燕ヶ原レジデンス205号室

風見雛菊

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夢見る権利とシャボン玉のマーチ3

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 夕暮れがリビングをオレンジ色に染める。

 僕はいろんなショックで動けないまま、しばらく呆然としていた。

 あーさんに小説家になるな、と言われたこと。
 百パーセントではないけど、なんとなく気持ちがばれていたこと。

 いろんなことが澱になって、僕の心をぐちゃぐちゃに濁らせていく。

 あーさんは相変わらず、部屋にこもって、出てこない。
 締め切り前みたいな籠城。あーさんの部屋には小型の冷蔵庫と、固形の食べ物が多少あるから、もしかしたら今日はもう、出てこないつもりかもしれない

 はあ……。こんなはずじゃなかったのになあ。

 計画ではもう少し徐々に僕が小説家になりたいってことを明かしていくつもりだった。

 こんなところで、勢いに任せてぽろっと言うべきじゃなかった。

 頭、冷やしたい。風にでも当たろう。

 僕はリビングからベランダに足を運んだ。

 こういう、もにゃっとした気持ちがたまってしまった時、タバコを吸う人の気持ち、すごくわかるなあ。

 外に出て、何も考えずにタバコを吸えたら、少しは気持ちが立て直せるかもしれない。

 ベランダには、体を包み込むような形の背もたれが籐に似せたプラスチックでできた一人掛けのガーデンソファと揃いのガーデンテーブルが置かれている。

 この一人掛けのガーデンソファは、あーさんが愛煙家時代から愛用していたものだ。

 タバコを吸っていた時は、ここに腰掛けてすぱーっとやっていたってわけだ。

 僕はそこにどかっと腰をかけて、夕暮れに染まる空をぼんやりと見ていた。

 ふと、洗濯バサミを入れている小さな籠に視線を落とす。カゴの中には、両手サイズの水色ストライプ柄のポーチが入っている。

 僕はそれに手を伸ばし、中身を取り出す。

 中には、シャボン玉液と吹き棒が入っていた。
 蛍光グリーンの吹き棒の側面にはマジックペンで『あまね』『ひとし』とそれぞれの名前が書き込まれている。

 僕がこの家にきた時から、あーさんはたまにシャボン玉を吹いていた。

 この家にきたての時、僕はまだ十歳だったから、合わせようとして吹いているのか? と最初は思ったけど、あーさんは紛れもなく、自分が楽しいから、という理由で原稿が煮詰まるとシャボン玉を吹いていた。

 大人がシャボン玉吹いてる、と最初は面食らったけど、あーさん曰く「楽しいものは大人になっても楽しい」らしい。

 もしかしたら、禁煙し初めて口寂しくなって、シャボン玉を吹いていたのかも。

 楽しそうに遊ぶ大人を見ていると、こちらもうずうずしてくる。僕もやりたい、とあーさんにお願いして、専用の吹き棒を百均で買ってもらった後は、僕も夢中になって遊んだ。

 あの頃は本当に、楽しかった。

 ゲラゲラ笑ってはしゃぐあーさんを見て、大人もこんなにはしゃぐんだって知って、何だか安心した記憶がある。

 僕は久しぶりにシャボン玉液の蓋をあけ、吹き棒に液をつける。

 ふうーと吹くと、風に乗って、いくつもの球体が街の方へと流れていく。
 同じシャボン玉を吹いているはずなのに、幼い頃の僕が吹いたシャボン玉と違って、今日のシャボン玉はどこか覇気がなく、寂しげに見えた。
 
 ああ……これから、どうしよう……。
 一人で吹くシャボン玉は、泣きそうなくらい寂しくて、つまらなかった。
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