3 / 29
姉の身代わり3
しおりを挟む
「あの、お茶はもう十分ですから」
美しい花の絵が描かれたティーカップに、また琥珀色の紅茶が注がれた。それを注いでいるのは修一朗さんだ。
「じゃあ、こっちのお菓子はどうかな? 横濱で買い求めたんだけど、人気の洋菓子なんだそうだ」
そう言って微笑んだ修一朗さんが、ケーキ皿に見たことのないお菓子を載せている。
「エクレールと言うそうだよ。元は外国の商館や外国人居留地で食べられていたものらしいけど、いまは日本の洋菓子店でも作られているそうなんだ」
「初めて見ました」
僕の言葉に「買い求めてよかった」と微笑みながら「さぁ、食べてみて」と勧めてくれた。
お皿を受け取り、麩菓子のような形をした洋菓子をじっと見る。麩菓子よりずっと美しく淡い茶色をしていて、その上に艶々のチョコレエトがかかっていた。
寳月の家で僕が洋菓子を与えられることはなかった。チョコレエトやキャラメルが好きだった姉には与えられても、僕の分まで買う余裕はない。小さい頃からそのことを理解していた僕は、食べられなくても当然だと我慢していた。
そんな僕に、姉はいつもこっそりと自分の分をわけてくれた。それが本当においしくて、姉と笑いながら食べたあの時間は僕にとってかけがえのない幸せな時間だった。
「もしかして、エクレールは嫌いだったかい?」
「え……? あ、いいえ、そんなことは……」
つい昔を思い出してぼんやりしてしまった。もう一度お皿の上のエクレールを見る。嫌いかと聞かれても、食べたことがないからわからない。
チラッと視線を上げると、修一朗さんが期待に満ちた眼差しで僕を見ていた。どうしてそんな目で見るのかわからないけれど、食べるまで見続けるつもりなんだろう。
(ずっと見られるのは、ちょっと困る)
それでなくても、こうして部屋に二人きりというだけで鼓動がうるさくなるのだ。そのうえ見られているなんて、僕の心臓がどうにかなってしまいそうで落ち着かない。
(せっかく勧めてくれるんだから、食べないと)
指先で摘もうとした生地は想像していたよりも柔らかくて、力を入れすぎないように加減する。ゆっくりと持ち上げて、行儀が悪くない程度に口を開いてから齧りついた。
「……っ」
ゆっくり噛んだはずの生地はすぐにぐにゃりと潰れて、中から甘いクリームが飛び出した。慌てて口で受け止めたけれど唇の端についてしまった気がする。何てみっともない食べ方をしてしまったのかと恥ずかしくなった。
「噛むと飛び出してくるのは厄介だけど、濃厚でおいしいクリームだろう?」
大急ぎで口の中のクリームを飲み込みながらコクコクと頷く。口周りを拭わなければとハンカチを取り出したところで、修一朗さんが近づいてくる気配を感じた。顔を上げるのと同時に唇の端に修一朗さんの指が触れて驚く。
「……っ」
「あぁ、勝手に触れてすまない。ほら、クリームがついていたんだ」
そう言った修一朗さんが、親指についているクリームをぺろっと舌で舐め取った。まさか舐めるなんて思わなかった僕は、どこを見ていいのかわからなくて視線をさまよわせた。
(こんなこと……まるで本当に許嫁になったみたいだ)
いまだけじゃない。そう勘違いしてしまいそうになるくらい修一朗さんは優しく接してくれる。うるさくなる鼓動を気にしながら、僕はただひたすらエクレールを口に運び続けた。
(まさか、毎日こんなふうに修一朗さんに会うことになるなんて思わなかった)
僕が珠守家に到着した日、部屋で待っていたのは修一朗さん本人だった。てっきり会うことはないと思っていた姿に動揺した僕は、挨拶もできずに立ち尽くしてしまった。そんな僕に修一朗さんはにこりと微笑み「はい」と言って一冊の本を差し出した。
「本郷のほうで文学者向けの資料として売られていた本だけど、お気に召してもらえるかな」
見ると海外の童話集だった。僕の我が儘に怒ることなく、わざわざ探してくれたに違いない。
「ありがとう、ございます」
僕の口から出たのは、情けなくもそれだけだった。
(やっぱり修一朗さんは優しい)
美しい絵と書体の表紙を見てから、もう一度修一朗さんを見る。そこには姉を見ていたときと同じ優しい笑顔があった。その笑顔に見惚れると同時に、姉の身代わりだからだろうかと思って胸がツキンと痛んだ。
美しい花の絵が描かれたティーカップに、また琥珀色の紅茶が注がれた。それを注いでいるのは修一朗さんだ。
「じゃあ、こっちのお菓子はどうかな? 横濱で買い求めたんだけど、人気の洋菓子なんだそうだ」
そう言って微笑んだ修一朗さんが、ケーキ皿に見たことのないお菓子を載せている。
「エクレールと言うそうだよ。元は外国の商館や外国人居留地で食べられていたものらしいけど、いまは日本の洋菓子店でも作られているそうなんだ」
「初めて見ました」
僕の言葉に「買い求めてよかった」と微笑みながら「さぁ、食べてみて」と勧めてくれた。
お皿を受け取り、麩菓子のような形をした洋菓子をじっと見る。麩菓子よりずっと美しく淡い茶色をしていて、その上に艶々のチョコレエトがかかっていた。
