グランギニョルの花嫁

朏猫(ミカヅキネコ)

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5 花嫁と婚姻式2

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 神官王の婚姻式はリシアが知っているものとは大きく違っていた。リシアが見たことのある婚姻式は祖国ウィンガラードのもので、小国ゆえに貴族でも絢爛豪華というわけではない。そうした点は共通していたが、延々と続くかと思われた神への祈りにはリシアも辟易した。途中何度もあくびを噛み殺し、耐えられなくなるたびに祭壇に立つ神の像を見上げた。

(母様そっくりすぎて笑ってしまいそう)

 大神殿の書庫に収められている聖典には、人がまだ幼子のようなときに美しき神が姿を現したと書かれている。そうした大陸中に広がる神の伝承をもとに作られた像だが、顔も立ち姿もリシアの母親そのものだった。
 リシアは自分の母親が何者でどういう存在か気にしたことがない。ただ、この世界でもっとも美しく強いことは知っていた。自分にもそうした血が半分流れていることも知っている。だが、そのことをリシアが深く考えたことは一度もなかった。

(だって、ユリティが気にしなくていいって言ったから)

 神の祝福とは本来生まれたときに受けるものだ。八歳でようやく神の祝福を得たリシアは、祝福の儀式を行ったユリティにそう囁かれて以来母親のことは考えないようにしてきた。というより、ユリティのこと以外考えられなくなっていた。
 幼い体にわき上がるのはユリティへの想いばかりで、美しい神官の顔を思い浮かべるだけで体を熱くした。声を思い出すだけで心が震えた。精通のときに思い浮かべたのもユリティの姿だった。まるでずっと昔から知っているような感覚に戸惑いながら、気がつけばリシアは身も心もユリティに溺れきっていた。ユリティへの想いを年々強くしながら十八を迎えた。
 そうして今日、恋い焦がれた愛しい人の花嫁になった。婚姻式が終われば正真正銘この体はユリティのものになる。想像するだけで純白のドレスに包まれた体が火照った。
 長い長い祈りの言葉が終わり、大聖堂の奥にある祭壇の間から大広間へと移動する。現れた二人の姿に集まった人々が歓声を上げ、神官たちは神への祈りの言葉を捧げた。それを二人は壇上へ向かう通路を歩きながら見守った。
 到着した大広間には堅苦しい神官服を着た大勢の人たちがひしめき合うように立っていた。すでに宴席が始まっているのか手にはワイングラスが見える。

(神官がこんなに集まると、ちょっと気持ち悪いかも)

 全員が同じ黒や濃い灰色の神官服だからか、どこに目をやっても面白味がない。リシアが「早く終わらないかな」と視線を動かしたとき、ふと何かが匂っていることに気がついた。

(この匂いは……)

 リシアの顔に不快感が広がる。幸いベールで隠れているため衆人環視に気づかれることはないものの、眉間に寄った皺は少しずつ深くなっていった。

(この匂いはユリティについていたものだ)

 リシアの中に渦巻くような苛立ちがわき起こった。ベールの中でクンと鼻を鳴らしながら視線を動かす。

(前……じゃない。真ん中は……違う。それより左……そうだ、左端のほうから匂ってる)

 匂いがしたほうに視線を向ける。手前にはウィンガラードで見たことがある年配の神官たちがいた。神の祝福だと言って花びらや聖水を振りかけた神官たちで、見覚えがある。その横では神官長と呼ばれる人たちが歓談していた。リシアがそうだとわかったのは肩に掛けている布が神官長のものだからだ。
 神官長たちが並ぶ奥には神官服ではない人たちがいる。華やかな服装はウィンガラードの貴族たちが着ていたものとよく似ている。

(……あの男だ)

 焦げ茶色の髪の毛に緑色の瞳を持つ男は、一際目立つ服装をしていた。まるで見せびらかすような派手な装いに自信たっぷりの表情をしている。その男が壇上を見た。ニヤニヤした笑みを浮かべながら、まるで品定めをするようにリシアを見ている。

(なんて汚らしい笑みだろう)

 眉を寄せるリシアと男の目が合った。いや、実際には男がベールの中にあるリシアの視線を知ることはできない。だが、リシアは目が合ったと確信した。そう思った途端にぶわりと鳥肌が立った。

(あの男で間違いない)

 ユリティに纏わりついていた嫌な匂いはあの男のものだ。苛立ちと不愉快な気持ちが体の中をグルグルと駆け巡った。苛々としたものと殺気にも似た感情がリシアの体を埋め尽くす。
 あれを排除しなければ。いますぐ息の根を止めなければ。この手でズタズタに引き裂いてしまわなくては――!

