垂れ耳兎は蒼狼の腕の中で花開く

朏猫(ミカヅキネコ)

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14 蒼灰の君

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 リトスはバシレウスに促されるまま奥の部屋へとやって来た。中に入ると、クシフォスの部屋と同じくらい豪華な調度品が目に入り「やっぱり」と思う。

(バシレウス様はやっぱり名家の狼族だったんだ)

 それに想像していたよりもずっとすごい狼族に違いない。特別な狼族だという麗しい主と似たような部屋を用意されているということは、そういうことだ。

(それに、この屋敷にいるってことは花嫁を迎える名家の狼族ということだろうし)

 リトスの胸にツキンとした痛みが走った。兎族と狼族が結ばれるのはめでたいことなのに、この場にバシレウスがいるという事実に胸がギュッと締めつけられる。

(これじゃまるで、僕がバシレウス様に憧れてるみたいだ)

 とんでもない考えに自分でも驚いた。そんな大それたことを思うなんてアフィーテの自分に許されるはずがない。

(きっと混乱しているせいだ)

 ルヴィニに見つかり、優しくしてくれた狼族にまで再会すれば平常心ではいられなくなる。そのせいで一瞬でもおかしなことを考えてしまったに違いない。これから一生を華街かがいで生きていくと、ようやく決意が固まったところじゃないか。
 リトスは俯きながらグッと唇を噛み締めた。

「大丈夫か?」

 気遣うようなバシレウスの声に胸がギュッと苦しくなる。あのときと変わらない優しい声に、また憧れの気持ちがわき上がりそうになり慌てて拳を握りしめた。

「それにしても、まさかこの屋敷でリトスに会うとは思わなかった。月の宴には参加しないと言っていなかったか?」

 参加するのは僕じゃなく綺麗な弟のほうだ。

(そう、選ばれたのは弟のルヴィニだ)

 睨みつけるように見る自分と同じ紺碧の目を思い出す。
 途端に胸の奥から熱い何かが噴き出しそうになった。いろんな感情が体の中を渦巻いて目頭が熱くなる。何もかもがどうでもよくなったような気がして、思わず口を開いていた。

「僕は参加しません。というより、生まれたときから参加する資格なんてないんです」
「どういうことだ?」
「僕はアフィーテだから、番候補にも花嫁候補にも選ばれることはありません。兎族が候補に僕を推すことは絶対にないんです」

 あぁ、どうしてこんな話をしているんだろう。そう思ったものの、なぜか言葉を止めることができない。

「それにアフィーテは劣勢種だから、同じ兎族とつがうことも一生ありません。……僕はずっと一人なんです」

 こんな話を狼族にしてどうするんだ。月の宴が行われる屋敷でこんな話をするなんてどうかしている。
 リトスはそっと目を伏せルヴィニを思い浮かべた。

(僕がアフィーテじゃなければ、僕もルヴィニも晴れやかな気持ちで月の宴を迎えられただろうに)

 それに、僕だって誰かの番になる夢を見られたかもしれない。そう思い、何を考えているんだと頭を振る。

(もっと早く決断すべきだった)

 さっさと華街かがいへ行けばよかった。リトスの胸に後悔の念がじわじわと広がっていく。

「それは兎族の間でのことだろう? 垂れ耳かどうかなんて狼族には関係ない」

 あぁ、やっぱりこの人は優しい。その優しさがいまのリトスにはつらくてどうしようもなかった。

「アフィーテは小柄にしか成長できない劣勢種です。それに子を生むことも生ませることもできない。役に立たない僕が狼族の番候補に選ばれることはありません。それにこんな体……兎族だって嫌がって番になる人はいない」

 言いながら仲間たちにされてきたことを思い出した。番にするのは嫌でも欲のはけ口には十分なれる。だからアフィーテは華街かがいに行くしかないのだ。

(僕はそのくらいしか役に立たないんだ)

 外の世界に出て、ようやくそのことを実感した。

「わかってたのに、ルヴィニには最後まで迷惑をかけてしまった」

 ぽつりとつぶやいた言葉にバシレウスが「ルヴィニ?」と問いかける。

「弟の名前です。月の宴に出る、蒼灰そうはいの君の花嫁候補の……」
「弟はルヴィニというのか」

 こくりと頷きながら「だから僕はここにいたら駄目なんです」と続けた。

「アフィーテの僕がここにいたら兎族は大騒ぎになります。名家の狼族だっていい気持ちはしないでしょう。蒼灰そうはいの君だって……だから僕は、」
「出て行こうとしていたのか?」

 バシレウスの言葉に再びこくりと頷く。

「なるほど。早めに来て正解だったな」
「え……?」
「言い忘れていたが、きみたち兎族が蒼灰そうはいの君と呼んでいるのは俺のことだ」
「……え?」
「俺が蒼灰そうはいの君だ」

 驚きに紺碧の目が大きく見開いた。それに苦笑いを浮かべたバシレウスが「それからクシフォスは俺の兄だ」と言葉を続ける。

「『可愛い兎族の子を手に入れたんだ』なんて言っていたが、リトスのことだったんだな」

 ため息をつき、それから美しい眉がグッと寄った。

「あの人はわかっていて黙っていたんだ。今朝突然『前倒しで屋敷においで』なんて使いが来て変だと思った。おそらく俺を驚かせようと思っていたんだろうが、その前に逃げられそうになるなんてアスピダも何をしているんだ」

(まさか、この人が蒼灰そうはいの君だったなんて)

