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 家同士の話がどうなるかはわからないけれど、早く次の縁談を持ってきてほしいと話せば少なくとも両親は落ち着くはず。不動家のほうは康孝さんにお願いすれば、きっと何とかしてくれるだろう。あれこれ考えながら唇を噛み締める僕の肩に大きな手がポンと触れた。

(え……?)

 康孝さんに肩を抱かれている。久しぶりの手の感触に胸の奥がきゅうっと切なくなった。

(駄目だ、期待なんてしたら駄目だ)

 わかっているのに、やっぱり嬉しくて仕方がない。たったこれだけのことで僕の体は喜びに震えそうになった。同時に「もしかして」なんて思ってしまう自分が嫌で泣きたくなる。これ以上近くにいては浅ましい気持ちばかりが膨らんでしまいそうで、そんなふうになってしまう自分がますます嫌になった。

(いまここで婚約を解消してほしいとお願いしよう)

 恋人がいる前ならちょうどいい。婚約を解消したいと申し出てから、二人の幸せを願うと言えば何もかも吹っ切れる。そう思って口を開きかけたところで「次はわたしの許嫁にも来てもらえると嬉しいんだけどね」と康孝さんが口にした。

「え?」

 驚いて視線を上げると、康孝さんも僕を見ていた。そうしてニコッと微笑みながら言葉を続ける。

「早くみんなに自慢したくて仕方がないんだけど、珠希くんは恥ずかしがり屋でね。なかなか自慢させてくれないんだ」

 何を言われたのかわからず呆然と康孝さんを見上げた。

「康孝様は意外とのろけるのがお好きなのですね」
「おや、あいつから聞いていないかな」
「そんなことはひと言も。というより、康孝様の話題になると機嫌が悪くなるので口にしないようにしていますから」
「おっと、きみたちのほうこそのろけだな」
「ふふっ、そうですか?」

 僕が想像したとおり二人は親しげに話をしている。でも、想像していたような恋人という雰囲気には見えなかった。それに、いまの話では綺麗なこの人には別の相手がいるようにも聞こえる。

「康孝様、のろける前に許嫁殿の心をしっかり掴んでおかれたほうがよいのでは?」
「相変わらず手厳しいな」
「僕が手厳しいのではなく康孝様がのんびりし過ぎなのですよ。結婚が三度も延びたのがその証拠でしょう?」
「これは痛いところを突かれた」
「康孝様は奥手でいらっしゃるから抱きしめることもしないのでは?」

 そう言いながら笑った綺麗な人が、「それでは寂しいですよね?」と僕を見る。

「あ、あの……」

 どう答えてよいのかわからず口ごもると、肩を抱く康孝さんの手に力が入るのがわかった。

「珠希くんは恥ずかしがり屋なんだ。そうした大人の会話に巻き込まないでくれないかな」
「この程度の会話は社交場では普通ですよ? それに、いまだに口づけすらしない康孝様のほうがよほど恥ずかしがり屋でいらっしゃるかと」
「あいつは余計なことだけは話しているようだね」
「純情青年のようだと褒めていらっしゃいました」
「やれやれ、きみは段々とあいつに似てきたな」

 珍しく康孝さんが困ったような顔をしている。それを見た綺麗な人が「ふふっ」と笑った。

「深窓のΩというのは、多少強引にされるほうが花開くというもの。とくに想いを寄せるαに求められる喜びは何ものにも勝るのですから」
「なるほど、経験者の言葉は説得力が違う。ところで、少しは感謝してもらえているのか気になるんだが」
「もちろん康孝様には感謝しています。今回発表できるようになったのも康孝様のおかげですから」
「ははは、冗談だよ。それに大したことはしていない。あいつに愚痴られるほうが気が滅入るからね」
「そういえば、茶会でも『感謝はしているが香りを付けるなんてふざけた方法だ』と怒っていらっしゃいました」
「あれは緊急措置だ。それに香りを付けていなければ、公彦くんはあの外国人に攫われていたかもしれない」
「あのときはみっともない姿をお目にかけてしまいました。さすがの僕も言葉が通じない相手ではうまく躱せず……感謝しています」

 眉尻を下げる綺麗な人が「外国人がいるパーティには気をつけて」と僕を見た。

「とくにあなたのような慎ましやかなΩは狙われやすい。それに強引に蕾を開かせたいというαにも気をつけたほうがいいですよ。まぁ、康孝様の香りが付いている限り、そんなことは起きないでしょうが」
「当然だよ」
「そのために頻繁に時間を作っては会いに行くなんて、康孝様も嫉妬深くていらっしゃる」
「そうやって二人で話の種にしているんだな」

 そう言いながらため息をつく康孝さんの姿にドキッとした。こうした顔を僕の前で見せたことは一度もない。康孝さんは困っているのかもしれないけれど、初めて見る表情に鼓動がどんどん早くなる。

「それでは、僕はこの辺で。お二人の結婚式、楽しみにしています」
「きみたちのほうが早いかもしれないな」

 康孝さんの言葉に艶やかに微笑んだ綺麗な人は、僕に近づくと「がんばって」と耳打ちしてから立ち去った。どういう意味かわからず背中を見送っていると、「ところで」と康孝さんが僕を見下ろす。

「もしかして、わたしは婚約破棄をされかけていたんだろうか?」

 何のことかわからず首を傾げ、次の瞬間「さっきの独り言だ」と気づいた。慌てて「あの、」と言いかけたものの、どう説明すればよいのかわからず口をつぐむ。

「もしそうだったとしたら、わたしが不甲斐ないせいだね。うーん、公彦くんの言葉はあながち間違いじゃなかったということか」
「あの……先ほどの方は……」

 尋ねていいのかためらいはあったものの、気になって仕方がない。視線を逸らしながらそう口にすると「親友の恋人だよ」と返ってきた。

「親友の恋人、ですか?」
「親友というより腐れ縁のような間柄かな。母親同士が仲が良くてね。小さい頃からよく一緒に過ごした親友が、世界一大事にしている人だよ。……もしかして、誤解していたかい?」
「……すみません」

 下手にごまかさないほうがいいと思い、素直に頭を下げた。

「謝る必要はないよ。……あぁ、そうか。お父上がきみをパーティに送り込んでいると聞いていたけど、どこかで見かけたのかな」
「……はい」
「じつは公彦くんが少し厄介なことに巻き込まれてしまってね。それで親友の代わりにパーティに付き添うことになったんだ。おかげで珠希くんを誘う機会を逸してしまった。珠希くんのほうは大丈夫だったかい?」
「はい。それに、すぐに帰っていましたから」
「よかった。最近は外国人も招かれることが多いから気になっていたんだ。珠希くんが攫われたりしないか不安で、つい香り付けなんてことまでしてしまった」
「香り付け……?」
「毎週末、会うたびにね」

 もしかしてお茶や散策のことだろうか。そういえば並んで歩くとき、よく腰に手を回されたことを思い出した。

(もしかして、あのときにαの香りを……?)

 αはΩにほかのαが近づかないように自分の香りを付けることがあるという話は聞いたことがある。ただ、身近でそういう話が出たことがなかったから自分がされていたことに気づかなかった。
 もし両親のどちらかがΩだったら、そういうことがあると気づけたかもしれない。でも我が家のΩは僕だけで、そういう話題が出たことは一度もなかった。

「香りだけで安心していたのは、わたしの傲りだな。許嫁になってしまえば珠希くんを手に入れたも同然だと思い込んでいたんだ。だから結婚が先延ばしになっても待てばいいと楽観視していた。それが珠希くんの不安の表れだとどうして気づかなかったんだろう」

「申し訳なかった」と謝る康孝さんに、慌てて「やめてください」と首を振る。

「彼らのほうは一段落ついた。これからは珠希くんのことだけ見るようにするよ」
「もういいんです。それに僕が勝手に勘違いしていただけで、」
「勘違いさせたわたしに非がある。きみは何も悪くない」
「康孝さん……」
「これからはパーティも一緒に行こう。一緒じゃないときは行かないでほしい。この件はわたしから再度お父上に話しておく」

 肩を抱いている手に力が入った。まるで僕を守ってくれるような仕草にトクンと胸が高鳴る。

「そうだ、せっかくだからこれからお茶はどうかな?」
「お茶、ですか?」
「久しぶりに会えたんだ、パーティより珠希くんと話がしたい」

 それは僕も同じだ。不安が消えたからか、康孝さんと一緒にいたいと素直に思った。

「あの、ご迷惑でなければ」
「よかった。この時間だと喫茶室は混んでいるだろうから、わたしが使っているホテルはどうかな?」
「ホテルですか?」
「そう。最上階だから夜景が綺麗に見えるよ。今朝、ちょうどいい茶葉が手に入ったから味も保証する」
「……もしかして、康孝さんが入れてくださるということですか?」
「こう見えて腕前は悪くないと自負している。というより、珠希くんが紅茶好きだと聞いて密かに入れる練習をしていたんだ」

 照れくさそうに笑う顔に頬がポッと熱くなる。紅茶を入れる練習だなんて、そこまでしてくれていたことにむず痒くなった。

「楽しみです」
「では、行こうか」

 ふわりと笑った康孝さんの顔に胸がきゅうっと切なくなる。笑顔を見ても苦しいばかりだったのが嘘のようにふわふわした気持ちになった。
 こうして僕は康孝さんとパーティ会場を抜け出し、案内されるまま車でホテルへと向かった。
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