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不幸な子供と小説家4
しおりを挟む「学校。どうだった?」
あーさんが僕の顔を覗き込みながらいう。
「ん? いつも通りだよ?」
嘘。
本当は倒れた。
だけど、そんなことあーさんには知られたくない。ただでさえご厄介になったいる身なのだから、心配なんてかけたくなんてないのだ。
「そ? ならいいんだけど。今日朝、ヒト、青い顔してたから大丈夫かな……と思って」
そう言ってあーさんは笑みをこぼす。柔らかく笑うと頬に少しだけ皺がよる。それを見ると僕の心は愛しさできゅっと苦しくなる。
「そんなに顔色悪い?」
「悪い。ほら、こんなに白い」
あーさんの白魚のような指が、僕の顎をゆっくりとなぞるように撫でる。まるで、猫を可愛がるみたいな仕草だ。
あーさんに取ってはなんの下心もない仕草なんだろうけど、僕はドキドキしてしまう。
僕は自分の動揺に気づかれなくなくて、あーさんの白くて、余分な脂肪のない、筋ばんだ腕に手を伸ばす。
「あーさんだって白いじゃん」
「俺の白さは日に当たってない白さ。ヒトの白さは血の気がない白さ。種類が違う」
あーさんは僕のことを仁志と呼ばず『ヒト』と呼ぶ。
男性にしては少し高くて、でも掠れている魅力的な声で名前を呼ばれるたびに、僕は飼い主に名前を呼ばれた犬みたいに嬉しくなってしまう。
ああ、本当に人間でよかった。しっぽがあったら好意がモロバレだもん。
あーさんは僕の顎のラインを堪能し終わったのか、くるりと踵を返しリビングの方へ歩いていく。
後ろをついていくと、キッチンの方から、砂糖が焦げたような甘い匂いが漂ってきた。
「小腹空いてない? チョコチップスコーン、作ったから食べなよ」
「どうしたの? 急に。めっちゃおしゃれじゃん」
からかうようにいうと、あーさんは顔を歪めて笑う。
「いや、連載してる雑誌にレシピがついてたから作ったんだよ」
「へー……」
確かあーさんは今、料理雑誌にコラムの連載を持っていたはずだ。小説家って小説雑誌に小説を書くだけじゃなくて、幅広く活動をしているんだな……と思いながらそれをペラりとめくった覚えがある。
キッチンに向かうと、甘い匂いはどんどん強くなって、僕の鼻腔をくすぐる。
わあ……おいしそう。甘いものは心がほぐれるから結構好きだった。
あーさんがコックのような手つきでオーブンを開けると、焼きたてほやほやのチョコチップスコーンが登場した。手のひらサイズの三角形に形作られたスコーンは見た目だけなら、売り物みたいな出来栄えだ。
「え! めっちゃうまく焼けてるんだけど! スタバのみたい!」
驚きの歓声を上げると、あーさんはふふんと得意げな顔をする。
「味もうまいと思うよ。食ってねえけど」
「ないんかい。それなのにすごい自信……」
「俺の作ったもんがうまくなかった時、あった?」
僕はあーさんに与えてもらったものの数々を思い出す。
「ない」
その明快な答えに、あーさんは目尻に皺をよせ、クシャリと笑った。
ポットの中には、朝落としたコーヒーがまだ入っているはずだ。
シンクにおいてあった僕専用の青い益子焼のマグカップに、コーヒーを注ぐ。本当はブラックコーヒーが味的には好きだけど、僕はすぐ胃を痛めるので、冷蔵庫の中から牛乳を取り出しカップの四分の一程度注いで、ミルクコーヒーにした。
せっかく見た目も素敵なチョコレートスコーンだから、心ゆくまで雰囲気を楽しみたくて、金の縁取りが施された白い皿に盛り、ダイニングテーブルにおいた。
うん。見た目も美しい完璧なおやつセット。
あーさん、作ってくれてほんとありがとう。
「いただきまーす」
手を合わせてそう言ったあと、僕はそれを口の中に放り込む。
「えー! めっちゃうまいんだけど!」
「それはようござんした」
口の中でホロリと広がる、スコーンは少し甘めで、疲れた僕にはぴったりの味だった。それに合わせて、チョコは少しだけビターな味のものを使っているようで、調和がうまく取れていた。ミルクコーヒーにもぴったりだ。
「あーさんって食べ物ならなんでも美味しく作っちゃうよね。すごいや」
「お前にうまいもの食わせたいから頑張ったんだよ」
あーさんはチョコレートスコーンを頬張る僕の頭をガシガシと雑に撫でながら、気を許し切ったようにへらりと笑う。その言い方はずるい。
お前のために。その言葉を聞くたびに養育者としての責任を果たすという意味だということはわかっているのに、僕に特別な愛情があるのではないかと勘違いしそうになる。
ちらりと視界の端に、製菓店で買ったと思われる、透明な袋に入った製菓用の小麦粉が目に入る。
妙に凝り症なあーさんのことだ。わざわざ買ったのだろう。製菓用の小麦粉って高いんだけど。今月の食費、予算内で収まるかな。
それを考え始めると家計が心配になって、味に集中することができなくなってしまった。
まあ……。いっか。このスコーンの出来の良さに免じて許してやろう。
そのかわり、僕が作る夕食には食費の帳尻を合わせるために、単価が安いもやしを使ったナムルとか、イワシの生姜煮が登場するけど、我慢してね。
僕は目を瞑って、味の余韻に浸る。
おいしさと、幸福感に包まれていると、今日の疲れがつきものが落ちるように取れていく。
なんで僕ってあんなに体弱いんだろう、って根暗になってたのが嘘みたい。
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