上 下
2 / 29

姉の身代わり2

しおりを挟む
(こんな形でこの家を出ることになるなんて思わなかったな)

 廊下を少し進み、姉の部屋から見える庭に下りた。小さい頃、ここでよく姉と花摘みをしたのを思い出す。大きくなってからも姉と一緒によく庭を眺めて過ごした。

(小さい頃は仲のよいΩの姉弟だと思われていたっけ)

 姉と瓜二つだった僕はきっとΩに違いないと思われていた。僕自身もそうだろうと思っていた。
 けれど、七歳のときに受けた検査でβだということが判明した。父は無言になり、Ωの母は「どうして」とつぶやいた。αでないことはわかっていたから、せめて使い道のあるΩであれと願っていたに違いない。
 Ωが二人いれば、華族としての寳月ほうづき家を復活させることができるかもしれない。あわよくば皇族のどなたかに輿入れさせる未来も描けただろう。両親はそう思っていたのかもしれないけれど、それは叶わぬ夢となった。

「あれはたしか……そうだ、千香彦ちかひこというかいう名の長男だ」
「相変わらず美しいな」
「あれでΩでないとは、なんとも残念だ」
「ご当主もさぞかし残念に思っていることだろう」

 少し離れたところからそんな声が聞こえてくる。弔問客の誰かだろうけれど、こうした言葉もすっかり聞き慣れてしまった。僕は「ふぅ」と息を吐いて、そのまま庭を通り抜け自分の部屋に入った。
 姉に瓜二つだった僕は、成長するにつれて姉とは違う姿に変わっていった。男女の違いもあったのだろうけれど、すらりと伸びた手足と背丈はどこからどう見てもΩには見えない。

 ――姉は可憐で愛らしく、βの弟は美しいがΩではない。あれでΩだったなら嫁ぎ先もあっただろうに。

 βだとわかった七歳から、ずっとそう言われてきた。いくら美しいと言われても僕はただのβだ。βである限り家の役に立つことはないし、両親に必要とされることもない。

(こんな僕を引き受けなくちゃいけなくなるなんて、修一朗さんも気の毒だ)

 修一朗さんを最後に見たのは五日前だ。姉の見舞いに来て、それから僕にハイネの詩集をくれた。おそらく姉と詩集の話をしていたのを覚えてくれていたのだろう。
 でも、僕が見たかったのはゲーテであってハイネじゃない。ハイネが好きなのは姉のほうだ。「これは僕宛じゃない」と思ったら、お礼の言葉もうまく出てこなかった。

(あんな子どもじみたことをしてしまうなんて)

 きっと気を悪くしたに違いないのに、修一朗さんは「今度は別の詩集を持ってこよう」と言ってくれた。僕は思わず「詩集よりも外国の童話集がいいです」と口にしていた。子どもでもないのに童話集をねだるなんておかしな男だと思ったはずだ。それなのに修一朗さんは「いいよ」と笑ってくれた。

「童話なら神田のほうがいいかな。詩集なら本郷にもいい本がありそうだけど、まぁあちこち見てみよう」

 さすがは修一朗さんだと思った。帝都大学に行く前に私立の大学で外国語を学んでいたと言っていたから、海外の本にも詳しいのだろう。そんな修一朗さんを素敵だなと思いながらも内心は少し焦っていた。

(どうしよう)

 修一朗さんを煩わせるつもりなんてなかった。本当はハイネでも十分嬉しいのに、修一朗さんにまで姉の付属品のように思われたと勝手に感じてちっぽけな自尊心が頭をもたげてしまった。
 だからあんな我が儘を口にしてしまった。それなのに、修一朗さんはニコッと笑って「次に会うときに持ってこよう」と約束してくれた。

(ああ言ってくれたけど、修一朗さんがこの家に来ることはもうないんだ)

 次に会うのは僕が珠守たまもり家に行ったときだ。そのとき僕は明香莉あかりの弟としてじゃなく、姉の代わりに差し出された……何になるんだろう。

(どっちにしても、修一朗さんは快く思わないかもしれない)

 いや、「かもしれない」なんて希望を挟む余地はない。βの男を押しつけられるなんてβの男でも嫌なはず。αの修一朗さんにとってはさらに迷惑なはずで、もしかしたら会ってもらえないかもしれない。
 そう思ったら胸がツキンとした。修一朗さんに嫌われたかもしれないと思うと、会いたかった気持ちもすぅっと消えていく。

「僕だって、姉さんに負けないくらい本当は……」

 思わず口に出しそうになり、慌てて唇を噛んだ。大好きな姉が好いていた修一朗さん。αなのに父と違って温厚で、βの僕にも優しかった人。
 大好きな姉の後ろから見ているうちに、僕はそんな修一朗さんを好きになってしまっていた。話しかけてもらうだけで、その日は寝るまでふわふわした気分になった。贈り物を受け取るたびに心が躍りもした。
 修一朗さんにもらった詩集やハンカチ、シャアプペンシルや洋紙の便せんはいまもずっと大事に仕舞ってある。もったいなくて使うことなんてできなかった。ハイネの詩集も姉に譲ることなく手元に置いたままでいる。

「……そうだ、準備をしておかないと」

 父が初七日が明けたらと言うのだから、明けた翌日には珠守たまもり家に送り出されるに違いない。それまでの間に荷物を整理して、不要なものは処分してもらわなくては。

「といっても、もうほとんど片付けてるからすぐに終わりそうだけど」

 予定では、今頃南へ向かう汽車に乗っていた。そのために用意した小さな旅行カバンもある。中には着替えと身の回りの物が少し、それに修一朗さんにもらった品々も入っていた。

(そうか、このカバン一つ持って珠守たまもり家に行けばいいのか)

 僕はそのままにしていく予定だった着物や学校の道具などをすべて処分してもらうことにした。それを聞いたお手伝いさんたちが「まるで身辺整理のようだ」と話していたけれど、あながち間違ってはいない。

(この部屋には二度と帰って来ないのだろうし)

 ふと、葬儀のことを思い出した。姉の葬儀は旧家の名に恥じない厳かなものだった。まだこんな葬式が出せる余力があったのかと驚いたけれど、珠守たまもり家がすべて手配してくれたらしいと仕出し屋が話していたのを耳にした。そのことに胸がツキンとしたのは、修一朗さんがまだ姉のことを想っているに違いないと思ったからだ。
 そんな修一朗さんの元へ初七日が明けた翌日、僕は向かうことになった。
しおりを挟む
感想 28

あなたにおすすめの小説

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

僕がハーブティーを淹れたら、筆頭魔術師様(♂)にプロポーズされました

楠結衣
BL
貴族学園の中庭で、婚約破棄を告げられたアルフォン伯爵令息。可愛らしい見た目に加え、ハーブと刺繍を愛する彼は、女よりも女の子らしいと言われていた。女騎士を目指す婚約者に「妹みたい」とバッサリ切り捨てられ、婚約解消されてしまう。 ショックのあまり実家のハーブガーデンに引きこもっていたところ、王宮魔術塔で働く兄から助手に誘われる。 喜ぶ家族を見たら断れなくなったエリオットは筆頭魔術師のジェラール様の執務室へ向かう。そこでエリオットがいつものようにハーブティーを淹れたところ、なぜかプロポーズされてしまい……。   「エリオット・ハワード――俺と結婚しよう」 契約結婚の打診からはじまる男同士の恋模様。 アルフォンのハーブティーと刺繍に特別な力があることは、まだ秘密──。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版)

ブラッドフォード卿のお気に召すままに~~腹黒宰相は異世界転移のモブを溺愛する~~

ゆうきぼし/優輝星
BL
異世界転移BL。浄化のため召喚された異世界人は二人だった。腹黒宰相と呼ばれるブラッドフォード卿は、モブ扱いのイブキを手元に置く。それは自分の手駒の一つとして利用するためだった。だが、イブキの可愛さと優しさに触れ溺愛していく。しかもイブキには何やら不思議なチカラがあるようで……。 *マークはR回。(後半になります) ・毎日更新。投稿時間を朝と夜にします。どうぞ最後までよろしくお願いします。 ・ご都合主義のなーろっぱです。 ・第12回BL大賞にエントリーしました。攻めは頭の回転が速い魔力強の超人ですがちょっぴりダメンズなところあり。そんな彼の癒しとなるのが受けです。癖のありそうな脇役あり。どうぞよろしくお願いします。 腹黒宰相×獣医の卵(モフモフ癒やし手) ・イラストは青城硝子先生です。

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

ベータですが、運命の番だと迫られています

モト
BL
ベータの三栗七生は、ひょんなことから弁護士の八乙女梓に“運命の番”認定を受ける。 運命の番だと言われても三栗はベータで、八乙女はアルファ。 執着されまくる話。アルファの運命の番は果たしてベータなのか? ベータがオメガになることはありません。 “運命の番”は、別名“魂の番”と呼ばれています。独自設定あり ※ムーンライトノベルズでも投稿しております

マジで婚約破棄される5秒前〜婚約破棄まであと5秒しかありませんが、じゃあ悪役令息は一体どうしろと?〜

明太子
BL
公爵令息ジェーン・アンテノールは初恋の人である婚約者のウィリアム王太子から冷遇されている。 その理由は彼が侯爵令息のリア・グラマシーと恋仲であるため。 ジェーンは婚約者の心が離れていることを寂しく思いながらも卒業パーティーに出席する。 しかし、その場で彼はひょんなことから自身がリアを主人公とした物語(BLゲーム)の悪役だと気付く。 そしてこの後すぐにウィリアムから婚約破棄されることも。 婚約破棄まであと5秒しかありませんが、じゃあ一体どうしろと? シナリオから外れたジェーンの行動は登場人物たちに思わぬ影響を与えていくことに。 ※小説家になろうにも掲載しております。

溺愛オメガバース

暁 紅蓮
BL
Ωである呉羽皐月(クレハサツキ)と‪α‬である新垣翔(アラガキショウ)の運命の番の出会い物語。 高校1年入学式の時に運命の番である翔と目が合い、発情してしまう。それから番となり、‪α‬である翔はΩの皐月を溺愛していく。

処理中です...