垂れ耳兎は蒼狼の腕の中で花開く

朏猫(ミカヅキネコ)

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25 すれ違い

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 半月後、月の宴を翌日に迎えたこの日、リトスは再び宴の場である屋敷に来ていた。今回は月の宴が行われるとわかっていてクシフォスについてきた。最後までクシフォスの世話をしたいと思ったからだ。

(僕だけが大変なわけじゃない。クシフォス様も……バシレウス様もきっとつらい思いをしてきたはずだから)

 そんな二人のために何かしたいと思っていた。残念ながらバシレウスとはあれから一度も顔を合わせていないが、クシフォスの手伝いならきっと何かできるはず。力むリトスに「可愛いお世話係がいると心が和むね」と笑ってくれる主のために精一杯働きたい。

「月の宴は明日だから、今日はゆっくり休んで」

 そう言われたリトスだったが、せめて美味しいお茶を入れたいと考えた。しかし部屋に茶器がない。アスピダに確認すると、早く到着したためまだキッチンにあるのではということだった。

(茶器と、それに焼き菓子があったら少しわけてもらおう)

 それでとびきりのお茶の時間を準備しよう。自分で混ぜ合わせた茶葉も持って来ているし、主にはそれを飲んでゆっくりしてほしい。そんなことを考えながらキッチンへと向かった。

(今回は数人の使用人がいると聞いたけど……)

 だから垂れ耳は念入りに布で隠した。これなら誰かに会ったとしてもアフィーテだとばれることはない。
 綺麗な釣り燈籠が並ぶ廊下を歩き最初の角を曲がる。さらに進んだ突き当たりを左に曲がった先にキッチンがあると聞いた。突き当たりにたどり着いたリトスが曲がろうとしたとき、ふと右側に人影があることに気がついた。

「……え?」

 思わず声が漏れてしまった。慌てて口をつぐんだが、リトスの声に気づいた人影がくるりと振り返る。

「ルヴィニ」

 そこにいたのはルヴィニだった。綺麗な赤毛は長く垂らされ、開け放たれた窓から入る風に柔らかく揺れている。いまが夜なら、きっと月明かりを浴びてより美しく輝いていたことだろう。

「リトス」

 ルヴィニの声に体がビクッとした。足が石になったように固まり動けなくなる。

「また花嫁候補になってここに来た僕を笑いに来たの?」
「そんなこと、」
「自分のほうが蒼灰そうはいの君にふさわしいって自慢しに来たんでしょ」
「そんなこと思ってないよ」
「嘘だ! だって、いまのリトスはあの頃よりずっと綺麗になってる! 家にいたときより、側にいたときよりずっとずっと綺麗になってるじゃないか!」
「ルヴィニ、」
「こんなの……っ、こんなふうになるなんて……だから僕は家にずっといろって言ったんだ!」
「ルヴィニ、待って、話を聞いて、」
「聞かないっ。そんなに僕の側が嫌なら、もう二度と僕の前に現れないでよねっ。もうリトスなんて知るもんか!」

 吐き捨てるようにそう口にしたルヴィニは赤毛を揺らしながら走り去っていった。去り際に見た紺碧の目はひどく潤み、以前よりもさらに鋭くリトスを睨みつけていた。

(……僕は、一体どうすれば……)

 呆然としたまま、気がつけば来た道を戻っていた。うな垂れながら部屋の近くまで来たところでクシフォスの部屋の扉が開く。

「あぁ、リトスちょうどよかった……って、どうしたの?」
「……クシフォス様」

 力なく答えるリトスにクシフォスが目を見開く。

「何かあった? もしかして誰かに会った?」

 弟に会ったとは言えなかった。ルヴィニのことを口にすれば胸が痛くて涙が出てしまいそうな気がする。そんな顔を見せてはまた心配をかけてしまう。
 何も答えず俯いているリトスをしばらく見つめていたクシフォスは、「そうだな」とつぶやいて一つの提案を口にした。

「リトス、明日の月の宴だけど一緒に出ようか」
「……え?」
「前回と同じように一緒にあの場所に行こう。あぁ、でも今回はベールはなしでね」
「……それは、」

 つまり垂れ耳のままで壇上に座るということだ。そんなことをしたら兎族は間違いなく大騒ぎになる。狼族も何事かとざわつくに違いない。

「それじゃ、月の宴が台無しになってしまいます」
「そこは心配しなくていいよ。僕が同席を許可すれば誰も異議は唱えられない」
「でも、」
「リトスを傷つけようと思って言っているんじゃないからね。それに絶対に悪いようにはならない。約束する」

 そっと顔を上げると、そこにはいつになく真剣な表情を浮かべるクシフォスの顔があった。それでも不安に揺れるリトスに、麗しい主がにこりと優しい笑みを浮かべる。

「最後まで面倒を見るのも僕の役目だ。それにリトスは僕の可愛い世話係でもある。主が従者のために骨を折るのは当然のことだよ」

 よくわからないが、クシフォスが自分を貶めようとしているわけじゃないことはわかった。
 少し考えたリトスは「わかりました」と小さく頷いた。「よかった」と笑うクシフォスに抱き寄せられ「大丈夫だから」と背中をポンポンと撫でられる。

(これじゃ子どもみたいだ)

 そう思ったものの、気弱になっていたリトスは他人の温かさがひどく心地よく感じられた。申し訳ないと思いながらもそっと背中に手を回し、ほんの少し抱きしめ返す。

「えらく懐いているんだな」
「え?」

 久しぶりに聞く声に尻尾の毛がぶわっと逆立った。ハッとして顔を向けると、少し離れたところに半月以上振りに見る美しいバシレウスが立っている。しかしリトスを見る金色の目は睨むように鋭く、青みがかった銀毛の尻尾は苛々するかのようにゆっくりと揺れていた。

「バシレウス様」
「ちょうどよかった。確認しておきたいことが……って、バシレウス?」

 体を離したクシフォスが訝しむように眉をひそめる。

「俺のことは信用していなくても、クシフォスのことは体を預けるくらい信頼してるってことか」
「バシレウス様、」
「……俺では駄目だということか」

 金色の目がつらそうに歪んだ。慌てて違うのだと告げようとしたが、そんなリトスを見ることなくバシレウスが背中を向けてしまう。

「ちょっと待てバシレウス! あいつはまったく……アスピダ、掴まえておけ」
「はい」

 いつの間にか姿を現していたアスピダが足早に追いかけていく。二人を呆然と見送りながらもリトスは「また怒らせてしまった」と思った。

「なるほど、状況は何となくわかった」

 クシフォスの言葉に「僕が悪いんです」とつぶやいたリトスが力なく俯く。

「大丈夫。月の宴ですべて解決できるから」

 優しい言葉に頷くこともできず、リトスは暗い気持ちのまま翌日を迎えることになった。
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