6 / 9
6
しおりを挟む
「あの、康孝さん、」
「大丈夫、きみが嫌がることはしない。それにうなじも噛まないから」
「……っ」
うなじと言われてドキッとした。シャツのボタンを外す康孝さんを止めようとしていた手が一瞬だけ止まる。そんな僕に康孝さんは「噛むのは結婚してからにしよう」と囁き、うなじを覆う首飾りをするりと撫でた。
「んっ」
漏れ出た声に驚いたのは僕のほうだった。慌てて唇を噛むと「腰に来る声だね」と言いながら康孝さんの手がベルトにかかる。
「だめ、」
「本当に? 本当に駄目ならやめるよ?」
手を止めた康孝さんが僕をじっと見る。あまりに熱っぽい視線に耐えられず、そっと顔を背けた。
「わたしがどれだけ珠希くんを想っているか教えてあげたいんだ。どれだけ我慢してきたかを含めてね。こんなわたしを浅ましいやつだと軽蔑するかい?」
初めて聞く自信なさげな声に慌てて首を横に振った。僕が康孝さんを軽蔑することなんて絶対にない。
「で、でも、」
「自信がない?」
言われてドキッとした。同時にストンと腑に落ちた。
許嫁になって一年、こういう関係になっていてもおかしくないのにそうならないことにどこかでホッとしていた。婚前交渉は駄目だというのは昔の話で、婚約した段階でうなじを噛まれるΩも多い。それなのに僕はどうしてもそういう行為への抵抗が拭えなかった。手を繋ぐのはよくても肌に触れられるのは怖い。それは康孝さんが相手でも同じだった。
どうしてそう思うのかわからなかった。でも、ようやく理由がわかった。
(自分に自信がないからだ)
経験したことがないから怖いということもある。でも、それよりも「全部知られて幻滅されたらどうしよう」というほうが怖かった。
家族の中で役立たずなのは僕だけで、Ωとしても凡庸な自分がずっと嫌だった。こんな僕を康孝さんが本当に選んでくれるとはどうしても思えない。このまま先に進んだら、きっと幻滅されてしまう。
(それに、僕の体はきっと具合がよくないだろうし)
以前パーティで耳にした言葉を思い出し、康孝さんの腕を掴む手に力が入った。
Ωは通常、三カ月から四カ月に一度発情する。そのときαを惹きつける魅力的な香りが出ると言われているけれど、僕の香りはとても弱い。初めての発情でそのことに気づいた母は眉をひそめ、父は落胆した。兄たちは「これが弟なんてみっともない」という目で僕を見た。
Ωは発情していなくても具合がいいと言われている。でも、香りすら満足にしない僕の体がいいはずがない。そのことに康孝さんが気づけば、きっと婚約を早まったと思うだろう。αとΩでもっとも大事なのは交わって子を作ることだ。そのためには交わりたいと思わせる体でなくては駄目で、華族のΩなら誰もがそうありたいと願っている。
(それなのに僕は……)
康孝さんに幻滅されるのが怖い。このまま行為を進めるのが怖い。
「珠希くん、わたしの香りを嗅いでみて」
「え……?」
「ゆっくりでいいから、嗅いでみて」
もしかして康孝さんのαの香りを、ということだろうか。
(αの香り……どうしよう)
両親や兄たちの香りを嗅いだことはあるけれど、いい香りだと思ったことは一度もない。パーティ会場で無理やり嗅がされたときも吐き気しかしなかった。それ以来、αの香りというだけで胸がつかえるようになってしまった。
康孝さんの香りを嗅いで同じようなことになったらどうしよう。αの香りを嫌うΩなんて笑い話にもならない。それが怖いのに、康孝さんの香りだというだけで胸が高鳴った。嗅いでみたいという欲に負けて、そっと息を吸う。
(……少し甘くて……でもすっきりしている)
おそるおそる嗅いだ香りは想像していたものと全然違っていた。もう一度吸うと、より甘さを感じるような気がする。花のような洋菓子のような何とも言えない甘い香りにうっとりと目を閉じた。
「この香りは好きかい?」
「はい」
「それじゃあ、もっと嗅いでみて」
言われるままに深く息を吸った。鼻から入ってくる香りが胸を満たし、なぜか頭まで満たされるような気がする。そのせいか全身がふわふわしてきた。元日に唇を濡らすだけの御神酒の香りに酔ってしまったときに似ている。
「この香り、好きです」
