グランギニョルの花嫁

朏猫(ミカヅキネコ)

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9 花嫁と兄1

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「姫さま、そちらが最後でございます」
「そう……よし、これで終わり」

 リシアの目の前には定型文がしたためられた手紙がある。最後に自らの名前を記すと「はい」と言って侍女マルガに手渡した。それを丁寧に折りたたんで封筒に入れたマルガが神聖国メルタバーナの封蝋を施す。その様子を見ながらリシアが「疲れた」と小さく息を吐いた。

「お疲れ様でございました」
「ほんとに。まさかこんなにたくさん書かなくちゃいけないなんて思ってもみなかった」

 署名していたのは婚姻の贈り物に対する返礼の手紙で、文面は神官たちによってすでに書かれている。リシアは最後に署名するだけだが、その数が尋常ではなかった。数十通に及ぶ署名は書き終えるのに丸三日かかり、最後に署名したのはウィンガラード王への手紙、すなわちリシアの長兄に送るものだ。

「それだけ大勢が、姫さまが神官王の花嫁になられたことを祝ってくださっているのでございましょう」
「僕がユリティの花嫁……」

 身も心もすでに花嫁だというのに、「花嫁」という言葉を聞くだけで可憐な顔が喜びにほころぶ。

(やっとユリティが僕のものになった。神官王の間は信者のものでもあるけど、ユリティが触れるのは僕だけ)

 そのことにリシアの顔がうっとりととろける。可憐な中に妖艶な気配を漂わせながら長兄から届いた髪飾りを手に取った。

(シンシラーガから届いてたものだって書いてあったけど……)

 髪飾りは長兄からの贈り物の中に入っていた。ほかのものとは雰囲気が違うのが気になり手紙に目を通すと、リシアがまだ小さかった頃に大砂漠にあるシンシラーガ帝国から届いたものだと書いてあった。嫁入り道具に入れ忘れたからと、今回の祝いの品に入れたのだという。
 真っ赤な宝石がついた髪飾りは、リシアが身に着ければ漆黒の髪に映えるだろう。しかし鮮やかすぎる赤はやや下品な印象を与えた。そうした色のものを大国の王が選ぶだろうかとリシアは考えた。「この色だとギンシル兄様のほうが好きそうだけど」と思ったところで次兄の顔が頭に浮かぶ。
 リシアには腹違いの兄が二人いる。一人は長兄アレクシアで、ウィンガラード王国の国王になって久しい。次兄はギンシアというが、二人の存在を知ったのはリシアが少し大きくなってからだった。先に知ったのは長兄で、父王が亡くなる前に何度か姿を見ていた。一方、次兄を見たのは五歳になってからで、はじめは兄だとわからなかった。

(アレクシア兄様はサラサラの金髪に青い目で、父様にそっくりだからすぐに兄様だってわかったけど)

 次兄のギンシルは茶色のふわっとした髪に青い目だからか、父王や長兄とはあまり似ていない。なにより初対面での印象が悪かった。
 初めてギンシルと顔を合わせたとき、ギンシルが開口一番に口にしたのは「男のくせに、なんで女の格好してるんだよ」という言葉だった。それまでリシアは男の子が“お姫様”になって“ドレス”を着ることがおかしいことだと思っていなかった。ところが次兄は睨むようにリシアを見ながら「そんな格好おかしいだろ!」と言って去って行った。
 そうなのだろうかと疑問に思ったリシアは母親に尋ねることにした。

「ねぇ母様、僕はどうしてお姫様なの?」
「いまさらなぁに?」
「だって、男のくせにお姫様は変だって茶色の髪の子が言うから」
「茶色の髪って……あぁ、ギンシルね」
「ぎんしる?」
「おまえの腹違いの兄様よ」
「ふぅん」

 そのときリシアは初めて兄が二人いることを知った。同時に「金髪の兄様とは全然違うな」と思い、長兄のほうがおいしそう・・・・・だと考えた。そう思ったことはすぐさま母親に露呈した。

