【完結】異世界転移で、俺だけ魔法が使えない!

林檎茶

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第二章

21. 結局自分は

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 俺がいる場所とは反対側の通路から、リレッジが現れた。
 あの分かれ道はここで一つに繋がっていたらしい。
 にしても何故俺の方には誰一人として奴らの人員がいなかったんだ?
 まさか、たった三人で村のあの惨状を作り出したとでも言うのか?

「ほう。あの分かれ道を右に選んだのですね?そっち側には私の部下が多数いたはずですが…」

 白衣の男が怪訝に眉を顰めながら問う。この白衣の男がトップと見て間違いないだろう。
 やはり三人しかいないわけではないらしい。
 にしても俺は運が良かったのか。あそこで右を選んでいたら戦闘を余儀なくされていた。
 ん、待てよ。リレッジは右に行った。だとしたら…

「全部殺したっす。後はお前たち三人しかいないっすよ」

 淡々としたリレッジの言葉に、耳を疑った。
 全部殺しただと?
 あの村の状態から推測すると敵の数はかなりのもので、個々の戦闘スキルも低くなかったはずだ。それを全て?
 確かにリレッジをよく見てみると、着ている服が返り血によるものか赤く染まってしまっている。
 ──あの、リレッジが?
 まだ、疑っている。

「フ、フハハハ!あなた、名前は?」

「名乗るほどのものでも無いんすけど…ただの行商人、リレッジっす」

 リレッジはどこから奪ったのか、血のついた剣を白衣の男へと向けた。
 見慣れていた陽気なリレッジの目は完全に危なげなものへと変わっており──思わず身震いしてしまう。

「行商人?冗談を。…お前たち、やれ」

 白衣の男がそう指示を出すと、その脇にいた二人が静かに被っていたローブを持ち上げた。
 ──現れたのは毛で覆われた顔。
 一人は巨大な牙を持つ獅子のような見た目、もう一人は鋭利な爪を持つ狼のような見た目をした獣人だった。
 獅子獣人はその牙の隙間から異様なほどまでに涎を滴らせ、狼獣人はまるで憎悪に満ち溢れたかのように真紅に染まった瞳を輝かせている。
 明らかに正常とは思えなかった。

「ワタル君。いるっすよね?その白衣はワタル君に任せるっす。できれば殺さないでくれると助かるっす」

 どうやらリレッジは俺が隠れていることを分かっていたらしい。
 俺は特に驚いた素振りを見せず、岩陰から姿を現す。

「まだ仲間が?まあ、あの数を一人でやるのは無理がありますからね」

 白衣の男がそう語っているが、俺には何がなんだか分からなかった。
 俺はここまで戦闘も無く、ほぼ一直線に進んで来た。
 つまり白衣の男の部下たちはリレッジ一人に全て片付けられたということ。
 ──待てよ、リレッジはほぼ気配を消していた俺のことも把握していた。
 ということは、あの分かれ道でリレッジが俺に左に行くよう誘導したのは意図的だったのではないか?
 リレッジはあの分かれ道の右側にいた多数の気配に気づいていて、あえて安全な道に俺を進ませたんじゃないか?
 …それは考えすぎか。いや、ありえない話ではない。
 それにしてもリレッジはただの行商人で無いことは確かだった。

 俺が姿を現したことにより紋章を展開させる白衣の男。
 男との距離はおよそ十数メートルといったところ。
 この距離で魔法を使うということは、確実に男は遠距離系、または強化バフ系の魔法の使い手と見て良いだろう。…または紋章武器アイデントアームの使い手か。

 刹那、男の紋章は魔法行使を表す輝きに包まれる。──が、炎弾や氷弾などといったものが具現することはない。
 一体何が。
 まずは状況把握。魔法を使ったなら何か異変が起こっているはずだが…
 
 …あれか!

 事態が悪い方向へ向かっていることに気づく。
 織の中にいた少女が苦しげに呻きだしていた。
 まるで脳が乱されているかのように頭をかき回し、異常な程までにのたうち回りながら、歯を剥き出しにして苦しんでいる。
 男は俺では無く少女に攻撃した?外傷がないということは精神系の魔法か?

