孤独なΩはαの牙で目覚める

朏猫(ミカヅキネコ)

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 その日、拓巳宛てに小さな荷物が届いた。正確には自走式ロボットが持って来た箱を見て荷物が届いていたことに気がついた。箱は大きな門に備え付けられた宅配ボックスに入っていたもので、拓巳がいても届いたものはすべて宅配ボックスに入れるようになっている。

(あのロボットって、ショッピングモールとかで見るやつだよな)

 玄関の脇にある小部屋に戻っていくロボットを見ながら、何度か見かけた街中のロボットを思い出した。人手不足解消だとか衛生面での管理だとかで、大型ショッピングモールや病院、行政施設でも自走式ロボットを随分見かけるようになった。AI搭載とやらで、荷物運びだけでなく清掃や人を案内することもできるそうだ。
 聞くだけで馬鹿高いと思われるロボットだが、この豪邸には数台設置されている。半分は清掃用で、週一回のハウスクリーニングの変わりだと優一に説明された。おかげで豪邸の中はどこもかしこもピカピカだ。

(本当にとんでもないセレブなんだな)

 そんなセレブと自分が一緒に暮らしているなんて、やっぱり夢か何かじゃないかと思うことがある。それでも以前のように「自分みたいなクズが」と思わないように心がけていた。

(じゃないと、優一さんにも失礼な気がするし)

 自分を必要以上に貶めることは、自分を認めてくれる人をも貶めることになる――つい最近タブレット型デバイスで読んだ小説に載っていた言葉を思い返す。
 拓巳は携帯デバイスのほかに、優一からタブレット型デバイスをもらっている。そのほうが調べ物や映画鑑賞に便利だろうということだったが、これまで携帯デバイスすら持っていなかった拓巳は、正直持て余していた。映画やドラマを見る習慣がなかったから見たいという気持ちがない。調べ物に関しても、拓巳が知りたいαやΩ、それに吸血鬼についてネットワーク上の情報は何の役にも立たなかった。それならと思いついたのが、デバイスで本を読むことだった。
 小学生のときは学校の図書室でそれなりの冊数を読んでいた。デバイスの使い方を学ぶ授業では、クラスで一、二を争うほどデジタルブックを読んだ。しかし中学以降、勉強しなくなるにつれて本も読まなくなってしまった。だからといって読書が嫌いなわけではない。それに本を読み耽る時間はたっぷりある。

(暇だからって勝手に外に出るわけにもいかないし)

 それなら部屋でできる読書がもってこいだと思った。そうして最近読み始めたランキング上位の小説に、件の文章が載っていたのだ。

(自分を認めてくれる人、か)

 小説の一文を思い出しながら荷物の宛名書きに目をやる。

「……雪弥さんから?」

 送り主の欄には“丹桂雪弥”と書かれていた。

(あれ? でも、たしかお父さんの名前は……)

 ランスロード・ドラクロワという外国人の名前だった。もし結婚しているのなら、少なくとも名字はドラクロワになるんじゃないだろうか。ふと、優一が“丹桂優一”と名乗っている理由を考えた。

(……もしかして複雑な家庭の事情、とか?)

 出来婚、別居婚、離婚……そんな言葉が脳裏に浮かび、慌てて頭を振った。自分もだったが、片親しかいないことに触れられるのはあまりいい気分ではない。たとえつがいだったとしても知られたくないことはあるだろうし、勝手に想像するのはよくないことだ。そんなことを思いながら箱を開ける。

(……なんだろ、これ……)

 小さな箱の中には、さらに小さな箱がいくつか入っていた。正方形の箱のパッケージは何かの薬のように見える。長方形の箱も薬っぽいが、何語かわからない言葉で書かれているからよくわからない。

(優一さんに聞けばいいか)

 そう考えた拓巳は、届いた箱の蓋を閉めテーブルの上に置いておくことにした。
 久しぶりの外出から帰宅した優一に、宅配で荷物が届いたことを伝えた。自分宛であること、送り主が雪弥であることを伝えると「雪弥さんから?」と少し驚いた顔で優一が箱を開ける。

「なるほど、雪弥さんらしいといえばらしい」

 箱の中身を見てた優一が、そう感想を述べた。それから上着を脱ぎ、腕時計を外し始める。

(やっぱりかっこいいよな)

 ただ腕時計を外しているだけなのに驚くほど様になっている。まさしくできるイケメンといった様子の優一を、拓巳はとろけるような目で見ていた。

「拓巳くん?」
「あ、ええと、俺宛てみたいなんですけど、何かわからなくて」

 見惚れていたのをごまかすように、箱の中身を取り出してテーブルに並べた。

「これは発情抑制剤だね」

 箱の中身を指さしながら優一がそう説明する。

「発情、よくせいざい?」
「言葉どおり、Ωの発情を抑制する薬だ。まだそれなりの数のΩがいたときに開発されたものだが、いまは女性の排卵周期調整や避妊薬として使われている。Ωの発情抑制にも十分効果があるが、Ωに対してはほとんど使われなくなった薬だよ」
「使われなくなった薬、ですか?」

 拓巳の質問に優一が頷き、正方形の箱から錠剤のシートを取り出した。

「これは発情の数日前から一日一錠飲むと発情状態を緩和することができる薬だ。昔は予期せぬ事故を防ぐため、多くのΩが常用していたと聞いている」
「予期せぬ事故……あ、」
「もし外で発情すれば知らないαとつがってしまう可能性があるからね。αでなくとも性欲を刺激されるから、望まない性交を強いられる場合もあった。これはΩたちの自衛手段というわけだよ」

 拓巳には想像もつかないが、そういった恐ろしいことがかつてのΩにはあったということだ。そのために薬が開発されたのは当然に思えるが、その薬がどうして自分宛に届いたのだろう。

「なんで俺に……?」

 拓巳の疑問に、やや苦笑気味の優一が口を開く。

「雪弥さんは、たまにこの薬で発情を押さえ込むことがあるんだ」
「押さえ込むって、でも雪弥さんにはつがいが……」

 優一の父親がいるのに、なぜ発情を抑える必要があるのだろう。

「雪弥さんなりの抵抗といったところだろうね。あの人の我が儘や行き過ぎた行為に反省を促すため薬を飲む、そう聞いたことがある」
「我が儘って……」
「あの人はつがい相手でも容赦がない。いくら長年連れ添ったつがいでも、たまには頬を叩きたくなることがあるのだろう。あの人にとってつがいの発情が抑えられるのは耐えがたいことだろうから、雪弥さんの行為は効果てき面というわけだ」

 よくわからないが、それはいわゆる“夫婦喧嘩”ということなんだろうか。しかし、それで発情を押さえ込むなんて……。

(もしかして、あまり関係がよくないとか……?)

 再び「別居婚、離婚」という単語が拓巳の脳裏に浮かぶ。

「あぁ、心配しないで。あの二人には、そういったこともコミュニケーションの一種なんだ。きみがいま考えたようなことはないよ」
「えっ」
「離婚しているのではと思ったのだろう? きみはよく表情に出る」
「あ……、あの、すみません」

 小声で謝ると「気にしなくていい」と優一が微笑む。

「そもそも一度つがいになったαとΩはつがいを解消することはできない。そういう意味では人の結婚とは大きく違う」
「……え?」
「つがう相手が変わるのは、より強いαに上書きされたときくらいだ」

 驚く拓巳に眉尻を下げた優一が「教えずにつがったことは謝ろう」と口にした。

「いえ、謝らなくて、いいですけど……」

 優一以外とそういう関係になろうとは思わないから、それはかまわない。ただ、αとΩの関係が想像しているよりずっと特殊なことに拓巳は驚いていた。

(……でも、そっか。そういう相手に優一さんは俺を選んでくれたってことなんだ)

 拓巳の口元がゆるりとほころぶ。そんな表情の変化をじっと見ていた優一の口もまた同じようにほころんだ。

「わたしたちはつがいと発情を共にすることを、この上ない喜びに感じるんだ。それなのにつがいが発情を押さえ込めば精神的なダメージは計り知れない。あの人にとっては一大事だろうね」
「なるほど……」
「しかし、この薬はわたしたちには必要ないだろう。わたしはあの人ほど暴君ではないし、拓巳くんを幸せにしたいと心から思っている。それでもわたしがあの人に似てくるのではと、雪弥さんなりに心配したのだろう」
「……なるほど」

 そう答えながら、拓巳はあることが気になって仕方がなかった。それを口にしていいのかためらったものの、いまを逃せば聞けなくなってしまうかもしれない。そう思い、意を決して尋ねることにした。

「あの……、優一さんはお父さんのこと、どうして“あの人”って呼ぶんですか?」

 一瞬、優一の目が見開かれたような気がした。やはり聞くべきではなかったと思い、慌てて「あの、」と言ったところで「聞かれたのは初めてだな」と優一が答える。

「あぁ、別に不仲だとか言った理由はないよ。仲がいいとも言いがたいが、関係は良好だと思っている」

 穏やかな表情ということは嘘ではないのだろう。しかし親子の関係を“良好”と表現するのは普通ではない気がする。

「幼い頃からあの二人と顔を合わせることが少なくてね。そのせいか両親という感覚があまりないんだ。雪弥さんは自分のことを名前で呼ぶように言っていたし、あの人も父親と呼ばれるのを嫌がっていたから自然とこうなった」
「顔を合わせることが少なかったって……」
「αは、たとえ自分の子どもであってもαをつがいのΩに近づけようとしない。わたしたちはとくにその傾向が強いのだろう。逆に狼は群れで暮らし、夢魔はつがいで子育てをすると聞く。そうしたことは種族特有のものなのだろうね」

(そっか、だから雪弥さんはあのときあんなことを言ったのか)

「人であった僕は歯がゆく思っていたのです」と言った雪弥の顔は、少し寂しそうだった。本当は手元で育てたかったのだろう。雪弥は拓巳と同じ人のΩだと言っていたから、子どもに対する感覚は人と同じだったに違いない。

「それはさておき、この薬は必要ないとわたしは思っているが……。拓巳くんは必要かい?」
「え?」
「わたしと一緒に発情を過ごしたくない、そう思うかい?」
「そんなこと、絶対ないです! ……って、ええと……」

 勢いよく否定したが、それはつまり我を忘れてセックスしたいと言っているようなものだ。そのことに気づいた拓巳は、急に恥ずかしくなり視線を逸らした。そんな様子に小さく笑った優一が「いい子だ」と褒めるように頬を撫でる。

「しかし、せっかく届いた薬だ。念のため持っているといい」
「でも、俺は、」
「あと二、三回出社すればわたしも自由の身だが、何かの都合で発情のときにそばにいられないことがあるかもしれない。つがいがいるきみが周囲を惑わすことはないだろうが、きみ自身は苦しむことになる。それを緩和する薬はお守り代わりになる」

 優一の手が長方形の箱を取り出した。

「これは即効性のある注射器型の抑制剤だ。腕でも足でも、蓋を取って押しつければ薬液を注入できる。あぁ、痛みはほとんどないから安心していい。予期せぬ発情をすぐに抑えたいときは、こちらを使うこと。そうでないときはこの錠剤だ。効果は緩やかだが、一度も抑制剤を使ったことがない拓巳くんなら、こちらでも十分効果は得られるはずだ」
「俺には必要ないです」
「念のためだよ」

 そう告げた優一が、リビングにあるチェストの一番上に正方形と長方形の箱を仕舞った。

(そんな薬、俺には必要ないのに)

 発情していなくても拓巳は優一がほしくなることがある。それなのに、せっかくの発情で触れてほしくないなんて思うはずがない。

(触れてほしいと思えるのがうれしいのに)

 これまで拓巳は誰かに対してそう思ったことがなかった。母親にでさえ父親の一件があって以来、触れられるのが苦痛だった。客を取っていたときも触れてほしいと思ったことは一度もない。
 だから薬なんて必要ない。それより肌を触れ合わせるほうが何倍もいい。そう思い、拓巳は逞しい優一の背中に抱きついた。

「俺……発情のときは、ずっと優一さんといたいです」
「もちろん、わたしもそう思っているよ」

 腹に回した手を優一の冷たい手が覆う。その感触だけでも胸が高鳴り、間もなく来るであろう発情を期待するように拓巳の腹部が小さく波打った。
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