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その後1

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 僕が不動家の離れに住み始めてひと月が経った。結婚式まであとふた月弱で、その準備があるからか少し慌ただしい。それでも康孝さんよりはずっと楽をさせてもらっている。

(家とのやり取り、全部康孝さんに任せっきりにしてしまってるし)

 家同士の結婚式の打ち合わせには毎回康孝さんが一人で行っている。それが心苦しくて、同時に気遣ってくれることに幸せを感じていた。
 鳴宮の屋敷にいたときは父に何を言われても我慢できた。家族揃っての食事も平気だった。Ωとわかってからの日々は僕にとってただの日常で、婚約後もパーティに行けと命じられるのさえ耐えられた。
 それなのに、一度家から出ると父に会うのが怖くなってしまった。父と会う前日から気鬱になり、当日は朝から食欲が湧かず顔が強張る。そんな僕に康孝さんは「わたし一人で大丈夫だから」と言って、一人で鳴宮家に行くようになった。
 本当なら僕も行くべきだとわかっている。結婚式を挙げるのは僕で鳴宮家は僕の生家だ。わかっているのに体が思うように動かない。そうしてひと月が経ったいまも僕は生家に行けずにいる。

「珠ちゃんは何も気にすることないわ」
「え?」
「家のこと考えてたでしょ?」
「あー……うん、少しだけ」
「気にしなくていいのよ。全部康孝兄様が好きでやってることなんだから」

 そう言ってニコッと笑うのは長期休暇で欧州から帰省している康孝さんの妹、琴祢ことねさんだ。琴祢さんは兄弟の中では唯一のΩで、康孝さんと僕が婚約したときから僕に会いたがっていたのだそうだ。今回ようやく念願叶ってということらしく、康孝さんがいないときはこうして離れに来ては僕を気遣ってくれている。

「それにね、少しくらい我が儘を言ったほうがいいと思うの」
「我が儘?」
「αは大好きなΩに我が儘を言われるのがたまらなく気持ちいいのよ」
「き、気持ちいい、」
「何ならベッドの中で待てをさせたらいいわ。康孝兄様なら、きっと興奮しながら我慢するくらいやるわね」
「そ、それはどうかな」

「康孝兄様は少しエムッ気があるから大丈夫よ」と続ける琴祢さんに、とりあえず笑顔だけ返しておく。
 琴祢さんは欧州に留学して二年が経つそうだ。だからか雰囲気も僕が知っているΩたちとは少し違う。物事をはっきり言うところや物怖じしないところは羨ましくも憧れている。顔を合わせてすぐに「敬語はよそよそしいからやめてね」と言い、「珠ちゃんと呼んでも?」と言われたときは随分驚いた。
 そんな琴祢さんにもようやく慣れてきた。それでもこうした会話はやっぱり恥ずかしい。

(外国だとそういう考えもあるのかな)

 そうだとしても僕には少し刺激が強すぎる。

(それに待てだなんて……そんなの、僕のほうが待てない気がする)

 離れに引っ越してからというもの、三日と置かずそういう行為に及んでいた。始めは緊張や恥ずかしさがあったものの、いまでは僕のほうからそういうことがしたくて秋波を送ることさえある。それなのに「待て」だなんて……。

(って、昼間から僕はなんてはしたない)

 夜のことを思い出したからか、体が熱くて仕方がない。思わず手でパタパタ扇いでいると、琴祢さんがじっと僕を見ていることに気がついた。

「珠ちゃん、もしかして発情が近いんじゃない?」
「え?」
「ううん、もう入りかけている気がするわ」
「まさか。発情は二カ月と少し先のはずだから」

 これまで発情の周期が狂ったことは一度もない。次の発情は二カ月と少し後で、だから結婚式を二カ月後にした。結婚式を挙げ、新婚旅行でうなじをと康孝さんと考えた結果だ。

「でも、この香り……やっぱり発情だと思うんだけど」

 康孝さんに少し似ている綺麗な顔がグッと近づき、頬の近くてクンと鼻を鳴らす。驚いた僕は「こ、琴祢さん」とうろたえることしかできない。

「きっと兄様がかわいがりすぎているせいね。Ωは愛されすぎると発情が早まると言うもの」
「え……?」
「それに珠ちゃん、最近とても綺麗になったわ。Ωとして成熟してきている証拠よ。きっとうなじを噛んでほしくて、だからいつもより早く発情が来たんだわ」

 呆然とする僕を気にすることなく「兄様に連絡するわね」と言って琴祢さんが部屋を出て行った。

(すごいことを言われた気がする)

