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三度目の発情が終わり体も落ち着いたところで、拓巳はシンジュクのあのホテルに来ていた。本当はイケブクロまで行きたかったのだが、優一の渋い顔を見て早々に諦めた。代わりにこのホテルならと許可はもらったものの、迎えに行くまでホテルの外に出てはいけないと三回も言われた。ホテルの中でいてもいい場所は眺めのよいラウンジだけで、トイレに行きたいときは相手も連れて行くようにと注意もされた。
(連れションとか、いまどき高校生でもしないって……)
優一がトイレ同伴にと言った相手は、そんなことを言われたとは知らずに目の前でホイップクリームたっぷりのパンケーキを食べている。なんでも急に甘い物が食べたくなったとかで、すでにフルーツや生クリームがたっぷりトッピングされた豪華なプリンアラモードを食べ終わったところだ。
「ごめんね~。高そうなスイーツばっかり食べちゃって」
「いや、優一さんの支払いだから俺に言われても……」
「アハハ、そうだった。丹桂さん、ごちそうさまです」
そう言いながら大きな口を開けてパンケーキを頬張っているのは、売り専仲間だったメイだ。
拓巳が発情を終えた三日後、携帯デバイスにメイからメッセージが届いた。連絡先を交換して初めてのメッセージには「会いたいんだけど、出て来られる?」とあった。
拓巳はメイに会いたいと優一に話した。渋ってはいたものの相手がメイならと許してくれたのだが、それをメイに告げると「何かあったら僕を盾にしろってことかなぁ」と口にした。まさかと思ったが、「狼相手でも、夢魔の僕なら盾くらいにはなるって思ったんじゃない?」と笑うメイに、拓巳はほんの少しモヤモヤとしたものを感じた。
(誰かを盾にとか、さすがにないと思いたいけど)
吸血鬼のことがわからない拓巳に優一の考えていることは想像できない。優一がそんなことを考えているとは思いたくないが、αのΩに対する感情や行動は病的らしいと雪弥も話していた。「まさか」と思いつつも、胸が小さくざわついて落ち着かなくなる。
(優一さんが吸血鬼だって思うと、急に遠い存在みたいに感じる)
それが嫌で、拓巳は吸血鬼について考えないようにしていた。しかし知らないままでいいはずがない。わかってはいるものの、知りたい欲よりも知ってしまう恐ろしさのほうが上回り、いまだに詳しいことを聞けないでいた。
「ん~! やっぱりホテルのスイーツって格別だよねぇ。お腹の子の栄養にはならないけど、母体は大満足かな」
優一のことを考えていたからか、メイの言葉を聞き逃してしまった。というよりも、とんでもない単語が交じっていたせいで拓巳の耳からこぼれ落ちたのだ。
「……いま、お腹の……って、え? なに?」
「ん~? あぁ、お腹の子?」
パンケーキを彩っている果物をフォークで刺しながら、なんでもないことのようにメイが答える。改めて言われた単語に驚いた拓巳は、飲んでいたアイスミルクティーのグラスを取り落としそうになった。
「ちょっと待って、お腹の……子って」
「言葉のとおりだよ。僕、子どもができたんだ。あ、もちろんつがいの子だから安心して?」
ニコッと笑っているメイは、ユニセックスな服装だからか幸せいっぱいの女の子に見えなくもない。しかしメイが男だということは売り専仲間だった拓巳もよく知っている。
「子どもって……。オメガって、本当にそんなこと、あるんだ」
「丹桂さんに聞いてないの? って、つがいなんだから知らないわけないか」
「聞いてはいたけど……マジか」
「マジマジ。夢魔としては遅いほうだと思うけど、やっぱり好きな人とつがいたかったからさ」
「つがいって、前に言ってた人?」
「うん。……小さい頃から片思いだったんだけどね。相手は狼だし、狼は血統を重んじるから僕なんか相手にされないって諦めてた。でも、タクミを見て、人のΩと最上位の吸血鬼がつがいになれるんなら、夢魔と狼だってなれるんじゃないかって思ってさ」
フォークに刺したオレンジを口に入れたメイが、ゴクンと飲み込んでから「思い切ってつがいにしてって言ったんだ」と照れくさそうに笑った。
「いや~、緊張で寿命が三十年くらい縮まるかと思った。……でも、ちゃんと言えてよかったと思ってる」
ふわりと笑ったメイは、いままで見たどのメイよりも綺麗だと思った。きっとΩはαとつがうことで、メイのように活き活きと綺麗になるのだろう。
「で、僕にもつがいができたってタクミに報告しておきたくて。それに母親としては先輩になるわけだから、そのうち相談に乗ることがあるかもしれないしさ」
ニコッと笑うメイに、拓巳は「そっか」としか返事ができなかった。
(……そのうち、俺も優一さんの子どもを……)
自分の腹部にそっと右手をあてる。ここに命が宿るなんて少し前までは想像もしなかった。いまも男である自分に子どもができるなんて信じられない。しかし、同じ男であるメイは子どもが宿っているのだという。二十年弱の人生で初めてできた友人のような存在に起きた出来事だからか、妙にリアルに感じられた。
「ま、そんなわけだから、僕、しばらく売りはやめることにした。あ~……っていうか、たぶんもう売りはしないかな」
「つがいができたなら、当然だろ」
「ところがどっこい! 夢魔は精を糧にするから、つがいがいても人とセックスするのが普通なんだよね~」
「って、メイ!」
ホテルのラウンジで、しかも昼間から「セックス」なんて単語はいただけない。慌てて咎めると、「アハハ、ごめんごめん」とメイが笑う。
「ま、夢魔同士のつがいならそうなんだろうけど、僕のつがいは狼だから許さないだろうし。だから、今後の僕の糧はつがいだけになるかな。いろいろ食い散らかせないのは夢魔として残念だけど、仕方ないよね」
口では「仕方ない」と言っているが、幸せそうな表情を見る限り本心ではないのだろう。そんなメイを拓巳は眩しく感じた。
その後、メイは焼きたてのワッフルとマンゴージュースを注文し、すべて平らげてから「ごちそうさまでした」と満足そうに合掌した。ホテル側には優一から連絡が入っているのか、席を立つと制服姿の従業員から「またのご利用をお待ちしております」と声をかけられた。その場で支払いをしないことに若干の居心地の悪さを感じながらも、「丹桂さんにお礼言っといて」とメイに言われ、とりあえず頷いておく。
「うひゃあ。この国の夏は、この蒸し暑さがいただけないんだよねぇ」
ホテルの自動ドアを出た途端にメイが愚痴をこぼした。たしかに去年はこの暑さに何度も辟易したが、今年はなぜかそこまで嫌だとは思わない。
(野宿の心配をしなくてよくなったから、当然か)
そう思った拓巳だったが、それだけでないことはわかっていた。寒くても暑くても優一がいれば、そんなことが気にならないほど心が満たされる。本当は夢じゃないのかと不安になるくらい、拓巳は生まれて初めて感じる幸せを噛み締めていた。
「じゃあね。あ! たまにはタクミもメッセージ送ってよ」
「うん。メイも大変だろうけど、がんばれよな」
「アハハ。大丈夫だって。でも、ありがと。……それに、ごめんね」
「え?」
「じゃあね!」
元気よく手を振ったメイの姿が地下鉄のホームへと続く階段に消える。小声ではっきりとは聞こえなかったものの、最後の言葉は謝罪のように聞こえる。もしかして優一に自分のことを話したことを、まだ気にしているのだろうか。
「逆にお礼を言いたいくらいなのに」
メイが優一に話したからこそ自分は優一と出会うことができたのだ。そう思うと本当に不思議な出会いであり、優一が言うように奇跡的な出来事のように思える。
「あの夢魔に礼を言うようなことでもあったのかい?」
「優一さん」
振り返るとホテルの自動ドアの前に優一が立っていた。外はこれほど暑いというのに、相変わらずビシッとしたスーツ姿は爽やかな空気をまとっている。
「まぁ……はい。一度はお礼、言っておきたいかな」
「そうか」
隣に立った優一が、ふわりと笑いながら拓巳の背中に手を添える。それだけで拓巳の熱がわずかに上がった。
(発情は終わったばかりなのに……)
「拓巳くんから魅力的な香りがしている」
「……っ」
耳元で囁かれ拓巳の頬がパッと赤くなる。優一が言う香りというのは優一を誘うΩの香りだ。指摘されるほどかと思うと少し恥ずかしい。
「このままホテルに戻るかい?」
「……家に、帰りたいです」
なぜか無性にあの豪邸に帰りたいと思った。優一の香りであふれているあの家に帰りたい……あそここそが自分のいるべき場所だ。
「そうだね。わたしたちの家に帰ろうか」
「はい」
優一にエスコートされるように歩き出した拓巳は、右手で顔に影を作りながら眩しい青空を見上げた。そんな拓巳を見下ろす優一の碧色にも灰色にも見える瞳は、美しいガラス玉のように光っていた。
(連れションとか、いまどき高校生でもしないって……)
優一がトイレ同伴にと言った相手は、そんなことを言われたとは知らずに目の前でホイップクリームたっぷりのパンケーキを食べている。なんでも急に甘い物が食べたくなったとかで、すでにフルーツや生クリームがたっぷりトッピングされた豪華なプリンアラモードを食べ終わったところだ。
「ごめんね~。高そうなスイーツばっかり食べちゃって」
「いや、優一さんの支払いだから俺に言われても……」
「アハハ、そうだった。丹桂さん、ごちそうさまです」
そう言いながら大きな口を開けてパンケーキを頬張っているのは、売り専仲間だったメイだ。
拓巳が発情を終えた三日後、携帯デバイスにメイからメッセージが届いた。連絡先を交換して初めてのメッセージには「会いたいんだけど、出て来られる?」とあった。
拓巳はメイに会いたいと優一に話した。渋ってはいたものの相手がメイならと許してくれたのだが、それをメイに告げると「何かあったら僕を盾にしろってことかなぁ」と口にした。まさかと思ったが、「狼相手でも、夢魔の僕なら盾くらいにはなるって思ったんじゃない?」と笑うメイに、拓巳はほんの少しモヤモヤとしたものを感じた。
(誰かを盾にとか、さすがにないと思いたいけど)
吸血鬼のことがわからない拓巳に優一の考えていることは想像できない。優一がそんなことを考えているとは思いたくないが、αのΩに対する感情や行動は病的らしいと雪弥も話していた。「まさか」と思いつつも、胸が小さくざわついて落ち着かなくなる。
(優一さんが吸血鬼だって思うと、急に遠い存在みたいに感じる)
それが嫌で、拓巳は吸血鬼について考えないようにしていた。しかし知らないままでいいはずがない。わかってはいるものの、知りたい欲よりも知ってしまう恐ろしさのほうが上回り、いまだに詳しいことを聞けないでいた。
「ん~! やっぱりホテルのスイーツって格別だよねぇ。お腹の子の栄養にはならないけど、母体は大満足かな」
優一のことを考えていたからか、メイの言葉を聞き逃してしまった。というよりも、とんでもない単語が交じっていたせいで拓巳の耳からこぼれ落ちたのだ。
「……いま、お腹の……って、え? なに?」
「ん~? あぁ、お腹の子?」
パンケーキを彩っている果物をフォークで刺しながら、なんでもないことのようにメイが答える。改めて言われた単語に驚いた拓巳は、飲んでいたアイスミルクティーのグラスを取り落としそうになった。
「ちょっと待って、お腹の……子って」
「言葉のとおりだよ。僕、子どもができたんだ。あ、もちろんつがいの子だから安心して?」
ニコッと笑っているメイは、ユニセックスな服装だからか幸せいっぱいの女の子に見えなくもない。しかしメイが男だということは売り専仲間だった拓巳もよく知っている。
「子どもって……。オメガって、本当にそんなこと、あるんだ」
「丹桂さんに聞いてないの? って、つがいなんだから知らないわけないか」
「聞いてはいたけど……マジか」
「マジマジ。夢魔としては遅いほうだと思うけど、やっぱり好きな人とつがいたかったからさ」
「つがいって、前に言ってた人?」
「うん。……小さい頃から片思いだったんだけどね。相手は狼だし、狼は血統を重んじるから僕なんか相手にされないって諦めてた。でも、タクミを見て、人のΩと最上位の吸血鬼がつがいになれるんなら、夢魔と狼だってなれるんじゃないかって思ってさ」
フォークに刺したオレンジを口に入れたメイが、ゴクンと飲み込んでから「思い切ってつがいにしてって言ったんだ」と照れくさそうに笑った。
「いや~、緊張で寿命が三十年くらい縮まるかと思った。……でも、ちゃんと言えてよかったと思ってる」
ふわりと笑ったメイは、いままで見たどのメイよりも綺麗だと思った。きっとΩはαとつがうことで、メイのように活き活きと綺麗になるのだろう。
「で、僕にもつがいができたってタクミに報告しておきたくて。それに母親としては先輩になるわけだから、そのうち相談に乗ることがあるかもしれないしさ」
ニコッと笑うメイに、拓巳は「そっか」としか返事ができなかった。
(……そのうち、俺も優一さんの子どもを……)
自分の腹部にそっと右手をあてる。ここに命が宿るなんて少し前までは想像もしなかった。いまも男である自分に子どもができるなんて信じられない。しかし、同じ男であるメイは子どもが宿っているのだという。二十年弱の人生で初めてできた友人のような存在に起きた出来事だからか、妙にリアルに感じられた。
「ま、そんなわけだから、僕、しばらく売りはやめることにした。あ~……っていうか、たぶんもう売りはしないかな」
「つがいができたなら、当然だろ」
「ところがどっこい! 夢魔は精を糧にするから、つがいがいても人とセックスするのが普通なんだよね~」
「って、メイ!」
ホテルのラウンジで、しかも昼間から「セックス」なんて単語はいただけない。慌てて咎めると、「アハハ、ごめんごめん」とメイが笑う。
「ま、夢魔同士のつがいならそうなんだろうけど、僕のつがいは狼だから許さないだろうし。だから、今後の僕の糧はつがいだけになるかな。いろいろ食い散らかせないのは夢魔として残念だけど、仕方ないよね」
口では「仕方ない」と言っているが、幸せそうな表情を見る限り本心ではないのだろう。そんなメイを拓巳は眩しく感じた。
その後、メイは焼きたてのワッフルとマンゴージュースを注文し、すべて平らげてから「ごちそうさまでした」と満足そうに合掌した。ホテル側には優一から連絡が入っているのか、席を立つと制服姿の従業員から「またのご利用をお待ちしております」と声をかけられた。その場で支払いをしないことに若干の居心地の悪さを感じながらも、「丹桂さんにお礼言っといて」とメイに言われ、とりあえず頷いておく。
「うひゃあ。この国の夏は、この蒸し暑さがいただけないんだよねぇ」
ホテルの自動ドアを出た途端にメイが愚痴をこぼした。たしかに去年はこの暑さに何度も辟易したが、今年はなぜかそこまで嫌だとは思わない。
(野宿の心配をしなくてよくなったから、当然か)
そう思った拓巳だったが、それだけでないことはわかっていた。寒くても暑くても優一がいれば、そんなことが気にならないほど心が満たされる。本当は夢じゃないのかと不安になるくらい、拓巳は生まれて初めて感じる幸せを噛み締めていた。
「じゃあね。あ! たまにはタクミもメッセージ送ってよ」
「うん。メイも大変だろうけど、がんばれよな」
「アハハ。大丈夫だって。でも、ありがと。……それに、ごめんね」
「え?」
「じゃあね!」
元気よく手を振ったメイの姿が地下鉄のホームへと続く階段に消える。小声ではっきりとは聞こえなかったものの、最後の言葉は謝罪のように聞こえる。もしかして優一に自分のことを話したことを、まだ気にしているのだろうか。
「逆にお礼を言いたいくらいなのに」
メイが優一に話したからこそ自分は優一と出会うことができたのだ。そう思うと本当に不思議な出会いであり、優一が言うように奇跡的な出来事のように思える。
「あの夢魔に礼を言うようなことでもあったのかい?」
「優一さん」
振り返るとホテルの自動ドアの前に優一が立っていた。外はこれほど暑いというのに、相変わらずビシッとしたスーツ姿は爽やかな空気をまとっている。
「まぁ……はい。一度はお礼、言っておきたいかな」
「そうか」
隣に立った優一が、ふわりと笑いながら拓巳の背中に手を添える。それだけで拓巳の熱がわずかに上がった。
(発情は終わったばかりなのに……)
「拓巳くんから魅力的な香りがしている」
「……っ」
耳元で囁かれ拓巳の頬がパッと赤くなる。優一が言う香りというのは優一を誘うΩの香りだ。指摘されるほどかと思うと少し恥ずかしい。
「このままホテルに戻るかい?」
「……家に、帰りたいです」
なぜか無性にあの豪邸に帰りたいと思った。優一の香りであふれているあの家に帰りたい……あそここそが自分のいるべき場所だ。
「そうだね。わたしたちの家に帰ろうか」
「はい」
優一にエスコートされるように歩き出した拓巳は、右手で顔に影を作りながら眩しい青空を見上げた。そんな拓巳を見下ろす優一の碧色にも灰色にも見える瞳は、美しいガラス玉のように光っていた。
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