垂れ耳兎は蒼狼の腕の中で花開く

朏猫(ミカヅキネコ)

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13 夢の終わり

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 月の宴を翌日に控えたこの日、リトスはクシフォスに付き従ってとある屋敷に来ていた。

(まさか、僕がこんなところに来ることになるなんて)

 ため息よりも驚きのほうが強い。同時に大いに焦りもした。

(月の宴が開かれるお屋敷にいたりしたら、ルヴィニと顔を合わせてしまうかもしれない)

 それに他の花嫁候補の兎族たちに見られてしまう可能性だってある。アフィーテだと知られれば兎族はおろか集まった狼族も大騒ぎになるだろう。

(そんなことは絶対に許されない)

 リトスはここが月の宴を行う屋敷だと聞き、すぐさまクシフォスに「解雇してください」と頼んだ。突然の言葉に驚きながらも、なぜかクシフォスは「絶対に駄目だ」と言って聞き入れてくれない。何度頼んでも麗しい主が首を縦に振ることはなく、それでも諦めないリトスにクシフォスは「明日が終わればリトスの好きにしていいから」と渋々折れた。

(明日は月の宴の日なのに、当日もずっと屋敷にいないといけないなんて)

 明日になれば参加する花嫁候補と狼族がやって来る。だからこそ誰もいない今日のうちに屋敷を離れたかった。だからと言って勝手に出て行くなんて恩知らずなことはリトスにはできない。
 幸い明日は世話係の仕事はないと言われた。それなら部屋に籠もっていよう。でも、そういうことなら今日解雇してくれてもいいんじゃないかという疑問が浮かぶ。

(とにかく明日は一日身を隠して、夜には屋敷を抜け出そう)

 そのためにも今夜のうちに玄関までの道をしっかり確認しておいたほうがいい。万が一にも見つからないように、人気のない通路を探しておこう。
 そう考えたリトスは、部屋でくつろぐクシフォスに就寝前のお茶を出してから廊下に出た。用意された向かい側の部屋を素通りして廊下の先へと足を向ける。
 この屋敷は普段誰も住んでいないのだと聞いた。月の宴のためだけに作られた屋敷で、掃除や準備をする使用人たちは昨日のうちに帰り、本番の明日またやって来るのだという。本当ならクシフォスも明日の朝一で来る予定だったが、別の準備があるからと一足先に来ることにしたのだそうだ。

(ここで明日、ルヴィニは花嫁に選ばれるんだ)

 そう思うと少しだけ弟の晴れ姿を見たい気持ちになった。しかしそんなことができるはずもない。花嫁候補にも狼族にも見つからないように息を潜め、そしてできるだけ早く屋敷を出なくてはいけない。
 リトスは来たときとは違う廊下に向かった。来るときにチラッと見た庭沿いにあるその廊下なら人気もなく、誰にも見咎められずに玄関にたどり着けるに違いない。そんなことを考えながら目的の廊下に着くと、眩しいほどの月の光が降り注いでいることに気がついた。

(今夜も綺麗だな)

 明日はもっと綺麗に輝くだろう。そんな中でルヴィニは生涯の幸せを手にする。そろりと歩きながら最後に見たルヴィニを思い出した。

「ルヴィニ、本当におめでとう」

 伝えられなかった言葉が不意に口を突いて出た。直接言えなくても、月の光に乗って弟に届いてほしい。
 そう思って角を曲がろうとしたとき、薄暗い廊下に人影があることに気がついた。まさか誰かいるとは思っていなかったリトスは驚き、思わず「ぅわっ」と声を上げてしまう。
 声に驚いたのは人影も同じだったようで、くるりと振り返るのがわかった。そうして「どうして」とつぶやく声が聞こえてきた。

「え?」

 どこかで聞き覚えがある声にリトスの動きが止まる。近づいて来る人影に怯えながらも「まさか」と思いじっと目をこらした。

「ルヴィニ、」

 月明かりの下に現れたのは、見慣れた普段着姿のルヴィニだった。リトスの声にルヴィニの眉がピンと跳ね上がる。

「どうしてリトスがここにいるのさ。ここは花嫁候補の兎族しか入れないはずなのに、どうしてここにリトスがいるの」

 断罪するかのような声に言葉が詰まる。それでも答えなくてはと思い「それは」と言いかけたところで、ルヴィニの目が見開かれた。

「まさか、リトスも候補に選ばれたってこと?」

 問いかけにリトスは慌てて頭を振った。それに一瞬眉を下げたルヴィニだったが、すぐに眉を跳ね上げ「じゃあ、どうして」と言いながら目の前に立つ。

「それは、」
「僕が今夜のうちに屋敷に来たのは特別な花嫁候補だからだ。蒼灰そうはいの君の花嫁候補は支度に時間がかかるだろうからって言われて、だからこうして早めに来たのに、どうしてリトスがいるのさ」
「あの、だから」
「まさか勝手に潜り込んだんじゃないよね? もしそうだとしたら大変なことになる。アフィーテのリトスが月の宴に潜り込もうとしていたなんて知られたら、兎族全体にとって大事件だ。そんなことになれば僕に迷惑がかかると思わなかったの?」
「違うよ、勝手に入ったわけじゃない。僕はただお供でついてきただけで……」

