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花のように4
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半年前、三十を控えたクリュスを初めて指名したのは一回り年下の狼族だった。話を聞いたクリュスは何かの間違いではないかと考えた。いくら元大輪だとしても、そんな若い狼族が自分を指名するはずがない。
(もしかして、アフィーテを試したいということでしょうか……?)
それならわからなくもない。アフィーテは数が少なく、この港街の華街にはクリュスしかいなかった。それならクリュスを指名するのも納得ができる。
「おまえはまた、どうしようもないことを考えているね?」
「スキア?」
「若い客がついたのはアフィーテが珍しいからだと思っているんだろう?」
「違いますか?」
そう答えたクリュスにスキアは大きなため息をついた。
「おまえはアフィーテでなくとも華として十分美しい。小柄な姿とは裏腹に表情は凜としていて、水色の目は見る者をハッとさせる清々しさがある。そこに笑顔があれば、随分と華やかに見えるはずなんだけどねぇ」
「笑顔ならきちんと見せるようにしていますよ?」
「あぁ、違う違う、華としての笑顔じゃない。おまえ自身の笑顔のことだよ。こうして仕事でないときは華としての笑顔さえ見せやしない。もったいないねぇ」
それには何も答えられなかった。
クリュスは昔から人に笑顔を向けるのが苦手だった。自分の笑顔を両親が喜ばなかったことから始まり、仲間であるはずの兎族から「卑しい笑顔で媚びている」と言われてからはとくに苦手になった。
それでも華街の華となってからは努めて笑顔を浮かべるように気をつけている。それが客に夢を見せる華としての自分の役目だとわかっているからだ。
(そういえば昔、北の館の大輪に作り物のような笑顔だと言われたことがありましたっけ)
あのときはどういう意味か理解できなかった。いまも本物の笑顔と自分の笑顔に違いがあるのかよくわからないでいる。
「まぁいいさ。客はおまえのような幼く華奢な体とおとなびた微笑みに満足している。おかげでおまえはこの東の館の大輪にまで上り詰めた。いまでも“伝説の玲瓏の華”と呼ばれているくらいだ」
「それは過去のことですよ」
クリュスが大輪だったとき、いつの間にか客の間で広がっていた呼び名が玲瓏の華だった。誰が呼び始めたのかはわからないが、その名は遠くまで伝わり、当時はあちこちからクリュスを指名するための客がやって来た。それもいまとなっては懐かしい思い出になりつつある。
「今日の客はキュマ様の甥御にあたる狼族だ。それをことさら気にする必要はないが、まだ若いからね。優しく接しておやり」
「わかりました」
年は十八だと聞いている。おそらく適齢期を迎えたばかりなのだろう。そんな大人になったばかりの、しかも名家の狼族が華街に来るということは、やはり好奇心ゆえのことに違いない。
(やっぱりアフィーテが珍しいからでしょうね)
過剰に期待した結果、年のいったアフィーテで残念がるかもしれない。そう考えたクリュスは、もてなすための飲み物や菓子、果物をたっぷりと用意して若い客を迎えた。
部屋に現れた狼族は想像していたよりも若く見えた。灰色の毛は美しくオレンジの瞳も強く光っている。「さすがは名家の狼族だ」と感心していると、オレンジの目がうろうろとさまよい始めた。
「どうぞおかけになってください」
「……あぁ」
ぶっきらぼうな返事なのは緊張しているからだろう。「もしかして行為自体が初めてなのかもしれない」と思いながら果実水を勧める。
「あ、ありがとう」
目の前にグラスを置くと、上ずった声で礼を言い一気に飲み干した。あまりに慌てて飲んだからかゴホゴホと咳き込んでいる。
「大丈夫ですか?」
「ゴホッ、ゴホゴホッ、だい、じょうぶ、だ」