寳月の家で僕が洋菓子を与えられることはなかった。チョコレエトやキャラメルが好きだった姉には与えられても、僕の分まで買う余裕はない。小さい頃からそのことを理解していた僕は、食べられなくても当然だと我慢していた。
そんな僕に、姉はいつもこっそりと自分の分をわけてくれた。それが本当においしくて、姉と笑いながら食べたあの時間は僕にとってかけがえのない幸せな時間だった。
「もしかして、エクレールは嫌いだったかい?」
「え……? あ、いいえ、そんなことは……」
つい昔を思い出してぼんやりしてしまった。もう一度お皿の上のエクレールを見る。嫌いかと聞かれても、食べたことがないからわからない。
チラッと視線を上げると、修一朗さんが期待に満ちた眼差しで僕を見ていた。どうしてそんな目で見るのかわからないけれど、食べるまで見続けるつもりなんだろう。
(ずっと見られるのは、ちょっと困る)
それでなくても、こうして部屋に二人きりというだけで鼓動がうるさくなるのだ。そのうえ見られているなんて、僕の心臓がどうにかなってしまいそうで落ち着かない。
(せっかく勧めてくれるんだから、食べないと)
指先で摘もうとした生地は想像していたよりも柔らかくて、力を入れすぎないように加減する。ゆっくりと持ち上げて、行儀が悪くない程度に口を開いてから齧りついた。
「……っ」
ゆっくり噛んだはずの生地はすぐにぐにゃりと潰れて、中から甘いクリームが飛び出した。慌てて口で受け止めたけれど唇の端についてしまった気がする。何てみっともない食べ方をしてしまったのかと恥ずかしくなった。
「噛むと飛び出してくるのは厄介だけど、濃厚でおいしいクリームだろう?」
大急ぎで口の中のクリームを飲み込みながらコクコクと頷く。口周りを拭わなければとハンカチを取り出したところで、修一朗さんが近づいてくる気配を感じた。顔を上げるのと同時に唇の端に修一朗さんの指が触れて驚く。
「……っ」
「あぁ、勝手に触れてすまない。ほら、クリームがついていたんだ」
そう言った修一朗さんが、親指についているクリームをぺろっと舌で舐め取った。まさか舐めるなんて思わなかった僕は、どこを見ていいのかわからなくて視線をさまよわせた。
(こんなこと……まるで本当に許嫁になったみたいだ)
いまだけじゃない。そう勘違いしてしまいそうになるくらい修一朗さんは優しく接してくれる。うるさくなる鼓動を気にしながら、僕はただひたすらエクレールを口に運び続けた。
(まさか、毎日こんなふうに修一朗さんに会うことになるなんて思わなかった)
僕が珠守家に到着した日、部屋で待っていたのは修一朗さん本人だった。てっきり会うことはないと思っていた姿に動揺した僕は、挨拶もできずに立ち尽くしてしまった。そんな僕に修一朗さんはにこりと微笑み「はい」と言って一冊の本を差し出した。
「本郷のほうで文学者向けの資料として売られていた本だけど、お気に召してもらえるかな」
見ると海外の童話集だった。僕の我が儘に怒ることなく、わざわざ探してくれたに違いない。
「ありがとう、ございます」
僕の口から出たのは、情けなくもそれだけだった。
(やっぱり修一朗さんは優しい)
美しい絵と書体の表紙を見てから、もう一度修一朗さんを見る。そこには姉を見ていたときと同じ優しい笑顔があった。その笑顔に見惚れると同時に、姉の身代わりだからだろうかと思って胸がツキンと痛んだ。
40
お気に入りに追加
691
あなたにおすすめの小説
こじらせΩのふつうの婚活
深山恐竜
BL
宮間裕貴はΩとして生まれたが、Ωとしての生き方を受け入れられずにいた。
彼はヒートがないのをいいことに、ふつうのβと同じように大学へ行き、就職もした。
しかし、ある日ヒートがやってきてしまい、ふつうの生活がままならなくなってしまう。
裕貴は平穏な生活を取り戻すために婚活を始めるのだが、こじらせてる彼はなかなかうまくいかなくて…。
ハコ入りオメガの結婚
朝顔
BL
オメガの諒は、ひとり車に揺られてある男の元へ向かった。
大昔に家同士の間で交わされた結婚の約束があって、諒の代になって向こうから求婚の連絡がきた。
結婚に了承する意思を伝えるために、直接相手に会いに行くことになった。
この結婚は傾いていた会社にとって大きな利益になる話だった。
家のために諒は自分が結婚しなければと決めたが、それには大きな問題があった。
重い気持ちでいた諒の前に現れたのは、見たことがないほど美しい男だった。
冷遇されるどころか、事情を知っても温かく接してくれて、あるきっかけで二人の距離は近いものとなり……。
一途な美人攻め×ハコ入り美人受け
オメガバースの設定をお借りして、独自要素を入れています。
洋風、和風でタイプの違う美人をイメージしています。
特に大きな事件はなく、二人の気持ちが近づいて、結ばれて幸せになる、という流れのお話です。
全十四話で完結しました。
番外編二話追加。
他サイトでも同時投稿しています。
本当にあなたが運命なんですか?
尾高志咲/しさ
BL
運命の番なんて、本当にいるんだろうか?
母から渡された一枚の写真には、ぼくの運命だという男が写っていた。ぼくは、相手の高校に転校して、どんな男なのか実際にこの目で確かめてみることにした。転校初日、彼は中庭で出会ったぼくを見ても、何の反応も示さない。成績優秀で性格もいい彼は人気者で、ふとしたことから一緒にお昼を食べるようになる。会うたびに感じるこの不思議な動悸は何だろう……。
【幼い頃から溺愛一途なアルファ×運命に不信感を持つオメガ】
◆初のオメガバースです。本編+番外編。
◆R18回には※がついています。
🌸エールでの応援ならびにHOTランキング掲載、ありがとうございました!
上位種アルファと高値のオメガ
riiko
BL
大学で『高嶺のオメガ』とひそかに噂される美人で有名な男オメガの由香里。実際は生まれた時から金で婚約が決まった『高値のオメガ』であった。
18歳になり婚約相手と会うが、どうしても受け入れられない由香里はせめて結婚前に処女を失う決意をする。
だけどことごとくアルファは由香里の強すぎるフェロモンの前に気を失ってしまう。そんな時、強いアルファ性の先輩の噂を聞く。彼なら強すぎるフェロモンに耐えられるかもしれない!?
高嶺のオメガと噂される美人オメガが運命に出会い、全てを諦めていた人生が今変わりだす。
ヤンデレ上位種アルファ×美しすぎる高嶺のオメガ
性描写が入るシーンは
※マークをタイトルにつけます、ご注意くださいませ。
お話、お楽しみいただけたら幸いです。
モフモフになった魔術師はエリート騎士の愛に困惑中
risashy
BL
魔術師団の落ちこぼれ魔術師、ローランド。
任務中にひょんなことからモフモフに変幻し、人間に戻れなくなってしまう。そんなところを騎士団の有望株アルヴィンに拾われ、命拾いしていた。
快適なペット生活を満喫する中、実はアルヴィンが自分を好きだと知る。
アルヴィンから語られる自分への愛に、ローランドは戸惑うものの——?
24000字程度の短編です。
※BL(ボーイズラブ)作品です。
この作品は小説家になろうさんでも公開します。
落ちこぼれβの恋の諦め方
めろめろす
BL
αやΩへの劣等感により、幼少時からひたすら努力してきたβの男、山口尚幸。
努力の甲斐あって、一流商社に就職し、営業成績トップを走り続けていた。しかし、新入社員であり極上のαである瀬尾時宗に一目惚れしてしまう。
世話役に立候補し、彼をサポートしていたが、徐々に体調の悪さを感じる山口。成績も落ち、瀬尾からは「もうあの人から何も学ぶことはない」と言われる始末。
失恋から仕事も辞めてしまおうとするが引き止められたい結果、新設のデータベース部に異動することに。そこには美しいΩ三目海里がいた。彼は山口を嫌っているようで中々上手くいかなかったが、ある事件をきっかけに随分と懐いてきて…。
しかも、瀬尾も黙っていなくなった山口を探しているようで。見つけられた山口は瀬尾に捕まってしまい。
あれ?俺、βなはずなにのどうしてフェロモン感じるんだ…?
コンプレックスの固まりの男が、αとΩにデロデロに甘やかされて幸せになるお話です。
小説家になろうにも掲載。
巣作りΩと優しいα
伊達きよ
BL
αとΩの結婚が国によって推奨されている時代。Ωの進は自分の夢を叶えるために、流行りの「愛なしお見合い結婚」をする事にした。相手は、穏やかで優しい杵崎というαの男。好きになるつもりなんてなかったのに、気が付けば杵崎に惹かれていた進。しかし「愛なし結婚」ゆえにその気持ちを伝えられない。
そんなある日、Ωの本能行為である「巣作り」を杵崎に見られてしまい……
公爵に買われた妻Ωの愛と孤独
金剛@キット
BL
オメガバースです。
ベント子爵家長男、フロルはオメガ男性というだけで、実の父に嫌われ使用人以下の扱いを受ける。
そんなフロルにオウロ公爵ディアマンテが、契約結婚を持ちかける。
跡継ぎの子供を1人産めば後は離婚してその後の生活を保障するという条件で。
フロルは迷わず受け入れ、公爵と秘密の結婚をし、公爵家の別邸… 白亜の邸へと囲われる。
契約結婚のはずなのに、なぜか公爵はフロルを運命の番のように扱い、心も身体もトロトロに溶かされてゆく。 後半からハードな展開アリ。
オメガバース初挑戦作なので、あちこち物語に都合の良い、ゆるゆる設定です。イチャイチャとエロを多めに書きたくて始めました♡ 苦手な方はスルーして下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる