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第二章
40. さよなら──。
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「おや?あのアルファーを倒してしまったのですか?どうやら貴方を見くびっていたようですねぇ」
アルファーを倒し、巨大な装置伝いに進み辿り着いた先。
そこに宿敵、ログリア=ブレインはいた。
俺はケタケタと笑うログリアに神々封殺杖剣を突き立て、殺意を剥き出しにする。
だが、優秀な部下であるアルファーが殺されたというのにログリアには全く焦る様子が見えない。
それは不気味すぎる、余裕。
「装置を止めろ。さもなくばお前を殺す」
全出力した神光支配を纏い、明確な殺意を突き刺しながら脅迫する。
「装置、ですか。どこから情報が漏れたのかは知りませんが…止める訳にはいきませんねぇ。まだ『計画』は始まったばかりなのですから」
嬉々として語るログリアの目は眼鏡越しでも爛々と輝いているのが分かる。
それは研究者として、長年の研究が完成した時の喜びを反映しているようだった。
ログリアが語る、研究。
アルファーは言っていた。
人間族の亜人化は計画の一端に過ぎない、と。
そして真の狙いは──、
「終焉魔杖…」
そう呟いた俺の声にログリアは、
「アルファーめ。口を滑らせたようですね。そう、私の真の狙いは終焉魔杖です。装置による獣化は終焉魔杖作成の前座に過ぎません」
ご丁寧に説明してくれた。
今のログリアは随分機嫌が良い。
どんな質問にも答えてくれそうだ。
「終焉魔杖ってのは…いったいなんなんだ?」
問う。
そして…案の定ログリアは軽快に答える。
想像も出来ない、禁忌の計画の全貌を。
「終焉魔杖とは──古代人の叡智の結晶です。古代人は神々の力を借りて様々な発明を作り上げましたが…その中でも終焉魔杖は異質です。なにせ、大陸を真っ二つに分断する奈落──ハーマゲドンの谷をも創れるのですから」
ハーマゲドンの谷。
俺がフォーミュラと共に一ヶ月過ごした、奈落。
確かに、フォーミュラは古代人がハーマゲドンの谷を生み出した、なんてことを言っていた。
その話を聞いた時はあり得なすぎて聞き流したが、まさか本当だったなんて──。
しかし、
「その終焉魔杖とかいう武器を作るのに、どうして装置による獣化なんて工程を踏む必要があるんだ」
そんな疑問が生まれた。
「そうですねえ。元々、この世界には人間族しかいなかった、という話は知っていますか?」
質問を続ける俺に嫌な顔一つせず、ログリアは前提から話し始める。
「知らない」
「『亜人族』も、『魔族』でさえも…古代人が生み出した人工種族なのですよ!凄いでしょう?古代人は、生命までをも生み出せたのです。まるで『誕生』を司る神、へティアのようにね」
「亜人族と魔族は…人工種族…だと?」
にわかには信じられない。
元々この世界には人間族しかいなくて、エルフ、獣人、魔族に至るまで…創られた生命だと?
馬鹿げているにも程がある。
そんな技術、あるわけがない。
あっていいはずがない。
いいや、事実…今地上では人間が亜人へと変わっている。
「その通り。そして終焉魔杖を生み出すには莫大な亜人の命が必要なのです。それこそ数十万人を超える、ね。ゆえに私は考えました。この王都の住民全てを亜人に変え、その命を全て使って終焉魔杖を生成すれば、かつて古代人が作ったそれを凌駕するものが出来上がるんじゃないかとね。これこそが私の計画の全貌。私は古代人を超える存在になるのだ!」
両手を天に掲げ、自らの目標を声高々に語るログリアの話に、俺はひたすら困惑していた。
王都の数百万を超える人間全てを亜人に変え、更にその命を一つの武器を造るためだけに利用する、だと?
しかし──何故俺に全てを語った?
アルファーを失ったログリアは、俺に勝てるつもりなのか?
ログリアを殺す覚悟はできている。
だが、一つだけどうしてもログリアに聞いておきたい事がある。
「──古代人は…死者を蘇らせることができたのか?」
これを聞く俺の声は、掠れていた。
「死者蘇生、ですか。確かに文献にそのような記述はありましたが…詳細はわかりませんね。『失われた古代秘宝』の一つでも使うのかもしれませんが……いずれにせよ、デュランダル王や学校長を騙すのに『死者蘇生』という甘美な響きは最も良質な餌でしたねぇ」
「そうか…」
やはり死者蘇生なんて神でも出来ないようなことを、出来るはずもないのだ。
聞きたい事は全て聞けた。
──いいや、まだある。
「ミルは何処だ」
装置を動かす魔力源の中にミルはいなかった。
そしてここにもミルはいない。
本当は連れ去られてなどおらず、今も寮にいる?
そんなはず、ない。
俺の単純な問いに、ログリアも一言で返す。
「私の後ろにいますよ?」
…意味が分からなかった。
ログリアの後方を見ても、だだっ広く薄暗い空間が広がっているだけ。
違う────何かが…いる。
この空間に至るまでに時々聞いた、何か蠢くような音を出していたものの正体が──、
「龍…?」
とぐろを巻き、苦しそうに蠢く白銀の龍が、いた。
大き過ぎて逆に見えていなかった、この世のものとは思えないほどに美しい見た目をした、一匹の龍。
胸には紫に近い色合いをした魔石があり、それも美しく、そして妖しく煌めいている。
ここで俺はペーパーテストの前日エレルトから聞いた話を思い出した。
西の白竜が何者かによって討伐されたのだという話を。
その話に出てきた白竜こそが目の前の龍のことなのだ。確証はないが何故か確信できた。
「ただの龍ではありませんよ?西方に住む白竜の魔石を取り込み、更には古代秘宝の一つ…一対の銀鏡までもを取り込んだ少女の真の姿なのです!」
ログリアはさも楽しげに、まるで新たな遊びを覚えた子供みたいに、興奮しながら説明してみせた。
俺はその説明の意味を咀嚼し、噛み砕き、反芻して、導き出された結論をゆっくりと口に出す。
「お前の後ろにいるのが…ミルだと……?」
後ろの空間にはもはや機械に繋がれた龍の姿しかない。
それなのにログリアはミルは後ろにいると言った。
そして先程の証言。
まさか。まさかまさかまさか。
やめろ。嘘だろ。嘘なんだろ!
急速に明るくなっていく思考の中で生み出された一つの答え。それは残酷なまでに俺の体から自由を奪う。
「その通りです。これからこの少女…いや『神龍』は私の狂唆によって覚醒するのです!!!」
紋章を展開し、フハハハハと笑ってみせるログリア。
もはやそんなログリアの姿など、俺の視界には宙に舞う埃のような存在にしか映らなかった。
それ程までに、俺は視界から光を失っていくのを感じた。
自分を責める言葉が湧きだしては止まらなかった。
なんで、俺は、わかっていたのに、わかっていたのに守れなかったんだ。
──いや、まだだ。
どうにかミルを元に戻す方法はあるはず。魔石と銀鏡を取り除けばあるいは!
一抹の希望。
まだミルは死んでいるわけではない。それならまだ助けられる余地だってある。
俺が絶対にミルを元の姿に戻してみせる。
俺は縋るように…ログリアに問う。
「なあ、ミルの姿を元に戻す方法はあるのか…?」
自分でも驚くほど、その声は震えていた。
しかしログリアは、
「おや?ありませんよそんなもの。魔石を取り外せばなんてことを考えてるのでしょうが…もはや少女は完全なる魔物と化した。
魔石を取り外したところで魔法が使えなくなるだけで、元の姿に戻りはしないでしょうねえ…それに流石竜人族というべきでしょうか。
白竜の魔石との適合率は恐ろしいものでしたよ。
古代人の遺物である魔物と魔道具との合成装置…時間がかかったにしろこれほどまでに上手く動いてくれるとはねえ…感激…感激ですよ…!!
合成直後であるためか少し体調がすぐれていない様子なのは気になりますが。
いずれは最悪の五芒星である銀鏡の蜘蛛を超える程の魔物へとなるでしょうねえ!!!それが私の物に?フハハ、フハハハハハ!!!!!」
饒舌。尚も狂ったようにけたたましく笑い続ける、ログリア。
もう元には戻らない?
そんなの、やって見ないと分からないだろうが!
合成装置をぶっ壊してやる!
