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花のように9
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クリュスはその日のうちに華街を出た。向かうのはディニの伯父である狼族の名家キュマの屋敷だ。
(どうして伯父の家に……?)
理由は聞いていないがついていくしかない。覚悟はしていたものの、華を辞めてすぐに名家の狼族に会わなくてはいけないということに不安を感じていた。
(……いえ、それも含めて話を受け入れたんです)
早かれ遅かれディニの家族と顔を合わせる日も来るだろう。元華でありアフィーテである自分を受け入れる名家の狼族はまずいない。それを実感するのが少し早まっただけだ。そう思いキュッと唇を引き締める。
ディニと一緒に乗り込んだ馬車は大きな通りを走り、小高い丘へと向かった。「あの屋敷だ」という声に視線を向けると大きく立派な屋敷が目に入る。想像していたよりも由緒正しい雰囲気に、覚悟した気持ちがほんの少し揺れ動いた。
「大丈夫だから」
クリュスの表情に気づいたのかディニが頼もしい声をかける。馬車から降りるときも手を差し伸べ、降りれば背に手を回し気遣うように歩き出した。華街では一度も見なかった大人びた仕草にクリュスの胸がとくんと高鳴る。
(見なかったのは半月ほどの間なのに、随分大人っぽくなったような……)
それとも、以前からこうした雄だったのだろうか。初々しい様子ばかり目に留まっていたからか気づかなかった。初めて感じる雄らしい気配にやや緊張しながら廊下を歩く。
「最初に伯父に紹介しようと思ってたんだ」
そう言ってディニが立ち止まったのは立派な部屋の扉の前だった。緊張しながらも姿勢を正し、ディニに恥をかかせないようにと視線を上げる。そうして入った部屋の奥には立派な服を着た狼族が立っていた。
「この人が伯父のキュマだ」
どことなくディニに似ている。自分よりも随分年上だが、名家の狼族らしい威圧的な気配はまったくない。
「はじめまして。なるほど、ディニが夢中になるのがよくわかる綺麗な子だ」
優しい表情と声色に安堵しながら「クリュスと申します」と頭を下げた。
「一段と小柄なのは、やはりアフィーテだからかな」
アフィーテという言葉に肩が震えた。やはりディニの迷惑になるのではと心配していると、キュマがにこりと微笑む。
「きみがアフィーテだということはディニから聞いているし気にしていないよ。わたし自身、アフィーテに縁がないわけでもないからね」
穏やかな表情に、クリュスは亡くなった伯父を思い出した。名家の狼族にもこのような穏やかな人がいるのかと思いながらもう一度頭を下げる。
(アフィーテに嫌悪感を抱かれていないのはよかったけれど……)
しかし、自分を花嫁にしたいというディニの願いは叶わないだろう。狼族にとって兎族と番う一番の理由は子を成すためであって、とくに名家の後継ぎになろうかというディニの花嫁がアフィーテであってよいはずがない。
(わたしはただ、ディニ様のそばにいられればそれでいいのだから)
番のような日々をしばらく過ごした後はひっそり暮らそうと思っていた。新しい花嫁を迎えた後、邪魔にならないように別の屋敷に移されるのも覚悟している。クリュスは道すがらそんな覚悟をしていた。
「俺はクリュスを番にしたいと思ってる」
案の定だとクリュスは思った。ディニは若いがゆえに情熱のまま動いてしまう。そしてその熱はすぐさま消されてしまうだろう。「そのときはわたしが慰めなくては」と思いながらディニを見た。
「俺はクリュスしかいらない。クリュス以外の花嫁は絶対に迎えない」
続く言葉に水色の目を見開いた。さすがに「他の花嫁はいらない」とまで口にしては大変なことになる。慌てて「ディニ様」と声をかけたが、オレンジ色の目はキュマを睨むように見ていた。