なおも咳き込む背中を優しく撫でる。そうしながら「ところで、どうして華街に?」とさり気なく尋ねた。
「……っ」
途端に狼族の顔が真っ赤になった。うろうろと視線をさまよわせ、グラスを持つ手にも力が籠もったのが見て取れる。クリュスは「来たくて来たわけじゃないのだろうか」と疑問を抱いた。
華街は総じて金がかかる。とくに華を一晩買うとなると、いくら枯れゆく華のクリュスとはいえそれなりの金を支払ったはずだ。それなのに目の前の狼族からは下心や欲望といったものをあまり感じない。全面に出ているのは緊張ばかりで、思わず「かわいいな」と思ってしまったほどだ。
「もしかしてよけいなことを尋ねてしまいましたか?」
そう口にすると「いや、問題ない」と返ってきた。
「その……じつは仲間にそそのかされたというか何というか……」
「そそのかされた?」
一度ぎゅっと引き締めた狼族の口が再び開く。
「適齢期にはなったんだけど、その、まだ一度もしたことがなくて……」
顔を逸らしながら「まだ経験がないのかって馬鹿にされて、それでここに来たんだ」と口にした。
あまりにかわいらしい理由に、クリュスは思わずぽかんとしてしまった。これまでの客とはまったく違う理由と様子に段々と胸がくすぐったくなっていく。思わず「弟がいたらこんな感じだったのかもしれない」と思いながら、グラスを握り締めている手にそっと触れた。
「そうでしたか。それでは、まずはそういったお話でもしましょうか」
「話……?」
「ここは華街ですから、外の方々が知らないであろう褥の話がたくさんあります。きっとお仲間の誰もご存じない話でしょう。それを聞かせて差し上げますから、自慢げに話されてみてはいかがですか?」
クリュスの言葉にオレンジ色の目が見開いた。そうして照れくさそうな笑みを浮かべる。
「東の館にいるアフィーテは優しいと聞いたんだけど、本当だったんだな。指名してよかった」
「ありがとうございます」
「俺はディニ。港がよく見える丘の上に住んでいる」
「クリュスです。どうぞご贔屓ください」
華としての文言を口にすると、ディニは嬉しそうに頷いた。
(もしかして、アフィーテを試したいということでしょうか……?)
それならわからなくもない。アフィーテは数が少なく、この港街の華街にはクリュスしかいなかった。それならクリュスを指名するのも納得ができる。
「おまえはまた、どうしようもないことを考えているね?」
「スキア?」
「若い客がついたのはアフィーテが珍しいからだと思っているんだろう?」
「違いますか?」
そう答えたクリュスにスキアは大きなため息をついた。
「おまえはアフィーテでなくとも華として十分美しい。小柄な姿とは裏腹に表情は凜としていて、水色の目は見る者をハッとさせる清々しさがある。そこに笑顔があれば、随分と華やかに見えるはずなんだけどねぇ」
「笑顔ならきちんと見せるようにしていますよ?」
「あぁ、違う違う、華としての笑顔じゃない。おまえ自身の笑顔のことだよ。こうして仕事でないときは華としての笑顔さえ見せやしない。もったいないねぇ」
それには何も答えられなかった。
クリュスは昔から人に笑顔を向けるのが苦手だった。自分の笑顔を両親が喜ばなかったことから始まり、仲間であるはずの兎族から「卑しい笑顔で媚びている」と言われてからはとくに苦手になった。
それでも華街の華となってからは努めて笑顔を浮かべるように気をつけている。それが客に夢を見せる華としての自分の役目だとわかっているからだ。
(そういえば昔、北の館の大輪に作り物のような笑顔だと言われたことがありましたっけ)
あのときはどういう意味か理解できなかった。いまも本物の笑顔と自分の笑顔に違いがあるのかよくわからないでいる。
「まぁいいさ。客はおまえのような幼く華奢な体とおとなびた微笑みに満足している。おかげでおまえはこの東の館の大輪にまで上り詰めた。いまでも“伝説の玲瓏の華”と呼ばれているくらいだ」
「それは過去のことですよ」
クリュスが大輪だったとき、いつの間にか客の間で広がっていた呼び名が玲瓏の華だった。誰が呼び始めたのかはわからないが、その名は遠くまで伝わり、当時はあちこちからクリュスを指名するための客がやって来た。それもいまとなっては懐かしい思い出になりつつある。
「今日の客はキュマ様の甥御にあたる狼族だ。それをことさら気にする必要はないが、まだ若いからね。優しく接しておやり」
「わかりました」
年は十八だと聞いている。おそらく適齢期を迎えたばかりなのだろう。そんな大人になったばかりの、しかも名家の狼族が華街に来るということは、やはり好奇心ゆえのことに違いない。
(やっぱりアフィーテが珍しいからでしょうね)
過剰に期待した結果、年のいったアフィーテで残念がるかもしれない。そう考えたクリュスは、もてなすための飲み物や菓子、果物をたっぷりと用意して若い客を迎えた。
部屋に現れた狼族は想像していたよりも若く見えた。灰色の毛は美しくオレンジの瞳も強く光っている。「さすがは名家の狼族だ」と感心していると、オレンジの目がうろうろとさまよい始めた。
「どうぞおかけになってください」
「……あぁ」
ぶっきらぼうな返事なのは緊張しているからだろう。「もしかして行為自体が初めてなのかもしれない」と思いながら果実水を勧める。
「あ、ありがとう」
目の前にグラスを置くと、上ずった声で礼を言い一気に飲み干した。あまりに慌てて飲んだからかゴホゴホと咳き込んでいる。
「大丈夫ですか?」
「ゴホッ、ゴホゴホッ、だい、じょうぶ、だ」
なおも咳き込む背中を優しく撫でる。そうしながら「ところで、どうして華街に?」とさり気なく尋ねた。
「……っ」
途端に狼族の顔が真っ赤になった。うろうろと視線をさまよわせ、グラスを持つ手にも力が籠もったのが見て取れる。クリュスは「来たくて来たわけじゃないのだろうか」と疑問を抱いた。
華街は総じて金がかかる。とくに華を一晩買うとなると、いくら枯れゆく華のクリュスとはいえそれなりの金を支払ったはずだ。それなのに目の前の狼族からは下心や欲望といったものをあまり感じない。全面に出ているのは緊張ばかりで、思わず「かわいいな」と思ってしまったほどだ。
「もしかしてよけいなことを尋ねてしまいましたか?」
そう口にすると「いや、問題ない」と返ってきた。
「その……じつは仲間にそそのかされたというか何というか……」
「そそのかされた?」
一度ぎゅっと引き締めた狼族の口が再び開く。
「適齢期にはなったんだけど、その、まだ一度もしたことがなくて……」
顔を逸らしながら「まだ経験がないのかって馬鹿にされて、それでここに来たんだ」と口にした。
あまりにかわいらしい理由に、クリュスは思わずぽかんとしてしまった。これまでの客とはまったく違う理由と様子に段々と胸がくすぐったくなっていく。思わず「弟がいたらこんな感じだったのかもしれない」と思いながら、グラスを握り締めている手にそっと触れた。
「そうでしたか。それでは、まずはそういったお話でもしましょうか」
「話……?」
「ここは華街ですから、外の方々が知らないであろう褥の話がたくさんあります。きっとお仲間の誰もご存じない話でしょう。それを聞かせて差し上げますから、自慢げに話されてみてはいかがですか?」
クリュスの言葉にオレンジ色の目が見開いた。そうして照れくさそうな笑みを浮かべる。
「東の館にいるアフィーテは優しいと聞いたんだけど、本当だったんだな。指名してよかった」
「ありがとうございます」
「俺はディニ。港がよく見える丘の上に住んでいる」
「クリュスです。どうぞご贔屓ください」
華としての文言を口にすると、ディニは嬉しそうに頷いた。
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