 少女は暫くして落ち着いたかと思えば、絶対に壊せないとも思えた鉄格子の檻をいとも容易く捻じ曲げて檻の外へとその身を出した。
 明らかに異常な光景。
 まるで今リレッジと対峙している二人の獣人族の男のように、少女は狂ってしまっている。

 ──まさか。

「お前、洗脳系の魔法の使い手だな?」

 俺は男の魔法の本質に感づき、問いただす。それに男は苛立った様に目を細めた。

「私の魔法は洗脳などという陳腐なものでは無い。この手で触れた者を狂わせ、その力を何倍にも増幅させるのだ!それすなわち教唆きょうさすること。そう…狂唆きょうさだ!美しいだろう?」

 目の前の男は突然声を荒げ、手を空に翳した。
 その光景はまさに狂気の沙汰。まごうことなき狂人の発言だ。

「お前は古代の代理人デュアル・エーの一員で間違いないか?」

 一応確認しておく。
 村の青年の発言からしてリレッジは古代の代理人デュアル・エーが犯人であると決めつけていたが、そうでない可能性もまだある。

「いかにも。自己紹介が遅れましたね。私は古代の代理人デュアル・エー第三支部の管理者。ログリア=ブレイン。ナンバー5ファイブとも呼ばれています。以後、お見知り置きを」

 白衣の男…ログリアはそう言って深々と頭を下げた。
 やはり古代の代理人デュアル・エーの一員だったらしい。確認するまでもなかったか。
 そしてログリアは敵二人を前にしてこの余裕ぶり。不気味だ。
 というかナンバー5ファイブってことは少なくとも後4人は幹部級の奴らがいるってことか?
 ──まあいい。
 この男はアラッカ村をあのようなことにしておいて、小さな少女でさえ苦しみに陥れた。
 許せるような相手では無い。
 最初から全力でいかねばならないだろう。

 俺は剣を構え直し、ログリアに向けた。
 それでもログリアは焦りもせずニヤリと不適な笑みを浮かべたままだ。

「おっと、あなたの相手は私ではありません。この少女ですよ」

 卑怯。そう言わざるを得ない。
 だが生死を分つ戦場において…勝者のみが正義となる。卑怯と言われようと、言った相手が死ねば言われてないも同義になる。
 だからわざわざ卑怯者なんて罵倒で挑発するような真似はしない。

 ログリアが指示する通り、ログリアを庇うようにして生気の失った目で俯く少女が割り込んできた。
 少女は狂唆とやらによって檻を素手で壊せるほどまでに力が改変され、その意識を保つのすら困難になっている。
 ゆらゆらと酔っ払いの千鳥足のような不安定さがあるものの、その動きには無駄がない。
 むしろ…筆舌に尽くし難い威圧感を放っている。こんな、10歳前後の少女だというのに。
 俺はそこにログリアが村を襲ってまでこの少女を捕らえた理由を見た気がした。

 ──しかし、少女の容態は危険なように見える。
 ログリアを倒すことで狂唆とやらの効力が消えるのかはわからないが、一刻も早くその状態から解放してやらねばダメだろう。
 故に真っ先にログリアの懐に飛び込んだ方がいいと判断。
 俯く少女には目もくれず足を踏み込んで跳躍した。
 ログリアは武器の類を持っているようには見えないし、持っている紋章魔法アイデントスペルのタネも明かされている。ならば今のうちに──、

 俺の一閃が空を斬る音が轟く。
 不可避の一撃のように思えた。
 ──思えた、だけ。つまり俺の刃がログリアに届くことは無かった。
 
 邪魔されたのだ。さっきまで動く気配すら見えなかった、少女の手によって。
 少女の手には、少女を閉じ込めていた鉄格子の破片である一本の鉄棒が握られている。
 それによって、そんなものによって、俺の神々封殺杖剣エクスケイオンによる渾身の一撃が止められたのだ。
 曲がりなりにも神光支配ハロドミニオを充分に纏った神々封殺杖剣エクスケイオンによる一撃。
 その一撃は岩すらも切断できる程の威力を出せることを確認している。
 まず思うのは、それで切断できないほどの素材で出来た鋼鉄の檻を、この華奢で可憐な少女はただの力でこじ開けたのかよ、という絶望だった。
 こちらの頭までどうにかなってしまいそうだ。
 そんな常人離れした動きを繰り出した目の前の少女のうつろな目を見つめる。

