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妖狐、稲荷神社に行く1
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秋のお祭りの時期になると、僕が棲んでいた稲荷神社の周りも少しだけ賑やかになる。といってもほとんどの人間は目の前の道を通り過ぎるだけで、彼らの目的はこの先にある大きくて古いお寺や神社だ。
それでもたまに寄り道してお賽銭を投げくれる人間がいた。おかげで僕は消えることなく妖狐として存在し続けることができている。
(懐かしいなぁ)
久しぶりに棲み処にしていた神社にやって来た。秋祭りはとっくに終わっていて季節はすっかり冬みたいだ。銀杏の葉も実もほとんど落ちてしまい地面がまだら模様になっている。
(今年もあの子たち来たのかなぁ)
「あの子たち?」
(いつも銀杏の実を拾いに来る子たち。ちゃんとお賽銭も投げてくれるんだ)
「そりゃあ律儀な子どもたちだな」
今日の孝志郎は洋装姿で、その上に外套という大きくて暖かい上着を羽織っている。その胸元に潜り込んでいた僕は、ひょいと飛び降りて賽銭箱の中を覗き込んだ。中には小銭がいくつかと、隅っこで小さな黒い塊がウゴウゴと動いているのが見えた。
「一応、願いをかける人間もいるんだな」
(そりゃあ神社だからね)
「神様も神使もいないのになぁ」
(そんなの人間にはわからないんだからしょうがないよ)
「そりゃあそうだ」
僕の後ろから賽銭箱を覗き込んでいた孝志郎がパチンと指を鳴らした。途端に隅っこでウゴウゴしていた黒い塊が消える。
黒い塊は元は人間の願いだ。大体の願い事は霧のようにふわっとして消えるけれど、恨みつらみが強いとあんなふうに黒い塊になってウゴウゴし始める。そういうものが少しずつ集まって大きくなると面倒なことになるんだ。
(ってことは、この黒いのが匂いの原因だったのかな)
そう思って鼻をクンと鳴らしたけれど、まだ匂いは消えていない。ということは別に原因があるということだ。
(やっぱりまだ匂ってる。それにこれは犬の匂いだ)
「それなりに鼻が利くようになってきたじゃないか」
(これだけ匂ってればわかるよ)
神社に入ったときから犬臭いことには気づいていた。それが少しずつ強くなって、賽銭箱に近づいたところでさらに濃くなった。賽銭箱や目の前の小さな本堂から匂っているわけじゃないけれど、この近くから匂っているのは間違いない。
「さて問題だ。この匂いの正体が何だかわかるか?」
(犬だよ)
「ただの犬じゃない」
(犬の匂いしかしないよ?)
「よく嗅いでみろ」
そんなことを言われても、僕は犬じゃないから犬の種類なんてわかるはずがない。
(うーん、犬より獣臭い気はするけど……ねぇ、やっぱり犬じゃないの?)
「これは妖だ」
孝志郎の言葉にびっくりした。鵺のときみたいに獣以外の匂いが混じっているなら妖かもしれないけれど、何度嗅いでも犬の匂いしかしない。
(本当に妖なの? 犬の匂いしかしないよ?)
「おいおい、俺を疑うのか?」
(そうじゃないけど、でも犬の匂い以外しないから)
「まだ生まれたばかりだからな。いや、生まれる直前ってところか」
(え? これから妖が生まれるってこと?)
二十年くらい妖狐としてここに棲んでいたけれど、妖が生まれるところは見たことがない。たとえば目の前に妖を生みそうな妖がいたとしても、実際に生まれるところを見ることなんてないからだ。
(僕、生まれるところなんて初めて見るよ。どんな妖が生まれるのかなぁ)
妖が生まれるところに出くわすなんてワクワクしてきた。一体どこで生まれるんだろうとキョロキョロしていると「期待しているところ悪いんだがな」と言いながら孝志郎がポンと頭に手を載せる。
「この妖は祓わなきゃならない妖だ」
(え?)
孝志郎の言葉に首を傾げた。だって、まだ存在もしていない妖を祓うなんておかしな話だからだ。
孝志郎は祓い屋を生業にしている。だからって闇雲に祓っているわけじゃない。人間の世にいたらいけない妖や、人間に悪さをして祓わないといけなくなった妖なんかを祓っていた。ほとんどは人間からの依頼で、さっきの黒い塊みたいに妖じゃないけれどよくないものを祓ったりもする。
でも、理由もなしに祓ったりはしない。まだ生まれてもいない妖を祓うなんてどういうことだろう。
(生まれてないなら悪さもしてないよね? なのに祓うの?)
「悪さをする前に祓うんだよ」
(ちょっと待って。生まれてないのに悪さをするかどうかなんてわからないよ。それなのに悪さをするなんてわかるの?)
「こいつはほかの妖とはちょっと違うからな」
僕の頭をポンポンと撫でた孝志郎の手が離れた。ちろっと見上げると黒目が小さな本堂の脇をじぃっと見ている。そこには大きな銀杏の木があって、毎年たくさん実るようにと僕がずっと見守ってきた木だ。
(孝志郎?)
「ま、祓うのはもう少し後になるだろう。いくら俺でも生まれていない妖を祓うことはできないからな」
(……あのさ、もし生まれた妖が悪さをしない妖なら祓わないんだよね?)
「なんだ、生まれてくる妖が気になるのか?」
(そうじゃないけど……)
「やっぱりおまえは子狐だな」
孝志郎の言葉に少しだけムッとした。きっと子どものように甘いって言いたいんだろうけれど、生まれたばかりの妖が祓われるなんてやっぱり嫌な気持ちになる。妖同士、親しいとか憐れむとかいった感情がなくてもいろいろ思うことはあるんだ。
「祓ってやるほうがいいってこともあるんだよ」
言っている意味がわからない。せっかく生まれてきたのにすぐに祓われるなんて、いいことのはずがないからだ。
孝志郎の言葉には納得できないけれど、使い魔の僕が何か言ったところでどうしようもない。僕は地面を軽く蹴って身を翻し、外套の中にしゅるりと潜り込んだ。
それでもたまに寄り道してお賽銭を投げくれる人間がいた。おかげで僕は消えることなく妖狐として存在し続けることができている。
(懐かしいなぁ)
久しぶりに棲み処にしていた神社にやって来た。秋祭りはとっくに終わっていて季節はすっかり冬みたいだ。銀杏の葉も実もほとんど落ちてしまい地面がまだら模様になっている。
(今年もあの子たち来たのかなぁ)
「あの子たち?」
(いつも銀杏の実を拾いに来る子たち。ちゃんとお賽銭も投げてくれるんだ)
「そりゃあ律儀な子どもたちだな」
今日の孝志郎は洋装姿で、その上に外套という大きくて暖かい上着を羽織っている。その胸元に潜り込んでいた僕は、ひょいと飛び降りて賽銭箱の中を覗き込んだ。中には小銭がいくつかと、隅っこで小さな黒い塊がウゴウゴと動いているのが見えた。
「一応、願いをかける人間もいるんだな」
(そりゃあ神社だからね)
「神様も神使もいないのになぁ」
(そんなの人間にはわからないんだからしょうがないよ)
「そりゃあそうだ」
僕の後ろから賽銭箱を覗き込んでいた孝志郎がパチンと指を鳴らした。途端に隅っこでウゴウゴしていた黒い塊が消える。
黒い塊は元は人間の願いだ。大体の願い事は霧のようにふわっとして消えるけれど、恨みつらみが強いとあんなふうに黒い塊になってウゴウゴし始める。そういうものが少しずつ集まって大きくなると面倒なことになるんだ。
(ってことは、この黒いのが匂いの原因だったのかな)
そう思って鼻をクンと鳴らしたけれど、まだ匂いは消えていない。ということは別に原因があるということだ。
(やっぱりまだ匂ってる。それにこれは犬の匂いだ)
「それなりに鼻が利くようになってきたじゃないか」
(これだけ匂ってればわかるよ)
神社に入ったときから犬臭いことには気づいていた。それが少しずつ強くなって、賽銭箱に近づいたところでさらに濃くなった。賽銭箱や目の前の小さな本堂から匂っているわけじゃないけれど、この近くから匂っているのは間違いない。
「さて問題だ。この匂いの正体が何だかわかるか?」
(犬だよ)
「ただの犬じゃない」
(犬の匂いしかしないよ?)
