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妖狐、稲荷神社に行く6

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「おかえり。あ、コマジは池で水浴びが先ね。イナリは人間の姿になること、それから孝志郎は手当が先かな」

 家に帰ったらコマタにテキパキと指示された。コマジはぶすっとした顔のまま庭に向かい、孝志郎はコマタが差し出した手拭いで右腕を拭っている。

(孝志郎、痛い?)
「うん? あぁ、これか。見た目はこんなだがそうでもないぞ」
「イナリ、信じちゃ駄目だからね。孝志郎はちょっと痛覚が迷子なだけだから」
(つうかくが迷子?)
「痛みを感じにくいってこと。まったく、天狗の血をおかしなことにばかり使うんだから」
「有効活用だよ。それに使わないほうがもったいないだろう?」
「はいはい。ほら、孝志郎も庭に行って。烏が待ってる」
(烏!)

 コマタが烏と呼ぶ相手は三本足のあの烏しかいない。半年振りに現れた使い魔の烏に会えるとわかった僕は、外套からぴょんと飛び出て庭に走った。
 僕は烏が好きだ。ちょっと口は悪いけれど妖力が強くてヒラヒラ空を飛べるのがかっこいい。鵺を見るまでは烏みたいな妖狐になりたいと思っていたくらいだ。

(烏!)
「おや子狐、元気そうだな」
(子狐って言うな!)
「うん? 少し大きくなったか?」
(なったよ! これからもっと大きくなるよ!)

 そう言ったら池の水に浸かっていたコマジが「小せぇままかもしれないだろ」なんて茶々を入れてくる。

(うるさいな。そのうちムキムキになるんだから)
「ぶはっ! ムキムキの妖狐なんて見たことねぇよ」
(いままではいなかったかもしれないけど、僕はムキムキになるって決めたんだ)
「小狐のくせにムキムキとか、絶対に無理だろ」
(何だよ!)
「おっ、やるか?」

 コマジが銀毛の耳を出したところで「おまえたちはいつまでたっても子どもだな」と烏が笑った。

「俺のどこ見てそんなこと言ってんだよ」
(そうだよ、僕ももう子どもじゃないよ!)
「子どもほどそう言う」

 烏の言葉にむぅっと唇を尖らせた。コマジも顔をしかめながら、ざぶんと池に頭まで浸かる。僕がさらに「子どもじゃないって」と言ったところで「烏、久しぶりだな」と孝志郎が現れた。

「孝志郎も元気そうでなりよりだ。今日は怪我をするかもしれないからとコマタに呼ばれたんだが……あぁ、犬神に噛まれたのか」
「たいしたことはないさ」
「まったく、おまえは相変わらずだな。犬神の噛み痕は治りが悪いし膿んでしまう。運が悪ければ腐り落ちることもある。おまえも知っているだろう?」

 まだ血が滲んでいる孝志郎の右腕を烏が持ち上げた。烏の手がいつの間にか真っ黒な羽になっている。その羽で傷に触れるとなぜかどんな傷も綺麗に治るんだけれど、いつ見ても不思議だなぁと思う。

「コマジ、おまえも必要か?」
「いらねぇよ」

 強がっているけれどコマジの妖力はいつもよりずっと小さい。それでも狛犬の自尊心だか何だかでぷいっとそっぽを向いている。そんなコマジに烏は「傷がないならそれが一番いい」と笑いかけた。

「孝志郎、いつも言っているが天狗の血を過信するのはよくない。おまえには四分の一しか流れていないのだぞ」
「わかっているさ」

「本当にわかっているんだかな」と烏が苦笑している。

(そういえば孝志郎のおじいちゃんって天狗だったっけ)

 僕はまだ天狗を見たことがない。話では聞いたことがあるけれど、どんなあやかしなんだろうと想像しながら孝志郎を見た。

(孝志郎が強いのって、やっぱり天狗の血が流れてるからなのかなぁ)

 天狗はすごく強いあやかしだ。なんたって怖い鬼と一緒に暮らしているくらいで大体がお山に棲んでいる。烏みたいに羽があって、びゅーんと空を飛ぶのだと前に孝志郎が教えてくれた。
 孝志郎のおじいちゃんはそんな天狗なんだそうだ。それに、ずぅっと昔のご先祖様には妖狐がいるらしい。だから僕を使い魔にしたのかなと思っていたけれど「最初の使い魔が妖狐だったんだよ」と教えてくれたのはコマタだ。

