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「本当にやってねぇんだろうな」
「だから、やってないって昨夜もメッセージ送っただろ」
「下半身においておまえはまったく信用できない」
「失礼な奴だな。三春くんに関して俺は賢者タイムにならなくても賢者になれる男だよ」
帰宅してから慎兄さんと二海兄さんがずっと言い争っている。きっと僕が慎兄さんの部屋に泊まったからだ。
(ちゃんとメッセージ送ったのに)
昨日、僕は慎兄さんと恋人になった。部屋に行ってお互いに好きだって確認して、初めてのキスもした。そのまま夕飯を食べて部屋に泊まったんだけど、それだってちゃんと報告してある。
(壱夜兄さんからは返事、来なかったけどさ)
少なくとも二海兄さんは駄目だなんて言わなかった。それに「慎兄さんと恋人になりました」って報告もした。それに対する反応は何もなかったけど、二人に心配かけないようにいつだってちゃんと報告も連絡もしている。
(もしかして、メッセージで恋人ができたって伝えたのが悪かったとか……?)
でも、早く二人に伝えたかったんだ。
(それに僕が慎兄さんをずっと好きだったってこと、二人だって薄々気づいてただろうし)
兄さんたちに言ったことはなかったけど、僕のことならなんでも気づく二人だから知らないはずがない。それでも何も言わなかったのは見守ってくれていたからだとばかり思っていたんだけど、僕の勘違いだったんだろうか。
(でもさ、もし駄目なら泊まるって送ったときに駄目って送ってくるよね?)
それなのに、お昼過ぎに帰宅したら二海兄さんが怖い顔をして待ち構えていた。そうして車で送ってくれた慎兄さんを「おい」と低い声で呼び止めて、それから「やったのか」「やってない」という言い合いをずっとくり返している。
(そういえば前にもこんなふうになってるの、見たことあったっけ)
随分前だけど、一度だけ言い争っている二人を見たことがあった。あのときは「まだ小学生だぞ」と二海兄さんが怒っていて、それに慎兄さんが「手を出すわけないだろ」と言い返していた。それから少しして慎兄さんは赤色が混じった髪になり、そのまま都会に行ってしまった。
そんなことを思い出していた僕を、くるりと振り返った二海兄さんが睨むように見る。
「三春、ケツは痛くないんだな?」
「え? お尻? 別に痛くないけど……」
そう答えたら、大きなため息をついた二海兄さんがまた慎兄さんを見た。
「ったく、兄貴といい三春といい、ろくでもない男に好かれやがって」
「俺と靜佳を一緒にしないでほしいな」
「一緒だろ」
「靜佳はけだものだよ? 我慢できなくなって高校に入ってすぐ壱夜さんを襲うような奴と一緒にされたくないね」
「キスだけだけどな」
「俺は昨日までキスすら我慢してたんだ。俺のほうがずっと紳士じゃないか」
「どの口が言いやがる。ランドセル背負った子どもに欲情した時点でアウトだ」
「欲情じゃない、好きになっただけだ。誰に恋をするかは俺の自由だろ?」
「あー、わかったわかった! 好きになるのに年齢なんて関係ないって話だろ。はいはい、これまで手を出さなかったことだけは褒めてやる」
「おまえに褒められるなんて気持ち悪い」
「なんだとコラ」
いつもよりずっと低い二海兄さんの声にビクッとしたのは僕だけで、慎兄さんはずっと微笑んだままだ。
(もしかしてケンカじゃない……?)
言い争っているものの、なんとなくケンカじゃないように見えてきた。二人は親友だからケンカすることもあるんだろうけど、できればケンカはしてほしくない。大好きな慎兄さんと二海兄さんがケンカしているのを見ると悲しくなる。「どうか早く仲直りしますように」と願いながら様子を窺っていると、二海兄さんが「三春、本当にこいつでいいのか?」と言いながらまた振り返った。
「え? なにが?」
「彼氏だよ。本当にこいつが彼氏でいいのかって聞いてんだ」
二海兄さんの言葉に顔がカァァと赤くなった。
「かか、か、彼氏……」
「彼氏じゃないのか?」
「か、彼氏だよ!」
口にするのはまだ恥ずかしいけど、慎兄さんと僕は恋人同士だから彼氏で間違いない。
「僕はずっと慎兄さんが好きだったし、慎兄さんも、その、僕のこと好きだって言ってくれたんだ。だから、か、彼氏だし」
「……はぁぁ。こんな三春を慎太郎にって考えるだけで頭が痛くなる」
「三春くんをこんなふうに育てたのは二海たちだろ? 大事にしすぎて箱の中に入れ続けた結果だ。まぁ、おかげで俺は三春くんのいろいろな初めてをもらうことができるわけだけど」
「そういうとこだよ!」
二海兄さんが慎兄さんの後頭部をベシッと叩いた。叩かれた慎兄さんは、なぜか「そういう意味では感謝してる」と言いながら笑っている。それをギロッと睨みつけた二海兄さんも、最後は呆れたように少しだけ笑った。
「ま、三春が幸せなら俺はそれでいいけどな。三春、親父にもちゃんと知らせておけよ」
「うん、わかってる」
普通の家なら、男の僕に男の恋人ができたなんて話したらきっと驚くだろう。でも、父さんなら大丈夫だと確信していた。
十年くらい前、壱夜兄さんと靜佳が付き合い始めたときも一番に祝福したのは父さんだった。父さんは男同士でも気にならないみたいで、僕たちは家族全員で壱夜兄さんたちのことを応援してきた。
(だって二人が本当に好きあってるの、僕にだってわかるくらいだもんな。それで応援しないなんて選択肢はない)
たまにケンカするみたいだけど、それも含めて二人は素敵なカップルだと思う。そんな二人を見守ってきた父さんなら僕と慎兄さんのことも応援してくれるはず。
「親父はボロ泣きするだろうから可愛い三春の写真を送ってやるとして、兄貴の絶対零度はいつ溶けるかなぁ」
「絶対零度?」
「カッチカチに凍りついてるから部屋から出て来ないんだよ。メッセージだって無視しまくってるだろ? 兄貴、三春のこと自分の息子くらい大事に思ってるからなぁ。親父と一緒に『三春まで嫁に行くなんて』って絶対に泣くぞ」
「さすがにそんなことはないと思うけど……」
そもそも僕は男だし嫁に行くわけじゃない。だからそんなことはないと思っているけど、壱夜兄さんが靜佳と付き合い始めたとき父さんはたしかに泣いていた。突然帰国して、毎日「壱夜がお嫁さんかぁ、寂しくなるなぁ」と目に涙を浮かべていたのを思い出す。
「親父、兄貴のときも『嫁に行くのはまだ早い』とか言ってたしな」
「だから、僕はお嫁に行くわけじゃないってば」
そう答えながら、つい“お嫁に行く自分”を想像してしまった。……思ったよりも悪くない気がする。
(って、なに考えてるんだよ!)
慌ててブンブンと頭を振ると、慎兄さんに「可愛い」と頭を撫でられた。その手をペシッと叩いた二海兄さんが「可愛いのは当然だ」なんて文句を言い始める。よくわからないけど、二人はやっぱり仲がいい親友なんだなと思った。
こうして僕は初恋の、そしてずっと好きだった慎兄さんの恋人になった。しばらくは夢なんじゃないかと思ったりもしたけど、何度も部屋に行ったりデートしたりしているうちにようやく実感できるようになってきた。
(でも、本当に僕でいいのかな)
慎兄さんは毎日「好きだよ」と言ってくれるけど、やっぱり少しだけ不安に思うときもある。だって、かっこいい慎兄さんの隣にいるのが僕なんかでいいのかやっぱり気になるんだ。
最初の頃はデートのたびに周りの目が気になった。慎兄さんの隣に田舎者の僕がいたら笑われるんじゃないかと何度も思った。僕のせいで慎兄さんまで変な目で見られたらどうしようと落ち着かなかった。
(あからさまにそういう目で見られることはないけどさ)
今日も二人並んでショッピングモールを歩いたけど、ヒソヒソ話をされたり指をさされたりすることはなかった。たまに女の子たちが「きゃあ!」なんて黄色い声を上げたりするけど、慎兄さんのかっこよさに思わず声が出てしまうのはよくわかる。
(僕だって毎日心の中で悲鳴上げてるくらいだし)
そんな慎兄さんはデートのとき、とんでもなくかっこいい。服とか髪型もだけど、なんていうか表情がかっこよくて大変だった。僕は毎回心臓が耐えられるか心配になってしまう。
(僕もちょっとはマシになってるといいんだけど……)
そんなことを思いながら自分の格好を改めて見下ろす。今日着ている服は二海兄さんと優美ちゃんが選んでくれたもので、自分では絶対に選ばない明るい色だ。これまであまり着たことがない色味だからか気になって仕方がない。
優美ちゃんは、僕に彼氏ができたと聞いてから「めっちゃ可愛くしてあげる!」なんて言って化粧水なんかを持ってきてくれた。冬の間だけ小さい頃から使っているクリームを塗るくらいだった僕は、毎日優美ちゃんに言われるまま化粧水やクリームを使うようになった。週末は優美ちゃんと一緒にパックというのもやっている。
(ちょっとはいい感じになってきてると思うんだけど、どうかなぁ)
肌はつるつるのすべすべになった。服も前よりお洒落になった気がする。これなら慎兄さんの隣にいても変じゃないと思うけど……実際はどうなんだろう。
そんなことをつらつら考えながらスマホの画面をじっと見る。
「三春くん、今日は泊まれそう?」
「うーん……やっぱり返事、来てません」
メッセージは出かける前に送った。デート中も確認して、帰宅してからも何度も見ているけど返事は来ていない。
恋人になったその日に外泊したからか、あの日以来僕は慎兄さんの部屋に泊まることができないでいた。理由は壱夜兄さんが許してくれないからだ。
(慎兄さんに迷惑をかけるって心配してるんだろうなぁ)
少し前の僕だったら同じ心配をしていたと思う。でも、僕はもう以前の僕じゃない。僕だって少しずつ成長しているんだ。
慎兄さんと恋人になってからというもの、僕はいろんなことにチャレンジするようになった。一番に始めたのは自分の部屋の掃除で、いまでは外で仕事をしている慎兄さんに代わって慎兄さんの部屋の掃除もやっている。ほかにタグを見て洗濯することもできるようになったし、買い物もうまくできるようになった。
(いまじゃ壱夜兄さんとポイントの話だってできるしね)
スーパーの行き帰りで知らない人に声をかけられることもあるけど、勧誘されてもちゃんと断っている。
(そもそもあれは幼稚園生のときの話なんだし、あの頃の僕と同じだなんて思わないでほしい)
幼稚園生のとき、知らない人に声をかけられた僕はフラフラとついていってしまったことがあった。兄さんたちはそのことが忘れられないらしく、小学生になってからも学校の友達と遊びに行くことをなかなか許してくれなかった。中学や高校のときも門限があり、おかげで友達と放課後寄り道することもほとんどなかった。
でも、僕はもう二十二歳の大人だ。幼稚園生のときのままじゃない。腕を掴まれたとしても振りほどけばいいし、それが駄目なら声を上げればいい。何もできない子どもでもか弱い女の子でもないのに、兄さんたちはちょっと心配しすぎだと思う。
(危ないから家事もしなくていいって、よくよく考えたらとんでもない過保護だよな)
それに甘えていた自分が恥ずかしい。いろいろ自分でやるようになって、ようやくそのことに気がついた。僕はいま自分から積極的に家事を手伝うようにしている。そうしないと家事も得意な慎兄さんの役に立てないと気づいたからだ。
(あとは料理なんだけど、これが思ってたより難しいんだよなぁ)
自分でやってみて、初めて壱夜兄さんがどれだけすごいか身に染みてわかった。壱夜兄さんほどじゃないにしても慎兄さんも料理上手だし、いつか二人みたいにパパッと作れるようになれるといいなと思いながら少しずつ練習している。
そんな僕を壱夜兄さんも二海兄さんも応援してくれていた。最初は心配そうにしていた壱夜兄さんも、簡単に作れるフレンチトーストや生姜焼きを教えてくれるようになった。
(それなのに、慎兄さんの話をすると途端に何も言わなくなるんだよね)
いつもは優しい壱夜兄さんなのに、慎兄さんの話になると少しだけ機嫌が悪くなる。かといって僕と慎兄さんが付き合うことに反対しているわけじゃない。それどころか「よかったね」と言って喜んでくれたのに、なぜか泊まることだけは許してくれないままだ。
(そういえば、靜佳が「難しい年頃なんだよ」とか言ってたっけ)
たしかに壱夜兄さんにはちょっと頑固なところがある。普段が優しすぎるくらい優しいから忘れがちだけど、今回は久しぶりに頑固な壱夜兄さんが出ている気がした。
だからって、このまま慎兄さんの部屋に泊まれないのは絶対に嫌だ。だって、恋人ができたら部屋を行き来したり泊まったりするのが僕の夢だったんだ。それに兄さんたちは恋人の部屋に泊まるのに僕だけ駄目だなんて納得できない。
「もう一回聞いてみます」
慎兄さんが「がんばって」と言いながら頭をポンと撫でてキッチンに向かった。そんな軽い接触だけで顔がポッと熱くなる。
(もし泊まったら、こんなふうにずっと慎兄さんとイチャイチャできるんだ)
初めて泊まった日、寝落ちするまでたくさん話をしたのがすごく楽しかった。またあんなふうにたくさん話をしたい。それにせっかくお揃いのパジャマや僕専用の枕を買ったんだ。早く使いたいのに壱夜兄さんが許してくれないせいで使わず終いになっている。
(お揃いのパジャマかぁ……慎兄さん、かっこいいだろうなぁ)
お揃いのパジャマだなんて恋人みたいだ。
(いや、恋人なんだけどさ)
それにキスだってもう何回もしている。気持ちがいいキスのことを思い出したらお腹のあたりがソワソワした。暴れ出したくなるようなウズウズする気持ちを散らすように、クッションを抱きしめながら足をバタバタさせる。
「どうかした?」
「な、なんでもないです」
慌ててソファに座り直すと、慎兄さんがお揃いのマグカップを目の前に置いた。中身は僕が好きなココアで、慎兄さんのにはカフェオレが入っている。
(こういうの、恋人っぽくていいな)
そう思うだけで顔がにんまりした。
「メッセージ、もう一回送ってみます」
「許してもらえるといいね」
「はい」
ドキドキしている僕の耳に「待ち遠しいなぁ」という慎兄さんの声が聞こえてきた。「僕だって待ち遠しいです」と心の中で答えながらグループメッセージの画面を開く。
僕は一文字ずつ念を込めながら“今夜、慎兄さんの部屋に泊まりたいです”とメッセージを打ち込んだ。そして「どうか許可が出ますように」と祈りながら送信ボタンを押す。
「どうかな……」
「そろそろいい頃合いだと思うんだけどね」
そう言って微笑みながら隣に座った慎兄さんの腕に、ほんの少し自分の腕をくっつけながらこくりと頷いた。
「だから、やってないって昨夜もメッセージ送っただろ」
「下半身においておまえはまったく信用できない」
「失礼な奴だな。三春くんに関して俺は賢者タイムにならなくても賢者になれる男だよ」
帰宅してから慎兄さんと二海兄さんがずっと言い争っている。きっと僕が慎兄さんの部屋に泊まったからだ。
(ちゃんとメッセージ送ったのに)
昨日、僕は慎兄さんと恋人になった。部屋に行ってお互いに好きだって確認して、初めてのキスもした。そのまま夕飯を食べて部屋に泊まったんだけど、それだってちゃんと報告してある。
(壱夜兄さんからは返事、来なかったけどさ)
少なくとも二海兄さんは駄目だなんて言わなかった。それに「慎兄さんと恋人になりました」って報告もした。それに対する反応は何もなかったけど、二人に心配かけないようにいつだってちゃんと報告も連絡もしている。
(もしかして、メッセージで恋人ができたって伝えたのが悪かったとか……?)
でも、早く二人に伝えたかったんだ。
(それに僕が慎兄さんをずっと好きだったってこと、二人だって薄々気づいてただろうし)
兄さんたちに言ったことはなかったけど、僕のことならなんでも気づく二人だから知らないはずがない。それでも何も言わなかったのは見守ってくれていたからだとばかり思っていたんだけど、僕の勘違いだったんだろうか。
(でもさ、もし駄目なら泊まるって送ったときに駄目って送ってくるよね?)
それなのに、お昼過ぎに帰宅したら二海兄さんが怖い顔をして待ち構えていた。そうして車で送ってくれた慎兄さんを「おい」と低い声で呼び止めて、それから「やったのか」「やってない」という言い合いをずっとくり返している。
(そういえば前にもこんなふうになってるの、見たことあったっけ)
随分前だけど、一度だけ言い争っている二人を見たことがあった。あのときは「まだ小学生だぞ」と二海兄さんが怒っていて、それに慎兄さんが「手を出すわけないだろ」と言い返していた。それから少しして慎兄さんは赤色が混じった髪になり、そのまま都会に行ってしまった。
そんなことを思い出していた僕を、くるりと振り返った二海兄さんが睨むように見る。
「三春、ケツは痛くないんだな?」
「え? お尻? 別に痛くないけど……」
そう答えたら、大きなため息をついた二海兄さんがまた慎兄さんを見た。
「ったく、兄貴といい三春といい、ろくでもない男に好かれやがって」
「俺と靜佳を一緒にしないでほしいな」
「一緒だろ」
「靜佳はけだものだよ? 我慢できなくなって高校に入ってすぐ壱夜さんを襲うような奴と一緒にされたくないね」
「キスだけだけどな」
「俺は昨日までキスすら我慢してたんだ。俺のほうがずっと紳士じゃないか」
「どの口が言いやがる。ランドセル背負った子どもに欲情した時点でアウトだ」
「欲情じゃない、好きになっただけだ。誰に恋をするかは俺の自由だろ?」
「あー、わかったわかった! 好きになるのに年齢なんて関係ないって話だろ。はいはい、これまで手を出さなかったことだけは褒めてやる」
「おまえに褒められるなんて気持ち悪い」
「なんだとコラ」
いつもよりずっと低い二海兄さんの声にビクッとしたのは僕だけで、慎兄さんはずっと微笑んだままだ。
(もしかしてケンカじゃない……?)
言い争っているものの、なんとなくケンカじゃないように見えてきた。二人は親友だからケンカすることもあるんだろうけど、できればケンカはしてほしくない。大好きな慎兄さんと二海兄さんがケンカしているのを見ると悲しくなる。「どうか早く仲直りしますように」と願いながら様子を窺っていると、二海兄さんが「三春、本当にこいつでいいのか?」と言いながらまた振り返った。
「え? なにが?」
「彼氏だよ。本当にこいつが彼氏でいいのかって聞いてんだ」
二海兄さんの言葉に顔がカァァと赤くなった。
「かか、か、彼氏……」
「彼氏じゃないのか?」
「か、彼氏だよ!」
口にするのはまだ恥ずかしいけど、慎兄さんと僕は恋人同士だから彼氏で間違いない。
「僕はずっと慎兄さんが好きだったし、慎兄さんも、その、僕のこと好きだって言ってくれたんだ。だから、か、彼氏だし」
「……はぁぁ。こんな三春を慎太郎にって考えるだけで頭が痛くなる」
「三春くんをこんなふうに育てたのは二海たちだろ? 大事にしすぎて箱の中に入れ続けた結果だ。まぁ、おかげで俺は三春くんのいろいろな初めてをもらうことができるわけだけど」
「そういうとこだよ!」
二海兄さんが慎兄さんの後頭部をベシッと叩いた。叩かれた慎兄さんは、なぜか「そういう意味では感謝してる」と言いながら笑っている。それをギロッと睨みつけた二海兄さんも、最後は呆れたように少しだけ笑った。
「ま、三春が幸せなら俺はそれでいいけどな。三春、親父にもちゃんと知らせておけよ」
「うん、わかってる」
普通の家なら、男の僕に男の恋人ができたなんて話したらきっと驚くだろう。でも、父さんなら大丈夫だと確信していた。
十年くらい前、壱夜兄さんと靜佳が付き合い始めたときも一番に祝福したのは父さんだった。父さんは男同士でも気にならないみたいで、僕たちは家族全員で壱夜兄さんたちのことを応援してきた。
(だって二人が本当に好きあってるの、僕にだってわかるくらいだもんな。それで応援しないなんて選択肢はない)
たまにケンカするみたいだけど、それも含めて二人は素敵なカップルだと思う。そんな二人を見守ってきた父さんなら僕と慎兄さんのことも応援してくれるはず。
「親父はボロ泣きするだろうから可愛い三春の写真を送ってやるとして、兄貴の絶対零度はいつ溶けるかなぁ」
「絶対零度?」
「カッチカチに凍りついてるから部屋から出て来ないんだよ。メッセージだって無視しまくってるだろ? 兄貴、三春のこと自分の息子くらい大事に思ってるからなぁ。親父と一緒に『三春まで嫁に行くなんて』って絶対に泣くぞ」
「さすがにそんなことはないと思うけど……」
そもそも僕は男だし嫁に行くわけじゃない。だからそんなことはないと思っているけど、壱夜兄さんが靜佳と付き合い始めたとき父さんはたしかに泣いていた。突然帰国して、毎日「壱夜がお嫁さんかぁ、寂しくなるなぁ」と目に涙を浮かべていたのを思い出す。
「親父、兄貴のときも『嫁に行くのはまだ早い』とか言ってたしな」
「だから、僕はお嫁に行くわけじゃないってば」
そう答えながら、つい“お嫁に行く自分”を想像してしまった。……思ったよりも悪くない気がする。
(って、なに考えてるんだよ!)
慌ててブンブンと頭を振ると、慎兄さんに「可愛い」と頭を撫でられた。その手をペシッと叩いた二海兄さんが「可愛いのは当然だ」なんて文句を言い始める。よくわからないけど、二人はやっぱり仲がいい親友なんだなと思った。
こうして僕は初恋の、そしてずっと好きだった慎兄さんの恋人になった。しばらくは夢なんじゃないかと思ったりもしたけど、何度も部屋に行ったりデートしたりしているうちにようやく実感できるようになってきた。
(でも、本当に僕でいいのかな)
慎兄さんは毎日「好きだよ」と言ってくれるけど、やっぱり少しだけ不安に思うときもある。だって、かっこいい慎兄さんの隣にいるのが僕なんかでいいのかやっぱり気になるんだ。
最初の頃はデートのたびに周りの目が気になった。慎兄さんの隣に田舎者の僕がいたら笑われるんじゃないかと何度も思った。僕のせいで慎兄さんまで変な目で見られたらどうしようと落ち着かなかった。
(あからさまにそういう目で見られることはないけどさ)
今日も二人並んでショッピングモールを歩いたけど、ヒソヒソ話をされたり指をさされたりすることはなかった。たまに女の子たちが「きゃあ!」なんて黄色い声を上げたりするけど、慎兄さんのかっこよさに思わず声が出てしまうのはよくわかる。
(僕だって毎日心の中で悲鳴上げてるくらいだし)
そんな慎兄さんはデートのとき、とんでもなくかっこいい。服とか髪型もだけど、なんていうか表情がかっこよくて大変だった。僕は毎回心臓が耐えられるか心配になってしまう。
(僕もちょっとはマシになってるといいんだけど……)
そんなことを思いながら自分の格好を改めて見下ろす。今日着ている服は二海兄さんと優美ちゃんが選んでくれたもので、自分では絶対に選ばない明るい色だ。これまであまり着たことがない色味だからか気になって仕方がない。
優美ちゃんは、僕に彼氏ができたと聞いてから「めっちゃ可愛くしてあげる!」なんて言って化粧水なんかを持ってきてくれた。冬の間だけ小さい頃から使っているクリームを塗るくらいだった僕は、毎日優美ちゃんに言われるまま化粧水やクリームを使うようになった。週末は優美ちゃんと一緒にパックというのもやっている。
(ちょっとはいい感じになってきてると思うんだけど、どうかなぁ)
肌はつるつるのすべすべになった。服も前よりお洒落になった気がする。これなら慎兄さんの隣にいても変じゃないと思うけど……実際はどうなんだろう。
そんなことをつらつら考えながらスマホの画面をじっと見る。
「三春くん、今日は泊まれそう?」
「うーん……やっぱり返事、来てません」
メッセージは出かける前に送った。デート中も確認して、帰宅してからも何度も見ているけど返事は来ていない。
恋人になったその日に外泊したからか、あの日以来僕は慎兄さんの部屋に泊まることができないでいた。理由は壱夜兄さんが許してくれないからだ。
(慎兄さんに迷惑をかけるって心配してるんだろうなぁ)
少し前の僕だったら同じ心配をしていたと思う。でも、僕はもう以前の僕じゃない。僕だって少しずつ成長しているんだ。
慎兄さんと恋人になってからというもの、僕はいろんなことにチャレンジするようになった。一番に始めたのは自分の部屋の掃除で、いまでは外で仕事をしている慎兄さんに代わって慎兄さんの部屋の掃除もやっている。ほかにタグを見て洗濯することもできるようになったし、買い物もうまくできるようになった。
(いまじゃ壱夜兄さんとポイントの話だってできるしね)
スーパーの行き帰りで知らない人に声をかけられることもあるけど、勧誘されてもちゃんと断っている。
(そもそもあれは幼稚園生のときの話なんだし、あの頃の僕と同じだなんて思わないでほしい)
幼稚園生のとき、知らない人に声をかけられた僕はフラフラとついていってしまったことがあった。兄さんたちはそのことが忘れられないらしく、小学生になってからも学校の友達と遊びに行くことをなかなか許してくれなかった。中学や高校のときも門限があり、おかげで友達と放課後寄り道することもほとんどなかった。
でも、僕はもう二十二歳の大人だ。幼稚園生のときのままじゃない。腕を掴まれたとしても振りほどけばいいし、それが駄目なら声を上げればいい。何もできない子どもでもか弱い女の子でもないのに、兄さんたちはちょっと心配しすぎだと思う。
(危ないから家事もしなくていいって、よくよく考えたらとんでもない過保護だよな)
それに甘えていた自分が恥ずかしい。いろいろ自分でやるようになって、ようやくそのことに気がついた。僕はいま自分から積極的に家事を手伝うようにしている。そうしないと家事も得意な慎兄さんの役に立てないと気づいたからだ。
(あとは料理なんだけど、これが思ってたより難しいんだよなぁ)
自分でやってみて、初めて壱夜兄さんがどれだけすごいか身に染みてわかった。壱夜兄さんほどじゃないにしても慎兄さんも料理上手だし、いつか二人みたいにパパッと作れるようになれるといいなと思いながら少しずつ練習している。
そんな僕を壱夜兄さんも二海兄さんも応援してくれていた。最初は心配そうにしていた壱夜兄さんも、簡単に作れるフレンチトーストや生姜焼きを教えてくれるようになった。
(それなのに、慎兄さんの話をすると途端に何も言わなくなるんだよね)
いつもは優しい壱夜兄さんなのに、慎兄さんの話になると少しだけ機嫌が悪くなる。かといって僕と慎兄さんが付き合うことに反対しているわけじゃない。それどころか「よかったね」と言って喜んでくれたのに、なぜか泊まることだけは許してくれないままだ。
(そういえば、靜佳が「難しい年頃なんだよ」とか言ってたっけ)
たしかに壱夜兄さんにはちょっと頑固なところがある。普段が優しすぎるくらい優しいから忘れがちだけど、今回は久しぶりに頑固な壱夜兄さんが出ている気がした。
だからって、このまま慎兄さんの部屋に泊まれないのは絶対に嫌だ。だって、恋人ができたら部屋を行き来したり泊まったりするのが僕の夢だったんだ。それに兄さんたちは恋人の部屋に泊まるのに僕だけ駄目だなんて納得できない。
「もう一回聞いてみます」
慎兄さんが「がんばって」と言いながら頭をポンと撫でてキッチンに向かった。そんな軽い接触だけで顔がポッと熱くなる。
(もし泊まったら、こんなふうにずっと慎兄さんとイチャイチャできるんだ)
初めて泊まった日、寝落ちするまでたくさん話をしたのがすごく楽しかった。またあんなふうにたくさん話をしたい。それにせっかくお揃いのパジャマや僕専用の枕を買ったんだ。早く使いたいのに壱夜兄さんが許してくれないせいで使わず終いになっている。
(お揃いのパジャマかぁ……慎兄さん、かっこいいだろうなぁ)
お揃いのパジャマだなんて恋人みたいだ。
(いや、恋人なんだけどさ)
それにキスだってもう何回もしている。気持ちがいいキスのことを思い出したらお腹のあたりがソワソワした。暴れ出したくなるようなウズウズする気持ちを散らすように、クッションを抱きしめながら足をバタバタさせる。
「どうかした?」
「な、なんでもないです」
慌ててソファに座り直すと、慎兄さんがお揃いのマグカップを目の前に置いた。中身は僕が好きなココアで、慎兄さんのにはカフェオレが入っている。
(こういうの、恋人っぽくていいな)
そう思うだけで顔がにんまりした。
「メッセージ、もう一回送ってみます」
「許してもらえるといいね」
「はい」
ドキドキしている僕の耳に「待ち遠しいなぁ」という慎兄さんの声が聞こえてきた。「僕だって待ち遠しいです」と心の中で答えながらグループメッセージの画面を開く。
僕は一文字ずつ念を込めながら“今夜、慎兄さんの部屋に泊まりたいです”とメッセージを打ち込んだ。そして「どうか許可が出ますように」と祈りながら送信ボタンを押す。
「どうかな……」
「そろそろいい頃合いだと思うんだけどね」
そう言って微笑みながら隣に座った慎兄さんの腕に、ほんの少し自分の腕をくっつけながらこくりと頷いた。
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