 リトスの言葉に紺碧の目がキッとつり上がった。

「お供ってどういうこと? 誰のお供で来たっていうのさ」
「その、クシフォス様のお供で来……」
「クシフォス様!?」

 言い終わる前に遮られた。見開かれた紺碧の目はすぐさま厳しい眼差しに変わり、ギラギラとリトスを睨みつける。

「どうしてリトスがクシフォス様を知ってるの? それにお供って、クシフォス様は兎族の番は持たないって聞いてたのに……ねぇ、どういうこと? なんでアフィーテのリトスがクシフォス様の側にいるの? どうしてリトスがここにいるのさっ」
「ルヴィニ、落ち着いて」
「落ち着いてなんかいられるわけないでしょ! ここは月の宴が行われる場所なんだよ!? そこにリトスがいるなんて、そんなの……っ」

 ルヴィニがぐぅっと唇を噛み締めた。ギラギラとした目は心なしか少し潤んでいるように見える。
 リトスは「自分のせいだ」と思った。ルヴィニはこのままでは花嫁に選ばれなくなると不安に思っているに違いない。そうじゃないんだと、自分はルヴィニの邪魔をしないために出て行こうとしているのだと説明したかったが、それより先にルヴィニが「出て行って!」と叫んだ。

「早くここから出て行って! 月の宴が始まる前に、早く! いますぐに!」

 泣きそうな紺碧の目でリトスを睨むと、乱暴な足音を立てながらルヴィニが去って行った。

(ルヴィニ、ごめん)

 最後まで駄目な兄だと情けなくなった。こんなことなら引き留められても無視して出て行けばよかった。できないとわかっていても、出て行かなかったことを激しく後悔する。

「……もうここにはいられない」

 ルヴィニに見つかってしまったのだから、いますぐ出て行かなくては。
 リトスは急いでクシフォスの部屋に向かった。くつろいでいる主の邪魔をするのは忍びなかったが、それどころではない。

「クシフォス様」

 いつになく真剣な声にクシフォスの顔が上がる。

「リトス、どうしたの? そんな怖い顔して」
「いますぐ僕を解雇してください」
「えぇ?」
「お願いします、解雇してください」
「ちょっと待って。きみはまだ僕のお供の最中だよ? 明日の宴が終わったら好きにしていいとは言ったけど……」
「お願いします! いますぐ解雇してください!」

 必死に頭を下げるリトスに、クシフォスは「取りあえず落ち着いて」と言いながら近づいてきた。

「解雇すると言っても、もう夜だ。いまから屋敷を出て行くのは危ないし、次の働き先も決まってないよね?」
「それは何とかします。いえ、最初から働く場所は決まってたんです」
「ちょっと待って。仮にそうだとしても、夜外に出るのは危ない。この街は狼族が多いから用心するに越したことはない。とにかく一晩寝て、明日また話をしよう?」

 それじゃ遅すぎる。そう思っているものの、自分を心配してくれる主にこれ以上強く言うことはリトスにはできなかった。

「……すみませんでした」
「ゆっくり寝たら、きっと落ち着くよ」

 ポンと肩を撫でられ頭を下げた。主の部屋を出て、向かい側に用意された自分の部屋へと入る。

(やっぱり出て行こう)

 すぐさまクローゼットを開けた。用意された服の中から一番安そうなものを選び、「すみません」と謝りながら着替える。

(明日まで待ってられないんです)

 一刻も早くこの屋敷を出なければ。そうしないとルヴィニに迷惑をかけてしまう。リトスの頭はそのことで一杯になっていた。

(勝手に出て行くこと、どうか許してください)

 クシフォスだけでなくアスピダにも感謝を告げてから出て行きたかった。しかしそんなことは言っていられない。ルヴィニを不安にさせたくなし、これ以上ここにいては大変なことになってしまう。

(クシフォス様、アスピダ様、勝手をして申し訳ありません)

 着替えたリトスは夜が更けるのをじっと待った。そうして街全体がすっかり寝静まった頃を見計らい、そうっと部屋を抜け出した。
 途中までしか確認できなかった廊下をそろりと歩きながら玄関を目指す。足元を照らす月明かりに、そっと夜空を見上げた。

(どうか、ルヴィニが無事に蒼灰そうはいの君の花嫁になれますように)

 満月を見ながらそう願い、きゅっと唇を引き締めて廊下を進む。「たしかこっちだったはず」と、クシフォスの後に続いて歩いた場所を思い出しながら進んでいくとようやく玄関が見えてきた。

(よかった、これで出て行ける)

 ホッとしたからか、足元への注意が疎かになってしまった。勢いよく踏み出したリトスの右足が何かにぶつかりゴトンと音を立てる。

「誰かいるのか?」

 暗闇に響く声にズボンの中の尻尾の毛がぶわっと逆立った。隠した垂れ耳までビクッと震える。
 そろりと振り返ったリトスの目に、尖った耳と揺れる尻尾の人影が映った。大きな体格ということは狼族に違いない。

(どうしよう)

 リトスは焦った。捕まればどうなるかわからない。それに主に黙って勝手に屋敷を抜け出そうとしたことも知られてしまう。

(……逃げよう)

 とにかく逃げるしかないと背中を向けた。人影を巻いてから、もう一度玄関に戻って来よう。とにかくいまは捕まらないようにしなくては。
 そう思って走り出そうとしたが、すぐに腕を掴まれてしまった。

「離して、離してください……っ」

 恐怖に駆られながら必死に腕を振り払った。震える足に力を入れ必死に踏み出す。そんなリトスの耳に「もしかしてリトスか?」という声が聞こえてきた。

「え……?」

 振り返ると、すぐ側に金色に光る目があった。わずかな灯りに照らされた髪や耳は青みがかった銀色に光っている。

「バ、バシレウス、様?」

 まさかの人物に、リトスは逃げることも忘れてぼうっと見上げてしまっていた。
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