関わります」
「しかしだな、あれは男だろう? 人の男が獅子王の子を孕めるとは思えん」
「そもそも体格が違う。使用人の話では随分と貧弱な王子だそうじゃないか。たとえ孕んだとしても無事に生まれるとは思えんな」
「あれに子ができなければ、いずれ獣人の妃を迎えましょう」

 この話はこれで終わりだと言外に伝え、親族には帰ってもらった。納得はしていないだろうが「獣人の妃を迎える」とまで言ったのだからしばらくは大人しくするだろう。

(誰も彼もが勝手なことばかり言う)

 誰も俺の気持ちなど考えようともしない。いまは子作りよりも人の国に注視すべきだというのに、年寄りたちは人などすぐに蹴散らせると思っているのだろう。

(そんな簡単にいくものか)

 幼いときに両親を亡くした俺は、物心ついたときから祖父のそばにいた。おかげで人が知恵を働かせ獣人たちを追い込む様子を何度となく目にしてきた。
 人を侮れば痛い目に遭う。あの古狸はとくにそうだ。それなのに王族に近い者たちは目先のことしか考えていない。それが腹立たしく、同時に諦めてもいた。年寄りたちは当てにならない。アルギュロスをはじめとした若手で国を守らなくてはと何度思ったことだろう。

「さて、妃だと口にした手前どうにかせねばならんな」

 人質のことをいずれ子を生む妃だと言ってしまった。であれば、それなりの待遇にしなくてはならない。取りあえず母上が使っていた王妃の部屋に住まわせることにしよう。そうすれば俺が本気だと示すことができるし、親族以外の連中もうるさく言わなくなる。まったく乗り気ではなかったものの部屋の準備に取りかかることにした。それが人質を迎えてしばらく経った夏のはじめだった。
 そうこうしているうちに本格的な夏になった。俺が人質と接触していないことを聞きつけた親族が再びうるさく言い始めた。そんなこともあり、仕方なく王妃の部屋を見に行ったときだった。
 部屋の窓から庭を見て「は?」と目を見開いた。一瞬見間違いかと思ったものの、どう見てもあれは人質の王子だ。

「あれは何をしている?」

 部屋に来たアルギュロスにそう尋ねた。

「暑さで参っていらっしゃるようでしたので、それならと水浴びをお勧めしたのですよ」
「水浴び? 庭でか?」
「外に出たがっておいでのようでしたので」

 そう報告するアルギュロスの顔は笑っている。どうやらあの人質のことを本当に気に入ったらしい。
 アルギュロスは俺同様、人質のことをいぶかしんでいた。あまりにも王子らしくない様子に調べ直すと言い出したのもアルギュロスだ。それが気がつけばすっかり絆されてしまっている。

(獣人を恐れず素直に接するところがいいと言っていたが、本当か?)

 しかも人質が作ったのだと言って手作りのパンや菓子まで届けに来た。人質はアルギュロスや使用人たちにも菓子を配っているらしく、いまでは使用人たちまでもが人質に温かい眼差しを向けている。

「まさか、おまえが人を気に入るとはな」
「人ではなくアカリ様を気に入っているだけですよ」
「同じことだろう?」
「いいえ。ほかの人のことなどどうでもよいですから」

 そう言って青い目がスッと細くなった。酷薄な表情に狼族の獰猛な一面が垣間見える。
 アルギュロスは俺の側近であり乳兄弟でもあった。アルギュロスの一族は代々獅子族に仕える狼族で、何かあれば身を挺して守るように育てられている。そんなアルギュロスまでもあの人質を気に入っていた。害のない存在ということだろうが、あんな子どものような男のどこにそこまでの魅力があるというのだ。

「それにしても外で水浴びとはな。あれは子どものすることだぞ?」
「見た目だけなら子どもと変わりませんよ。無邪気なあの表情など子どもそのものでしょう?」

 たしかに……と頷きそうになり、再調査したメリの報告書を思い出した。あの人質は間違いなく古狸の子で、この夏十八になった。だが、王族として育てられていない。母親の身分が低かったからか市中で育ったと書かれていた。

(つまり王の血を引くただの平民ということだ)

 それを堂々と王子だといって寄越すとは、やはり人は信用できない。

(そもそもあれで十八というのも本当なのか?)

 見た目は子どもそのものだ。たしかに人は我らより小さいが、それにしても小さすぎる。

(自分がどういう立場で送り込まれたかわかっているとも思えんな)

 何か策をろうするように吹き込まれているのではないかと見張らせてはいるが、そういう気配はいまのところない。それどころか俺に接触しようという気もないようだ。では、あの人質は何を思って毎日を過ごしているのだろうか。
 気がつけば足が向いていた。俺が近づいたことに気づかないのか、目を瞑ったまま無防備に水に浮いている。

「何をしている」

 声をかけられて驚いたのか人質が溺れかけた。仕方なく腕を引っ張り上げたものの、あまりの軽さにギョッとする。

(やはり子どもではないか)

 それに掴んだ腕も細かった。あれでは少し力を入れただけで折れてしまいそうだ。

(遠目で見たよりずっと小さいな)

 板の上で咳き込む姿はみすぼらしい。子どもというより餓鬼のようだ。

「庭先で水浴びとは呑気なものだな」

 呆れてそれしか言葉が出てこない。やや蔑んだ声で告げたというのに、なぜか人質は惚れ惚れとするような眼差しで俺を見ていた。

(なんだこいつは)

 獣人が恐ろしくないのだろうか。これまで会った者は俺を見るなり顔を引きつらせていた。それなのに人質は子どものような眼差しで俺を見ている。

(……そんな顔で俺を見る奴は久しぶりだ)

 獅子族はもともと数が少ない。そのうえ流行病で純血は俺一人になってしまった。だから俺が玉座に就くしかなく、自ら望んで王になったわけではない。それなのに周囲の誰も彼もが機嫌を窺うように俺を見た。そうしないのはアルギュロスやメリといった一部の者たちだけだ。

「そんな格好では風邪を引く。着替えるといい」

 気がつけばそんなことを口にしていた。そう言いながら跪いている貧相な体を眺める。

(肌が白いな)

 人は我らよりずっと肌が白い。だが、人質はこれまで見た誰よりも白く見えた。そのせいかやけになまめかしく見える。不意に水に浮かんでいた姿が脳裏をよぎった。胸には赤いものが二つ、しかも少し膨らんでいた気がする。その下には髪と同じ黒いものがうっすらと見えていた。

(体は小さいが、十八というのは間違いないのかもしれない)

 それなら子を作ることも可能か……そんなことを一瞬でも思った自分に驚いた。

(俺はいったい何を……)

 いや、子どものような人質の行動に興味がわいただけだ。それ以上でも以下でもない。俺は額から流れ落ちた汗を手で拭うと足早に王妃の部屋に戻った。
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