「うおぉぉああああ!!!!」
俺は怒りに任せて、力の限り横で不気味な音を立て続ける装置に神々封殺杖剣を振るった。
瞬間、轟音を立てながら装置の一角は崩れ、大小様々な破片が飛び散る。
だが、そんな俺の様子を見ているログリアは尚も薄ら笑いを浮かべたまま。
「もう無駄ですよ。その装置は用済みです。さあ、最初の仕事ですよ。神龍。手始めに目の前のあの男を殺しなさい。その後で、貴女の父親であるアルファーと同じように、貴女の人格を壊してあげますから」
そう言ってログリアが紋章を輝かせる前に──、俺はログリアの口から出た信じられない言葉を、聞き返した。
「アルファーがミルの父親…だと?」
聞き捨てならなかった。
「そうですよ。娘がいると聞いた時は歓喜しましたねぇ。竜人族は貴重な実験材料ですから」
ログリアは悪びれもなくそう言った。
人格を、壊す。
アルファーは優しさを持っていた。
それをログリアは支配で踏み躙ったのだ。
そして、ミルから父親を奪った。
許せない、腑が煮え繰り返る。
「さあいけ、神龍!私の駒になれ!」
そして…ログリアは魔法を行使した。
アルファーを失ったログリアが余裕を見せていたのは、ミルがいたから。
俺はミルを傷つけられない。
だから狙うはログリア、ただ一人──。
憤怒のまま駆け出した俺の一撃は、ログリアの首元へと一直線に向かっていく。
だが、それよりも早く。
ログリアの後ろにいた白龍──ミルの長い尾が、ログリアの頭を──叩き潰した。
ぐちゃり。
そんな鈍い音が響く。
あれほどまでに強敵に思えたログリアが、一瞬にしてただ肉塊と化す。
そしてミルは、ついでと言わんばかりに背後で稼働していた巨大な装置も、その長い尾で粉砕した。
呆然とする俺の頭上に…優しい声が降り注ぐ。
『ごめん…ごめんねワタル…私…もう…』
苦しげに、呻くように発せられた言葉はまさしくミルのもの。
「だ、大丈夫か?」
もはやどうすればいいのかわからない。
魔石を取れば、いや合成させられたという一対の銀鏡を取り除けば…
ああ…どうすれば、どうすれば!
思考が纏まらない。
『私…わかるの…もうこれ以上は…』
慌てふためく俺を見て、尚も苦しげに、疼くように震えるミル。
「これ以上…?ダメだ!俺が絶対お前を元の姿に戻してやる!だから諦めるな!」
思ったよりも大きな声が出た。俺は動揺していた。
わかったのだ。わかってしまったのだ。
目の前のミルが、消え入りそうなほど憔悴していることが。
死の間際。そんな、明確な予感がした。
でも、相変わらずどうすればいいのかわからなかった。
『最後に…一対の銀鏡?の力をワタルに……かけ…るね。私気づいてたんだよ…?ワタルが本当は大人だってことくらい…』
どんどんと掠れて、消えてしまいそうなミルの声。
やめろ。
やめてくれ。
俺を置いていかないでくれ。
また俺を一人にしないでくれ。
いい、俺は元の姿に戻らなくたっていい。
一生この姿のままでいい。ミルと一緒にいられるなら、それで良いんだ。
だから、ミルを助けてくれ。誰かミルを、ミルを助けてやってくれ!!!
心で叫んでも現状は変わらない。そんなこととっくのとうにわかっているのに。
「…ああ…!」
心の叫びは音になる事はなく、俺の口からはそんな間抜けな二音だけが溢れ出る。
俺が止める間もなく、ミルは紋章を展開し、その瞳で俺を見つめていた。
深蒼だった瞳は徐々に銀色に染まり、俺の中の時間を経過させていく。
この姿で作った思い出、記憶が蘇って、涙となってこぼれ落ちていく。
ああ、もうお別れなんだ、この学校とも、あいつらとも。
『へえ…それが本当のワタルの姿なんだ………かっこいいよ』
姿形がミルじゃなくたって分かる。リリシアに似た、あの太陽のように澄み切った笑顔を、ミルは今も浮かべている。
ごめん。ごめんな。俺が不甲斐なくて、弱くて、どうしようもなくて。
ごめん、ごめん、ごめん、ごめんごめんごめん。
自分を責める言葉と涙が、溢れ出しては止まらない。
十八歳の体に戻ったというのに幼児のような感情が湧き出して、止まらない。
その時──まるで慈愛に満ちた母親のような温もりが、俺を包み込んだ。
『どうか…どうか自分を責めないで。ワタルのせいじゃないよ…?』
暖かく、柔らかい。
硬い鱗で包まれているというのに、ミルの尻尾は今まさに俺が欲していた温もりを含んでいた。
「違う…俺のせいなんだ…!ミルが狙われていたって知っていたのに…俺は…!」
『違うよ、ワタルだって…やらなければ…いけないこと……沢山あったんでしょう?』
「でも、だけど、俺は!!!」
『…ありがとう。今までほんっとうに………ありがとう。私は村長や……べレア兄ちゃんたちに会いにいくけど……ワタルはまだ来ちゃダメ…なん……だから…それと…後ろの装置を破壊したから……それで…街の人は元に戻ると…思う……』
そうして急速に失っていく温もり、言葉、世界の色。弱々しく地面に落ちる、俺を包んでくれていた尻尾。
もう、俺の頭から意識は無くなっていた。
考えられなくなった頭で、口で、声にならない声をあげて、呻くだけ。
もう、こんな世界どうなったってよかった。ヴァルムとの約束なんて、フォーミュラとの約束なんて、みんなみんなどうなったってよくなってきた。
俺はもう疲れたんだ。
俺なんかじゃあもう何も守れないんだ。たった一人の少女すら守れなかった俺にはもう…何も守れない、守れないんだよ!
あぁ…ミル、ミル、ミル!もうあの顔は見れないのか、俺のせいで!約束したのに、ミルだけは守ってみせると、アラッカ村で…誓ったのに!
なんて馬鹿なんだ俺は、俺は、俺は俺は俺は俺は俺は!!!
「………」
まただ。なんだこの感覚は。
自分の心を壊そうと、蓋しようとするたびに湧いて出る、感情を抑制しようとする不思議な感覚。
リリシアを殺した時にも感じた、不思議な感情。
…『制約』の女神。リレイティア。お前か?俺の心を制御しているのは。お前なんだな???
俺の中でもはや怒りの矛先が神の元まで向いたその時、背後からここにいるはずのない者の声が響いた。
「ふうん。みんな殺したんだ…久しぶりね?ワタル」
整った白銀の長髪、病的なまでに色白な肌、完成された紫色の魔石、蠱惑的で魔性の引力を孕む美声の持ち主。
「レヴィオン……なんでお前がここに…!」
この世界に来て以来の俺の標的、魔王──レヴィオンがそこにはいた。
聞くはずのない声、あるはずのない姿。ミルが死に、絶望へと沈み行く俺の心に更に絶望を突きつけるような、冷徹な表情。
ああ、神は、世界は、俺にミルを弔う時間すらくれないと言うのか。
ここでレヴィオンの背後からもう一人…所々から血を流し、ボロボロになったリーラが現れた。
その姿は立っているのもやっとという程で、レヴィオンに寄りかかるようにしている。
きっと死闘だったのだ。危うく負けるところだったのをレヴィオンに救われたというわけか?
「あら?愚問ね。魔族の子供たちが攫われたのよ?魔族の王である私がそれを助けに行かないわけがないじゃない」
長い髪を靡かせ、柔らかに微笑んで見せるレヴィオン。
その言葉と表情が本心からなのかはわからない。
いや、本心ではないと信じたい。そうしなければ、俺がレヴィオンを殺さなければならない理由の一つが無くなってしまう。
……そういえばなんで俺はレヴィオンを殺さなければならないんだ?ヴァルムとフォーミュラに頼まれたから?
それだけで俺は苦しい思いをしてまでこの化け物と戦わなくてはならないのか?
俺が直接レヴィオンに何かされたことはない。
考えてみれば今の俺が一番ぶっ潰したいのはレヴィオンではなく古代の代理人だ。
とりあえず今はこの魔王と戦っている場合ではない。敵意を見せないようにしないと。
だが、今の俺の心の中で痛いほどに渦巻く…このぶつけてしまいたい衝動はどうすればいい?
──もう何も考えたくない。
意識を、感情を消そうとするほどに思い浮かぶミルの姿。堪えようと、耐えようとしているのに、溢れ出る大粒の涙が俺の後悔を、悲しみを、恨みを、加速、加速、加速させていく──。
「クソがぁぁあ!!!!」
ミルを助けられなかった。
ミルを救えなかった。
俺は何一つ出来ない木偶の坊だ。
俺が今ここで出来ることはなんだ?なんだ?なんだ?なんだ?なんなのだ?なんだっていうんだ?
