9 / 25
花のように9
しおりを挟む
クリュスはその日のうちに華街を出た。向かうのはディニの伯父である狼族の名家キュマの屋敷だ。
(どうして伯父の家に……?)
理由は聞いていないがついていくしかない。覚悟はしていたものの、華を辞めてすぐに名家の狼族に会わなくてはいけないということに不安を感じていた。
(……いえ、それも含めて話を受け入れたんです)
早かれ遅かれディニの家族と顔を合わせる日も来るだろう。元華でありアフィーテである自分を受け入れる名家の狼族はまずいない。それを実感するのが少し早まっただけだ。そう思いキュッと唇を引き締める。
ディニと一緒に乗り込んだ馬車は大きな通りを走り、小高い丘へと向かった。「あの屋敷だ」という声に視線を向けると大きく立派な屋敷が目に入る。想像していたよりも由緒正しい雰囲気に、覚悟した気持ちがほんの少し揺れ動いた。
「大丈夫だから」
クリュスの表情に気づいたのかディニが頼もしい声をかける。馬車から降りるときも手を差し伸べ、降りれば背に手を回し気遣うように歩き出した。華街では一度も見なかった大人びた仕草にクリュスの胸がとくんと高鳴る。
(見なかったのは半月ほどの間なのに、随分大人っぽくなったような……)
それとも、以前からこうした雄だったのだろうか。初々しい様子ばかり目に留まっていたからか気づかなかった。初めて感じる雄らしい気配にやや緊張しながら廊下を歩く。
「最初に伯父に紹介しようと思ってたんだ」
そう言ってディニが立ち止まったのは立派な部屋の扉の前だった。緊張しながらも姿勢を正し、ディニに恥をかかせないようにと視線を上げる。そうして入った部屋の奥には立派な服を着た狼族が立っていた。
「この人が伯父のキュマだ」
どことなくディニに似ている。自分よりも随分年上だが、名家の狼族らしい威圧的な気配はまったくない。
「はじめまして。なるほど、ディニが夢中になるのがよくわかる綺麗な子だ」
優しい表情と声色に安堵しながら「クリュスと申します」と頭を下げた。
「一段と小柄なのは、やはりアフィーテだからかな」
アフィーテという言葉に肩が震えた。やはりディニの迷惑になるのではと心配していると、キュマがにこりと微笑む。
「きみがアフィーテだということはディニから聞いているし気にしていないよ。わたし自身、アフィーテに縁がないわけでもないからね」
穏やかな表情に、クリュスは亡くなった伯父を思い出した。名家の狼族にもこのような穏やかな人がいるのかと思いながらもう一度頭を下げる。
(アフィーテに嫌悪感を抱かれていないのはよかったけれど……)
しかし、自分を花嫁にしたいというディニの願いは叶わないだろう。狼族にとって兎族と番う一番の理由は子を成すためであって、とくに名家の後継ぎになろうかというディニの花嫁がアフィーテであってよいはずがない。
(わたしはただ、ディニ様のそばにいられればそれでいいのだから)
番のような日々をしばらく過ごした後はひっそり暮らそうと思っていた。新しい花嫁を迎えた後、邪魔にならないように別の屋敷に移されるのも覚悟している。クリュスは道すがらそんな覚悟をしていた。
「俺はクリュスを番にしたいと思ってる」
案の定だとクリュスは思った。ディニは若いがゆえに情熱のまま動いてしまう。そしてその熱はすぐさま消されてしまうだろう。「そのときはわたしが慰めなくては」と思いながらディニを見た。
「俺はクリュスしかいらない。クリュス以外の花嫁は絶対に迎えない」
続く言葉に水色の目を見開いた。さすがに「他の花嫁はいらない」とまで口にしては大変なことになる。慌てて「ディニ様」と声をかけたが、オレンジ色の目はキュマを睨むように見ていた。
「おまえは若いね」
キュマの言葉に反応したのはクリュスのほうだった。十八歳のディニはいましか見えていない。気の迷いも年長者のキュマには愚かに見えることだろう。「訂正しなくては」とクリュスが口を開くより先にディニが「当然だろ」と答えた。
「だってまだ十八だし」
「たしかに十八は若い。だからこそ見守ってきたが、華折りまで口にし始めたときは驚いたよ。しかもこうして本当に連れて来てしまうとはね」
「だからちゃんと説明しただろ」
ディニがやや荒っぽい声を上げる。それでは駄目だとハラハラしていると、キュマが「まぁ落ち着きなさい」と穏やかにたしなめた。
「なるほど、弟が心配するのもわかる気がするよ」