「よかった。それに……うん、珠希くんの香りも少し強くなっている。わたしたちは香りの相性がいいんだろうね」
「香りの相性……?」
目を開けると康孝さんの微笑む顔がすぐ近くにあって顔が熱くなった。
「αとΩにとっては大事なことだよ。それに香りの相性がいいと体の相性もいいと言うからね」
「からだのあいしょう、」
駄目だ、ぼんやりして康孝さんの言葉がうまく理解できない。それでも僕は康孝さんの香りを嗅がずにはいられなかった。
すぅっと吸い込むと体がポカポカしてくる。体の奥がじんわり温かくなり、それが手足の先まで広がるようだった。
「あ、」
急に首のあたりが熱くなった気がした。戸惑っていると、康孝さんの手が首飾りの上からうなじを撫でる。
「んっ」
くすぐったいような、それでいてむず痒いような奇妙な感覚に体がふるっと震えた。僕はうなじを撫でる康孝さんの右手を止めようと左手を伸ばした。片手ではうまく止められなくて右手も伸ばし、指を絡める。
それでも康孝さんの手は止まらなかった。指を絡めたまま首飾りを撫でられ「ぁっ」と声が漏れる。
「やっぱり珠希くんの声は腰に来るね」
「んっ」
「指を絡めたままうなじを撫でることになるとは思わなかったけど、これはこれでなかなか」
「んふ、」
「このままほかも撫でてみようか」
指を絡めた手が首筋を撫でながら別の場所に移るのがわかった。
「ぁ、」
シャツが肩からすべり落ちるのがわかった。そうしてさらけ出された肩を撫でられて腕が震える。
「ん!」
胸を撫でられて絡めた指が震えた。
「あぅ」
自分の手が乳首に触れて体がビクッと跳ねる。
「珠希くん、ベッドに行こう」
「でも、」
「大丈夫、運んであげるよ」
指を絡めていた手が離れていく。それが寂しくて手を伸ばすと「おいで」と言って康孝さんが僕を抱え上げてくれた。
「大丈夫、きみが嫌がることはしない。それにうなじも噛まないから」
「……っ」
うなじと言われてドキッとした。シャツのボタンを外す康孝さんを止めようとしていた手が一瞬だけ止まる。そんな僕に康孝さんは「噛むのは結婚してからにしよう」と囁き、うなじを覆う首飾りをするりと撫でた。
「んっ」
漏れ出た声に驚いたのは僕のほうだった。慌てて唇を噛むと「腰に来る声だね」と言いながら康孝さんの手がベルトにかかる。
「だめ、」
「本当に? 本当に駄目ならやめるよ?」
手を止めた康孝さんが僕をじっと見る。あまりに熱っぽい視線に耐えられず、そっと顔を背けた。
「わたしがどれだけ珠希くんを想っているか教えてあげたいんだ。どれだけ我慢してきたかを含めてね。こんなわたしを浅ましいやつだと軽蔑するかい?」
初めて聞く自信なさげな声に慌てて首を横に振った。僕が康孝さんを軽蔑することなんて絶対にない。
「で、でも、」
「自信がない?」
言われてドキッとした。同時にストンと腑に落ちた。
許嫁になって一年、こういう関係になっていてもおかしくないのにそうならないことにどこかでホッとしていた。婚前交渉は駄目だというのは昔の話で、婚約した段階でうなじを噛まれるΩも多い。それなのに僕はどうしてもそういう行為への抵抗が拭えなかった。手を繋ぐのはよくても肌に触れられるのは怖い。それは康孝さんが相手でも同じだった。
どうしてそう思うのかわからなかった。でも、ようやく理由がわかった。
(自分に自信がないからだ)
経験したことがないから怖いということもある。でも、それよりも「全部知られて幻滅されたらどうしよう」というほうが怖かった。
家族の中で役立たずなのは僕だけで、Ωとしても凡庸な自分がずっと嫌だった。こんな僕を康孝さんが本当に選んでくれるとはどうしても思えない。このまま先に進んだら、きっと幻滅されてしまう。
(それに、僕の体はきっと具合がよくないだろうし)
以前パーティで耳にした言葉を思い出し、康孝さんの腕を掴む手に力が入った。
Ωは通常、三カ月から四カ月に一度発情する。そのときαを惹きつける魅力的な香りが出ると言われているけれど、僕の香りはとても弱い。初めての発情でそのことに気づいた母は眉をひそめ、父は落胆した。兄たちは「これが弟なんてみっともない」という目で僕を見た。
