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姉の身代わり4

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 初対面の日以降、修一朗さんは僕にあてがわれた部屋に毎日やって来る。そうして自ら紅茶をティーカップに注ぎ、珍しい洋菓子や老舗の和菓子を用意してくれた。

(どうして身代わりでしかない僕に、こんなによくしてくれるんだろう)

 一人になると、そんなことばかりが脳裏をよぎった。修一朗さんにもらった童話集の表紙を指で撫でながら、気がつけば「どうしてなんだろう」と口にしてしまう。
 僕は姉の身代わりとして押しつけられた存在だ。ただのβの男だから珠守たまもり家にとっては厄介者でしかない。こうしてよい部屋を与えられているだけでも贅沢なことだ。

(もしかして、僕と姉さんを重ねているんだろうか)

 瓜二つではなくなったけれど、柔らかい茶色の髪や透けるような茶色の目は姉にそっくりだと僕自身も思っている。遠目で見れば何となく似た雰囲気に見えるだろう。
 それでも僕はただのβだ。「見た目は美しいのに残念だ」と言われ続けてきた不要な存在でしかない。どこからどう見ても男だし、Ω特有の香りだってしない。そんな僕に姉を重ね合わせたりするだろうかと、やっぱり疑問に思ってしまう。
 僕はこんなふうに毎日同じことを考えていた。そうして最終的に思うのは、いつも同じことだった。

(僕はこのまま珠守たまもり家にいてもいいんだろうか)

 寳月ほうづきの家を出るとき、迷惑をかけないようにしようと心に決めていた。僕を引き受けるだけでも迷惑だろうから、できるだけ存在を消して密やかに生きていこうと思った。その中で時々修一朗さんの姿を見ることができればいい。それが姉の代わりに差し出される僕の人生だと思っていた。
 それなのに修一朗さんは毎日僕に会いに来てくれる。話をして、たくさんの笑顔を向けてくれる。それはとても嬉しいことだったけれど、同じくらい胸が苦しくてつらかった。

(これからずっと姉さんの代わりとして見られるのかもしれない)

 付属品どころか完全な代替品だ。それでもβでしかない僕には十分すぎる贅沢なのに、やっぱり不満に思ってしまう。これではいつか僕の気持ちを知られてしまうかもしれない。

「どうしたらいいんだろう」
「どうしたのかな?」
「え? ……あ、」

 急に声がして驚いた。振り返ると、ドアのところに修一朗さんが立っている。

「何度かノックしたんだけどね。返事がないからどうしたのかと思って開けてしまったよ」
「あの、すみません。ボーッとしていて気がつきませんでした」
「もしかして体調がよくないのかい?」
「いえ、そんなことはないんですけど……」

 毎日おいしい料理を食べて、お茶やお菓子までもらっている。ベッドというのは初めてだったけれど、あまりの寝心地のよさに毎晩夢も見ないくらいぐっすり眠っていた。そんな僕が体調を崩すなんてことはあり得ないし、あってはならない。

「よかった。それじゃあ誘っても大丈夫かな」
「誘う……?」

「向こうの庭の紅葉が、ちょうど見頃でね」と言って微笑む顔に胸がトクトクと高鳴る。「あぁ、やっぱり僕は修一朗さんが好きだ」と思いながら、顔に出してはいけないと唇を引き締めた。

「せっかくだから、一緒に見に行かないかと思って誘いに来たんだ」
「僕とですか?」

 僕の言葉に「そうだよ」と修一朗さんが微笑む。

「それに、屋敷に来てから千香彦くんは一度も外に出ていないだろう? それじゃあ気が滅入ってしまうよ」

「千香彦くん」と名前を呼ばれて心臓が小さく跳ねた。これまでにも名前を呼ばれることはあったけれど、こうして二人きりのときに呼ばれるとやっぱり緊張する。

「それとも、僕みたいなおじさんと散歩なんて嫌かな」
「おじさんだなんて、そんなこと思っていません」

 慌てて否定したら「それはよかった」と微笑みかけられた。

(修一朗さんがおじさんだなんて、そんなふうに思う人はいないはず)

 二十九歳の修一朗さんは僕より十歳年上で大人だとは思う。それでも決しておじさんと呼ばれる雰囲気ではなかったし、年齢よりもずっと若く見えた。

(もしかして、目尻が少し下がり気味だからかな)

 修一朗さんはいわゆる垂れ目といった感じで、だから優しく見えるのかもしれない。それに黒髪は艶々しているし、黒い瞳もまるで夜空のようにキラキラと輝いていた。

(……って、僕は何を考えているんだ)

 まるで恋人を賛辞するかのような言葉に、余計に心臓がうるさくなってきた。そのうえ二人きりで庭を散歩だなんて、まるで恋人みたいだなんて思ってしまう。

(恋人なんて、勘違いも甚だしい)

 僕は姉の身代わりだ。そんな僕を修一朗さんが恋人だとか許嫁だとか思うはずがない。βの僕が密かに想いを寄せているなんて、きっと夢にも思っていないだろう。

(この気持ちは絶対に知られるわけにはいかない)

 改めて決意した僕に、修一朗さんが「じゃあ、行こうか」と言って手を差し出した。

「え……?」
「あ……っと、さすがにこれはなかったかな。迷子になったら大変だと思って、ついね。千香彦くんはもう十九だというのに、これじゃ嫌なおじさんだと思われても仕方がないか」
「そんなことは、思わないですけど」

 笑いながらも、修一朗さんの右手は僕に差し出されたままだ。視線をさまよわせながらチラチラと修一朗さんの手を見た。僕よりずっと大きな手は、これまで一度も握ったことがない。
 修一朗さんの顔を見ると、にこりと微笑みかけられた。もしかしなくても、僕が手を握るまでこうしているつもりなのだろうか。

(それじゃあ、修一朗さんも困るだろうし)

 そんな言い訳を頭に浮かべながら、そっと手を伸ばした。触れた手はとても温かくて、きゅっと握られるだけで体がふわふわしてしまいそうになる。

「紅葉も綺麗だけど、金木犀もちょうど見頃なんだ。いい香りがして、きっと晴れやかな気持ちになるんじゃないかな。そうだ、ついでに池の鯉たちに餌もあげようか」

 廊下を歩きながら修一朗さんが楽しそうに話している。隣を歩く僕は手が震えないようにすることに精一杯で、話を聞く余裕なんてまったくなかった。そんなぎこちない僕だったのに、終始修一朗さんは話しかけたり微笑みかけたりしてくれた。
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