キュマの言葉にディニがキュッと眉を寄せる。
「親父は俺のことをいつまでも子ども扱いしすぎなんだ。俺だって適齢期を迎えた一人前の雄だ。自分の番は自分で決める」
「そう言ってやるものじゃない。あれにとっておまえは大事な息子の一人だ。ついこの前まではわたしの後継ぎにと考えていたのだから心配もするだろう」
「……わかってる。でも、俺の番だ。俺は一番好きな人とつがいになりたい。それは絶対に譲れない」
「おまえが本気だということはわかっているよ。だからこうしてわたしのところに連れて来たのだろう?」
このままでは大変なことになるとクリュスは思った。キュマはアフィーテによくない印象を抱いていないようだが、ディニの父親はやはり怒っているのだろう。このままではディニのためにならない。
(何とかしなくては……)
ディニに番の一人でかまわないと伝えなくては。しかしそう言ったことでますますディニを頑なにしてしまうのではと心配になる。
(それでも、このままではディニ様によくない)
クリュスは腹にクッと力を入れキュマを見た。それからすぅっと息を吸い口を開く。
「キュマ様、いまのお話はどうぞお忘れください。キュマ様がおっしゃるとおり、今回のことは若気の至りなのです。華街の雰囲気に呑まれてしまったがゆえの戯れ言と聞き流し、どうかディニ様にお咎めをくださいませんように」
(どうして伯父の家に……?)
理由は聞いていないがついていくしかない。覚悟はしていたものの、華を辞めてすぐに名家の狼族に会わなくてはいけないということに不安を感じていた。
(……いえ、それも含めて話を受け入れたんです)
早かれ遅かれディニの家族と顔を合わせる日も来るだろう。元華でありアフィーテである自分を受け入れる名家の狼族はまずいない。それを実感するのが少し早まっただけだ。そう思いキュッと唇を引き締める。
ディニと一緒に乗り込んだ馬車は大きな通りを走り、小高い丘へと向かった。「あの屋敷だ」という声に視線を向けると大きく立派な屋敷が目に入る。想像していたよりも由緒正しい雰囲気に、覚悟した気持ちがほんの少し揺れ動いた。
「大丈夫だから」
クリュスの表情に気づいたのかディニが頼もしい声をかける。馬車から降りるときも手を差し伸べ、降りれば背に手を回し気遣うように歩き出した。華街では一度も見なかった大人びた仕草にクリュスの胸がとくんと高鳴る。
(見なかったのは半月ほどの間なのに、随分大人っぽくなったような……)
それとも、以前からこうした雄だったのだろうか。初々しい様子ばかり目に留まっていたからか気づかなかった。初めて感じる雄らしい気配にやや緊張しながら廊下を歩く。
「最初に伯父に紹介しようと思ってたんだ」
そう言ってディニが立ち止まったのは立派な部屋の扉の前だった。緊張しながらも姿勢を正し、ディニに恥をかかせないようにと視線を上げる。そうして入った部屋の奥には立派な服を着た狼族が立っていた。
「この人が伯父のキュマだ」
どことなくディニに似ている。自分よりも随分年上だが、名家の狼族らしい威圧的な気配はまったくない。
「はじめまして。なるほど、ディニが夢中になるのがよくわかる綺麗な子だ」
優しい表情と声色に安堵しながら「クリュスと申します」と頭を下げた。
「一段と小柄なのは、やはりアフィーテだからかな」
アフィーテという言葉に肩が震えた。やはりディニの迷惑になるのではと心配していると、キュマがにこりと微笑む。
「きみがアフィーテだということはディニから聞いているし気にしていないよ。わたし自身、アフィーテに縁がないわけでもないからね」
穏やかな表情に、クリュスは亡くなった伯父を思い出した。名家の狼族にもこのような穏やかな人がいるのかと思いながらもう一度頭を下げる。
(アフィーテに嫌悪感を抱かれていないのはよかったけれど……)
しかし、自分を花嫁にしたいというディニの願いは叶わないだろう。狼族にとって兎族と番う一番の理由は子を成すためであって、とくに名家の後継ぎになろうかというディニの花嫁がアフィーテであってよいはずがない。
(わたしはただ、ディニ様のそばにいられればそれでいいのだから)
番のような日々をしばらく過ごした後はひっそり暮らそうと思っていた。新しい花嫁を迎えた後、邪魔にならないように別の屋敷に移されるのも覚悟している。クリュスは道すがらそんな覚悟をしていた。
