BL短篇集

朏猫(ミカヅキネコ)

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研究者が見る夢~七度目にして、ようやくの大願成就だ

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「やぁ、また会ったね」
「どうも」
「相変わらずだなぁ、きみは」

 おそらく「相変わらず愛想がないなぁ、きみは」と言いたかったのだろう。そんな博士の言葉こそ「相変わらず」だ。どこで見かけても必ず「また会ったね」と同じ言葉を僕に投げかけてくる。

「僕より、あちらの女性たちに声をかけたらどうですか? ずっと博士を見ているようですし」
「うーん、ああいう肉食系は好きじゃないんだよなぁ」
「そうですか」

 表面上は素直に頷きつつ、内心では「嘘ばっかり」と苦笑した。
 博士にたくさんの恋人がいるのは有名な話だ。有機素材を使った人工ボディ研究の第一人者であるキミジマ博士は「顔良し、知名度高し、財産たっぷり」の三拍子が揃った有名人でもある。同じ分野で研究している僕にとっては雲上人、女性陣にとっては同業者かつパートナー候補として魅力的な男性であることは間違いない。
 そんな有名人が、しがない大学の一研究者でしかない僕に声をかけても何のメリットもない。それなのに顔を見かけるたびに声をかけてくる。

「それに、俺はきみだから声をかけているんだ。ずっと前からきみのことは知っているからね」
「それはまた」

 律儀なことで。そう思ったものの口には出さない。そんな僕に「きみの論文、読ませてもらったよ」と口にした博士が僕の腰に手を回し、女性陣から少し離れたテーブルの近くに誘導した。

「今回もなかなか興味深かった。いまは人間の一部を人工ボディに置き換える研究が中心だが、いずれは人工ボディに人間の中身を入れてしまおうという発想と方法論は実に興味深い。いや、僕が目指しているものと大いに合致している。とくに脳を移植し人工ボディと精神連結させる方法は、まさにいま手掛けている研究そのものだよ」
「お褒めいただき光栄です」

 口では謙遜しつつも「当然だ」と笑いたくなった。僕は長い間この分野の研究に時間を注ぎ込んできた。博士とまったく同じ時間を費やしてきたと言ってもいい。そろそろ時期かと思って取っておいた隠し球を発表したまでだ。

「きみの論文を読んでいると、いつも胸が高鳴るよ。今回もやはりきみこそが隣にふさわしいと感激したくらいだ」

 そう言いながら僕に熱心な眼差しを向けてくる。

「それにね、今度こそ手に入れられると確信もしているんだ。そこに今夜のパーティだ。きみも参加すると聞いて、昨夜はまるで遠足前の子どものような気分だったよ」
「それはまた、えらく興奮されたんですね」
「ははっ、きみにはこの興奮が理解できないだろうね。いや、ほとんどの人が理解できないだろう。俺だって最初の頃は気が触れたのかと思ったものだよ。執着しすぎて頭がおかしくなったのかとも思った。だが、間違いない。何度も検証し、そのたびに確信を深めてきた。そして今回がその集大成だと考えている」

 博士がニヤリと男臭い笑みを浮かべた。そういえば先月四十歳になったと何かの雑誌に書いてあったなと思い出す。男盛りという自覚と研究者として大成した自信、そういったものがにじみ出ている笑みに背中がぞくりとした。

「今回で七度目だ。一度目に比べれば随分と環境も整った。人工ボディの全身化もほぼ完成したと言ってもいい。ようやくの大願成就ではあるが、残念ながら一つだけ問題が残っている。だが、その問題も気にするほどのものじゃない」
「なんだか楽しそうですね」
「あぁ、楽しいとも。これほどわくわくしたことはないよ。気が遠くなるほど追い求めてきた存在を、ようやく永遠にこの手にすることができるんだからね」

 女性なら悲鳴を上げそうな男っぷりの笑顔を浮かべながら、博士がグッと身を寄せてきた。思わせぶりに右手で僕の長い横髪を耳にかけ、内緒話をするように顔を近づける。

「どうしても手に入れたくてこの研究を続けてきた。くり返す命のすべてを使ってだ。そうして、ようやく願いが叶う見通しが立った。性別が同じというのは唯一の問題で戸惑うところだが、そんな些細なことは塵芥に過ぎない。つまり最後に残された問題も問題ではないということだ」

 クスッと笑った博士が離れ、いつの間に手にしたのかシャンパングラスをぐいっとあおる。

「本当に今日は最上の日だ」
「随分とご機嫌ですね」
「あぁ、ここに来る直前に最終チェックが終わったばかりでね。有機神経の接続問題はほぼ解決したと言っていいだろう。きみの論文を元に再検証すれば完成は間違いない。いまはまだ義手や義足といった部分的なものしか実用化されていないが、ボディ全体の認可もすぐに下りる。そういったところにも俺は顔が利くんでね。そうすれば研究室外でもずっとそばに置いておくことができる」

 博士が近くを通った給仕から新しいシャンパンを受け取った。「きみもおかわりはどうだい?」と勧められたグラスを断る僕の前で、二杯目も景気よく空けていく。

「そんなに一気に召し上がると後が大変ですよ」
「前祝いだよ」
「前祝いですか」
「後日、改めて一緒に祝う予定だがね。あぁ、そういえば一度目のときも前祝いを一緒にやったな。あのときはまだ軽量素材の完成祝いだったが、それを考えれば随分と進んだものだ。思えばあのとき、すでに同志を超えた感情を抱いていたのだろう。恋心だと気づいてからは毎回思いを告げてきたというのに、すべて振られてしまったのもいまとなってはいい思い出だよ」