「アレクシアはおまえのものじゃないわよ」
「どうして?」
「あれはわたしのものだからよ。おまえのものは……そうね、もうすぐやって来るわ」
「そうなの?」
「えぇ」
「ふぅん。ねぇ、それよりどうして僕はお姫様の格好なの? どうして?」

 首を傾げるリシアに母親がにこりと笑った。

「だって、おまえはわたしそっくりなんだもの。それならお姫様のほうがふさわしいじゃない? それに綺麗なドレスや宝石でたくさん着飾れるわ。おまえはとびきり美しいから、わたしがいろいろ着飾ってあげる」
「ふぅん」
「それにね、古の神は女の贄を好むの。そうでないと破瓜の痛みを与えられないから」
「はかのいたみ?」
「純潔の痛みよ。それを古の神はとくに好むの。だから男のおまえはお姫様にならなくちゃいけない。そうして体の奥深くに神に愛される場所を作るのよ」
「どういうこと?」
「古臭い神をその体に縛りつけるのがおまえの役目。おまえを奪われないために彼は自ら剣と盾になってこの世界を守ってくれるわ。おまえはそのための大事な黄金の贄なのよ」

 そう言って美しく笑う母親を見ながら、リシアは「ふぅん」とだけつぶやいた。そう口にしたものの言葉の意味を理解したわけではない。その後、神官団の中にユリティを見つけたリシアが母親の言葉を思い出すことはなく、自分がどういう存在か知ることもないままユリティだけを想い続けた。

「では、手紙を出してまいります」
「お願い」

 長兄への手紙を含めた数通を手にしたマルガが部屋を出て行く。それを見送ったリシアは再びギンシルのことを思い返した。

(あの後も嫌なことばかり言ってきたっけ)

 リシアの部屋にやって来ては「男のくせに姫様とか呼ばれるのは変だ」と言い、「ドレスなんか着て恥ずかしくないのか」と難癖をつけた。それは父王の喪が明け長兄が新しい国王の座についても続いた。ひどいときは「おまえ、本当に男なのか?」と言いながらドレスの裾をめくり上げたりもした。
 そのたびにリシアは母親の部屋に逃げ込んだ。そこは長兄以外入ってはいけない部屋で、避難先としては最適かつもっとも安全な場所だったからだ。
 そんなことが続いたある日、ギンシルがリシアのベッドに忍び込むという事件が起きた。リシアは日頃の言葉も相まって激怒し、「これからは母様の部屋で寝る!」と宣言し実行した。その数日後、ギンシルの姿が王城から消えた。久しぶりに会った長兄が「出来の悪い弟は存在するに値しない」と微笑みながら口にしたが、リシアはうるさい人間がいなくなって清々したと思うだけだった。
 ギンシルがどこへ行き、どうしているのかリシアは知らない。興味もなく、こうして思い出したのも偶然だ。「ギンシル兄様のことなんてどうでもいいか」と思ったリシアは、すぐに愛しいユリティの姿を思い浮かべた。

(ユリティ、早く来ないかなぁ)

 蜜月の期間であっても神官王のユリティには職務がある。朝、リシアが目覚める前に部屋を出るユリティがリシアの元に戻って来るのは夕方の祈りを済ませてからだ。そういう立場だということはリシアも理解していた。それが神官王たる者の役目だともわかっている。それでも婚姻したばかりのリシアには一日が長くて仕方がない。
 どうにも気持ちが落ち着かず、テーブルに置いてある水差しからコップに水を注ぐ。そのときかすかに桃の甘い香りが漂った。

「桃の果実水だ」

 桃はリシアの好物で、母親の好物でもあった。そのため小さい頃からよく口にしてきたからか、ほかの果物をおいしいとは思わないのに桃だけは味を感じる。母親いわく「東の地では神に捧げられる果物なのよ」とのことだが、リシアが桃を一番の好物だと思うようになったのは別の理由からだ。

(ユリティも桃が好きだって言ったから)

 神官団の一員としてやって来たユリティは、ウィンガラードの名産品でもある桃を気に入ったのかよく口にしていた。それを見た八歳のリシアは、想いを寄せる人が好きなものだからと一番の好物にした。
 リシアがもっとも好きなのはユリティが手ずから食べさせてくれる桃だ。神聖国メルタバーナに来てからも何度も口にしている。昨夜も桃を食べた。熟した果肉をユリティの指がそっと摘み、微笑みながらそれをリシアの唇に近づける。したたり落ちそうな果汁に慌てて口を開き、ユリティの指ごと口内に招き入れるのがいつもの食べ方だ。
 口に含むと、途端に口の中いっぱいに甘い香りが広がった。果肉と果汁を嚥下しながら、ユリティの指についた果汁を舌で舐め取る。指の腹も硬い関節も爪の間まで丁寧に舐めしゃぶった。ユリティの指は桃より甘くリシアを毎回うっとりと酔わせた。

(……思い出したら熱くなってきた)

 パタパタと手で顔を扇いでいるとマルガが戻って来た。赤い顔のリシアを見た優秀な侍女は「神官王のお戻りは五のときの鐘が鳴る頃と伺ってございます」と口にする。

「わかってる。これはちょっと……いろいろ思い出しただけで、我慢できる」
「仲がよろしいことはよいことでございます」

 そう言ってマルガが何着かの夜着を用意し始める。一つは薄紫色のものであでやかな雰囲気をしていた。もう一つは薄紅色で、こちらはやや扇情的な印象を与える。ほかにも淡い色合いの夜着があったが、リシアの目に留まったのは初夜と同じ純白の夜着だった。
 真っ白な夜着で初めて肌を重ねたときのことを思い浮かべた。初めてだったにもかかわらず体の奥深くまで暴かれ、何度も欲望の証を注ぎ込まれた。リシアの花芯からは出るものも出なくなり、交合口は渇く間もなく濡れ続けた。そのことを思い出したリシアは疼く体にため息を漏らした。

「姫さま?」
「ちょっと裏庭を散歩してくる」
「では、ベールをお持ちいたします」
「いらない」
「神官王の言いつけでございます」

 マルガの言葉にリシアは渋々といった具合で白いベールを受け取った。繊細なレースで作られたベールは頭をすっぽり覆うもので、顔の上半分が隠れるように作られている。不思議なのは外から見てもレースの中は見えないというのに、身に着ける側からは外の様子がよく見えることだ。

(顔を見られないようになんて、ユリティは心配性すぎる)

 万が一、可憐な顔を誰かに見られればよからぬことを考える輩が出てくるかもしれない。そう言ってベールを用意したのはユリティだ。「ここは大神殿なんだから、そんな心配いらないのに」と思いながら、そこまで心配してくれることに胸がくすぐったくなる。
 建物の中では絶対にベールを着けること、その約束を守りリシアは鼻のあたりまでベールで覆った。そうして大神殿の裏庭へと向かった。
 大神殿には大小様々な庭が設けられている。信者が出入りする大聖堂の前には大きな庭があり、訪れる人々の憩いの場を兼ねていた。神官たちが寝泊まりする区画には語らい合うことができるテーブルや椅子のある庭が、各地から巡礼で訪れる神官たちの宿として提供される区画には巡礼者を癒やすための噴水や花壇が多く作られている。
 リシアが住んでいるのは神官王が住まう特別な区画だった。そこには神官王付きの神官しか立ち入ることが許されず、リシアの部屋には侍女であるマルガ以外踏み入ることはできない。そんな奥まった区画の近くには薔薇が咲き誇る裏庭があった。

(そんな場所なら誰も入れないのにベールなんて)

 黒眼がきょろきょろと周囲を見る。あと数歩で裏庭だという周囲には人の気配がまったくない。これまで誰かとすれ違ったことも人影を見かけたこともなかった。

(建物の中ではちゃんとベールをしてたから、もういいよね)

 華奢な手がベールを外す。やはり遮るものがないほうが視界が明るく気分もいい。リシアは足取りも軽く裏庭へと踏み出した。
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