「おまえは若いね」
キュマの言葉に反応したのはクリュスのほうだった。十八歳のディニはいましか見えていない。気の迷いも年長者のキュマには愚かに見えることだろう。「訂正しなくては」とクリュスが口を開くより先にディニが「当然だろ」と答えた。
「だってまだ十八だし」
「たしかに十八は若い。だからこそ見守ってきたが、華折りまで口にし始めたときは驚いたよ。しかもこうして本当に連れて来てしまうとはね」
「だからちゃんと説明しただろ」
ディニがやや荒っぽい声を上げる。それでは駄目だとハラハラしていると、キュマが「まぁ落ち着きなさい」と穏やかにたしなめた。
「なるほど、弟が心配するのもわかる気がするよ」
キュマの言葉にディニがキュッと眉を寄せる。
「親父は俺のことをいつまでも子ども扱いしすぎなんだ。俺だって適齢期を迎えた一人前の雄だ。自分の番は自分で決める」
「そう言ってやるものじゃない。あれにとっておまえは大事な息子の一人だ。ついこの前まではわたしの後継ぎにと考えていたのだから心配もするだろう」
「……わかってる。でも、俺の番だ。俺は一番好きな人とつがいになりたい。それは絶対に譲れない」
「おまえが本気だということはわかっているよ。だからこうしてわたしのところに連れて来たのだろう?」
このままでは大変なことになるとクリュスは思った。キュマはアフィーテによくない印象を抱いていないようだが、ディニの父親はやはり怒っているのだろう。このままではディニのためにならない。
(何とかしなくては……)
ディニに番の一人でかまわないと伝えなくては。しかしそう言ったことでますますディニを頑なにしてしまうのではと心配になる。
(それでも、このままではディニ様によくない)
クリュスは腹にクッと力を入れキュマを見た。それからすぅっと息を吸い口を開く。
「キュマ様、いまのお話はどうぞお忘れください。キュマ様がおっしゃるとおり、今回のことは若気の至りなのです。華街の雰囲気に呑まれてしまったがゆえの戯れ言と聞き流し、どうかディニ様にお咎めをくださいませんように」
(どうして伯父の家に……?)
理由は聞いていないがついていくしかない。覚悟はしていたものの、華を辞めてすぐに名家の狼族に会わなくてはいけないということに不安を感じていた。
(……いえ、それも含めて話を受け入れたんです)
早かれ遅かれディニの家族と顔を合わせる日も来るだろう。元華でありアフィーテである自分を受け入れる名家の狼族はまずいない。それを実感するのが少し早まっただけだ。そう思いキュッと唇を引き締める。
ディニと一緒に乗り込んだ馬車は大きな通りを走り、小高い丘へと向かった。「あの屋敷だ」という声に視線を向けると大きく立派な屋敷が目に入る。想像していたよりも由緒正しい雰囲気に、覚悟した気持ちがほんの少し揺れ動いた。
「大丈夫だから」
クリュスの表情に気づいたのかディニが頼もしい声をかける。馬車から降りるときも手を差し伸べ、降りれば背に手を回し気遣うように歩き出した。華街では一度も見なかった大人びた仕草にクリュスの胸がとくんと高鳴る。
(見なかったのは半月ほどの間なのに、随分大人っぽくなったような……)
それとも、以前からこうした雄だったのだろうか。初々しい様子ばかり目に留まっていたからか気づかなかった。初めて感じる雄らしい気配にやや緊張しながら廊下を歩く。
「最初に伯父に紹介しようと思ってたんだ」
そう言ってディニが立ち止まったのは立派な部屋の扉の前だった。緊張しながらも姿勢を正し、ディニに恥をかかせないようにと視線を上げる。そうして入った部屋の奥には立派な服を着た狼族が立っていた。
「この人が伯父のキュマだ」
どことなくディニに似ている。自分よりも随分年上だが、名家の狼族らしい威圧的な気配はまったくない。
「はじめまして。なるほど、ディニが夢中になるのがよくわかる綺麗な子だ」
