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4 竜の化身
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「ええと、ほうじゅというのは……?」
そう尋ねると、竜妃様が自分の胸のあたりを指さした。
「すみません。どういうことかわかりません」
わたしの言葉に今度は竜妃様のほうがきょとんとする。「何を言っているのかわからない」といった表情でしばらくわたしを見た後、長椅子から立ち上がって棚をゴソゴソと漁り出した。そうして一冊の書物を手に取り「はい」と手渡してくる。
書物の表には「竜」の文字が書かれていた。わかったのはそれだけで、パラパラとめくったものの中身は文字ばかりだから読める部分はない。
(せめて挿絵でもあったらよかったのに)
残念ながらわたしは字が読めない。字を学んだこともない。絵なら何となく理解できても読めないものから何かを知ることはできなかった。
「すみません、字は読めないんです」
そう答えながら「きっと驚くだろうな」と思った。同時に蔑まれるに違いないと覚悟した。
下女ならまだしも、字が読めない侍女なんて後宮どころか商家にも存在しない。そんな侍女をあてがわれたとわかれば不快に思うはずだ。「自分で望んでここに来たわけじゃないんだけど」と思いながら書物をテーブルに置くと「わたしも」という意外な言葉が返ってきた。
「はい?」
「わたしも字はわからない」
「……はい?」
「これはわからない」
「これ」と言いながら指をさしているのは書物だ。
「いやいや、竜妃様なんですから読めないわけないでしょう。あ、もしかしてわたしに気を遣ってます? そんなことしてもらわなくてもいいですよ」
「……きをつかう?」
不思議そうな表情に「まさか」と思った。もしかして本当に字が読めないのだろうか。
竜妃様は竜の化身と言われているけれど、本当はどこかの姫なんじゃないかと思っていた。後宮で聞いたどの話もそんな感じだったし、姫じゃなくても神に仕える巫女か何かだろうと思った。
そういう人なら竜妃様になるためにいろんなことを学んでいるはずだ。それなのに字が読めないなんてあり得るだろうか。
「これに書いてあるって、言ってたから」
「もしかして、前にここにいた侍女がそう言ったんですか?」
少し考えた竜妃様が、黒髪を揺らしながらこくりと頷いた。
(なるほど、そういうことか)
この書物には、おそらく竜妃様に関係することが書かれているのだろう。そこには「ほうじゅ」というものについても書いてあり、それが竜妃様の中にあるから食事はいらないとでも言ったに違いない。
字が読めない竜妃様は言われた言葉を信じるしかない。そもそも字が読めないのだから、本当に竜妃様のことが書かれている書物かもわからない。
(一体どんな侍女が仕えてたんだろう)
そう思いながら竜妃様を見た。たどたどしい言葉遣いもさることながら、服の上からでもわかる痩せた体が気になる。どちらも満足に食事をしていないせいじゃないだろうか。そう思った途端にお腹の奥がカッと熱くなった。
わたしが生まれ育った場所は、帝都の外れながらたくさんの人たちが住む賑やかな街だった。帝都の中心地から馬で半日かかならい距離だからか、異国の人たちも混じって大勢が行き交っていた。しかし賑やかなのは表だけで、一歩裏に入れば荒ら屋にやせ細った人たちが山のようにいた。
あそこでは食べることが何よりも優先された。食べることは生きることであり、食べない者には死が訪れる。子どもも大人も老人も、日々食べることだけを考え食べることに必死だった。
しかしここは後宮だ。それに竜妃様は皇帝陛下の一番大事な妃でもある。それなのにあの街の人たちと同じ状況かもしれなかったなんて意味がわからない。しかも侍女がそうなるようにそそのかしていたのだ。
(……手なんてわたしよりずっと細いじゃない)
よく見れば首も細い。服を着ているからわからないものの、裸になればあばら骨が浮いているんじゃないだろうか。
(こういうのを嫌がらせっていうんだ)
後宮では下女や侍女の間で嫌がらせをしたりされたりすることがある。それでも宮の主である妃がそんな目に遭うことはなかった。妃同士ならなくはないかもしれないけれど、こんな竜妃様がほかの妃に嫌がらせをされるような立場だとは思えない。
竜妃様がいつから後宮にいるのかは知らない。でも、来たときからそういう扱いを受けていたのだとしたら……。
(字が読めないのも、もしかして教えてもらえなかったからとか……?)
小さいときから後宮にいて、誰にも何も教えてもらっていなかったということだろうか。
不意に近所にいた子どもたちを思い出した。貧しかったけれどみんな竜妃様よりよほどはつらつとしていた。笑ったり泣いたり怒ったり、生きている感じが全身から感じられた。それなのに後宮でもっとも尊いと言われている竜妃様はぼんやりした表情ばかりで、ちっとも幸せそうに見えない。
(しかも、ろくでもない嫌がらせをされてたかもしれないなんて)
わたしは拳をグッと握りしめならが口を開いた。
「竜妃様、食べましょう。人は食べないと死んでしまいます。いくら現人神の竜妃様でも生きていけるはずがありません」
わたしの言葉に竜妃が再びきょとんとした。それから膳を見て、またわたしの顔を見る。
「見た目はこんなですが、味は決して悪くはありません。ちょっと素朴すぎるかもしれませんけど、いい食材を使ってるんでおいしいですよ」
竜妃様が再び膳を見た。視線を蒸し鶏に向けながら「竜も食べるのかな」と口にする。
「そりゃあ竜だって生きているんだから食べるでしょう。っていうか、竜妃様は竜の化身ですけど人なんですから食べないと」
「……違う」
「はい?」
「人じゃないから」
「え?」
何を言っているんだろう。意味がわからず首を傾げると、竜妃様が濃紺色の服の襟元をくいっと引っ張った。露わになったのは細い鎖骨で明らかに骨が浮き出ている。「やっぱり満足に食べてなかったんだ」と顔をしかめていると、肌がきらりと光っていることに気がついた。
「白粉?」
一瞬、白粉や化粧の類いかと思った。それにしては妙な光り方をしている。それによく見ると模様のようなものも浮かんでいた。どこかで見たような気がするけれど思い出せない。
(どこで見たんだっけな……)
気がつくと竜妃様の肌にグッと顔を近づけていた。そのまま至近距離で白い肌を食い入るように見つめる。
「……もしかして鱗?」
そうだ、これは魚の鱗だ。透明で光に当てるとキラキラ光る魚の鱗が何枚もくっついているように見える。しかも一枚一枚が魚の鱗より少し大きい。
(いやいや、まさか)
鱗が生えている人なんて聞いたことがない。そう思いながらも、どうしても気になって指でそっと触ってみた。
(つるつるしてる)
明らかに肌とは違う感触に慌てて指を離した。触ったところをじっと見てから、もう一度そっと撫でる。そのまま指を滑らせるように動かすと鱗の境目のような部分があることもわかった。見ただけじゃよくわからないけれど、何枚もの透明な鱗が重なっているに違いない。
指を離して改めて肌を見た。よほど近くで見ない限り鱗だとは気づかない。光っていなければ違和感もないだろう。
「……あ」
自分がまるで舐るように肌を見ていることに気がついた。しかも無礼としか言いようがないほど何度も指で触っている。さすがに怒られるかと思いながら「すみません」と数歩下がって頭を下げた。
ところが竜妃様は怒ることもなく「ね?」と確認するように声をかけてきた。顔を上げると相変わらず首を傾げながらわたしを見ている。
「ええと……その肌にあるのは鱗ですか?」
「たぶん」
「たぶんって」
「竜になったの、初めてだから」
「……はい?」
「最初は蛇で、保存食って言われたけど、光る珠に触ったら、おまえは竜だって」
意味がわからなかった。それでも「蛇」と「保存食」という言葉から「蛇を保存食にする人もいなくはないか」と思った。もしかしたら竜妃様もそういう家に生まれたのかもしれない。
(わたしも散々蛇の肉を食べてきたし)
……いや、さすがにそういう話じゃないだろう。「蛇」と「保存食」に「おまえは竜だ」の言葉が続く意味がわからない。
露わになったままの鎖骨辺りをもう一度見た。近づかなければ人の肌っぽく見える。それなのにそばで見ると鱗のようで、触れると肌とは明らかに違う感触がした。
(そういえば竜にも鱗があるんだっけ)
竜の鱗という怪しい薬を売る人を見たことがある。それに竜の逆鱗という言葉があるくらいだから、きっと竜には鱗があるに違いない。
まさかと思いつつ、竜妃様の顔を見た。念を押すように再び「ね?」と言われ、もう一度肌を見る。
「ええと、つまり竜妃様は本物の竜ってことですか?」
わたしの質問に竜妃様がこくりと頷いた。
そう尋ねると、竜妃様が自分の胸のあたりを指さした。
「すみません。どういうことかわかりません」
わたしの言葉に今度は竜妃様のほうがきょとんとする。「何を言っているのかわからない」といった表情でしばらくわたしを見た後、長椅子から立ち上がって棚をゴソゴソと漁り出した。そうして一冊の書物を手に取り「はい」と手渡してくる。
書物の表には「竜」の文字が書かれていた。わかったのはそれだけで、パラパラとめくったものの中身は文字ばかりだから読める部分はない。
(せめて挿絵でもあったらよかったのに)
残念ながらわたしは字が読めない。字を学んだこともない。絵なら何となく理解できても読めないものから何かを知ることはできなかった。
「すみません、字は読めないんです」
そう答えながら「きっと驚くだろうな」と思った。同時に蔑まれるに違いないと覚悟した。
下女ならまだしも、字が読めない侍女なんて後宮どころか商家にも存在しない。そんな侍女をあてがわれたとわかれば不快に思うはずだ。「自分で望んでここに来たわけじゃないんだけど」と思いながら書物をテーブルに置くと「わたしも」という意外な言葉が返ってきた。
「はい?」
「わたしも字はわからない」
「……はい?」
「これはわからない」
「これ」と言いながら指をさしているのは書物だ。
「いやいや、竜妃様なんですから読めないわけないでしょう。あ、もしかしてわたしに気を遣ってます? そんなことしてもらわなくてもいいですよ」
「……きをつかう?」
不思議そうな表情に「まさか」と思った。もしかして本当に字が読めないのだろうか。
竜妃様は竜の化身と言われているけれど、本当はどこかの姫なんじゃないかと思っていた。後宮で聞いたどの話もそんな感じだったし、姫じゃなくても神に仕える巫女か何かだろうと思った。
そういう人なら竜妃様になるためにいろんなことを学んでいるはずだ。それなのに字が読めないなんてあり得るだろうか。
「これに書いてあるって、言ってたから」
「もしかして、前にここにいた侍女がそう言ったんですか?」
少し考えた竜妃様が、黒髪を揺らしながらこくりと頷いた。
(なるほど、そういうことか)
この書物には、おそらく竜妃様に関係することが書かれているのだろう。そこには「ほうじゅ」というものについても書いてあり、それが竜妃様の中にあるから食事はいらないとでも言ったに違いない。
字が読めない竜妃様は言われた言葉を信じるしかない。そもそも字が読めないのだから、本当に竜妃様のことが書かれている書物かもわからない。
(一体どんな侍女が仕えてたんだろう)
そう思いながら竜妃様を見た。たどたどしい言葉遣いもさることながら、服の上からでもわかる痩せた体が気になる。どちらも満足に食事をしていないせいじゃないだろうか。そう思った途端にお腹の奥がカッと熱くなった。
わたしが生まれ育った場所は、帝都の外れながらたくさんの人たちが住む賑やかな街だった。帝都の中心地から馬で半日かかならい距離だからか、異国の人たちも混じって大勢が行き交っていた。しかし賑やかなのは表だけで、一歩裏に入れば荒ら屋にやせ細った人たちが山のようにいた。
あそこでは食べることが何よりも優先された。食べることは生きることであり、食べない者には死が訪れる。子どもも大人も老人も、日々食べることだけを考え食べることに必死だった。
しかしここは後宮だ。それに竜妃様は皇帝陛下の一番大事な妃でもある。それなのにあの街の人たちと同じ状況かもしれなかったなんて意味がわからない。しかも侍女がそうなるようにそそのかしていたのだ。
(……手なんてわたしよりずっと細いじゃない)
よく見れば首も細い。服を着ているからわからないものの、裸になればあばら骨が浮いているんじゃないだろうか。
(こういうのを嫌がらせっていうんだ)
後宮では下女や侍女の間で嫌がらせをしたりされたりすることがある。それでも宮の主である妃がそんな目に遭うことはなかった。妃同士ならなくはないかもしれないけれど、こんな竜妃様がほかの妃に嫌がらせをされるような立場だとは思えない。
竜妃様がいつから後宮にいるのかは知らない。でも、来たときからそういう扱いを受けていたのだとしたら……。
(字が読めないのも、もしかして教えてもらえなかったからとか……?)