Ωは発情していなくても具合がいいと言われている。でも、香りすら満足にしない僕の体がいいはずがない。そのことに康孝さんが気づけば、きっと婚約を早まったと思うだろう。αとΩでもっとも大事なのは交わって子を作ることだ。そのためには交わりたいと思わせる体でなくては駄目で、華族のΩなら誰もがそうありたいと願っている。
(それなのに僕は……)
康孝さんに幻滅されるのが怖い。このまま行為を進めるのが怖い。
「珠希くん、わたしの香りを嗅いでみて」
「え……?」
「ゆっくりでいいから、嗅いでみて」
もしかして康孝さんのαの香りを、ということだろうか。
(αの香り……どうしよう)
両親や兄たちの香りを嗅いだことはあるけれど、いい香りだと思ったことは一度もない。パーティ会場で無理やり嗅がされたときも吐き気しかしなかった。それ以来、αの香りというだけで胸がつかえるようになってしまった。
康孝さんの香りを嗅いで同じようなことになったらどうしよう。αの香りを嫌うΩなんて笑い話にもならない。それが怖いのに、康孝さんの香りだというだけで胸が高鳴った。嗅いでみたいという欲に負けて、そっと息を吸う。
(……少し甘くて……でもすっきりしている)
おそるおそる嗅いだ香りは想像していたものと全然違っていた。もう一度吸うと、より甘さを感じるような気がする。花のような洋菓子のような何とも言えない甘い香りにうっとりと目を閉じた。
「この香りは好きかい?」
「はい」
「それじゃあ、もっと嗅いでみて」
言われるままに深く息を吸った。鼻から入ってくる香りが胸を満たし、なぜか頭まで満たされるような気がする。そのせいか全身がふわふわしてきた。元日に唇を濡らすだけの御神酒の香りに酔ってしまったときに似ている。
「この香り、好きです」
「よかった。それに……うん、珠希くんの香りも少し強くなっている。わたしたちは香りの相性がいいんだろうね」
「香りの相性……?」
目を開けると康孝さんの微笑む顔がすぐ近くにあって顔が熱くなった。
「αとΩにとっては大事なことだよ。それに香りの相性がいいと体の相性もいいと言うからね」
「からだのあいしょう、」
駄目だ、ぼんやりして康孝さんの言葉がうまく理解できない。それでも僕は康孝さんの香りを嗅がずにはいられなかった。
すぅっと吸い込むと体がポカポカしてくる。体の奥がじんわり温かくなり、それが手足の先まで広がるようだった。
「あ、」
急に首のあたりが熱くなった気がした。戸惑っていると、康孝さんの手が首飾りの上からうなじを撫でる。
「んっ」
くすぐったいような、それでいてむず痒いような奇妙な感覚に体がふるっと震えた。僕はうなじを撫でる康孝さんの右手を止めようと左手を伸ばした。片手ではうまく止められなくて右手も伸ばし、指を絡める。
それでも康孝さんの手は止まらなかった。指を絡めたまま首飾りを撫でられ「ぁっ」と声が漏れる。
「やっぱり珠希くんの声は腰に来るね」
「んっ」
「指を絡めたままうなじを撫でることになるとは思わなかったけど、これはこれでなかなか」
「んふ、」
「このままほかも撫でてみようか」
指を絡めた手が首筋を撫でながら別の場所に移るのがわかった。
「ぁ、」
シャツが肩からすべり落ちるのがわかった。そうしてさらけ出された肩を撫でられて腕が震える。
「ん!」
胸を撫でられて絡めた指が震えた。
「あぅ」
自分の手が乳首に触れて体がビクッと跳ねる。
「珠希くん、ベッドに行こう」
「でも、」
「大丈夫、運んであげるよ」
指を絡めていた手が離れていく。それが寂しくて手を伸ばすと「おいで」と言って康孝さんが僕を抱え上げてくれた。
613
お気に入りに追加
641
あなたにおすすめの小説
『別れても好きな人』
設樂理沙
ライト文芸
大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。
夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。
ほんとうは別れたくなどなかった。
この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には
どうしようもないことがあるのだ。
自分で選択できないことがある。
悲しいけれど……。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
登場人物紹介
戸田貴理子 40才
戸田正義 44才
青木誠二 28才
嘉島優子 33才
小田聖也 35才
2024.4.11 ―― プロット作成日
💛イラストはAI生成自作画像
幼馴染は俺がくっついてるから誰とも付き合えないらしい
中屋沙鳥
BL
井之原朱鷺は幼馴染の北村航平のことを好きだという伊東汐里から「いつも井之原がくっついてたら北村だって誰とも付き合えないじゃん。親友なら考えてあげなよ」と言われて考え込んでしまう。俺は航平の邪魔をしているのか?実は片思いをしているけど航平のためを考えた方が良いのかもしれない。それをきっかけに2人の関係が変化していく…/高校生が順調(?)に愛を深めます
子を成せ
斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
ミーシェは兄から告げられた言葉に思わず耳を疑った。
「リストにある全員と子を成すか、二年以内にリーファスの子を産むか選べ」
リストに並ぶ番号は全部で十八もあり、その下には追加される可能性がある名前が続いている。これは孕み腹として生きろという命令を下されたに等しかった。もう一つの話だって、譲歩しているわけではない。
愛しいアルファが擬態をやめたら。
フジミサヤ
BL
「樹を傷物にしたの俺だし。責任とらせて」
「その言い方ヤメロ」
黒川樹の幼馴染みである九條蓮は、『運命の番』に憧れるハイスペック完璧人間のアルファである。蓮の元恋人が原因の事故で、樹は蓮に項を噛まれてしまう。樹は「番になっていないので責任をとる必要はない」と告げるが蓮は納得しない。しかし、樹は蓮に伝えていない秘密を抱えていた。
◇同級生の幼馴染みがお互いの本性曝すまでの話です。小学生→中学生→高校生→大学生までサクサク進みます。ハッピーエンド。
◇オメガバースの設定を一応借りてますが、あまりそれっぽい描写はありません。ムーンライトノベルズにも投稿しています。
優しい騎士の一途な初恋
鳴海
BL
両親を亡くした後、靴屋を継いで一人で暮らしているトーリには幼馴染がいる。五才年下の宿屋の息子、ジョゼフだ。
ジョセフは「恋人になって欲しい」とトーリに告白をし続けている。
しかしトーリはとある理由から、ジョゼフからの告白をずっと断り続けていた。
幼馴染二人が幸せになる話です。
巣作りΩと優しいα
伊達きよ
BL
αとΩの結婚が国によって推奨されている時代。Ωの進は自分の夢を叶えるために、流行りの「愛なしお見合い結婚」をする事にした。相手は、穏やかで優しい杵崎というαの男。好きになるつもりなんてなかったのに、気が付けば杵崎に惹かれていた進。しかし「愛なし結婚」ゆえにその気持ちを伝えられない。
そんなある日、Ωの本能行為である「巣作り」を杵崎に見られてしまい……
ハコ入りオメガの結婚
朝顔
BL
オメガの諒は、ひとり車に揺られてある男の元へ向かった。
大昔に家同士の間で交わされた結婚の約束があって、諒の代になって向こうから求婚の連絡がきた。
結婚に了承する意思を伝えるために、直接相手に会いに行くことになった。
この結婚は傾いていた会社にとって大きな利益になる話だった。
家のために諒は自分が結婚しなければと決めたが、それには大きな問題があった。
重い気持ちでいた諒の前に現れたのは、見たことがないほど美しい男だった。
冷遇されるどころか、事情を知っても温かく接してくれて、あるきっかけで二人の距離は近いものとなり……。
一途な美人攻め×ハコ入り美人受け
オメガバースの設定をお借りして、独自要素を入れています。
洋風、和風でタイプの違う美人をイメージしています。
特に大きな事件はなく、二人の気持ちが近づいて、結ばれて幸せになる、という流れのお話です。
全十四話で完結しました。
番外編二話追加。
他サイトでも同時投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる