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姉の身代わり2
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(こんな形でこの家を出ることになるなんて思わなかったな)
廊下を少し進み、姉の部屋から見える庭に下りた。小さい頃、ここでよく姉と花摘みをしたのを思い出す。大きくなってからも姉と一緒によく庭を眺めて過ごした。
(小さい頃は仲のよいΩの姉弟だと思われていたっけ)
姉と瓜二つだった僕はきっとΩに違いないと思われていた。僕自身もそうだろうと思っていた。
けれど、七歳のときに受けた検査でβだということが判明した。父は無言になり、Ωの母は「どうして」とつぶやいた。αでないことはわかっていたから、せめて使い道のあるΩであれと願っていたに違いない。
Ωが二人いれば、華族としての寳月家を復活させることができるかもしれない。あわよくば皇族のどなたかに輿入れさせる未来も描けただろう。両親はそう思っていたのかもしれないけれど、それは叶わぬ夢となった。
「あれはたしか……そうだ、千香彦というかいう名の長男だ」
「相変わらず美しいな」
「あれでΩでないとは、なんとも残念だ」
「ご当主もさぞかし残念に思っていることだろう」
少し離れたところからそんな声が聞こえてくる。弔問客の誰かだろうけれど、こうした言葉もすっかり聞き慣れてしまった。僕は「ふぅ」と息を吐いて、そのまま庭を通り抜け自分の部屋に入った。
姉に瓜二つだった僕は、成長するにつれて姉とは違う姿に変わっていった。男女の違いもあったのだろうけれど、すらりと伸びた手足と背丈はどこからどう見てもΩには見えない。
――姉は可憐で愛らしく、βの弟は美しいがΩではない。あれでΩだったなら嫁ぎ先もあっただろうに。
βだとわかった七歳から、ずっとそう言われてきた。いくら美しいと言われても僕はただのβだ。βである限り家の役に立つことはないし、両親に必要とされることもない。
(こんな僕を引き受けなくちゃいけなくなるなんて、修一朗さんも気の毒だ)
修一朗さんを最後に見たのは五日前だ。姉の見舞いに来て、それから僕にハイネの詩集をくれた。おそらく姉と詩集の話をしていたのを覚えてくれていたのだろう。
でも、僕が見たかったのはゲーテであってハイネじゃない。ハイネが好きなのは姉のほうだ。「これは僕宛じゃない」と思ったら、お礼の言葉もうまく出てこなかった。
(あんな子どもじみたことをしてしまうなんて)
きっと気を悪くしたに違いないのに、修一朗さんは「今度は別の詩集を持ってこよう」と言ってくれた。僕は思わず「詩集よりも外国の童話集がいいです」と口にしていた。子どもでもないのに童話集をねだるなんておかしな男だと思ったはずだ。それなのに修一朗さんは「いいよ」と笑ってくれた。
「童話なら神田のほうがいいかな。詩集なら本郷にもいい本がありそうだけど、まぁあちこち見てみよう」
さすがは修一朗さんだと思った。帝都大学に行く前に私立の大学で外国語を学んでいたと言っていたから、海外の本にも詳しいのだろう。そんな修一朗さんを素敵だなと思いながらも内心は少し焦っていた。
(どうしよう)
修一朗さんを煩わせるつもりなんてなかった。本当はハイネでも十分嬉しいのに、修一朗さんにまで姉の付属品のように思われたと勝手に感じてちっぽけな自尊心が頭をもたげてしまった。
だからあんな我が儘を口にしてしまった。それなのに、修一朗さんはニコッと笑って「次に会うときに持ってこよう」と約束してくれた。
(ああ言ってくれたけど、修一朗さんがこの家に来ることはもうないんだ)
次に会うのは僕が珠守家に行ったときだ。そのとき僕は明香莉の弟としてじゃなく、姉の代わりに差し出された……何になるんだろう。
(どっちにしても、修一朗さんは快く思わないかもしれない)
いや、「かもしれない」なんて希望を挟む余地はない。βの男を押しつけられるなんてβの男でも嫌なはず。αの修一朗さんにとってはさらに迷惑なはずで、もしかしたら会ってもらえないかもしれない。
そう思ったら胸がツキンとした。修一朗さんに嫌われたかもしれないと思うと、会いたかった気持ちもすぅっと消えていく。
「僕だって、姉さんに負けないくらい本当は……」
思わず口に出しそうになり、慌てて唇を噛んだ。大好きな姉が好いていた修一朗さん。αなのに父と違って温厚で、βの僕にも優しかった人。
大好きな姉の後ろから見ているうちに、僕はそんな修一朗さんを好きになってしまっていた。話しかけてもらうだけで、その日は寝るまでふわふわした気分になった。贈り物を受け取るたびに心が躍りもした。
修一朗さんにもらった詩集やハンカチ、シャアプペンシルや洋紙の便せんはいまもずっと大事に仕舞ってある。もったいなくて使うことなんてできなかった。ハイネの詩集も姉に譲ることなく手元に置いたままでいる。
「……そうだ、準備をしておかないと」
父が初七日が明けたらと言うのだから、明けた翌日には珠守家に送り出されるに違いない。それまでの間に荷物を整理して、不要なものは処分してもらわなくては。
「といっても、もうほとんど片付けてるからすぐに終わりそうだけど」
予定では、今頃南へ向かう汽車に乗っていた。そのために用意した小さな旅行カバンもある。中には着替えと身の回りの物が少し、それに修一朗さんにもらった品々も入っていた。
(そうか、このカバン一つ持って珠守家に行けばいいのか)
僕はそのままにしていく予定だった着物や学校の道具などをすべて処分してもらうことにした。それを聞いたお手伝いさんたちが「まるで身辺整理のようだ」と話していたけれど、あながち間違ってはいない。
(この部屋には二度と帰って来ないのだろうし)
ふと、葬儀のことを思い出した。姉の葬儀は旧家の名に恥じない厳かなものだった。まだこんな葬式が出せる余力があったのかと驚いたけれど、珠守家がすべて手配してくれたらしいと仕出し屋が話していたのを耳にした。そのことに胸がツキンとしたのは、修一朗さんがまだ姉のことを想っているに違いないと思ったからだ。
そんな修一朗さんの元へ初七日が明けた翌日、僕は向かうことになった。
廊下を少し進み、姉の部屋から見える庭に下りた。小さい頃、ここでよく姉と花摘みをしたのを思い出す。大きくなってからも姉と一緒によく庭を眺めて過ごした。
(小さい頃は仲のよいΩの姉弟だと思われていたっけ)
姉と瓜二つだった僕はきっとΩに違いないと思われていた。僕自身もそうだろうと思っていた。
けれど、七歳のときに受けた検査でβだということが判明した。父は無言になり、Ωの母は「どうして」とつぶやいた。αでないことはわかっていたから、せめて使い道のあるΩであれと願っていたに違いない。
Ωが二人いれば、華族としての寳月家を復活させることができるかもしれない。あわよくば皇族のどなたかに輿入れさせる未来も描けただろう。両親はそう思っていたのかもしれないけれど、それは叶わぬ夢となった。
「あれはたしか……そうだ、千香彦というかいう名の長男だ」
「相変わらず美しいな」
「あれでΩでないとは、なんとも残念だ」
「ご当主もさぞかし残念に思っていることだろう」
少し離れたところからそんな声が聞こえてくる。弔問客の誰かだろうけれど、こうした言葉もすっかり聞き慣れてしまった。僕は「ふぅ」と息を吐いて、そのまま庭を通り抜け自分の部屋に入った。
姉に瓜二つだった僕は、成長するにつれて姉とは違う姿に変わっていった。男女の違いもあったのだろうけれど、すらりと伸びた手足と背丈はどこからどう見てもΩには見えない。
――姉は可憐で愛らしく、βの弟は美しいがΩではない。あれでΩだったなら嫁ぎ先もあっただろうに。
βだとわかった七歳から、ずっとそう言われてきた。いくら美しいと言われても僕はただのβだ。βである限り家の役に立つことはないし、両親に必要とされることもない。
(こんな僕を引き受けなくちゃいけなくなるなんて、修一朗さんも気の毒だ)
修一朗さんを最後に見たのは五日前だ。姉の見舞いに来て、それから僕にハイネの詩集をくれた。おそらく姉と詩集の話をしていたのを覚えてくれていたのだろう。
でも、僕が見たかったのはゲーテであってハイネじゃない。ハイネが好きなのは姉のほうだ。「これは僕宛じゃない」と思ったら、お礼の言葉もうまく出てこなかった。
(あんな子どもじみたことをしてしまうなんて)
きっと気を悪くしたに違いないのに、修一朗さんは「今度は別の詩集を持ってこよう」と言ってくれた。僕は思わず「詩集よりも外国の童話集がいいです」と口にしていた。子どもでもないのに童話集をねだるなんておかしな男だと思ったはずだ。それなのに修一朗さんは「いいよ」と笑ってくれた。
「童話なら神田のほうがいいかな。詩集なら本郷にもいい本がありそうだけど、まぁあちこち見てみよう」
さすがは修一朗さんだと思った。帝都大学に行く前に私立の大学で外国語を学んでいたと言っていたから、海外の本にも詳しいのだろう。そんな修一朗さんを素敵だなと思いながらも内心は少し焦っていた。
(どうしよう)
修一朗さんを煩わせるつもりなんてなかった。本当はハイネでも十分嬉しいのに、修一朗さんにまで姉の付属品のように思われたと勝手に感じてちっぽけな自尊心が頭をもたげてしまった。
だからあんな我が儘を口にしてしまった。それなのに、修一朗さんはニコッと笑って「次に会うときに持ってこよう」と約束してくれた。
(ああ言ってくれたけど、修一朗さんがこの家に来ることはもうないんだ)
次に会うのは僕が珠守家に行ったときだ。そのとき僕は明香莉の弟としてじゃなく、姉の代わりに差し出された……何になるんだろう。
(どっちにしても、修一朗さんは快く思わないかもしれない)
いや、「かもしれない」なんて希望を挟む余地はない。βの男を押しつけられるなんてβの男でも嫌なはず。αの修一朗さんにとってはさらに迷惑なはずで、もしかしたら会ってもらえないかもしれない。
そう思ったら胸がツキンとした。修一朗さんに嫌われたかもしれないと思うと、会いたかった気持ちもすぅっと消えていく。
「僕だって、姉さんに負けないくらい本当は……」
思わず口に出しそうになり、慌てて唇を噛んだ。大好きな姉が好いていた修一朗さん。αなのに父と違って温厚で、βの僕にも優しかった人。
大好きな姉の後ろから見ているうちに、僕はそんな修一朗さんを好きになってしまっていた。話しかけてもらうだけで、その日は寝るまでふわふわした気分になった。贈り物を受け取るたびに心が躍りもした。
修一朗さんにもらった詩集やハンカチ、シャアプペンシルや洋紙の便せんはいまもずっと大事に仕舞ってある。もったいなくて使うことなんてできなかった。ハイネの詩集も姉に譲ることなく手元に置いたままでいる。
「……そうだ、準備をしておかないと」
父が初七日が明けたらと言うのだから、明けた翌日には珠守家に送り出されるに違いない。それまでの間に荷物を整理して、不要なものは処分してもらわなくては。
「といっても、もうほとんど片付けてるからすぐに終わりそうだけど」
予定では、今頃南へ向かう汽車に乗っていた。そのために用意した小さな旅行カバンもある。中には着替えと身の回りの物が少し、それに修一朗さんにもらった品々も入っていた。
(そうか、このカバン一つ持って珠守家に行けばいいのか)
僕はそのままにしていく予定だった着物や学校の道具などをすべて処分してもらうことにした。それを聞いたお手伝いさんたちが「まるで身辺整理のようだ」と話していたけれど、あながち間違ってはいない。
(この部屋には二度と帰って来ないのだろうし)
ふと、葬儀のことを思い出した。姉の葬儀は旧家の名に恥じない厳かなものだった。まだこんな葬式が出せる余力があったのかと驚いたけれど、珠守家がすべて手配してくれたらしいと仕出し屋が話していたのを耳にした。そのことに胸がツキンとしたのは、修一朗さんがまだ姉のことを想っているに違いないと思ったからだ。
そんな修一朗さんの元へ初七日が明けた翌日、僕は向かうことになった。
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