「我慢なさい」

 耳元でそう囁かれハッとした。身を屈めたユリティがすぐそばで微笑んでいる。その顔を見た途端にリシアの中から燃えるような激情がすぅっと消えた。

「楽しみは最後まで取っておくものです」
「楽しみ……?」
「えぇ、わたしたちの婚姻式の最後を締めくくるにふさわしい楽しみです」

 そう囁くユリティの唇がベールに触れた。そのままベールごと耳を甘くまれたリシアの口から掠れた吐息が漏れる。甘い吐息はベールに当たりユリティの耳にだけ届いた。

「さぁ、部屋へ参りましょう」

 背筋を伸ばしたユリティが大広間に響く声でそう告げた。

「あぁ、皆さんはこのまま宴席を楽しんでください。わたしは緊張で疲れた花嫁を部屋に案内しますので」

 神官王の言葉に大広間が沸いた。普段身を慎む神官もワインを手に次々と神官王と花嫁に祝辞を告げる。

「それに、神官王がいないほうが存分にお楽しみいただけるでしょうからね」

 ユリティの言葉に笑いが起きた。それを背に二人が大広間を後にした。

「いいの?」
「何がです?」
「神官王なのに、大広間にいなくて」
「先ほども言いましたが、わたしがいないほうが皆楽しめるのですよ」
「そういうもの?」
「そういうものです。それにわたしには宴席よりもっと大切なことが待っていますからね」

 期待に目元を染めるリシアに「今夜はわたしたちにとって特別な夜でしょう?」とユリティが囁いた。途端にリシアの頬が赤く染まり黒眼が期待にきらりと光る。
 二人は並んで大神殿の一画にある神官王の居住区に向かった。リシアの部屋もその中にあるが、ユリティが案内したのはいつもの部屋ではなく別の部屋だった。

「ここって……」
「わたしの部屋です。今夜は特別な夜、ここで過ごすことになります」
「ここで……」

 特別豪華な調度品は見当たらない。だが古くもよい品ばかり置いてあるのはリシアにもわかった。なにより愛しい人の香りがここかしこに漂い、体の奥がざわついて落ち着かない。窓の外を見ればいつの間にか夕闇に包まれ夜が近いことがわかった。

「先に湯をお使いなさい」
「寝る前でいい」

 それより早く抱きしめてほしい。早く触れ合いたい。ベールを剥ぎ取り急くように腕を伸ばすリシアに「駄目ですよ」とユリティが優しく咎めた。

「花嫁が先に湯を使い、そうして夫を待つものです」
「夫……ユリティが夫」
「おや、そこで顔を赤らめますか? 夜中に薄い夜着一枚で膝に跨がった姫と同一人物とは思えませんね」
「……っ。ユリティの意地悪!」
「恥じらう姫も愛らしいですが、愛でるのはまだです。今夜は特別な湯を用意していますから、ゆっくりなさい」

 そう告げるユリティにリシアが不満げな表情を浮かべた。

「ユリティは一緒に入らないの?」
「魅力的なお誘いですが、それは後日の楽しみにしましょう。今夜はわたしのためにあなた自身が磨いた肌を堪能させてください」
「っ」

 ユリティの甘い言葉に、リシアは体の火照りを止めることができなかった。下肢がじわりと熱を帯び、初心な花芯がわずかに兆し始める。言葉だけでそうなってしまう体をからかわれる前にと、リシアは急いで湯殿に入った。すぐに甘い香りが漂っていることに気づき目をぱちくりとさせる。

「……なにこれ」

 湯殿の中央に置かれた湯船にはたっぷりの湯が張られ、水面には色とりどりの花びらが浮かんでいた。それが濃密な香りの元だとわかり可憐な顔をほころばせる。

「全部薔薇の花びらだ」

 真紅のものを中心に白や黄色、中には紫や緑がかったものなど珍しい色の花びらも混じっている。リシアはドレスを脱ぐとゆっくりと身を浸した。そうして肌に吸いつく花びらを一枚摘み、クンと香りを嗅ぐ。

「いい匂い」

 まるで自分が薔薇の花になったようだとため息が漏れる。

(ユリティが用意してくれた特別な湯……)

 つまり、薔薇のように香る体を堪能したいということだ。黒眼がとろりと微笑む。

(薔薇の花になった僕を、ユリティはどのくらい可愛がってくれるだろう)

 できれば一晩中がいい。十年分なのだから一晩では足りないくらいだ。リシアの顔に淫靡な表情が広がる。

(今夜、僕はユリティと一つになる)

 リシアがうっとりと湯に身を浸している間、ユリティは最後の仕上げをするためにとそっと部屋を抜け出した。
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