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αの贈り物2
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僕は、おそるおそる香りを嗅いでみた。ふわっとした何か爽やかな香りと、ほんの少し煙るような香りがする。
「……爽やかな香りと、何かを燃やしたような香りが、します」
「前者は僕が愛用している香水だろうね。後者は、夕食のあとに兄が葉巻をふかしていたからその香りかな」
「僕は葉巻は得意じゃないんだ」と言われて、修一朗さんが葉巻を嗜まないことと香水をつけることを初めて知った。
(そういえば、修一朗さんにもらうものから少しだけ香りがしていたような)
あれは香水の香りだったんだろうか。
「いま感じたその香りは、千香彦くんが感じた僕の香りだよ」
修一朗さんの言葉にハッとした。
(そうか、僕が香りのことを話したから……)
昼間、僕が香りについていろいろ言ったことを気に留めてくれたのだ。だからこんなにたくさんのものを集めて、そうして僕に嗅がせようとしたに違いない。
「でも、これは香水と葉巻の香りで……αの香りじゃ、ないです」
これだけ体が密着しているいまも二つの香り以外は感じない。でも、αとΩが互いに感じる香りはこういうものじゃないはずだ。
「香りはαとΩが放つものだけじゃない。現に千香彦くんは香水と葉巻の香りに気がついた」
「でも、」
「αやΩは関係ない。きみが感じた香りが僕の香りだよ」
そう言った修一朗さんの両腕に少しだけ力が入った。そうして今度は修一朗さんがクンと鼻を鳴らす。
「千香彦くんからは柔らかなシャボンの香りがする。それだけじゃない。ほんの少し甘く感じるのは千香彦くん自身の香りかな」
「……っ」
甘いなんて、そんなΩのような香りがするはずがない。もし感じたのだとすれば、ただの勘違いだ。それにまだ湯を使っていないから、今日一日分の汗や何かの匂いもしているはず。
そう思ったら途端に恥ずかしくなった。清潔じゃない体を嗅がれるなんて、よく考えたらとんでもない状況だ。しかも嗅いでいるのは修一朗さんで、いまもクンクンと嗅いでいるような気配がする。
(好きな人に嗅がれるなんて、恥ずかしい)
そう思っているのに温かい腕から逃れられない。早く離れなければと思っているのに、声を出すことも身をよじることもできなかった。
(……そうじゃない。僕は修一朗さんから離れたくないんだ)
こんなふうに抱きしめられることは二度とないだろう。この感触をもっと感じていたくて、逃げようなんて気持ちにはならなかった。
「僕のことが怖いかい?」
「え……?」
「許可を得ることなく、こうして抱きしめている僕を軽蔑するかい?」
「そんなことは、ないです」
すっかり早くなった鼓動を必死に誤魔化しながら、そう答えた。
もし僕が女性だったら「なんて破廉恥な」と思ったかもしれない。でも、僕は男でβだ。最近は外国かぶれだと言いながらも男同士で抱擁することがあるし、いちいち許可を得るのもおかしな話だろう。
「もしかして、ただの抱擁だと思っているのかな」
「え?」
「それでは困るんだけど。……まぁ、少しくらいは大丈夫か。何より僕の本気を知ってほしいところではある」
「あの、」
修一朗さんが小さく笑った気がした。どうしたのだろうと思っていると耳に吐息が当たる。それに首筋が少しぞわりとしたとき、チュッという小さな音と柔らかい何かが耳に触れた。
(え……?)