 空のグラスを持った博士の目が、何かを懐かしむように僕を見つめている。

「二度目もただの同僚、三度目でようやく相棒に昇格できた。これならと期待を込めて気持ちを告げてもやはり惨敗だった。四度目で男になったきみを見たときは絶望したが、それもほんの一瞬だ。同性だろうが関係ない。むしろ、より一層手に入れたいと渇望するようになった」

 近くにあったテーブルにグラスを置いた博士が、胸ポケットからカードらしきものを取り出した。それを「招待状だ」と言って僕の右手に握らせる。

「きみには研究の最終段階に立ち会ってほしい。いや、その後の調整にもつき合ってほしいと思っている。俺専用のラボでの研究だ。極秘に進めてきた最新の研究成果がある。きみにとっても悪くない話だろう? あぁ、大学のほうは気にしなくていい。俺のラボへ転職する手続きはすでに終わっている」

 カードかと思ったそれは薄いケースだった。側面の突起部分をスライドさせて開くと、中に複数の暗証番号が書かれている。隣の面に小さなメモリがはめ込まれているということは、博士専用ラボまでの通行手形と最終キーといったところだろう。

「待っているよ」

 そう口にした博士が軽く手を振りながら去って行った。
 重要なものを渡しておいて返事を確認しないなんて、どうかしている。このキーがあれば僕が大事な研究を奪うことも消すこともできるのに、そういうことは考えなかったんだろうか。

(まぁ、考えないだろうな)

 七度目ともなれば、僕がどんな人物で博士をどう思っているのかもよくわかっているに違いない。一度目からの記憶がある博士なら僕を疑ったりもしないだろう。僕のほうも、今夜大事なキーをこうして手渡してくるだろうことは予想していた。

(ようやくだなんて、それはこっちのセリフだ)

 それにしても、まさかこんなに時間がかかるとは思わなかった。一度目のときからのことを思い返し、苦笑にも似たため息が漏れる。
 初めて出会ったとき、彼こそ真の天才だと思った。彼になら実現できる、そう思って三度目までは研究に没頭してもらうように仕向けた。四度目のときに彼の気持ちを受け入れる素振りを見せたのは考えがあってのことだ。この先どのくらい時間がかかるかわからなかったから保険の代わりにと思ってキスを許した。

(やっぱりあのときキスしておいて正解だったな)

 おかげで七度目の今回まで、博士は僕に異常なほどの執着を見せてくれた。同時に人工ボディに脳を完全移植する技術の開発にもまい進した。多少時間はかかったものの、今回ようやくすべてを実現できるところまでたどり着くことができた。

(未来永劫研究を続けたいという僕の願いがようやく叶う――ようやく彼をわたしだけのものにできる)

 四度目で男に生まれてしまったときは、僕のほうこそ絶望しかかった。これじゃあ彼の心を惹きつけ続けるのは無理だと思った。
 でも、彼は性別など気にしなかった。やはり一度目のときから気を持たせ続けたのがよかったんだろう。

(それにしても、本当に生まれ変わり続けるなんてな)

 二度目のとき、彼を見た瞬間すべてを思い出した。自分が二度目の人生を生きていることと、目の前の男が自分と同じ研究をしていた彼だと一瞬にして理解した。
 彼も言ってたけれど、最初は頭がおかしくなったのかと思った。でも違った。僕も彼も間違いなく人生をくり返している。三度目からは彼と再会するより先に記憶を取り戻すようになった。

(おかげでいろいろ準備もできた)

 万が一、彼が記憶を失っていたときのことを考えて深層心理に働きかける様々なことを試した。僕に会った瞬間に絶対に思い出すように何重にも仕掛けた鍵は、その後見事に働き続けてくれている。体が変われば効果はないと思っていたけれど、どうやらそんなことはないらしい。

(そもそも命をくり返していること自体があり得ないことだしな)

 精神への興味は神経系の研究に大いに役に立った。人工ボディと精神連結の研究が一気に加速する鍵になったと考えている。何もかもが研究に役立ち、僕と彼との結びつきをさらに強固にしてきた。

(さて、第一被験者は僕がなるとして、二番目は彼になってもらわないと)

 いよいよ研究の最終段階だと思うだけで胸が高鳴ってくる。自覚はなかったものの、僕も彼に負けず劣らず興奮しているのだろう。そのためにも今夜からが正念場だ。
 僕だけ永遠の命になっても意味がない。彼と一緒に永遠に生きることこそが僕の望みだからだ。そうしてこの先も永遠に同じ夢と目標に向かって一緒に研究を続けていく。僕と彼は一心同体になり、未来永劫研究を続けていくのだ。

(研究もだけど、彼とずっと一緒にいられることが一番かもしれないな)

 最初は研究のために彼が必要で、そのために共に生きるための永遠の命を作る方法を考えていた。自分が目指す究極の研究成果に繋がることにもなるけれど、気がつけば研究成果より彼を手に入れることのほうを強く願うようになっていた。まるで彼が僕に向ける渇望が伝染したような気がして笑いたくなる。

(どっちにしても彼は僕だけのものになるってことだ)

 次は人工ボディのより一層の最適化だ。できれば人工皮膚はもっと柔らかく、より人に近づけたいと思っている。十年前より皮膚感覚も随分敏感になったけれど、最終的には指先の感覚まで生身と変わらないようにしたい。

(そうしないと、触れたり抱き合ったりしてもつまらないだろうし)

 まだまだやりたいことが山ほどある。僕は高鳴る気持ちを抑えながら胸ポケットに最終キーとなるカードを仕舞った。
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