 話を続けるバシレウスの言葉は驚いているリトスには聞こえていなかった。仕えていた主が兄だったことにも驚き、先に聞いていれば絶対に雇われなかったのにと困惑する。

「もしかして、華街かがいに行こうとしていたんじゃないだろうな?」
「え……?」
「アフィーテは華街かがいで働かされるという話は聞いている。まさか、そのためにこの街に来たのか?」
「それは、」
「俺に会うためではなく?」
「あの、」
「……その顔は図星と言ったところか」

 リトスには答えることができなかった。俯くリトスに「はぁ」というため息が聞こえてくる。

「きみがアフィーテであることをひどく気にしているのはわかった。そのせいで弟に迷惑がかかると考えていることも、だから出て行こうとしたことも。だが、どうかこのまま屋敷に留まってほしい」
「そ、それは駄目です」
「頼む、ここにいてくれ」
「でも、」

 バシレウスの真剣な顔に拒否する言葉が出て来ない。

「このまま屋敷にいてほしい。決してひどいことをしようというわけじゃない。頼む、リトス」

 そう言ったバシレウスが勢いよく頭を下げた。

「あ、頭を下げたりしないでください!」
「頼む」
「わ、わかりました、わかりましたから!」

 慌ててそう返事をすると、ようやくバシレウスの頭が上がった。ホッとしたのも束の間、「今夜はこのまま部屋にいてほしい」と言われ再び戸惑う。

「クシフォスには俺から話をしておく」
「でも、ここはバシレウス様の部屋じゃ……」
「俺のことは気にしなくていい。それより廊下に出ればまた誰かに会うかもしれない。今回はいつもの月の宴と違うから勝手が違っているんだ。さぁ、寝室に案内しよう」

 断る前に背中に手を回されグイッと促された。戸惑いながらも隣の部屋に入ると「寝間着は俺のでいいな?」と声をかけられる。

「いえ、このままで」
「大丈夫だ、ちゃんと洗濯してある」

 そういうことじゃないのにと困惑するリトスにバシレウスが近づいて来る。手には大きなシャツを持ち、リトスの体と見比べるように広げた。

「やっぱり大きいか。……いや、これはこれで」
「僕はこのままで大丈夫ですから」

 そう告げるリトスと目が合ったバシレウスは、なぜかスッと視線を逸らした。

「いや、今夜はこれを着て寝てくれ。クシフォスには俺から話をしておくから安心して眠ってほしい」

 大きな手がリトスの手を掴みシャツを握らせた。強く握られた手の感触にリトスが「ぁ」と声を漏らすと、慌てたようにバシレウスの手が離れていく。そうして「ゆっくり寝てくれ」と告げて逃げるかのように部屋を出て行った。

(……どうしよう)

 屋敷を出るどころかとんでもないことになってしまった。

(まずはクシフォス様に謝らないと)

 リトスは渡されたシャツを丁寧にたたみ、ベッドの近くにあったソファで丸くなった。バシレウスに掴まれた手をギュッと握り締めながら「バシレウス様が、蒼灰そうはいの君」とつぶやく。
 リトスは美しいバシレウスの隣に立つルヴィニを想像した。兎族の雌たちが騒ぐのがよくわかる美しい番だと納得し、痛む胸を我慢するように小さく丸くなった。

  ・ ・

 翌朝、リトスは人の気配を感じて目が覚めた。

(……え?)

 カーテンを開けているのは猫族の雌だ。慌てて起き上がったリトスに「こちらへ」と声がかかる。

「あ、あの、」

 有無を言わさず連れて行かれた先は風呂場だった。戸惑っている間に服を脱がされ、羞恥に固まっている間に全身を手早く洗われる。呆然としている間に水気を拭われ、気がつけば新しい服を着せられていた。

「こちらへ」

 促されて戻った部屋には二人の狼族がいた。

「クシフォス様……」

 ソファに座る麗しい主の隣には、白銀に赤い眼をしたアスピダが立っている。

「まったくきみって子は、まさか逃げ出そうとするなんてね」

 困ったような、それでいて安心したようなクシフォスの表情にリトスは申し訳なさで胸がいっぱいになった。

「……すみません」

 頭を下げながら「きっと罰を与えられるに違いない」と覚悟を決める。

「僕は昨日、一晩待つように話した。覚えてる?」
「……はい」

 声はいつもどおりに聞こえるものの怒っているに違いない。うな垂れるように頭を下げたリトスの目に、垂れ耳が力なく揺れるのが見えた。

「きみは僕の話を聞かなかった。だから、きみには僕の言うことを一つ聞いてもらう」
「はい」

 どんな罰でも受けよう。それから解雇してもらい屋敷を出て行こう。

「リトスには今夜、僕のお供として月の宴に出てもらう」

 まさかの言葉に慌てて顔を上げた。いつの間にかすぐ目の前に立っていた主に「それは、」と言いかけたところで、リトスの唇に指が触れる。

「嫌だも駄目だもなしだ。きみには今夜開かれる月の宴に出てもらう。これは決定事項だ」

 リトスは目の前が真っ暗になるような気がした。そんなことをすれば兎族も狼族も大騒ぎになる。それでは大事な月の宴が台無しになってしまう。
 それでも拒否することはできなかった。主を裏切ったのは自分で、その罪は償わなくてはいけない。リトスは力なく「わかりました」と頭を下げた。

(本当に僕は……)

 後悔ばかりの人生だ。そう思いながらきゅっと唇を結んだ。
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