驚いていると、耳の縁を何かに摘まれる感触がした。そのままチュッチュッと何かを吸うような音がして、それから濡れた感触がする。
「……!」
まさか。この感触は、もしかして修一朗さんの……。
「……っ」
修一朗さんの口が自分の耳をどうにかしているに違いないと思ったら、途端に顔がカァッと熱くなった。居たたまれなくて逃げ出したいのに、僕を抱きしめる腕の力がますます強くなって身をよじることもできない。
どうしていいのかわからず、思わず「修一朗さん」と名前を呼んでいた。
「しぃっ、黙って」
「……っ」
とんでもなく近いところで修一朗さんの囁く声がする。そうして今度は耳たぶに温かいものが触れた。
小さな痛みを感じて噛まれたのだとわかった。そんなことをされたのは生まれて初めてで体がカッと熱くなる。続けてちゅうっと吸われるような感触に鳥肌が立った。
「……っ!」
とんでもない声が漏れそうになって、慌てて唇を噛み締めた。早く離れなければと思っているのに、強張ったように手も足も動かない。その間も修一朗さんの口は耳たぶを何度も噛み、濡れた感触が首筋に移ったかと思うとそこもチュッと吸われた。
「ん……っ」
今度は声を抑えることができなかった。吸われてから湿ったものを感じたけれど、もしかして舐められたのだろうか。
(そ、んな)
首を舐めるなんて、あり得ない。しかも湯を使う前の汚れた体だ。そんな僕の肌を修一朗さんが舐めていいはずがない。
止めなければと抱きしめている二の腕を掴んだ。それでも腕が離れることはなく、それならと隙間に手を入れて胸を押し返そうとする。しかし修一朗さんの体は相変わらず僕に密着したまま離れない。段々と全力疾走した後のように鼓動が早くなり、じわじわと汗まで滲んでくる。
「んっ……ふ、ん……っ」
声を漏らさないようにすることすらできなくなった。首筋から全身に広がっていく痺れのようなもののせいで力が抜けそうになる。気がつけば修一朗さんにすがるように寄りかかり、吐息のような情けない声を漏らし続けていた。
「んっ」
「……これはまずいな」
首筋を一際強く吸われ、鼻から抜けるような声を出してしまった。こんな声を修一朗さんに聞かれてしまうなんて恥ずかしくてたまらない。いますぐ部屋を出て行きたいのに、すっかり腰が抜けてしまったのか足を動かすことすらできなかった。
「これじゃあ、僕のほうがもちそうにない」
修一朗さんの胸に額を当てながら息を乱す僕のうなじを、温かな手がそっと撫でる。その感触だけでも体が震えて「んぅ」とますます情けない声が漏れてしまった。
「大丈夫かい?」
「……っ」
大丈夫なはずがない。何もかもが初めて感じることばかりで、得体の知れない感覚にいまも背中がぞわぞわしている。それでも何とか頷いてから、促されるままソファに腰を下ろした。
(……修一朗さんの……香りがする……)
ソファに置かれていた衣服がすぐ隣に積み上げられている。まるで衣服に囲まれているような状態だからか、ついさっきまで感じていた修一朗さんの香りに包まれているような気がして顔が熱くなった。
(これはαの香りじゃない。わかっているけど……)
もしかして、Ωもこんなふうに感じるんだろうか。ふと、そんなことを思ってしまった自分に驚いた。
「……爽やかな香りと、何かを燃やしたような香りが、します」
「前者は僕が愛用している香水だろうね。後者は、夕食のあとに兄が葉巻をふかしていたからその香りかな」
「僕は葉巻は得意じゃないんだ」と言われて、修一朗さんが葉巻を嗜まないことと香水をつけることを初めて知った。
(そういえば、修一朗さんにもらうものから少しだけ香りがしていたような)
あれは香水の香りだったんだろうか。
「いま感じたその香りは、千香彦くんが感じた僕の香りだよ」
修一朗さんの言葉にハッとした。
(そうか、僕が香りのことを話したから……)
昼間、僕が香りについていろいろ言ったことを気に留めてくれたのだ。だからこんなにたくさんのものを集めて、そうして僕に嗅がせようとしたに違いない。
「でも、これは香水と葉巻の香りで……αの香りじゃ、ないです」
これだけ体が密着しているいまも二つの香り以外は感じない。でも、αとΩが互いに感じる香りはこういうものじゃないはずだ。
「香りはαとΩが放つものだけじゃない。現に千香彦くんは香水と葉巻の香りに気がついた」
「でも、」
「αやΩは関係ない。きみが感じた香りが僕の香りだよ」
そう言った修一朗さんの両腕に少しだけ力が入った。そうして今度は修一朗さんがクンと鼻を鳴らす。
「千香彦くんからは柔らかなシャボンの香りがする。それだけじゃない。ほんの少し甘く感じるのは千香彦くん自身の香りかな」
「……っ」
甘いなんて、そんなΩのような香りがするはずがない。もし感じたのだとすれば、ただの勘違いだ。それにまだ湯を使っていないから、今日一日分の汗や何かの匂いもしているはず。
そう思ったら途端に恥ずかしくなった。清潔じゃない体を嗅がれるなんて、よく考えたらとんでもない状況だ。しかも嗅いでいるのは修一朗さんで、いまもクンクンと嗅いでいるような気配がする。
(好きな人に嗅がれるなんて、恥ずかしい)
そう思っているのに温かい腕から逃れられない。早く離れなければと思っているのに、声を出すことも身をよじることもできなかった。
(……そうじゃない。僕は修一朗さんから離れたくないんだ)
こんなふうに抱きしめられることは二度とないだろう。この感触をもっと感じていたくて、逃げようなんて気持ちにはならなかった。
「僕のことが怖いかい?」
「え……?」
「許可を得ることなく、こうして抱きしめている僕を軽蔑するかい?」
「そんなことは、ないです」
すっかり早くなった鼓動を必死に誤魔化しながら、そう答えた。
もし僕が女性だったら「なんて破廉恥な」と思ったかもしれない。でも、僕は男でβだ。最近は外国かぶれだと言いながらも男同士で抱擁することがあるし、いちいち許可を得るのもおかしな話だろう。
「もしかして、ただの抱擁だと思っているのかな」
「え?」
「それでは困るんだけど。……まぁ、少しくらいは大丈夫か。何より僕の本気を知ってほしいところではある」
「あの、」
修一朗さんが小さく笑った気がした。どうしたのだろうと思っていると耳に吐息が当たる。それに首筋が少しぞわりとしたとき、チュッという小さな音と柔らかい何かが耳に触れた。
(え……?)