俺は、俺は、俺は……俺はなんなのだ?やらなければいけないこと。それは…レヴィオンを殺すこと…なのか?
混乱して、こんがらがって、わけがわからなくなって、意味がわからなくなった俺は──無意識に目の前のレヴィオンに刃を向けてしまっていた。刃を向けずにはいられなかった。
叫んで、かき消して、ないものにして、理由を見つけたくて、仕方なかった。
神光支配を纏い、渾身の力を振るい、十八歳の姿に戻った俺の一撃は、数ヶ月前のものとは段が付くほどに違う。
咄嗟に俺の攻撃を防いだレヴィオンの爪は砕かれ──その矛先は確かにレヴィオンの心臓へと伸びたように見えた。
赤黒く染まっていく視界。その返り血によって一瞬だけ冷める思考、開けていく視界。見えてきたのは──
「あぁ…あぁああ…リーラぁぁ!!!なんで!!!!」
レヴィオンを庇って、俺の一撃を一身にくらったリーラの姿だった。
既にボロボロだったリーラの体は俺の一撃で完全にトドメを刺されたのかグッタリと力なく地面へと落ちる。
「あら…?リーラちゃん?そんなことしなくても…私は余裕で躱せたのだけれど?」
配下であるリーラが俺の手で傷つけられたというのに冷めた様子のレヴィオン。俺はそれを更にこんがらがった頭で見つめる。
「なんで、リーラ……ごめ…俺…そんなつもりじゃ……」
俺も地面へと膝をつき、ドクドクと血を溢れ出させるリーラの肉体を受け止める。
完全に急所を突かれたと思われたリーラだったが、まだ僅かながらに息があった。
「子供たち…ダメだったんだねー……」
自分の体のことを顧みず、今もなお子供たちのことを口に出すリーラ。
俺は徐々に色を失っていくその瞳を見つめる。わけがわからないまま。
「リーラ…俺…なんで…」
もはや頭に思い浮かぶ文字列を思いつくままに並べるだけ。それに反してリーラは死に際だというのに冷静な表情。
「ベレネイアのヌンチャクには…猛毒が塗ってあった…いずれにせよ私はここで死んでた……だから自分を責めるな…」
消え入りそうな、朽ちてしまいそうなほどに掠れた声が、静まり切った空間の中で、やけに大きく鮮明に俺の耳を通り抜ける。
毒が塗ってあった?そんな言葉で俺の行動が正当化されるわけがない。されていいわけがない。何故、リーラは俺に、ここまで…
「……」
もはや言葉は見つからなかった。見つけられなかった。俺は今後どうやって生きて行けばいいのかすら、分からなくなった。
ミルを殺して、リーラさえも殺して、殺して、殺して、殺してばかりの今までを消して、のうのうと生きていけと?
生きていいはずがない。はずがないだろ。何よりも俺が俺自身を許せない。許してはいけない…許せるわけがないんだ。それなのに。
「私の代わりに…絶対に古代の代理人の奴らを……」
何故、リーラは俺に生きる理由を与えるんだ。
そうなのだ。俺がここで死ぬことを選べば、今まで俺を生かして、俺が殺してきた人たちの想いは、願いは…全て無駄になってしまう。
その言葉を機に、冷たくなっていく腕の中のリーラ。胸に手を当てると現れる死人の紋章。リーラは完全に息たえてしまった。
「お別れは済んだかしら?」
仲間が死んだのに、それなのに未だ冷めた様子のレヴィオン。やっぱり、やっぱりだ。レヴィオンは魔王。人の心など、これっぽっちも持ち合わせていない。
俺は内に渦巻く憎しみの感情を隠そうともせずレヴィオンにぶつける。
「お前が…お前がもう少し早く来ていれば…リーラは、ミルは……助かったんじゃないのか!!!」
不意に、意外にも、意識せずに俺の口から飛び出した言葉は、そんな言葉だった。
その言葉とともに、枯れ切ったように思えた涙が、決壊したダムの水のように放たれて、視界を歪ませていく。
「ん?ごめんなさいね。私…アイツを捕らえることで忙しくて」
完全に意識から外れていた、この空間唯一の出入り口を指すレヴィオン。
レヴィオン本人がわざわざこんな場所まで出向いてまで欲していたもの…それは一体。
俺はレヴィオンが示す場所を見る。
そこにいたのは…全くもってこの場には関係無いと思える人物だった。
「ハザン……?」
いつもは整っている綺麗な金髪が乱れに乱れ、意識を失って壁に寄り掛かるように放置されているハザンがそこにいた。
姿は人間。
ミルの言う通り、亜人化装置を破壊した事で元に戻ったらしい。
しかし何故レヴィオンがハザンを?全くもって意味がわからなかった。
リーラはここにいるため、姿を変えたリーラではなく、あのハザンは紛う事なき本人。
「へえ、ハザンって言うのねあの子。お友達?残念だけど私がもらっていくわね」
「なんでハザンを…」
「それは教えられないわ。……それで、その龍は一体なんなのかしら?」
案の定ハザンのことについて説明する気はない様子のレヴィオン。そして…次に出されたレヴィオンの疑問も当然のことだろう。
この状況では異質すぎる一匹の白龍。
その正体が気にならないわけがない。
「ミル…」
ポツリと呟いて、咀嚼する…ミルの名前。
「ミル?貴方はペットに龍でも飼っていたのかしら?」
つくづく癪に触る言葉を、レヴィオンは笑うように口に出す。顔が痙攣してしまうほどの怒りが爆発しそうだった。
だが、抑えなければならない。
先ほどレヴィオンに刃を向けたあの時感じた威圧感…殺意に似たオーラだけで、今の俺にレヴィオンは到底敵わない存在だと悟ってしまった。
「元は…可愛い女の子だったんだ…古代の代理人の奴らは…古代人の力とやらを使って…」
簡潔に、単純に説明しようとしてみるが、思いのほか上手く言葉に出来ない。だが、レヴィオンはそれだけで理解したようだった。
「そういうこと…だったら仇を討たないとダメじゃない?」
ケラケラと、軽くふざけるような感じで、レヴィオンは俺の復讐心を煽る。
そうだ、俺は、目の前の魔王よりも奴らを…古代の代理人の奴らを殺さないと…いけないんだ。
少なからずあった復讐心、負の感情を大きく沸き立てるような魔性の美声。俺はそれをすんなりと受け入れ、飲み込む。
「そうか…俺は…」
口元に右掌を持っていき考える。
俺は今後この復讐心を行動源にすればいいのか。……いや…違うだろ。意味を履き違えるな。俺は…俺が信じた道を進むんだろ。
何故かすっかり冷静になってしまった頭で結論を出す。俺は今まで何を悩んでいたんだ。俺のやるべきことは最初から決まってんだろ?
「何か…分かったようね。そういえば…貴方の紋章を見せてくれる?」
俺の肩を撫で、紋章を展開させるよう促すレヴィオンに逆らえず、俺は紋章を顕現させる。
久々に見た自分の紋章は相変わらず死人の紋章。そのレベルは六。
それを見たレヴィオンは何を思ったのか優しく微笑む。
「魔力が無いなんて…可哀想な子。いいわ。これはあげる」
そう言うと、レヴィオンはどこから取り出したのか魔石を俺の紋章へ当てた。
「何を…」
飲み込まれていく魔石。
それによって蒼く煌めく小円の数は六個から一気に九個へ。幾分軽くなった体とも相まってレベルが上昇したことを肌身で感じる。
魔石はその魔石の持ち主を倒した者にしか取り込めない。
直近で俺が殺したのは──、
「おまえ…!」
リーラの魔石だった。
やっぱり…やっぱりコイツは…目の前でいやらしく微笑むコイツは…人の心なんて持ち合わせていない魔王だ。紛うことなきクソ野郎だ。
リーラの魔石が俺の紋章へと取り込まれた。
リーラに致命傷を負わせていたと思われるベレネイアではなく、この俺に。
それが指し示す事実。
リーラを殺したのは…死に絶える一番の要因となったのは…ベレネイアではなく俺。
俺だったんだ。レヴィオンはわかっていたんだ。
だから、その真実を俺に突きつけるために、こんなことをしたというのだ。
目の前で気色悪く笑うコイツは。ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなぁぁぁああ!!!!!
リーラに突き刺さっていた神々封殺杖剣を抜き取り、後先考えずにレヴィオンへと一閃を放つ。
だがそれは難なくひらりと躱され、受け流された。
今までとは違って、受けるのではなく躱された。
それはつまり少なからずレヴィオンは俺へ脅威を感じているということになる。
だったら、俺は後悔しないよう、今ここで決着を──
「お前…ワタル…だよな?それにその龍と魔族は…なんなんだよ!」
俺の決意が、殺意が、信念がレヴィオンに向くよりも早く、空間に馴染みある声が響く。
「エレルト…なんでここに!」
そこにいたのは…エレルトだった。
エレルトは亜人とのクォーター。だから装置の影響を受けなかったのだろう。
にしても大人の体に戻った俺を見ても俺だと判断できるのか。
「なんでって…みんなが急に苦しみだして、その原因を探っていたら校長室が開け放たれてて……気になって入ってみたら変な空間につながってて…それで、ワタルっぽい声がしたから!」
エレルトは俺の傍で転がる血塗れのリーラの亡骸を見ては動揺している。
これまでの道中にだって、死体は少なからずあっただろう。なんでこんな奥まで進んできた。
「早く上まで戻れ!」
これまでに無い剣幕で怒鳴る。
レヴィオンは何をするかわからない。エレルトを守り切れる自信なんて全くもってない。
「ワタル…その姿…それに後ろの龍だって…噂に聞いてた西方の白龍だろ…?そいつが…なんで…なんで俺がミルにあげた髪飾りをしてんだ…?」
怖くてか、怒りからか、泣き出してしまいそうなほどに震えているエレルトの声。
俺はそれを聞いて、つられたように声が震える。
「ごめん、守れなかった…」
一瞬の静寂。
それを破ったのは声を荒げる芯の通ったエレルトの叫び。
「守れなかったって…どういうことだよ!」
「ミルのことを…だ。俺が…俺が殺したのも同然だ」
「はあ?後ろの龍にミルが食われたのか?」
「違う…後ろの龍が…ミルなんだ。ミルが変えられた姿なんだ。そして…俺はそれを殺したも同然だ」
いずれは分かる事実。隠せば後々面倒になるだけ。俺は正直にエレルトに伝える。
エレルトは地上で亜人に変えられる人間を見ている。だから、『変えられた』という言葉でその意味を明確に悟ったのだろう。
「嘘だろ…?…ミル?ミル…ぁぁあ!!!」
駆け出して、ミルの亡骸へ抱きつくエレルト。
俺と同じように取り乱して、叫ぶのをやめない。そして俺へと恨みのような眼光を向けてくる。
ああ、俺だって、俺だってなあ。俺を殺したくてしょうがねえよ。
「あらら、面倒になりそうだから私はそろそろ帰ろうかしら。じゃあね」
泣き叫ぶエレルトが鬱陶しいと感じ始めたのか、撤退を決めた様子のレヴィオン。
俺が引き止める間もなく、ハザンを担いで出入り口から消えてしまった。
その後、数分エレルトの泣きじゃくった声だけが空間を支配していた。
何か今の俺にできることはないか。
そう考えた矢先、俺は引き寄せられるように右手の人差し指に嵌めていた指輪……幻影変化輪を見た。
──ああ、そうか。
これは…幻影変化輪は…この時のためにあったのか。
俺は幻影変化輪の紋章を展開させてミルの元へと歩み寄る。
「何すんだよ…」
俺が魔道具を持っていたことなど露知らないエレルトが、警戒心を剥き出しに俺のことを睨んでくる。
だが俺はそんなエレルトを横目にミルへ右手を突き出す。
幻影変化輪は体積が極端に違うものへと変化させることを得意としない。
というのは技術的な問題ではなく幻影変化輪の耐久性に関してだ。
つまり、俺が今からやろうとしていることは貴重な幻影変化輪を破壊することに他ならない。
だが、いいんだ。それで。
俺が幻影変化輪に力を注ぐと同時に紋章が展開され、ミルの亡骸を眩い光が包み込んでいく。
光が強まり、勢いが増していく度にひび割れていく幻影変化輪。
頼む。
頼むから壊れてしまう前に俺の願いが届いてくれ!
俺の内なる叫びに呼応して徐々に薄まっていくミルを包み込む光。
その光の収束と共に露わになったのは──龍ではなく小さな少女の姿だった。
そうして役目を終えた幻影変化輪はパキンと音を立てて割れ、指から地面へと落下する。
何とかミルの姿を戻せて幾らかの落ち着きを取り戻した俺に反して、エレルトは立ち上がって俺の胸ぐらを掴んできた。
それと同時に俺の耳に入ってきたのはこの場へと向かってくる複数の足音。
しかし、そんな足音など気にも留めずエレルトは俺に向かって叫ぶ。
「なんで、大人なのに、そんなすげえ魔法も使えるのに、ミルを…ミルを助けてあげなかったんだよお!!!」
大人だから。
そんなふざけた理由に思わず呆れ返って言葉を失う。
俺がエレルトを引き剥がそうとすると同時に空間に流れ込む人影の数々。
「セラリス騎士団…か」
そう、入ってきたのはセラリス騎士団だった。ほとんどが亜人。
装置の影響を受けた騎士たちは療養しているのだろう。
「王様⁉︎」
騎士団の列の最後にいた人物を見て、俺の胸倉を掴んでいたエレルトが叫んだ。
エレルトの言葉通り、そこにいたのは王だった。
王は確実に人間族。
装置の影響を受けなかったのかとは思ったが、リーラは精神力で装置の影響を和らげていた。
腐っても最大国家の国王。精神力は並外れているということだ。
そんな王は迷いの無い歩みで俺とエレルトの間に割り込んで、囁いてきた。
「ワタル…貴様か。私たちの…私の邪魔をしてくれたのは」
私たちの邪魔。
やはり、王は古代の代理人と繋がっていたのか。
死者蘇生?
そんな馬鹿げた噂話に翻弄される間抜けが王だとは、この国の末路が想像できて笑えてしまう。
俺はエレルトを突き放し、剣を王の首元へ向ける。
それにより一斉に俺へと刃を向ける、焦った様子のセラリス騎士団。
呆気にとられているエレルト。
「断言する。お前らが束になっても俺には勝てない。そこを通せ」
王を人質に、セラリス騎士団に道をあけるように指示する。
だが、騎士団の奴らはお互いに顔を見合っては動こうとはしない。そんな時、新たに思いがけない人物の姿が現れる。
「そいつは敵ではない。通してやれ」
一瞬にして場が静まり返る程に透き通った声。
その声の持ち主は騎士団の中でも偉い役職にいるのか、その指示で騎士団の連中は大人しく俺が通るための道をあける。
「助かりました。ナイル先生」
声の持ち主はアルファクラスの担任、ナイルだった。
妙に正義感の強い人だと思っていたが…騎士団に所属していたのか。
「古代の代理人…か。まさかこの学園をこんな奴らが根城にしていたとはな。地上で起こっていた『獣化』とも呼べる人間族の変貌は止まった。お前が何かしたのか?ワタル」
「はい。装置を破壊したのは…ミルですが」
俯いて、答える。
それでナイルは察したようだった。
「ミル……いないとは思ったが…ダメだったのか。しかしお前のおかげで被害を最小限にできたと思っている。後のことは任せてくれ」
「お願いします。俺は今すぐにでもこの学園を去ります」
「…そうか。わかった。これは私からの餞別だ。着ていけ」
少し残念そうに下を向くナイルから服を受け取る。
「ありがとうございます。最初はよく俺がワタルであると気づいたなと思いましたが…そういうことですか」
一対の銀鏡による体の成長に相まって膨張した肉体。それによって俺が着ていた制服は窮屈になってしまっていた。
胸の部分につけられているスターとスカルのバッジが俺が俺である証明ということ。
俺は所々敗れたその制服を脱いでナイルに渡し、ナイルから受け取った服を着る。
「似合ってるじゃないか?後でちゃんとした服を着るんだぞ」
そんな場に合わない会話を交わしながら、俺はナイル…そしてエレルトに背中を向ける。
そして後悔をかき消すように、出入り口へと歩みを進めた。
「ま、まってワタル!」
そんな俺を最後に呼び止めるエレルト。
「なんだ?」
俺は振り返らずに立ち止まる。
「ごめん…さっきは取り乱した。ワタルだって辛いのはわかってる…わかってたのによ!」
エレルトの声は震えていたが、しっかりとした芯が通っていた。
エレルト…お前は将来良い騎士になれるはずだ。
あえてそれは伝えない。代わりに返した俺の答えは…
「気にすんな」
これだけだった。
こうして俺の…王都魔剣術学校での戦いは幕を閉じた。
王は俺を敵対視している。よってもうこの王都にはいられないだろう。
俺はそのまま地上まで駆け上がると…一旦寮に戻って石板やら竜王のリングやらが入った袋を回収してから…ミルの誕生日プレゼントを買ったあの日以来に街へと飛び出した。
世話になった人たちに、ろくに挨拶もできないまま。
さよなら、王都魔剣術学校。
さよなら──みんな。
アルファーを倒し、巨大な装置伝いに進み辿り着いた先。
そこに宿敵、ログリア=ブレインはいた。
俺はケタケタと笑うログリアに神々封殺杖剣を突き立て、殺意を剥き出しにする。
だが、優秀な部下であるアルファーが殺されたというのにログリアには全く焦る様子が見えない。
それは不気味すぎる、余裕。
「装置を止めろ。さもなくばお前を殺す」
全出力した神光支配を纏い、明確な殺意を突き刺しながら脅迫する。
「装置、ですか。どこから情報が漏れたのかは知りませんが…止める訳にはいきませんねぇ。まだ『計画』は始まったばかりなのですから」
嬉々として語るログリアの目は眼鏡越しでも爛々と輝いているのが分かる。
それは研究者として、長年の研究が完成した時の喜びを反映しているようだった。
ログリアが語る、研究。
アルファーは言っていた。
人間族の亜人化は計画の一端に過ぎない、と。
そして真の狙いは──、
「終焉魔杖…」
そう呟いた俺の声にログリアは、
「アルファーめ。口を滑らせたようですね。そう、私の真の狙いは終焉魔杖です。装置による獣化は終焉魔杖作成の前座に過ぎません」
ご丁寧に説明してくれた。
今のログリアは随分機嫌が良い。
どんな質問にも答えてくれそうだ。
「終焉魔杖ってのは…いったいなんなんだ?」
問う。
そして…案の定ログリアは軽快に答える。
想像も出来ない、禁忌の計画の全貌を。
「終焉魔杖とは──古代人の叡智の結晶です。古代人は神々の力を借りて様々な発明を作り上げましたが…その中でも終焉魔杖は異質です。なにせ、大陸を真っ二つに分断する奈落──ハーマゲドンの谷をも創れるのですから」
ハーマゲドンの谷。
俺がフォーミュラと共に一ヶ月過ごした、奈落。
確かに、フォーミュラは古代人がハーマゲドンの谷を生み出した、なんてことを言っていた。
その話を聞いた時はあり得なすぎて聞き流したが、まさか本当だったなんて──。
しかし、
「その終焉魔杖とかいう武器を作るのに、どうして装置による獣化なんて工程を踏む必要があるんだ」
そんな疑問が生まれた。
「そうですねえ。元々、この世界には人間族しかいなかった、という話は知っていますか?」
質問を続ける俺に嫌な顔一つせず、ログリアは前提から話し始める。
「知らない」
「『亜人族』も、『魔族』でさえも…古代人が生み出した人工種族なのですよ!凄いでしょう?古代人は、生命までをも生み出せたのです。まるで『誕生』を司る神、へティアのようにね」
「亜人族と魔族は…人工種族…だと?」
にわかには信じられない。
元々この世界には人間族しかいなくて、エルフ、獣人、魔族に至るまで…創られた生命だと?
馬鹿げているにも程がある。
そんな技術、あるわけがない。
あっていいはずがない。
いいや、事実…今地上では人間が亜人へと変わっている。
「その通り。そして終焉魔杖を生み出すには莫大な亜人の命が必要なのです。それこそ数十万人を超える、ね。ゆえに私は考えました。この王都の住民全てを亜人に変え、その命を全て使って終焉魔杖を生成すれば、かつて古代人が作ったそれを凌駕するものが出来上がるんじゃないかとね。これこそが私の計画の全貌。私は古代人を超える存在になるのだ!」
両手を天に掲げ、自らの目標を声高々に語るログリアの話に、俺はひたすら困惑していた。
王都の数百万を超える人間全てを亜人に変え、更にその命を一つの武器を造るためだけに利用する、だと?
しかし──何故俺に全てを語った?
アルファーを失ったログリアは、俺に勝てるつもりなのか?
ログリアを殺す覚悟はできている。
だが、一つだけどうしてもログリアに聞いておきたい事がある。
「──古代人は…死者を蘇らせることができたのか?」
これを聞く俺の声は、掠れていた。
「死者蘇生、ですか。確かに文献にそのような記述はありましたが…詳細はわかりませんね。『失われた古代秘宝』の一つでも使うのかもしれませんが……いずれにせよ、デュランダル王や学校長を騙すのに『死者蘇生』という甘美な響きは最も良質な餌でしたねぇ」
「そうか…」
やはり死者蘇生なんて神でも出来ないようなことを、出来るはずもないのだ。
聞きたい事は全て聞けた。
──いいや、まだある。
「ミルは何処だ」
装置を動かす魔力源の中にミルはいなかった。
そしてここにもミルはいない。
本当は連れ去られてなどおらず、今も寮にいる?
そんなはず、ない。
俺の単純な問いに、ログリアも一言で返す。
「私の後ろにいますよ?」
…意味が分からなかった。
ログリアの後方を見ても、だだっ広く薄暗い空間が広がっているだけ。
違う────何かが…いる。
この空間に至るまでに時々聞いた、何か蠢くような音を出していたものの正体が──、
「龍…?」
とぐろを巻き、苦しそうに蠢く白銀の龍が、いた。
大き過ぎて逆に見えていなかった、この世のものとは思えないほどに美しい見た目をした、一匹の龍。
胸には紫に近い色合いをした魔石があり、それも美しく、そして妖しく煌めいている。
ここで俺はペーパーテストの前日エレルトから聞いた話を思い出した。
西の白竜が何者かによって討伐されたのだという話を。
その話に出てきた白竜こそが目の前の龍のことなのだ。確証はないが何故か確信できた。
「ただの龍ではありませんよ?西方に住む白竜の魔石を取り込み、更には古代秘宝の一つ…一対の銀鏡までもを取り込んだ少女の真の姿なのです!」
ログリアはさも楽しげに、まるで新たな遊びを覚えた子供みたいに、興奮しながら説明してみせた。
俺はその説明の意味を咀嚼し、噛み砕き、反芻して、導き出された結論をゆっくりと口に出す。
「お前の後ろにいるのが…ミルだと……?」
後ろの空間にはもはや機械に繋がれた龍の姿しかない。
それなのにログリアはミルは後ろにいると言った。
そして先程の証言。
まさか。まさかまさかまさか。
やめろ。嘘だろ。嘘なんだろ!
急速に明るくなっていく思考の中で生み出された一つの答え。それは残酷なまでに俺の体から自由を奪う。
「その通りです。これからこの少女…いや『神龍』は私の狂唆によって覚醒するのです!!!」
紋章を展開し、フハハハハと笑ってみせるログリア。
もはやそんなログリアの姿など、俺の視界には宙に舞う埃のような存在にしか映らなかった。
それ程までに、俺は視界から光を失っていくのを感じた。
自分を責める言葉が湧きだしては止まらなかった。
なんで、俺は、わかっていたのに、わかっていたのに守れなかったんだ。
──いや、まだだ。
どうにかミルを元に戻す方法はあるはず。魔石と銀鏡を取り除けばあるいは!
一抹の希望。
まだミルは死んでいるわけではない。それならまだ助けられる余地だってある。
俺が絶対にミルを元の姿に戻してみせる。
俺は縋るように…ログリアに問う。
「なあ、ミルの姿を元に戻す方法はあるのか…?」
自分でも驚くほど、その声は震えていた。
しかしログリアは、
「おや?ありませんよそんなもの。魔石を取り外せばなんてことを考えてるのでしょうが…もはや少女は完全なる魔物と化した。
魔石を取り外したところで魔法が使えなくなるだけで、元の姿に戻りはしないでしょうねえ…それに流石竜人族というべきでしょうか。
白竜の魔石との適合率は恐ろしいものでしたよ。
古代人の遺物である魔物と魔道具との合成装置…時間がかかったにしろこれほどまでに上手く動いてくれるとはねえ…感激…感激ですよ…!!
合成直後であるためか少し体調がすぐれていない様子なのは気になりますが。
いずれは最悪の五芒星である銀鏡の蜘蛛を超える程の魔物へとなるでしょうねえ!!!それが私の物に?フハハ、フハハハハハ!!!!!」
饒舌。尚も狂ったようにけたたましく笑い続ける、ログリア。
もう元には戻らない?
そんなの、やって見ないと分からないだろうが!
合成装置をぶっ壊してやる!
「うおぉぉああああ!!!!」
俺は怒りに任せて、力の限り横で不気味な音を立て続ける装置に神々封殺杖剣を振るった。
瞬間、轟音を立てながら装置の一角は崩れ、大小様々な破片が飛び散る。
だが、そんな俺の様子を見ているログリアは尚も薄ら笑いを浮かべたまま。
「もう無駄ですよ。その装置は用済みです。さあ、最初の仕事ですよ。神龍。手始めに目の前のあの男を殺しなさい。その後で、貴女の父親であるアルファーと同じように、貴女の人格を壊してあげますから」
そう言ってログリアが紋章を輝かせる前に──、俺はログリアの口から出た信じられない言葉を、聞き返した。
「アルファーがミルの父親…だと?」
聞き捨てならなかった。
「そうですよ。娘がいると聞いた時は歓喜しましたねぇ。竜人族は貴重な実験材料ですから」
ログリアは悪びれもなくそう言った。
人格を、壊す。
アルファーは優しさを持っていた。
それをログリアは支配で踏み躙ったのだ。
そして、ミルから父親を奪った。
許せない、腑が煮え繰り返る。
「さあいけ、神龍!私の駒になれ!」
そして…ログリアは魔法を行使した。
アルファーを失ったログリアが余裕を見せていたのは、ミルがいたから。
俺はミルを傷つけられない。
だから狙うはログリア、ただ一人──。
憤怒のまま駆け出した俺の一撃は、ログリアの首元へと一直線に向かっていく。
だが、それよりも早く。
ログリアの後ろにいた白龍──ミルの長い尾が、ログリアの頭を──叩き潰した。
ぐちゃり。
そんな鈍い音が響く。
あれほどまでに強敵に思えたログリアが、一瞬にしてただ肉塊と化す。
そしてミルは、ついでと言わんばかりに背後で稼働していた巨大な装置も、その長い尾で粉砕した。
呆然とする俺の頭上に…優しい声が降り注ぐ。
『ごめん…ごめんねワタル…私…もう…』
苦しげに、呻くように発せられた言葉はまさしくミルのもの。
「だ、大丈夫か?」
もはやどうすればいいのかわからない。
魔石を取れば、いや合成させられたという一対の銀鏡を取り除けば…
ああ…どうすれば、どうすれば!
思考が纏まらない。
『私…わかるの…もうこれ以上は…』
慌てふためく俺を見て、尚も苦しげに、疼くように震えるミル。
「これ以上…?ダメだ!俺が絶対お前を元の姿に戻してやる!だから諦めるな!」
思ったよりも大きな声が出た。俺は動揺していた。
わかったのだ。わかってしまったのだ。
目の前のミルが、消え入りそうなほど憔悴していることが。
死の間際。そんな、明確な予感がした。
でも、相変わらずどうすればいいのかわからなかった。
『最後に…一対の銀鏡?の力をワタルに……かけ…るね。私気づいてたんだよ…?ワタルが本当は大人だってことくらい…』
どんどんと掠れて、消えてしまいそうなミルの声。
やめろ。
やめてくれ。
俺を置いていかないでくれ。
また俺を一人にしないでくれ。
いい、俺は元の姿に戻らなくたっていい。
一生この姿のままでいい。ミルと一緒にいられるなら、それで良いんだ。
だから、ミルを助けてくれ。誰かミルを、ミルを助けてやってくれ!!!
心で叫んでも現状は変わらない。そんなこととっくのとうにわかっているのに。
「…ああ…!」
心の叫びは音になる事はなく、俺の口からはそんな間抜けな二音だけが溢れ出る。
俺が止める間もなく、ミルは紋章を展開し、その瞳で俺を見つめていた。
深蒼だった瞳は徐々に銀色に染まり、俺の中の時間を経過させていく。
この姿で作った思い出、記憶が蘇って、涙となってこぼれ落ちていく。
ああ、もうお別れなんだ、この学校とも、あいつらとも。
『へえ…それが本当のワタルの姿なんだ………かっこいいよ』
姿形がミルじゃなくたって分かる。リリシアに似た、あの太陽のように澄み切った笑顔を、ミルは今も浮かべている。
ごめん。ごめんな。俺が不甲斐なくて、弱くて、どうしようもなくて。
ごめん、ごめん、ごめん、ごめんごめんごめん。
自分を責める言葉と涙が、溢れ出しては止まらない。
十八歳の体に戻ったというのに幼児のような感情が湧き出して、止まらない。
その時──まるで慈愛に満ちた母親のような温もりが、俺を包み込んだ。
『どうか…どうか自分を責めないで。ワタルのせいじゃないよ…?』
暖かく、柔らかい。
硬い鱗で包まれているというのに、ミルの尻尾は今まさに俺が欲していた温もりを含んでいた。
「違う…俺のせいなんだ…!ミルが狙われていたって知っていたのに…俺は…!」
『違うよ、ワタルだって…やらなければ…いけないこと……沢山あったんでしょう?』
「でも、だけど、俺は!!!」
『…ありがとう。今までほんっとうに………ありがとう。私は村長や……べレア兄ちゃんたちに会いにいくけど……ワタルはまだ来ちゃダメ…なん……だから…それと…後ろの装置を破壊したから……それで…街の人は元に戻ると…思う……』
そうして急速に失っていく温もり、言葉、世界の色。弱々しく地面に落ちる、俺を包んでくれていた尻尾。
もう、俺の頭から意識は無くなっていた。
考えられなくなった頭で、口で、声にならない声をあげて、呻くだけ。
もう、こんな世界どうなったってよかった。ヴァルムとの約束なんて、フォーミュラとの約束なんて、みんなみんなどうなったってよくなってきた。
俺はもう疲れたんだ。
俺なんかじゃあもう何も守れないんだ。たった一人の少女すら守れなかった俺にはもう…何も守れない、守れないんだよ!
あぁ…ミル、ミル、ミル!もうあの顔は見れないのか、俺のせいで!約束したのに、ミルだけは守ってみせると、アラッカ村で…誓ったのに!
なんて馬鹿なんだ俺は、俺は、俺は俺は俺は俺は俺は!!!
「………」
まただ。なんだこの感覚は。
自分の心を壊そうと、蓋しようとするたびに湧いて出る、感情を抑制しようとする不思議な感覚。
リリシアを殺した時にも感じた、不思議な感情。
…『制約』の女神。リレイティア。お前か?俺の心を制御しているのは。お前なんだな???
俺の中でもはや怒りの矛先が神の元まで向いたその時、背後からここにいるはずのない者の声が響いた。
「ふうん。みんな殺したんだ…久しぶりね?ワタル」
整った白銀の長髪、病的なまでに色白な肌、完成された紫色の魔石、蠱惑的で魔性の引力を孕む美声の持ち主。
「レヴィオン……なんでお前がここに…!」
この世界に来て以来の俺の標的、魔王──レヴィオンがそこにはいた。
聞くはずのない声、あるはずのない姿。ミルが死に、絶望へと沈み行く俺の心に更に絶望を突きつけるような、冷徹な表情。
ああ、神は、世界は、俺にミルを弔う時間すらくれないと言うのか。
ここでレヴィオンの背後からもう一人…所々から血を流し、ボロボロになったリーラが現れた。
その姿は立っているのもやっとという程で、レヴィオンに寄りかかるようにしている。
きっと死闘だったのだ。危うく負けるところだったのをレヴィオンに救われたというわけか?
「あら?愚問ね。魔族の子供たちが攫われたのよ?魔族の王である私がそれを助けに行かないわけがないじゃない」
長い髪を靡かせ、柔らかに微笑んで見せるレヴィオン。
その言葉と表情が本心からなのかはわからない。
いや、本心ではないと信じたい。そうしなければ、俺がレヴィオンを殺さなければならない理由の一つが無くなってしまう。
……そういえばなんで俺はレヴィオンを殺さなければならないんだ?ヴァルムとフォーミュラに頼まれたから?
それだけで俺は苦しい思いをしてまでこの化け物と戦わなくてはならないのか?
俺が直接レヴィオンに何かされたことはない。
考えてみれば今の俺が一番ぶっ潰したいのはレヴィオンではなく古代の代理人だ。
とりあえず今はこの魔王と戦っている場合ではない。敵意を見せないようにしないと。
だが、今の俺の心の中で痛いほどに渦巻く…このぶつけてしまいたい衝動はどうすればいい?
──もう何も考えたくない。
意識を、感情を消そうとするほどに思い浮かぶミルの姿。堪えようと、耐えようとしているのに、溢れ出る大粒の涙が俺の後悔を、悲しみを、恨みを、加速、加速、加速させていく──。
「クソがぁぁあ!!!!」
ミルを助けられなかった。
ミルを救えなかった。
俺は何一つ出来ない木偶の坊だ。
俺が今ここで出来ることはなんだ?なんだ?なんだ?なんだ?なんなのだ?なんだっていうんだ?
俺は、俺は、俺は……俺はなんなのだ?やらなければいけないこと。それは…レヴィオンを殺すこと…なのか?
混乱して、こんがらがって、わけがわからなくなって、意味がわからなくなった俺は──無意識に目の前のレヴィオンに刃を向けてしまっていた。刃を向けずにはいられなかった。
叫んで、かき消して、ないものにして、理由を見つけたくて、仕方なかった。
神光支配を纏い、渾身の力を振るい、十八歳の姿に戻った俺の一撃は、数ヶ月前のものとは段が付くほどに違う。
咄嗟に俺の攻撃を防いだレヴィオンの爪は砕かれ──その矛先は確かにレヴィオンの心臓へと伸びたように見えた。
赤黒く染まっていく視界。その返り血によって一瞬だけ冷める思考、開けていく視界。見えてきたのは──
「あぁ…あぁああ…リーラぁぁ!!!なんで!!!!」
レヴィオンを庇って、俺の一撃を一身にくらったリーラの姿だった。
既にボロボロだったリーラの体は俺の一撃で完全にトドメを刺されたのかグッタリと力なく地面へと落ちる。
「あら…?リーラちゃん?そんなことしなくても…私は余裕で躱せたのだけれど?」
配下であるリーラが俺の手で傷つけられたというのに冷めた様子のレヴィオン。俺はそれを更にこんがらがった頭で見つめる。
「なんで、リーラ……ごめ…俺…そんなつもりじゃ……」
俺も地面へと膝をつき、ドクドクと血を溢れ出させるリーラの肉体を受け止める。
完全に急所を突かれたと思われたリーラだったが、まだ僅かながらに息があった。
「子供たち…ダメだったんだねー……」
自分の体のことを顧みず、今もなお子供たちのことを口に出すリーラ。
俺は徐々に色を失っていくその瞳を見つめる。わけがわからないまま。
「リーラ…俺…なんで…」
もはや頭に思い浮かぶ文字列を思いつくままに並べるだけ。それに反してリーラは死に際だというのに冷静な表情。
「ベレネイアのヌンチャクには…猛毒が塗ってあった…いずれにせよ私はここで死んでた……だから自分を責めるな…」
消え入りそうな、朽ちてしまいそうなほどに掠れた声が、静まり切った空間の中で、やけに大きく鮮明に俺の耳を通り抜ける。
毒が塗ってあった?そんな言葉で俺の行動が正当化されるわけがない。されていいわけがない。何故、リーラは俺に、ここまで…
「……」
もはや言葉は見つからなかった。見つけられなかった。俺は今後どうやって生きて行けばいいのかすら、分からなくなった。
ミルを殺して、リーラさえも殺して、殺して、殺して、殺してばかりの今までを消して、のうのうと生きていけと?
生きていいはずがない。はずがないだろ。何よりも俺が俺自身を許せない。許してはいけない…許せるわけがないんだ。それなのに。
「私の代わりに…絶対に古代の代理人の奴らを……」
何故、リーラは俺に生きる理由を与えるんだ。
そうなのだ。俺がここで死ぬことを選べば、今まで俺を生かして、俺が殺してきた人たちの想いは、願いは…全て無駄になってしまう。
その言葉を機に、冷たくなっていく腕の中のリーラ。胸に手を当てると現れる死人の紋章。リーラは完全に息たえてしまった。
「お別れは済んだかしら?」
仲間が死んだのに、それなのに未だ冷めた様子のレヴィオン。やっぱり、やっぱりだ。レヴィオンは魔王。人の心など、これっぽっちも持ち合わせていない。
俺は内に渦巻く憎しみの感情を隠そうともせずレヴィオンにぶつける。
「お前が…お前がもう少し早く来ていれば…リーラは、ミルは……助かったんじゃないのか!!!」
不意に、意外にも、意識せずに俺の口から飛び出した言葉は、そんな言葉だった。
その言葉とともに、枯れ切ったように思えた涙が、決壊したダムの水のように放たれて、視界を歪ませていく。
「ん?ごめんなさいね。私…アイツを捕らえることで忙しくて」
完全に意識から外れていた、この空間唯一の出入り口を指すレヴィオン。
レヴィオン本人がわざわざこんな場所まで出向いてまで欲していたもの…それは一体。
俺はレヴィオンが示す場所を見る。
そこにいたのは…全くもってこの場には関係無いと思える人物だった。
「ハザン……?」
いつもは整っている綺麗な金髪が乱れに乱れ、意識を失って壁に寄り掛かるように放置されているハザンがそこにいた。
姿は人間。
ミルの言う通り、亜人化装置を破壊した事で元に戻ったらしい。
しかし何故レヴィオンがハザンを?全くもって意味がわからなかった。
リーラはここにいるため、姿を変えたリーラではなく、あのハザンは紛う事なき本人。
「へえ、ハザンって言うのねあの子。お友達?残念だけど私がもらっていくわね」
「なんでハザンを…」
「それは教えられないわ。……それで、その龍は一体なんなのかしら?」
案の定ハザンのことについて説明する気はない様子のレヴィオン。そして…次に出されたレヴィオンの疑問も当然のことだろう。
この状況では異質すぎる一匹の白龍。
その正体が気にならないわけがない。
「ミル…」
ポツリと呟いて、咀嚼する…ミルの名前。
「ミル?貴方はペットに龍でも飼っていたのかしら?」
つくづく癪に触る言葉を、レヴィオンは笑うように口に出す。顔が痙攣してしまうほどの怒りが爆発しそうだった。
だが、抑えなければならない。
先ほどレヴィオンに刃を向けたあの時感じた威圧感…殺意に似たオーラだけで、今の俺にレヴィオンは到底敵わない存在だと悟ってしまった。
「元は…可愛い女の子だったんだ…古代の代理人の奴らは…古代人の力とやらを使って…」
簡潔に、単純に説明しようとしてみるが、思いのほか上手く言葉に出来ない。だが、レヴィオンはそれだけで理解したようだった。
「そういうこと…だったら仇を討たないとダメじゃない?」
ケラケラと、軽くふざけるような感じで、レヴィオンは俺の復讐心を煽る。
そうだ、俺は、目の前の魔王よりも奴らを…古代の代理人の奴らを殺さないと…いけないんだ。
少なからずあった復讐心、負の感情を大きく沸き立てるような魔性の美声。俺はそれをすんなりと受け入れ、飲み込む。
「そうか…俺は…」
口元に右掌を持っていき考える。
俺は今後この復讐心を行動源にすればいいのか。……いや…違うだろ。意味を履き違えるな。俺は…俺が信じた道を進むんだろ。
何故かすっかり冷静になってしまった頭で結論を出す。俺は今まで何を悩んでいたんだ。俺のやるべきことは最初から決まってんだろ?
「何か…分かったようね。そういえば…貴方の紋章を見せてくれる?」
俺の肩を撫で、紋章を展開させるよう促すレヴィオンに逆らえず、俺は紋章を顕現させる。
久々に見た自分の紋章は相変わらず死人の紋章。そのレベルは六。
それを見たレヴィオンは何を思ったのか優しく微笑む。
「魔力が無いなんて…可哀想な子。いいわ。これはあげる」
そう言うと、レヴィオンはどこから取り出したのか魔石を俺の紋章へ当てた。
「何を…」
飲み込まれていく魔石。
それによって蒼く煌めく小円の数は六個から一気に九個へ。幾分軽くなった体とも相まってレベルが上昇したことを肌身で感じる。
魔石はその魔石の持ち主を倒した者にしか取り込めない。
直近で俺が殺したのは──、
「おまえ…!」
リーラの魔石だった。
やっぱり…やっぱりコイツは…目の前でいやらしく微笑むコイツは…人の心なんて持ち合わせていない魔王だ。紛うことなきクソ野郎だ。
リーラの魔石が俺の紋章へと取り込まれた。
リーラに致命傷を負わせていたと思われるベレネイアではなく、この俺に。
それが指し示す事実。
リーラを殺したのは…死に絶える一番の要因となったのは…ベレネイアではなく俺。
俺だったんだ。レヴィオンはわかっていたんだ。
だから、その真実を俺に突きつけるために、こんなことをしたというのだ。
目の前で気色悪く笑うコイツは。ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなぁぁぁああ!!!!!
リーラに突き刺さっていた神々封殺杖剣を抜き取り、後先考えずにレヴィオンへと一閃を放つ。
だがそれは難なくひらりと躱され、受け流された。
今までとは違って、受けるのではなく躱された。
それはつまり少なからずレヴィオンは俺へ脅威を感じているということになる。
だったら、俺は後悔しないよう、今ここで決着を──
「お前…ワタル…だよな?それにその龍と魔族は…なんなんだよ!」
俺の決意が、殺意が、信念がレヴィオンに向くよりも早く、空間に馴染みある声が響く。
「エレルト…なんでここに!」
そこにいたのは…エレルトだった。
エレルトは亜人とのクォーター。だから装置の影響を受けなかったのだろう。
にしても大人の体に戻った俺を見ても俺だと判断できるのか。
「なんでって…みんなが急に苦しみだして、その原因を探っていたら校長室が開け放たれてて……気になって入ってみたら変な空間につながってて…それで、ワタルっぽい声がしたから!」
エレルトは俺の傍で転がる血塗れのリーラの亡骸を見ては動揺している。
これまでの道中にだって、死体は少なからずあっただろう。なんでこんな奥まで進んできた。
「早く上まで戻れ!」
これまでに無い剣幕で怒鳴る。
レヴィオンは何をするかわからない。エレルトを守り切れる自信なんて全くもってない。
「ワタル…その姿…それに後ろの龍だって…噂に聞いてた西方の白龍だろ…?そいつが…なんで…なんで俺がミルにあげた髪飾りをしてんだ…?」
怖くてか、怒りからか、泣き出してしまいそうなほどに震えているエレルトの声。
俺はそれを聞いて、つられたように声が震える。
「ごめん、守れなかった…」
一瞬の静寂。
それを破ったのは声を荒げる芯の通ったエレルトの叫び。
「守れなかったって…どういうことだよ!」
「ミルのことを…だ。俺が…俺が殺したのも同然だ」
「はあ?後ろの龍にミルが食われたのか?」
「違う…後ろの龍が…ミルなんだ。ミルが変えられた姿なんだ。そして…俺はそれを殺したも同然だ」
いずれは分かる事実。隠せば後々面倒になるだけ。俺は正直にエレルトに伝える。
エレルトは地上で亜人に変えられる人間を見ている。だから、『変えられた』という言葉でその意味を明確に悟ったのだろう。
「嘘だろ…?…ミル?ミル…ぁぁあ!!!」
駆け出して、ミルの亡骸へ抱きつくエレルト。
俺と同じように取り乱して、叫ぶのをやめない。そして俺へと恨みのような眼光を向けてくる。
ああ、俺だって、俺だってなあ。俺を殺したくてしょうがねえよ。
「あらら、面倒になりそうだから私はそろそろ帰ろうかしら。じゃあね」
泣き叫ぶエレルトが鬱陶しいと感じ始めたのか、撤退を決めた様子のレヴィオン。
俺が引き止める間もなく、ハザンを担いで出入り口から消えてしまった。
その後、数分エレルトの泣きじゃくった声だけが空間を支配していた。
何か今の俺にできることはないか。
そう考えた矢先、俺は引き寄せられるように右手の人差し指に嵌めていた指輪……幻影変化輪を見た。
──ああ、そうか。
これは…幻影変化輪は…この時のためにあったのか。
俺は幻影変化輪の紋章を展開させてミルの元へと歩み寄る。
「何すんだよ…」
俺が魔道具を持っていたことなど露知らないエレルトが、警戒心を剥き出しに俺のことを睨んでくる。
だが俺はそんなエレルトを横目にミルへ右手を突き出す。
幻影変化輪は体積が極端に違うものへと変化させることを得意としない。
というのは技術的な問題ではなく幻影変化輪の耐久性に関してだ。
つまり、俺が今からやろうとしていることは貴重な幻影変化輪を破壊することに他ならない。
だが、いいんだ。それで。
俺が幻影変化輪に力を注ぐと同時に紋章が展開され、ミルの亡骸を眩い光が包み込んでいく。
光が強まり、勢いが増していく度にひび割れていく幻影変化輪。
頼む。
頼むから壊れてしまう前に俺の願いが届いてくれ!
俺の内なる叫びに呼応して徐々に薄まっていくミルを包み込む光。
その光の収束と共に露わになったのは──龍ではなく小さな少女の姿だった。
そうして役目を終えた幻影変化輪はパキンと音を立てて割れ、指から地面へと落下する。
何とかミルの姿を戻せて幾らかの落ち着きを取り戻した俺に反して、エレルトは立ち上がって俺の胸ぐらを掴んできた。
それと同時に俺の耳に入ってきたのはこの場へと向かってくる複数の足音。
しかし、そんな足音など気にも留めずエレルトは俺に向かって叫ぶ。
「なんで、大人なのに、そんなすげえ魔法も使えるのに、ミルを…ミルを助けてあげなかったんだよお!!!」
大人だから。
そんなふざけた理由に思わず呆れ返って言葉を失う。
俺がエレルトを引き剥がそうとすると同時に空間に流れ込む人影の数々。
「セラリス騎士団…か」
そう、入ってきたのはセラリス騎士団だった。ほとんどが亜人。
装置の影響を受けた騎士たちは療養しているのだろう。
「王様⁉︎」
騎士団の列の最後にいた人物を見て、俺の胸倉を掴んでいたエレルトが叫んだ。
エレルトの言葉通り、そこにいたのは王だった。
王は確実に人間族。
装置の影響を受けなかったのかとは思ったが、リーラは精神力で装置の影響を和らげていた。
腐っても最大国家の国王。精神力は並外れているということだ。
そんな王は迷いの無い歩みで俺とエレルトの間に割り込んで、囁いてきた。
「ワタル…貴様か。私たちの…私の邪魔をしてくれたのは」
私たちの邪魔。
やはり、王は古代の代理人と繋がっていたのか。
死者蘇生?
そんな馬鹿げた噂話に翻弄される間抜けが王だとは、この国の末路が想像できて笑えてしまう。
俺はエレルトを突き放し、剣を王の首元へ向ける。
それにより一斉に俺へと刃を向ける、焦った様子のセラリス騎士団。
呆気にとられているエレルト。
「断言する。お前らが束になっても俺には勝てない。そこを通せ」
王を人質に、セラリス騎士団に道をあけるように指示する。
だが、騎士団の奴らはお互いに顔を見合っては動こうとはしない。そんな時、新たに思いがけない人物の姿が現れる。
「そいつは敵ではない。通してやれ」
一瞬にして場が静まり返る程に透き通った声。
その声の持ち主は騎士団の中でも偉い役職にいるのか、その指示で騎士団の連中は大人しく俺が通るための道をあける。
「助かりました。ナイル先生」
声の持ち主はアルファクラスの担任、ナイルだった。
妙に正義感の強い人だと思っていたが…騎士団に所属していたのか。
「古代の代理人…か。まさかこの学園をこんな奴らが根城にしていたとはな。地上で起こっていた『獣化』とも呼べる人間族の変貌は止まった。お前が何かしたのか?ワタル」
「はい。装置を破壊したのは…ミルですが」
俯いて、答える。
それでナイルは察したようだった。
「ミル……いないとは思ったが…ダメだったのか。しかしお前のおかげで被害を最小限にできたと思っている。後のことは任せてくれ」
「お願いします。俺は今すぐにでもこの学園を去ります」
「…そうか。わかった。これは私からの餞別だ。着ていけ」
少し残念そうに下を向くナイルから服を受け取る。
「ありがとうございます。最初はよく俺がワタルであると気づいたなと思いましたが…そういうことですか」
一対の銀鏡による体の成長に相まって膨張した肉体。それによって俺が着ていた制服は窮屈になってしまっていた。
胸の部分につけられているスターとスカルのバッジが俺が俺である証明ということ。
俺は所々敗れたその制服を脱いでナイルに渡し、ナイルから受け取った服を着る。
「似合ってるじゃないか?後でちゃんとした服を着るんだぞ」
そんな場に合わない会話を交わしながら、俺はナイル…そしてエレルトに背中を向ける。
そして後悔をかき消すように、出入り口へと歩みを進めた。
「ま、まってワタル!」
そんな俺を最後に呼び止めるエレルト。
「なんだ?」
俺は振り返らずに立ち止まる。
「ごめん…さっきは取り乱した。ワタルだって辛いのはわかってる…わかってたのによ!」
エレルトの声は震えていたが、しっかりとした芯が通っていた。
エレルト…お前は将来良い騎士になれるはずだ。
あえてそれは伝えない。代わりに返した俺の答えは…
「気にすんな」
これだけだった。
こうして俺の…王都魔剣術学校での戦いは幕を閉じた。
王は俺を敵対視している。よってもうこの王都にはいられないだろう。
俺はそのまま地上まで駆け上がると…一旦寮に戻って石板やら竜王のリングやらが入った袋を回収してから…ミルの誕生日プレゼントを買ったあの日以来に街へと飛び出した。
世話になった人たちに、ろくに挨拶もできないまま。
さよなら、王都魔剣術学校。
さよなら──みんな。
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