垂れ耳兎は蒼狼の腕の中で花開く

朏猫(ミカヅキネコ)

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1 兎族と狼族

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 昔むかし、兎族は広く豊かな土地に大勢で暮らしていました。
 兎族は恵み豊かな土を嗅ぎ分ける力を持ち、土を豊かに耕す腕を持っています。彼らは豊かに実る大地に感謝しながら勤勉に働き、仲間を大勢増やしていきました。
 ところがある日、兎族の土地を別の種族が奪いにやって来ました。

 出て行け。ここは今日から我らの土地だ。

 別の種族は、豊かに実る兎族の土地がどうしてもほしかったのです。
 兎族は土を耕すことはできても別の種族と戦うすべを持ちません。兎族の豊かな土地はあっという間に別の種族に奪われ、兎族の数も半分ほどに減ってしまいました。
 けれど悲しんでいる暇はありません。すぐに数が増える兎族は、飢えないためにも新しい土地を探さなくてはいけなかったのです。

 さぁみんな、新しい土地に行こう。そこで幸せに暮らすんだ。

 幸いなことに豊かな土地はすぐに見つかり、兎族はそこで再び大勢で暮らすようになりました。ところがその土地も、すぐに別の種族に襲われて横取りされてしまいます。
 仕方なく兎族は新たな土地を探して移り住みましたが、そこも豊かになるとすぐに別の種族に奪われました。そうして何度も移り住んでは奪われることをくり返し、兎族は疲れ果ててしまいました。

 俺たちが助けてやろうか?

 そう言って兎族に声をかけてきたのは強くて恐ろしい狼族でした。
 狼族はあらゆる種族の中でもとても強く、そして美しい種族です。兎族はそんな狼族が自分たちを守ってくれるはずがないと思いました。また騙されるのではと怯えましたが、横取りに来た別の種族を狼族が追っ払ってくれました。兎族は狼族に感謝し、ともに生きることにしました。
 そんな強く美しい狼族にも困ったことが一つだけありました。それは子どもが生まれなくなっていたことです。
 ある日、狼族の長の子が一人の兎族を番に選ぶという大事件が起きました。兎族も狼族も大騒ぎしましたが、番った兎族が立派な狼族の子を生んだことでさらに大騒ぎになりました。なぜなら、その赤ん坊は十数年振りに誕生した狼族だったからです。
 狼族は大喜びし、兎族も一緒にお祝いをしました。
 兎族はその後、狼族にふさわしい番を差し出すことを決めました。代わりに狼族は、この先もずっと兎族を別の種族から守ることを約束してくれました。
 こうして兎族は狼族と仲良く暮らすようになりました。



(物語の中の兎族はとても幸せだと思う)

 リトスは小さい頃から何度も読んでいる絵本を枕元に置き、小さくため息をついた。
 兎族と狼族が一緒に暮らし始めた馴れ初めの物語は、兎族なら小さな子どもでも知っている。そして物語の最後に書かれているとおり、いまでも兎族は狼族へ定期的に番を差し出していた。

(その候補にルヴィニが選ばれた)

 先日、四つ歳下の弟ルヴィニが狼族の花嫁候補に選ばれたという知らせが届いた。花嫁候補は狼族でもとくに地位が高い名家に差し出される番候補のことで、選ばれることは大変な名誉だとされている。つがったあと万が一子ができなかったとしても一生大事にしてもらえるため、兎族にとっては憧れの存在でもあった。

(正式な花嫁になれば、生活に困ることも他の種族に怯える心配もしなくて済むからね)

 しかし、花嫁候補に選ばれるのは一握りの美しい兎族だけだ。

(ルヴィニなら選ばれて当然だ)

 ルヴィニはこの辺りの兎族の中では群を抜いて美しかった。生まれたときから綺麗な赤毛の髪で、耳も尻尾も艶々の赤毛をしている。
 一方、兄であるリトスは白に近い淡い茶色の毛でルヴィニとはまったく違っていた。澄んだ紺碧の瞳だけは同じものの、顔立ちも雰囲気も兄弟とは思えないほど似ていない。
 とくに大きく違うのは耳だった。兎族の耳は少し長めでピンと立っているのに、リトスの耳は見事なほど垂れ下がっている。こうした耳の兎族が稀に生まれると言われているが、リトスの周りには一人もいなかった。

(どうして僕はアフィーテに生まれたんだろう)

 小さなため息をつきながら、淡い茶毛の垂れ耳を右手で撫でる。
 垂れ耳は昔から“アフィーテ”と呼ばれ、兎族の間では忌み嫌われていた。劣勢種と言われる垂れ耳は成長が遅く、体も小柄なままで子を作る能力が低いと言われているからだ。兎族は仲間意識が強い種族だがアフィーテだけは例外だった。誰もがアフィーテを蔑み、小さい頃リトスを可愛がってくれたのは両親だけだった。
 その両親もルヴィニが生まれてからは変わってしまった。