驚いていると、耳の縁を何かに摘まれる感触がした。そのままチュッチュッと何かを吸うような音がして、それから濡れた感触がする。
「……!」
まさか。この感触は、もしかして修一朗さんの……。
「……っ」
修一朗さんの口が自分の耳をどうにかしているに違いないと思ったら、途端に顔がカァッと熱くなった。居たたまれなくて逃げ出したいのに、僕を抱きしめる腕の力がますます強くなって身をよじることもできない。
どうしていいのかわからず、思わず「修一朗さん」と名前を呼んでいた。
「しぃっ、黙って」
「……っ」
とんでもなく近いところで修一朗さんの囁く声がする。そうして今度は耳たぶに温かいものが触れた。
小さな痛みを感じて噛まれたのだとわかった。そんなことをされたのは生まれて初めてで体がカッと熱くなる。続けてちゅうっと吸われるような感触に鳥肌が立った。
「……っ!」
とんでもない声が漏れそうになって、慌てて唇を噛み締めた。早く離れなければと思っているのに、強張ったように手も足も動かない。その間も修一朗さんの口は耳たぶを何度も噛み、濡れた感触が首筋に移ったかと思うとそこもチュッと吸われた。
「ん……っ」
今度は声を抑えることができなかった。吸われてから湿ったものを感じたけれど、もしかして舐められたのだろうか。
(そ、んな)
首を舐めるなんて、あり得ない。しかも湯を使う前の汚れた体だ。そんな僕の肌を修一朗さんが舐めていいはずがない。
止めなければと抱きしめている二の腕を掴んだ。それでも腕が離れることはなく、それならと隙間に手を入れて胸を押し返そうとする。しかし修一朗さんの体は相変わらず僕に密着したまま離れない。段々と全力疾走した後のように鼓動が早くなり、じわじわと汗まで滲んでくる。
「んっ……ふ、ん……っ」
声を漏らさないようにすることすらできなくなった。首筋から全身に広がっていく痺れのようなもののせいで力が抜けそうになる。気がつけば修一朗さんにすがるように寄りかかり、吐息のような情けない声を漏らし続けていた。
「んっ」
「……これはまずいな」
首筋を一際強く吸われ、鼻から抜けるような声を出してしまった。こんな声を修一朗さんに聞かれてしまうなんて恥ずかしくてたまらない。いますぐ部屋を出て行きたいのに、すっかり腰が抜けてしまったのか足を動かすことすらできなかった。
「これじゃあ、僕のほうがもちそうにない」
修一朗さんの胸に額を当てながら息を乱す僕のうなじを、温かな手がそっと撫でる。その感触だけでも体が震えて「んぅ」とますます情けない声が漏れてしまった。
「大丈夫かい?」
「……っ」
大丈夫なはずがない。何もかもが初めて感じることばかりで、得体の知れない感覚にいまも背中がぞわぞわしている。それでも何とか頷いてから、促されるままソファに腰を下ろした。
(……修一朗さんの……香りがする……)
ソファに置かれていた衣服がすぐ隣に積み上げられている。まるで衣服に囲まれているような状態だからか、ついさっきまで感じていた修一朗さんの香りに包まれているような気がして顔が熱くなった。
(これはαの香りじゃない。わかっているけど……)
もしかして、Ωもこんなふうに感じるんだろうか。ふと、そんなことを思ってしまった自分に驚いた。
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