優しい表情と声色に安堵しながら「クリュスと申します」と頭を下げた。
「一段と小柄なのは、やはりアフィーテだからかな」
アフィーテという言葉に肩が震えた。やはりディニの迷惑になるのではと心配していると、キュマがにこりと微笑む。
「きみがアフィーテだということはディニから聞いているし気にしていないよ。わたし自身、アフィーテに縁がないわけでもないからね」
穏やかな表情に、クリュスは亡くなった伯父を思い出した。名家の狼族にもこのような穏やかな人がいるのかと思いながらもう一度頭を下げる。
(アフィーテに嫌悪感を抱かれていないのはよかったけれど……)
しかし、自分を花嫁にしたいというディニの願いは叶わないだろう。狼族にとって兎族と番う一番の理由は子を成すためであって、とくに名家の後継ぎになろうかというディニの花嫁がアフィーテであってよいはずがない。
(わたしはただ、ディニ様のそばにいられればそれでいいのだから)
番のような日々をしばらく過ごした後はひっそり暮らそうと思っていた。新しい花嫁を迎えた後、邪魔にならないように別の屋敷に移されるのも覚悟している。クリュスは道すがらそんな覚悟をしていた。
「俺はクリュスを番にしたいと思ってる」
案の定だとクリュスは思った。ディニは若いがゆえに情熱のまま動いてしまう。そしてその熱はすぐさま消されてしまうだろう。「そのときはわたしが慰めなくては」と思いながらディニを見た。
「俺はクリュスしかいらない。クリュス以外の花嫁は絶対に迎えない」
続く言葉に水色の目を見開いた。さすがに「他の花嫁はいらない」とまで口にしては大変なことになる。慌てて「ディニ様」と声をかけたが、オレンジ色の目はキュマを睨むように見ていた。
「おまえは若いね」
キュマの言葉に反応したのはクリュスのほうだった。十八歳のディニはいましか見えていない。気の迷いも年長者のキュマには愚かに見えることだろう。「訂正しなくては」とクリュスが口を開くより先にディニが「当然だろ」と答えた。
「だってまだ十八だし」
「たしかに十八は若い。だからこそ見守ってきたが、華折りまで口にし始めたときは驚いたよ。しかもこうして本当に連れて来てしまうとはね」
「だからちゃんと説明しただろ」
ディニがやや荒っぽい声を上げる。それでは駄目だとハラハラしていると、キュマが「まぁ落ち着きなさい」と穏やかにたしなめた。
「なるほど、弟が心配するのもわかる気がするよ」
キュマの言葉にディニがキュッと眉を寄せる。
「親父は俺のことをいつまでも子ども扱いしすぎなんだ。俺だって適齢期を迎えた一人前の雄だ。自分の番は自分で決める」
「そう言ってやるものじゃない。あれにとっておまえは大事な息子の一人だ。ついこの前まではわたしの後継ぎにと考えていたのだから心配もするだろう」
「……わかってる。でも、俺の番だ。俺は一番好きな人とつがいになりたい。それは絶対に譲れない」
「おまえが本気だということはわかっているよ。だからこうしてわたしのところに連れて来たのだろう?」
このままでは大変なことになるとクリュスは思った。キュマはアフィーテによくない印象を抱いていないようだが、ディニの父親はやはり怒っているのだろう。このままではディニのためにならない。
(何とかしなくては……)
ディニに番の一人でかまわないと伝えなくては。しかしそう言ったことでますますディニを頑なにしてしまうのではと心配になる。
(それでも、このままではディニ様によくない)
クリュスは腹にクッと力を入れキュマを見た。それからすぅっと息を吸い口を開く。
「キュマ様、いまのお話はどうぞお忘れください。キュマ様がおっしゃるとおり、今回のことは若気の至りなのです。華街の雰囲気に呑まれてしまったがゆえの戯れ言と聞き流し、どうかディニ様にお咎めをくださいませんように」
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