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本編
863 親の思いと譲れない思い
しおりを挟む「元々は、サミュエル氏から提案されたことだった」
そんな言葉を皮切りに、サンドラは語り始めた。
極めて事務的な口調のようだが、少しだけ悲しんでいるように見える。
「泉の、いえ……メイヤ・アルベルトの力は、20年を超える時の中で」
区切られたセリフに、息を飲む。
「──大きくなり過ぎた」
分離された魂は、一生あの場にとどまり続ける予定だった。
そしてその土地全域に恵みをもたらす、そんな予定だった。
「でも、ある時彼女は自我を持った。何故かはわからない、でも“存在”した」
おそらくは、と彼女は付け加える。
「名前をつけたから」
「名前……」
「自己の認識における、特別なもの。それが名前だから」
魂だけの存在だったとしても、彼女は覚えていた。
初めて会って、自己紹介した時に。
メイヤは、親からもらった名前を確かに覚えていた。
会ったこともなければ、見たこともない存在。
だが、マイヤー母に名付けられた名前だと発言していた。
「サミュエル氏も、名を持つことの危険性は予期していた、でも……」
「でも?」
「ナタリアが辛い思いをしてつけた名前だから、尊重した」
何を思って、分割された側に名前をつけたのか。
親になってみないことには、わからないのだろう。
いや、親の優しさだ。
普段は見せなくとも、大事な場面や日頃細かいところで気がつく。
マイヤー母は、どちらも娘として扱おうとしたのだ。
「メイヤは、サミュエルと関わっていくうちに成長して行った」
「……」
「サミュエルが好んだ物を食べ、サミュエルが持っていた弓を覚え、サミュエルの話した言葉も覚え」
普通の人間が成長するように、彼女のまた成長して行った。
もともとが膨大な魔力を秘めた存在。
成長していくうちに、サミュエルでも扱いきれないものへ変わって行った。
「だから、苦渋の決断だった」
次代のスピリットマスターを選出し、代わりに抑え込んでもらうのも。
成人した元の体に、長い時間をかけて少しずつ魂を戻していくのも。
この地のエルフのことを考えた、サミュエルの案だったそうだ。
「メイヤはどうなるんだ」
「元あった場所に還る。ただそれだけ」
「それはあまりにも」
と、言いかけたところで、サンドラの目から涙が溢れているのがわかった。
言葉を噤むと、彼女は言う。
「悲しいこと」
「……」
「私も、サミュエル氏と小さいころの彼女が遊ぶ姿を離れて見ていたことがある」
サンドラは、マイヤー母とサミュエル氏が連絡を取り合うための要員。
だから、度々メイヤの無邪気なあの笑顔を見ていたそうだ。
「何も知らないマイヤー嬢にも、あまりにも過酷な選択肢の一つ。あの子はどこまでも優しい子だから」
「マイヤーのこともかなり知ってる様子だな」
「あの子の担当はシヴィアの役目。話はずっと聞いてきた」
双子のシヴィア……炎を操る女性か。
幼いころに行商で国をほっぽり出されたマイヤーに、命の危険が無いか見守る要員らしい。
色々と度が過ぎていると思ったマイヤーの過去の行商にも、一応監視がついていたそうだ。
次の街へ、次の街へ、と各国を回る芸団に扮して、それとなく同じ様な販路へ促していたとのこと。
「裏で色々と動いてたんだな」
「魔術芸団は、次代スピリットマスターを見極めるためにも、都合のいい場所だった」
「ソルーナを見極める……か」
「サミュエル氏が選んだ者だとしても、しっかり調査するのが親の役割だからだと」
「知ってるなら、もっと早く教えて欲しかったもんだが……知らなかったんだろう?」
わかっているなら、そもそも婚姻の話なんて受けない。
仕方のないことだとしても、命の危険が及ぶことはさすがに拒否するはずだ。
俺の言葉に、サンドラは頷いて答える。
「だから貴方が関わる様に、焚きつけた」
「そんな風には思えなかったけどな」
「思いの外、マイヤー嬢の決断が早かった。でも、きっと行くだろうと踏んでいた」
「どうして」
「マイヤー嬢の報告書に書かれていた貴方の存在は、まるで王子様だったから」
「そ、そうなんだ……」
あまりこの辺のことを詳しく聞くのはやめておこう。
「この世に完璧な人はいない」
「そうだな」
「良いところも悪いところも持ち合わせている貴方は、信頼できる」
「ど、どうも」
「何より、身内以外と関わらなかったマイヤー嬢が唯一、心の底から気を許した」
意外なことに、そういえばマイヤーから友達の話なんて聞いたことがなかった。
俺も自分の友達の数とか、口に出して言えるもんじゃないけど。
行商人って気軽に人を信じないし、一期一会みたいなもんだからそんなもんか。
「……ああ、だから俺は死ななかったし、一緒に結界も通れたのか」
ふと、そこで思った。
分離されているとしても、魂はマイヤーと同じもの。
だからこそ、俺は。
いや、俺だからこそ泉で死なず、結界も通れたのか。
手を握って欲しい。
メイヤの言葉を思い出す。
助けを、求めていたんだよな。
戸惑っていたとしても。
彼女は、はっきりと態度で示していた。
「さあ、早くここを抜け出して、二人の元へ向かって欲しい。私たちも援護するから」
交代で受け取った鍵をガチャガチャと鍵穴に押し込むサンドラ。
「ちょっと待って」
「なに」
「メイヤの魂はどうしたら良い。そもそもこのままじゃやばいんじゃ……」
「……言ったはず」
目を伏せながら、彼女は言った。
「苦渋の決断だと」
「どっちか片方しか、助からないのか」
「……もともと、スピリットマスターの力を借りて長い年月をかけて馴染ませる予定だった」
すぐにマイヤーの元に還ることもできなければ、残ったものは霧散する。
それでも一部は必ずマイヤーの元に、あるべきところに戻るそうだ。
決して死んだわけではない、存在しなくなるわけでもない。
だが、あの無邪気な笑顔は、もう見れなくなってしまうのは確定だった。
「なら出ない」
「なぜ」
「俺は“二人”を助ける方法を考えてるからだよ」
「不可能。だから苦渋の決断」
「いや、探す」
ソルーナぶん殴って、考えを改めさせるって方法もあるはずだ。
認めない。
それだと亡くなったサミュエルにも、色々と申し訳がたたない。
「時間が欲しい。明日、奴は俺に儀式を見せるそうだ」
「……それで、どうするの?」
「場を荒らして、人払いをして欲しい。俺が絶対になんとかするから」
「成功確率は?」
「今はなんともいえない。でもマイヤーに言われたんだよ──面倒見るなら最後までってな」
そう告げると、サンドラは鍵を戻した。
「貴方を信じる」
「ありがとう」
「最後に、ナタリアからの伝言……巻き込んで本当に申し訳ない」
「上等」
巻き込まれるのは、この世界に来た時から慣れてるからな。
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