「俺はクリュスを番にしたいと思ってる」
案の定だとクリュスは思った。ディニは若いがゆえに情熱のまま動いてしまう。そしてその熱はすぐさま消されてしまうだろう。「そのときはわたしが慰めなくては」と思いながらディニを見た。
「俺はクリュスしかいらない。クリュス以外の花嫁は絶対に迎えない」
続く言葉に水色の目を見開いた。さすがに「他の花嫁はいらない」とまで口にしては大変なことになる。慌てて「ディニ様」と声をかけたが、オレンジ色の目はキュマを睨むように見ていた。
「おまえは若いね」
キュマの言葉に反応したのはクリュスのほうだった。十八歳のディニはいましか見えていない。気の迷いも年長者のキュマには愚かに見えることだろう。「訂正しなくては」とクリュスが口を開くより先にディニが「当然だろ」と答えた。
「だってまだ十八だし」
「たしかに十八は若い。だからこそ見守ってきたが、華折りまで口にし始めたときは驚いたよ。しかもこうして本当に連れて来てしまうとはね」
「だからちゃんと説明しただろ」
ディニがやや荒っぽい声を上げる。それでは駄目だとハラハラしていると、キュマが「まぁ落ち着きなさい」と穏やかにたしなめた。
「なるほど、弟が心配するのもわかる気がするよ」
キュマの言葉にディニがキュッと眉を寄せる。
「親父は俺のことをいつまでも子ども扱いしすぎなんだ。俺だって適齢期を迎えた一人前の雄だ。自分の番は自分で決める」
「そう言ってやるものじゃない。あれにとっておまえは大事な息子の一人だ。ついこの前まではわたしの後継ぎにと考えていたのだから心配もするだろう」
「……わかってる。でも、俺の番だ。俺は一番好きな人とつがいになりたい。それは絶対に譲れない」
「おまえが本気だということはわかっているよ。だからこうしてわたしのところに連れて来たのだろう?」
このままでは大変なことになるとクリュスは思った。キュマはアフィーテによくない印象を抱いていないようだが、ディニの父親はやはり怒っているのだろう。このままではディニのためにならない。
(何とかしなくては……)
ディニに番の一人でかまわないと伝えなくては。しかしそう言ったことでますますディニを頑なにしてしまうのではと心配になる。
(それでも、このままではディニ様によくない)
クリュスは腹にクッと力を入れキュマを見た。それからすぅっと息を吸い口を開く。
「キュマ様、いまのお話はどうぞお忘れください。キュマ様がおっしゃるとおり、今回のことは若気の至りなのです。華街の雰囲気に呑まれてしまったがゆえの戯れ言と聞き流し、どうかディニ様にお咎めをくださいませんように」
4
お気に入りに追加
215
あなたにおすすめの小説


魔王様の胸のうち
朏猫(ミカヅキネコ)
BL
勇者は人間のために魔王と戦う――はるか昔からくり返される魔王と勇者の戦いが始まった。勇者は単独で魔王の城へ乗り込み、聖剣をもって魔王を打ち倒そうとする。一方、魔王は書物でしか読んだことのない現象――“恋”というものを確かめるべく、日々勇者を観察していた。※他サイトにも掲載
[勇者 × 魔王 / BL]
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】
紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。
相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。
超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。
失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。
彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。
※番外編を公開しました(10/21)
生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。
※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。
※4月18日、完結しました。ありがとうございました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる