垂れ耳兎は蒼狼の腕の中で花開く

朏猫(ミカヅキネコ)

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18 恐れ

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 ロンヒの話を聞いてからというもの、リトスはクシフォスの世話をしていない時間のすべてを使ってバシレウスのことを考えるようになった。

(このままでいいはずがない。ちゃんと考えないと駄目だ)

 そう思いながら蒼灰そうはいの君と呼ばれる美しい狼族を思い浮かべる。
 青く輝く銀毛を思い出すと鼓動が早くなる。自分を見つめる金色の目を思い出すだけで背中に甘いものが走り抜けた。

(僕は、バシレウス様のことが……)

 好きなんだろうか。浮かんだ言葉に頬がカッと熱くなり胸が高鳴った。憧れていたときよりも強い感覚に戸惑いながらも「好きなのかもしれない」と考える。

(でも、僕はアフィーテで……それに僕は……)

 かつてのことを思い出したリトスは違う意味で鼓動が早くなるのを感じた。
 兎族に何をされていたのか知られるのは怖い。でも、黙っているのは騙していることになる。それに、このまま会わずにいられるはずがないこともわかっていた。

(……話さないと)

 そして、こんな自分でも番にしたいと思うのか確かめなくては。
 震える両手を握り締めたリトスは、グッと顔を上げた。そろそろ午後のお茶を出す時間だ。クシフォスに考えがまとまったと話せば、バシレウスはきっとここにやって来る。そこできちんと話をしよう。
 リトスから「バシレウス様に話をしたい」と聞いたクシフォスは「それなら早速準備をしよう」と言って使いを出した。同時に猫族の使用人にあれこれ指示を出してリトスを風呂場に連れて行かせようとする。月の宴の前のようなことをされては大変だと思ったリトスは慌てて断ったものの、断固として譲らない主に「自分でやりますから」と折れて湯を使った。

(何だかすごくいい香りのお湯だった)

 しかも分不相応な服まで用意されている。それに袖を通しながら「まさか、初夜の準備なんじゃ」と思ったところで尻尾がぶわっと膨らんだ。
「どうしよう」と戸惑ったものの「いっそ、そういう場ではっきりさせたほうがいいのかもしれない」と開き直った。考えすぎたせいか「もうどうにでもなれ」とやけっぱちな気持ちになる。
 そうして日が暮れる頃、バシレウスが部屋にやって来た。美しい顔は少し強張り、心なしか緊張しているような様子をしている。

「リトス」

 以前よりも固い声だからか、名前を呼ばれたリトスまで緊張してきた。

(早く言わないと)

「やっぱり番にはなれない」と言われてもいいように覚悟は決めた。元々一人で生きていくはずだったのだから、また一人に戻るだけだ。未練は残るだろうが、それもアフィーテである自分の運命だと思えばいい。
 リトスは気合いを入れるように息を吸った。そうして「あのっ」と口を開く。

「どうした?」

 声の調子でリトスの様子がおかしいことに気づいたのだろう。バシレウスの眉がわずかに寄った。ベッドに腰掛けるリトスの前に椅子を置き、座りながら「どうかしたのか?」と声をかける。

「あの……伝えておかないといけないことがあって」
「何だ?」

 声を出そうとして喉が詰まった。決意したはずなのに、いざ本人を前にすると背中を嫌な汗が流れていく。「やっぱりアフィーテは厭らしいんだ」と思われるに違いないと考えるだけで胸が苦しくなった。

(でも、言うと決めたんだ)

 もう一度息を吸い、膝に置いた手をぎゅっと握り締めて口を開いた。

「僕は、アフィーテです。そのことを、故郷の兎族たちはみんな知っています」

 実際に垂れ耳を見たことがあるのは一部の兎族だけだったが、布で耳を隠した姿から全員が知っていたはずだ。

『ほら、あれがアフィーテだ』

 小さい頃から何度も聞いてきた言葉が蘇る。

『アフィーテって、あのアフィーテだろ?』

 蔑むような声に何度悲しい思いをしただろう。適齢期が近づくにつれて向けられるようになった視線に何度嫌悪感を抱いただろうか。

(そして、納屋に引き込まれて体中を撫で回されるようになった)

 種を受けたことはなくても、指でいじられ精をかけられたこの体は汚い。

『ほら、やっぱりアフィーテは厭らしい生き物なんだ』
『こんなになって、淫乱そのものだな』
『嫌がるフリして、ほんとは嬉しいんだろ?』

 投げつけられた言葉に何度も心を抉られた。体が熱くなるのは種族的な特徴だと思い込もうとしても駄目だった。これがアフィーテなんだと絶望するしかなかった。

「大丈夫か? つらいことなら無理をして口にする必要はない」

 優しい声に目頭が熱くなる。同族の兎族ですら煙たがり蔑んでいた自分に、もっとも高い地位に近い狼族がこんなにも優しく気遣ってくれる。

(だから、騙すようなことはしたくない)