小さいときから後宮にいて、誰にも何も教えてもらっていなかったということだろうか。
不意に近所にいた子どもたちを思い出した。貧しかったけれどみんな竜妃様よりよほどはつらつとしていた。笑ったり泣いたり怒ったり、生きている感じが全身から感じられた。それなのに後宮でもっとも尊いと言われている竜妃様はぼんやりした表情ばかりで、ちっとも幸せそうに見えない。
(しかも、ろくでもない嫌がらせをされてたかもしれないなんて)
わたしは拳をグッと握りしめならが口を開いた。
「竜妃様、食べましょう。人は食べないと死んでしまいます。いくら現人神の竜妃様でも生きていけるはずがありません」
わたしの言葉に竜妃が再びきょとんとした。それから膳を見て、またわたしの顔を見る。
「見た目はこんなですが、味は決して悪くはありません。ちょっと素朴すぎるかもしれませんけど、いい食材を使ってるんでおいしいですよ」
竜妃様が再び膳を見た。視線を蒸し鶏に向けながら「竜も食べるのかな」と口にする。
「そりゃあ竜だって生きているんだから食べるでしょう。っていうか、竜妃様は竜の化身ですけど人なんですから食べないと」
「……違う」
「はい?」
「人じゃないから」
「え?」
何を言っているんだろう。意味がわからず首を傾げると、竜妃様が濃紺色の服の襟元をくいっと引っ張った。露わになったのは細い鎖骨で明らかに骨が浮き出ている。「やっぱり満足に食べてなかったんだ」と顔をしかめていると、肌がきらりと光っていることに気がついた。
「白粉?」
一瞬、白粉や化粧の類いかと思った。それにしては妙な光り方をしている。それによく見ると模様のようなものも浮かんでいた。どこかで見たような気がするけれど思い出せない。
(どこで見たんだっけな……)
気がつくと竜妃様の肌にグッと顔を近づけていた。そのまま至近距離で白い肌を食い入るように見つめる。
「……もしかして鱗?」
そうだ、これは魚の鱗だ。透明で光に当てるとキラキラ光る魚の鱗が何枚もくっついているように見える。しかも一枚一枚が魚の鱗より少し大きい。
(いやいや、まさか)
鱗が生えている人なんて聞いたことがない。そう思いながらも、どうしても気になって指でそっと触ってみた。
(つるつるしてる)
明らかに肌とは違う感触に慌てて指を離した。触ったところをじっと見てから、もう一度そっと撫でる。そのまま指を滑らせるように動かすと鱗の境目のような部分があることもわかった。見ただけじゃよくわからないけれど、何枚もの透明な鱗が重なっているに違いない。
指を離して改めて肌を見た。よほど近くで見ない限り鱗だとは気づかない。光っていなければ違和感もないだろう。
「……あ」
自分がまるで舐るように肌を見ていることに気がついた。しかも無礼としか言いようがないほど何度も指で触っている。さすがに怒られるかと思いながら「すみません」と数歩下がって頭を下げた。
ところが竜妃様は怒ることもなく「ね?」と確認するように声をかけてきた。顔を上げると相変わらず首を傾げながらわたしを見ている。
「ええと……その肌にあるのは鱗ですか?」
「たぶん」
「たぶんって」
「竜になったの、初めてだから」
「……はい?」
「最初は蛇で、保存食って言われたけど、光る珠に触ったら、おまえは竜だって」
意味がわからなかった。それでも「蛇」と「保存食」という言葉から「蛇を保存食にする人もいなくはないか」と思った。もしかしたら竜妃様もそういう家に生まれたのかもしれない。
(わたしも散々蛇の肉を食べてきたし)
……いや、さすがにそういう話じゃないだろう。「蛇」と「保存食」に「おまえは竜だ」の言葉が続く意味がわからない。
露わになったままの鎖骨辺りをもう一度見た。近づかなければ人の肌っぽく見える。それなのにそばで見ると鱗のようで、触れると肌とは明らかに違う感触がした。
(そういえば竜にも鱗があるんだっけ)
竜の鱗という怪しい薬を売る人を見たことがある。それに竜の逆鱗という言葉があるくらいだから、きっと竜には鱗があるに違いない。
まさかと思いつつ、竜妃様の顔を見た。念を押すように再び「ね?」と言われ、もう一度肌を見る。
「ええと、つまり竜妃様は本物の竜ってことですか?」
わたしの質問に竜妃様がこくりと頷いた。
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