「よく嗅いでみろ」
そんなことを言われても、僕は犬じゃないから犬の種類なんてわかるはずがない。
(うーん、犬より獣臭い気はするけど……ねぇ、やっぱり犬じゃないの?)
「これは妖だ」
孝志郎の言葉にびっくりした。鵺のときみたいに獣以外の匂いが混じっているなら妖かもしれないけれど、何度嗅いでも犬の匂いしかしない。
(本当に妖なの? 犬の匂いしかしないよ?)
「おいおい、俺を疑うのか?」
(そうじゃないけど、でも犬の匂い以外しないから)
「まだ生まれたばかりだからな。いや、生まれる直前ってところか」
(え? これから妖が生まれるってこと?)
二十年くらい妖狐としてここに棲んでいたけれど、妖が生まれるところは見たことがない。たとえば目の前に妖を生みそうな妖がいたとしても、実際に生まれるところを見ることなんてないからだ。
(僕、生まれるところなんて初めて見るよ。どんな妖が生まれるのかなぁ)
妖が生まれるところに出くわすなんてワクワクしてきた。一体どこで生まれるんだろうとキョロキョロしていると「期待しているところ悪いんだがな」と言いながら孝志郎がポンと頭に手を載せる。
「この妖は祓わなきゃならない妖だ」
(え?)
孝志郎の言葉に首を傾げた。だって、まだ存在もしていない妖を祓うなんておかしな話だからだ。
孝志郎は祓い屋を生業にしている。だからって闇雲に祓っているわけじゃない。人間の世にいたらいけない妖や、人間に悪さをして祓わないといけなくなった妖なんかを祓っていた。ほとんどは人間からの依頼で、さっきの黒い塊みたいに妖じゃないけれどよくないものを祓ったりもする。
でも、理由もなしに祓ったりはしない。まだ生まれてもいない妖を祓うなんてどういうことだろう。
(生まれてないなら悪さもしてないよね? なのに祓うの?)
「悪さをする前に祓うんだよ」
(ちょっと待って。生まれてないのに悪さをするかどうかなんてわからないよ。それなのに悪さをするなんてわかるの?)
「こいつはほかの妖とはちょっと違うからな」
僕の頭をポンポンと撫でた孝志郎の手が離れた。ちろっと見上げると黒目が小さな本堂の脇をじぃっと見ている。そこには大きな銀杏の木があって、毎年たくさん実るようにと僕がずっと見守ってきた木だ。
(孝志郎?)
「ま、祓うのはもう少し後になるだろう。いくら俺でも生まれていない妖を祓うことはできないからな」
(……あのさ、もし生まれた妖が悪さをしない妖なら祓わないんだよね?)
「なんだ、生まれてくる妖が気になるのか?」
(そうじゃないけど……)
「やっぱりおまえは子狐だな」
孝志郎の言葉に少しだけムッとした。きっと子どものように甘いって言いたいんだろうけれど、生まれたばかりの妖が祓われるなんてやっぱり嫌な気持ちになる。妖同士、親しいとか憐れむとかいった感情がなくてもいろいろ思うことはあるんだ。
「祓ってやるほうがいいってこともあるんだよ」
言っている意味がわからない。せっかく生まれてきたのにすぐに祓われるなんて、いいことのはずがないからだ。
孝志郎の言葉には納得できないけれど、使い魔の僕が何か言ったところでどうしようもない。僕は地面を軽く蹴って身を翻し、外套の中にしゅるりと潜り込んだ。
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