 自分が汚いことを黙ったままでいることはできない。

「大丈夫です。もっと早くに言わないといけなかったことなんです。……僕はアフィーテで、アフィーテは同じ兎族にも嫌がられる存在です。子を作れない劣勢種に価値はありません。それでも……アフィーテだから……」

 喉の奥からぐぅっと熱いものがこみ上げてきた。それをグッと堪え、目を伏せながら言葉を続ける。

「誰もが僕を……僕の体を……」

 耳の奥に『アフィーテは何されても声が出るな』という声が響く。触られれば誰だって声が出るはずなのに、アフィーテだからだと誰もが口にした。

『さすがアフィーテ、何をされても感じるんだな』
『どれだけ厭らしくできてるんだよ』

 蘇る声に鳥肌が立った。恐怖と嫌悪感に耳と尻尾の毛がぶわっと逆立つ。それを見たバシレウスが金色の目をスッと細めた。

「兎族の慰み者にされていたのか?」
「……っ」

 そうだとは頷けなかった。全部話さなくてはと覚悟していたはずなのに体が強張る。喉が詰まり、握り締めた両手にもこれでもかと力が入った。

「リトス」

 肩に触れられてビクッと震えた。何を言われても仕方ないと瞼をギュッと閉じる。

「つらいことを話させたのは、俺のせいだな」

 想像していなかった言葉に「え?」と唇が動いた。

「リトスがアフィーテだということをひどく気にしているとわかっていたのに、俺は自分の気持ちにかかりきりになっていた。これでは、いい番とは言えない」

 そっと目を開き、おそるおそる視線を上げる。自分を見る金色の目が思っていたよりも穏やかなことにリトスは驚いた。

「よく話してくれた」
「……バシレウス様」
「つらかっただろう。そうまでして話す必要は……いや、話さないとリトス自身がもっとつらい思いをするということか。アフィーテがどういう存在か知っていたというのに、俺は気遣ってやることもできなかった。すまない」
「そ、んな、謝らないで、ください」
「言わなくてもいいように気遣ってやるのが番だ。いや、言い出しやすくするのが番か。どちらにしても、俺はただ自分の思いを伝えたくて贈り物を用意することしかできなかった。ロンヒが言うとおり、情けなさすぎて涙も出ないな」

 苦笑いを浮かべるバシレウスが、肩に置いていた手をリトスの頬に近づけた。一瞬目を閉じたが、そっと触れる感触にゆっくりと紺碧の目を開く。

「俺に触れられるのは怖いか?」

 触れていたのは人差し指の背だった。ちょこんと触れた指は、まるでバシレウスの優しい気持ちを示すように温かい。

「怖くは、ないです」
「そうか」

 バシレウスの指が離れていく。それを寂しいと感じる自分に驚いた。

「リトスの過去に何かあったとしても、きみを番にしたいと思う気持ちは変わらない。アフィーテだということも気にならない。俺はリトスだから番にしたいんだ」
「……でも、」
「こんなに気持ちを揺さぶられた相手はきみだけだ。最初に路地裏で会ったとき、妙に気になる兎族だと思った。再会した後、忘れられずに何度も思い出した。月の宴で花嫁を迎えるように長に言われていたが、きみが忘れられなくて生まれて初めて長に逆らった。どうにかできないかとクシフォスに相談したりもした」

 金色の目が段々と熱くなっていく。じっとりと絡みつくような眼差しは何度も見てきたはずなのに、恐怖どころか悦びにも似た感覚がリトスの中にわき上がった。

「リトス、どうか俺と番になってほしい。触れられるのが怖いというなら、怖くなくなるまで我慢する。早く子をと周りがうるさく言うのも気にしなくていい。どうか俺の側にいてくれ。リトスがいなくては……きっと俺は何も手につかなくなってしまう」

 あぁ、こんなにも求められていたのか。
 リトスは生まれて初めて求められる喜びを知った。たった数度会っただけの自分をこんなにも求めてくれる人が他にいるだろうか。兎族でさえ嫌がるアフィーテだというのに、それさえも気にならないと言ってくれる人は他にいないに違いない。

(それに、こんな汚い僕でもいいなんて……)

 果たして自分は同じくらいの思いを抱いているだろうか。

(……わからない)

 本当に好きなのか、それとも憧れの延長線上なのかわからなかった。多くを諦めて生きてきたリトスには、バシレウスと同じだけの思いを抱けるのかもわからない。
「それでも」と思った。こんなに思ってくれる相手を悲しませたくない。この人のために存在したい。初めて感じる強烈な感情に体がふわふわと覚束なくなる。ただこの人のために存在したいという強い感情が体に渦巻く。

「バシレウス様」
「なんだ?」

 優しい声に唇をきゅっと引き締め、しっかりと顔を上げて金色の瞳を見た。

「僕を、バシレウス様の番にしてください」
「……いいのか?」
「はい。僕も、バシレウス様の側にいたいです」

 生まれて初めて口にした欲望に白い肌がふわっと赤くなる。それを見たバシレウスは「よかった」とつぶやき、微笑みながら「ありがとう」と口にした。
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