「この子は将来、狼族の名家に嫁ぐ花嫁候補になるに違いない」

 家族の中心は、気がつけばルヴィニになっていた。周囲の目を気にしてか両親が表立ってリトスを可愛がることもなくなり、ルヴィニのことばかり気にかけるようになった。

(それでも僕は父さんと母さんに感謝してる)

 アフィーテは、物心つく頃には性を売る華街かがいや他の種族に売られるのがほとんどだ。それなのに両親はずっと売らずにいてくれた。ルヴィニが小さかった頃は分け隔てなく可愛がってくれたことも覚えている。間もなく二十二歳になるリトスをこうして家に置いてくれているのもありがたいことだ。

(だから、これ以上迷惑をかけることはできない)

 弟が花嫁候補になったいま、兄弟に劣勢種がいては具合が悪い。狼族が気にするかはわからないものの、兎族の間では足の引っ張り合いの原因になるかもしれない。正式な花嫁になるかもしれない弟のためにも自分はいないほうがいい。
 そう思って寝返りを打とうとしたとき、扉がガチャリと開いた。姿を現したのは、いままさに考えていた弟のルヴィニだった。

「相変わらず辛気くさい顔してるね」

 綺麗な赤毛の眉が不快そうに寄る。リトスは慌てて起き上がり「ごめん」と謝った。

「せっかく僕が花嫁候補になったのに、なんで辛気くさい顔なんてしてるのさ」
「そんなことないよ。ルヴィニが選ばれたのは僕だって嬉しい。そうじゃなくて、」
「嘘ばっかり。リトスは僕が羨ましくて仕方ないんだ。だからそんな顔をするんだろう?」
「違う」
「アフィーテってだけで厄介なのに、これ以上僕の足手まといにならないでくれるかな。今回は、あの“蒼灰そうはいの君”の花嫁探しも兼ねてるんだ。もし兄弟にアフィーテがいるなんて知られたら選ばれないかもしれない。わかってるなら、これからも一歩も家から出ないでよ? ついでにその辛気くさい顔もやめてくれる?」

 ルヴィニの邪魔をするつもりはない。そう思ってグッと唇を噛む。

(でも、このままじゃ邪魔をしてしまうかもしれない)

 家から出なくても周囲の兎族は僕がアフィーテだと知っている。誰かが狼族に告げ口をするかもしれない。
 両手をグッと握り締めたリトスは、ルヴィニを見ながら「迷惑はかけないよ。僕は家を出ることに決めたから」と告げた。途端に紺碧の目が大きく見開かれ、次の瞬間には睨みつけるようにリトスを見た。

「出て行くって……」
「ルヴィニ?」

 睨む目がさらに鋭くなる。

「出て行くならさっさと行きなよ。っていうか、最初からそうすればよかったんじゃないか」

 リトスが返事をする前に扉がぴしゃりと閉じられた。いつもと違う荒々しい足音が遠のいていく。

(ルヴィニ、すごく怒ってたな)

 アフィーテが家にいては蒼灰の君の花嫁候補から外されるんじゃないかと心配しているのかもしれない。せっかく候補になったのだから花嫁になりたいと強く願うのは当然だ。

(僕がルヴィニの立場でも、きっと同じように心配したと思う)

 リトスはそっとため息をついた。蒼灰の君は狼族の長の息子で、次期長だともっぱらの噂だ。適齢期の兎族なら誰もが花嫁を夢見る憧れの存在で、リトスも十代の頃は密かに憧れたりもした。

(……って、いまさらそんなことを思い出してもどうしようもないのに)

 リトスはもうすぐ二十二歳になる。狼族の花嫁候補は十八歳前後が普通で、そうでなくとも二十歳を過ぎた兎族は体に問題があるのではと敬遠された。そのため同じ兎族と番うこともないし、他の種族から求められることもない。

(そもそも僕はアフィーテだ)

 だから子を生んでくれる相手も子種をくれる相手もいなかった。この先、兎族の中にいてもそんな相手は永遠に現れないだろう。
 わかってはいるものの、自分の弟が蒼灰の君の花嫁候補だと思うとやっぱり羨ましくなる。そんな気持ちを抱いてはいけないのに「もしアフィーテじゃなかったら」なんてことを、つい考えてしまう。

「弟を羨ましがるなんて、僕は駄目な兄だな」

 ふるふると頭を振り、ルヴィニが蒼灰の君の花嫁になれますようにと祈った。そうして予定どおり明日、家を出ようと決意する。

(そうだ、僕はこれからルヴィニに、家族に迷惑をかけずに一人で生きていくんだ)

 宝物の絵本を鞄の一番上に入れたリトスは、布団に潜り込むようにして眠りについた。
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