 嬉しさよりも恥ずかしさがまさったからか顔が一気に熱くなった。火照る頬を押さえながら、もし本当に発情なら寝室に籠もらなくてはと考えた。
 幸い僕は発情が軽いほうだからか、二日も籠もれば熱も欲も収まってくれる。自慰もしたりしなかったりで、αを求めて苦しむこともなかった。
 きっと今回もそうやって収まるはず。そう思って立ち上がったものの足元がふらついてうまく歩けない。変だなと思いながら寝室に入ると、今度は香りが気になって足が止まった。

(康孝さんの香りだ)

 でも、いつも感じるものとは少し違う気がする。普段よりもっと甘くて、嗅ぐだけで頭の芯がじんわり痺れた。

(康孝さんの香りって、こんなふうだったかな……)

 吸い込むたびに体がポッポッと熱くなる。頭も体もぼんやりして、それなのに康孝さんの香りを嗅ぎたいという欲だけははっきり感じた。

(康孝さんの香りがもっとほしい)

 気がつけば寝室を通り過ぎ、衣装部屋にあるクローゼットに手を伸ばしていた。開くとふわっと香りが広がった。まるで全身に香りを浴びたような感覚にお腹の奥がじわっと濡れる。
 もっと香りがほしい。大好きな康孝さんの香りをもっと嗅ぎたい。気がつけば昨日康孝さんが来ていたジャケットを手に取り顔を埋めていた。

(……足りない)

 今度はスラックスに手を伸ばす。それでも足りなくてさらにジャケットを一枚、スラックスを二枚取り出しゆらゆらとベッドに近づいた。
 康孝さんのスーツを放り投げてからポフンとベッドに倒れ込む。すると毎日一緒に寝ている康孝さんの香りがふわっと舞い上がった。それが嬉しくて口元を緩めながら、放り投げたスーツをたぐり寄せた。皺になるのもかまわず顔を埋めながら深く息を吸い込む。

(康孝さんの香り……大好きで、体がトロトロになる香り)

 そう思った途端に体の奥がジンと痺れた。ますます体が熱くなり、少しだけ息苦しくなる。体温が上がるにつれて服が纏わり付くのが気になって仕方がない。羽織っていたカーディガンを脱いだものの、それでも布と肌が擦れるのが気になってシャツのボタンを外す。

(熱い、熱くてたまらない)

 前立てを緩め、両足をモゾモゾと動かしながらズボンを脱いだ。涼しさを感じたのは一瞬で、肌に貼りつくような下着も不快で脱いでしまう。

(発情のときって、こんなに熱かったかな)

 シャツ一枚で丸まりながら康孝さんのスーツに顔を埋めた。すぅっと香りを吸うと多幸感で頭がふわふわする。飲んだことがないお酒に酔ったらこんな感じなんだろうか。そう思いながら何度も香りを吸っていると下半身がムズムズしてきた。
 そっと右手で触れた前は、これまでで一番大きく膨らんでいた。ピンと立った先端がぬるぬるしている。
 僕の発情は驚くほど軽かった。十八、十九歳ともなれば体も成熟して発情がつらいと聞いていたけれど、そんなふうに感じたことは一度もない。発情以外で自慰をすることもほとんどなく、後ろを自分でいじったことも数回しかなかった。
 それなのに下半身が疼いてどうしようもない。お腹の奥がジクジクして苦しい。右手で何度か擦ったものの、先走りが増えるだけで欲を吐き出すことができない。

「どうして……」

 漏れた声さえ熱く感じた。僕は両手でヌルヌルになった前を握り、必死に擦り続けた。先端を両手の指でクチュクチュといじるのに、それでも吐き出せない。それでもどうにかしたくて両手で必死に擦り続けた。
 早く何とかしたい。体の中をグルグル回る熱を吐き出してしまいたい。そうしないと苦しくて息ができなくなる。お腹の奥が熱くて気が狂いそうだ。
 気がつけば康孝さんのスーツに顔を埋めたまま「フーッ、フーッ」と呼吸を荒げていた。体は横向きに、顔だけうつ伏せという不安定な体勢のまま、両手でヌルヌルに濡れた前を必死にいじり続ける。それでも吐き出せないつらさに目尻を涙が流れ落ちた。

「これはすごいな。珠希くんの香りでいっぱいだ」

 大好きな声が聞こえて来て体がブルッと震えた。同時に握っていた先端からピュルッと精がこぼれ落ちる。

「やす、たかさ、」

 必死に視線を向けた先には大好きな康孝さんの姿があった。
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