(その妖狐は京の都ではーれむ中って言ってたっけ)

 そういえば、はーれむって何だろう? 僕も強い妖狐になったらはーれむっていうことをすることになるんだろうか。
 ちなみに烏は孝志郎の使い魔だけれど、元々はおじいちゃんの天狗と仲が良かったらしい。孝志郎が生まれたときからそばにいて「何度おむつを替えてやったことか」と言っては笑っていた。

(孝志郎も烏の言うことは聞くし、烏ってすごいんだなぁ)

 それにいつ見ても艶々した黒色でかっこいい。長い髪の毛も目も真っ黒で、いつも真っ黒な服を着ている。今日は着物だけれど洋装も真っ黒が多かった。そんな黒一色なのもかっこいいと思っている。

(でも、一番かっこいいのはやっぱり羽かな)

 僕は烏の真っ黒な羽が好きだ。いつもは人間の手と同じ形だけれど、翼になった手が最高にかっこいいと思っている。体がムキムキじゃなくても強いから、そういうところも憧れていた。

(僕もいつかあんなふうに強くなるんだ)

 人間の姿に変化へんげしながら烏を見つめていたら、「なんだ、そんなにわたしが好きか?」と抱きしめられた。びっくりしたせいで、せっかく人間の姿になったのに狐の耳がポンと出てしまう。

「あはは、子狐はかわいいなぁ」
「小狐のくせに一丁前に照れやがって」
(なにおう!)
「乳離れしたばっかりの小狐が色気づいてんじゃねぇよ」
(そんなんじゃないし! それに僕は赤ん坊じゃないからね!)
「ははは、元気がいいのはいいことだ」

 そんなふうに笑った烏が浴衣の帯を締めてくれた。そこにコマタがひょいと顔を覗かせる。

「ちょっと遅くなったけどお昼の用意できてるよ。烏も食べていくでしょ?」
「あぁ、相伴に預かろうかな」
「それなら大吟醸でも出すか」

 孝志郎がそういうと、途端に烏の顔がにんまりした。烏はお酒が大好きで、いつも飲み過ぎるのだとコマタが呆れていたのを思い出す。

「大吟醸か。悪くない」
「孝志郎も烏も飲み過ぎないようにね。それからコマジ、頭もちゃんと拭うこと。イナリは料理をテーブルに並べるの手伝ってくれる?」
(わかった!)
「コマタのやつ、段々人間の母親みたいになってきたな」
「コマジ、何か言った?」
「何も言ってませーん」

 孝志郎と烏はつまみは何が一番か話していて、コマジは手拭いを首に巻いたままシャツのボタンを留めている。僕は台所に向かうコマタを追いかけようとした足を止めて三人を見た。

(こういうのが家ってやつなのかな)

 昔、稲荷神社の近くにある古い屋敷に棲んでいた座敷童子が「家っていいものよ」と話していたのを思い出した。そのときはよくわからなかったけれど、こういうのが家っていうのならたしかにいいところだと思う。

(それに、いつでもいなり寿司が食べられるし)

 そう思いながら台所に行くと大好きな匂いがした。

(コマタの手作りいなり寿司の匂いだ!)
「今日は酢飯に柚の皮と千枚漬けを刻んだものを混ぜてみたんだ。あとで味の感想聞かせてくれる?」
(もちろん!)

 たくさんのいなり寿司が大きなお皿にずらりと並んでいる。僕はほくほく顔で大皿を持つと、落とさないように気をつけながらみんなが待つ座敷へと向かった。

(今日もたくさん食べるぞ!)

 そう意気込んだ僕は、なんといなり寿司を七つも食べることができた。コマジには「食い意地が張ってる」なんて笑われたけれど、みんなと食べるいなり寿司はとてもおいしくて手が止まらなかったんだ。

(大変だったけど、今日もいい日だなぁ)

 食べ終わった後、縁側に寝転がって青空を見ながらそんなことを思った。
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