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メンソレータムのリップスティックとキャロットケーキと間接キス3
しおりを挟む「何?」
「いやあ。キャロットケーキがヒトの大好物になるなんて、感慨深いなあ。あんなに人参、嫌いだったのになあ」
僕はその言葉を聞いて、余計に眉間の皺を深くする。
そう。ここに来た頃の僕はにんじんが大嫌いなお子ちゃま味覚の持ち主だったのだ。(もちろん、今は食べられるけど)
あーさんはそんな僕ににんじんを食べさせようと、カレーに細かく刻んで入れたり、ハンバーグの中に仕込んだり、いろんな工夫をしていた。
僕はせっかく作ってくれたものを残すことができるほど、恩知らずな子供ではなかったので、きちんと食べてはいたけれど、嫌そうに歪む顔は隠し切れていなかったんだと思う。
どんなに細かく刻まれていても、僕の舌はにんじんの存在を感じ取ってしまう。そんな僕の様子を見て、ちょっぴり意地悪なあーさんは面白いと思っていたらしい。悪魔みたいな表情でにんじんを入れるあーさんと、嫌がる僕の攻防戦は長いこと続いた。
そんな長きに渡る不毛な戦いを打破したのが、このあーさん特製のキャロットケーキだった。
僕たちが野菜を買うときは、スーパーを使うことは少なくてほどんど近所の商店街にある、八百屋さんを使う。その日、あーさんは八百屋には葉までついている、新鮮なにんじんが入荷しているのを見つけた。しかも、それはただの人参ではなく、金美にんじんと呼ばれる、黄色い人参だったのだ。
これなら、色でバレることもなかろう。あーさんはそれでキャロットケーキを作った。
小学校帰りの放課後、お腹ぺこぺこの状態で食べたキャロットケーキはびっくりするくらい美味しくて、驚いたのを今でもはっきりと覚えている。
あの日のしたり顔のあーさんの憎たらしい表情と共に。
「あの日のヒト、ものすごく面白かったなあ~! いいの! これだけはにんじんの味がしないから好物なの! とかいって、必死に騙されたのを修正しようとしてさ」
「いいじゃん、嫌いなものが好物になること自体はそんなに面白いことじゃないでしょ?」
「ははは! 今もあの時とおんなじことになってるぞ? お前は本当に過ちを認めたがらないって言うか……。変なところで頑固だから」
あーさんは一言、めんどくせーと言い放った。
めんどくさい? 僕はちょっとだけ、むかっとして、そんでもって悲しくなった。
「めんどくさいやつでごめんなさいね」
「なーに言ってんだよ。いつ俺がめんどくさい人間のこと嫌いだって言ったんだよ?」
えぇ? と空気が漏れた様な変な音が僕の喉の奥から込み上げる。
「俺は意外と面倒な人間と関わるのが好きなんだよ。お前の父親も、お前みたいにめんどくさいやつだった」
「お父さん?」
僕は自分の記憶の中にあるお父さんのことを思い出す。十歳の頃に死んでしまったから、記憶にあるお父さんの顔は結構朧げだ。
編集者として、朝から晩まで忙しく働いていた人だったから、家にいる時間が少なかったから、関わることも少なかったし。
だけれど、いつも気難しい顔をしていたことだけはしっかりと覚えている。
お父さんは僕と向き合うと、慈しみも見せるが、同時に苦いものを噛み締めるような表情を見せることが多かった。
その表情を見ても不思議と、僕自身が嫌われているとは感じなかったけれど。
お父さんはいつも言うんだ。僕の顔を見て『ごめんな』と、一言絞り出すようにいうのだ。
「あーさんにとって僕のお父さんはめんどくさい人だったの?」
「……ああ。そう。めっちゃくちゃ、面倒だった。旅行に行きたいって言うから、行先調べて、宿までとったのに当日になってやっぱり行きたくないって言い出したり。飯何がいいって聞いて、なんでもいいって言われたから中華店に入ったら『今日は中華なんか食べたくなかった』っていい出したり。優柔不断なくせに主張が強くて、わがままなやつだった」
お父さんがそんなことを? お父さんがわがままを言う様子なんて、僕はちっとも想像することができなかった。
「なんか……そんなイメージがなかったから、不思議な感じだなあ」
「家族に見せる顔と友達に見せる顔は違うのかもな。あいつ、妙なところでカッコつけたがる癖があったし」
普通は家族に素を見せて、友達にかっこつけるものなんじゃないのか
僕は不思議に思ったけれど、あんまり深くは聞かないように努めた。
「たまにはヒトにも、あいつの話、したほうがいいな。あいつもヒトに忘れられたら悲しいだろ」
あ。あーさんはお父さんのことをあいつって呼び捨てにするんだ。僕は頭の中で、あーさんの声で紡がれた『あいつ』というどこか無機質な響きの言葉をリフレインさせる。アイツ。アイツ。あいつ。
なんか、いいな。ずるいな。アイツと言う響きはあーさんとお父さんの親密さを表しているように聞こえた。
気がつくと、僕は自分の父親に嫉妬していた。もうこの世にいないのに、あーさんの心に深く根付いているなんてずるい。
「さてと。じゃあ、俺は仕事しますかね。週明けに、短編小説の締め切りがあるんだよなあ」
「え。あーさん。キャロットケーキ、食べないの? めちゃくちゃ美味しいよ?」
「じゃあ、もらおっかな」
そう言ったあーさんは、ヒョイっと僕が今まで使っていたフォークを奪う。そのまま一口、口に放り込んだ。
「ちょ、ちょっと! 自分のフォーク用意しなよ!」
「やだよ。めんどくさい。さっきのリップといい、ヒトは変なとこ潔癖症? 育て方間違えたか?」
「なっ! そう言うことじゃないんだよ!」
慌てふためく僕を尻目に、あーさんはぺろりとエロスティックに舌なめずりをした。
「ごっそさん」
また間接キスだ……。
顔が赤いのは差し込む南向きの窓から差し込む光が暖かいからってことにしておいてほしい。
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