燕ヶ原レジデンス205号室

風見雛菊

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現実を見た者と夢を描き続ける若人3

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 家に帰り、燕ヶ原レジデンス205号室の緑色の扉の前で、ふっと息を吐く。やっぱりこのまま、あーさんと変な雰囲気のまま、日々を過ごして行くのはいやだ。

 仲直り……って言っても喧嘩ではないんだけど、この微妙なほつれ具合を修正していかないと、家にいるだけで息が詰まってしまう。
 何か上手い、糸口を見つけなきゃ。そんな思いのまま、僕は扉に手をかける。

「……ただいま」

 玄関から真正面に見えるリビングのソファには、あーさんがだらりとした体勢で座っていた。

「……おかえり」

 いつもよりも二人ともテンションが低い挨拶が飛び交う。

「……担当さんにケーキもらって、ダイニングテーブルに置いてあるから、好きなの選んで食べろ」

 そう言ってキッチン前のダイニングテーブルを指さした、そのままあーさんは自室に戻ろうとする。

 ——逃げる気だ。

「あ、ちょっと待って!」
「何? 俺、割と締め切りが近いんだけど」

 あーさんはめずらしく、ちょっとイラついた様子を見せていた。

「あのね……。今日赤坂先生と僕の夢のことについて、話をしたんだ。そしたら、バスから降りなければ、小説家になることはできるって言ってくれて……だからっ」

 僕が、息を切らしながらいうと、あーさんは眉を顰めた。

「あいつのアドバイスを聞くのか?」

 あーさんは捨てられた子犬のような寂しそうな顔を見せた後、不機嫌さを顔に滲ませる。

「何あいつ、人ん家の子供に唾つけてんの?」
「ちょっと……言い方」

 なんでこんなにあーさんは赤坂先生に対して、あたりが強いんだろうと、僕は眉を顰める。

「今は僕に力はないけれど……でも本当に小説家になんとしてもなりたいと思っているの」
「なんとしてもか……」
「うん。それで体を壊しても」
「それはやめろ」

 あーさんは顔色を変えた。

「でもね、あーさん僕は何もしないで生き延びる人生よりも、何かして、その結果死ぬ人生を選びたいよ」

 それは紛れもなく僕の本心だった。

 あーさんは僕の顔をじいっと見つめていた。一緒に暮らし初めてから七年も経っているんだ。あーさんだって、僕の頑固さをわかっているだろう。

 あーさんは肺の空気を全部出し切るような深いため息をついた後、死んだ魚の目みたいな瞳の色をしていった。

「……わかった。わかった。そこまで小説家になりたいんだったら、お前に課題を出そう。卒業までに俺に小説を提出しろ。それで賞を取れ」
「賞ならなんでもいいの? ちっちゃいやつでも?」

 それで済むなら短編小説の賞をローラーしようかと、頭の中で賞の名前を羅列する。やってやろうと意気込んでいると、あーさんはめちゃくちゃ冷たい目で僕を見つめる。

「いや、ジャンルはエロだ。エロしかゆるさん。やるからにはめちゃくちゃエロいやつを書け」
「……なんで、よりによってエロ?」

 僕は訳のわからない指定に眉を寄せる。僕の書きたい分野は大衆文学なのに、なんであーさんんはそんなことを言うんだろう。

「今の時代、小説は売れない。とっくにオワコン化している癖に小説家志望の奴はうじゃうじゃ湧くようにいるだろう? その中で生き延びるのは並大抵の実力じゃ無理だ。それにくらべて、アダルトコンテンツは技術とコツさえ掴めれば、売れ続けることができるからな。あの業界はすごいぞ。ある種、実用書だからな」

 ものすごく、実感のこもった言葉に聞こえた。さすが、現役の小説家。出版界の実情を知り尽くしている。僕は官能小説は書いたことはないけれど、あーさんの演説じみたためになる話を聞いていたら、のせられたふりして一回くらい書いてみようかなと思っちゃったよ。

「それに、官能小説は登場人物が最低二人いれば物語が成り立つからな。実は初心者向けなんだよ。お前が今書いてる小説はどうも登場人物がやたら多いからな。本当に小説家を目指しているなら今のうちに、人数が少ない小説を書いて、わかりやすく物語をまとめる力を身につけた方がいい」
「なんで!? いつの間に僕の小説読んだの!?」
「お前、一度書き上がったら誤字脱字直すために、一回印刷して赤入れるだろ? その成れの果てが紙ごみの中に混じっていたぞ」

 シュレッダーにかけるの忘れてた……。そうだ、この前中間テストが終わった時に、紙ごみを一気にまとめて捨てた時に、小説のコピーも捨てたんだった。
 でもあれ、書いた後読んだらとんでもなく、粗ばっかで、恥ずかしかったやつじゃ……。

「だからってみ、見ないでよお!」
「お前だって、俺の小説読むくせに。ベッドの下に隠すのは俺のデビュー作じゃなくて、エロ本にしとけ」

 まさかあーさんにベッドの下を見られていると思っていなかった僕はギョッとするしかない。……そういえば、この前学校から帰ってきたら、やけに部屋の空気が澄んでいた日があったような。多分掃除機かけてくれたタイミングで秘密のお宝探しをしてしまったんだろう。ちゃめっけを出すな、アラフォーなのに!

「ベッドの下見ないでよ!」
「……まあ。これでおあいこってことだろ」
「プロの文章と僕の文章を比べないでよ!」
「……お前、変なこというんだな。小説家になりたいってことは、俺や他のプロ作家を蹴落としながら、進んでいかなきゃいけないんだぞ? 俺は作家の中では売れてない方だ。俺くらい蹴散らせなくてどうする?」

 ぐうの音も出ない。
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