「どうですか?狂唆の力は?これほどまでに幼気いたいけな少女をここまで強くすることが出来る!その少女が古代から選ばれし者・・・・・・・・・であることもありますが…実に素晴らしい…」

 恍惚の表情に顔を滲ませながら叫ぶログリア。
 一刻も早くあのふざけた面に一発かましてやりたいのに、少女の力は想像以上に強く、中々鉄棒を弾くことはできない。

 ──と、その時だった。

「こっちは終わったっスよ」

 強敵に思えた獣人二人の首を地面に転がしたリレッジが、ログリアに剣を突き出した。
 少女の応戦に精一杯の俺は、そんなリレッジのあり得ない言葉に耳を疑う。

「何…?まさかあの二人を殺ったのですか…?」

 ログリアも驚愕に満ち溢れた表情でリレッジの足元に転がる二人の獣人の首を見つめている。
 ログリアがリレッジにあの獣人を差し向けた時の余裕ぶりといい、側近として侍らせていたことといい、きっとログリアはあの獣人二人の戦闘力を信じていたのだろう。
 それがどうだ。二対一であるというのに関わらず、ものの数分で突如現れた男に葬られた。
 焦りを露わにするのも無理はないだろう。
 ──俺も焦っているが。

「早くその女の子を解放するっす。…というかお前を殺せば魔法の効力は切れるっすよね?」

 尚も冷徹に言葉を続けるリレッジ。
 それにログリアは怯んだようだ。

「はっ、私を殺しても私の魔法の効力はきれませんよ。私が自ら解除しない限りこの少女は狂い続けるのだ!」

 それが本当ならかなり厄介だ。

「じゃあ、早く解除するっす」

「嫌だ、と言ったら?」

「そん時はあんたもろとも女の子も殺すっす。正直その少女を助ける道理はおいらには無いっすから」

 リレッジは吐き捨てるように言う。
 が、本当に少女を殺す気はないだろう。

「ま、待て待て。分かった。その少女への狂唆は解除しよう…だから私を見逃してくれないか?」

 情けなく命乞いをするログリアだったが、俺はその様子を馬鹿にできなかった。
 何故なら俺も似たように、敵を目の前にして無様に命乞いをしたことがあるから。

「そうっすね。まずは女の子への魔法を解除するっす。話はそれからっスね」

「──ああ。そうか…思い出したぞ。お前…『魔剣・・』のリレッジだな!?Aランク冒険者・・・・・・・が何故…!」

 驚嘆──いや、いるはずのないものがこの場にいるという恐怖によるものか、ログリアの声は震えていた。
 俺も更なる驚きに支配されていた。
 リレッジがAランク冒険者だって?
 何故それほどまでの実力を持つ冒険者が行商人として生活しているんだ。何故冒険者を辞めてしまったんだ。それに『魔剣』というのは二つ名か?
 あのサリィバの主がリレッジという存在に怯えて姿を見せなくなった理由が分かった。

「知ってた…っすか。まあいいっす。お前はここで死ぬっすから」

 ログリアが少女への狂唆を解除したのを確認したリレッジが、そう言って剣を振るおうとしたその時、俺は空間内に響く妙な音に気がついた。
 それは何か大量の液体が波打っているかのような音。
 水の気配が殆ど無い洞窟内では絶対に聞こえないような音だ。
 リレッジも徐々に大きくなるその音に気がついたようで、その正体を確かめようと一度動きを止めている。

 いつの間にか、ログリアは本当に少女への魔法を解除していた。
 よろめき、崩れ落ちるように力を無くす少女の体を支えてやりながら、精神を耳に集中させる。
 …上か!

「天井だ!上に何かいる!」

 叫んだ。
 確かにその音は俺たちが今いる空間の真上から響いている。
 どんどんと大きくなる音に呼応して、まるで地震が起こっているかのように空間は揺れる。
 動揺。
 まるで天災が降りかかっているかのような異常事態に、リレッジも何が何だか分かっていない。
 一体何が。
 俺は恐る恐る音のする天井を見上げた。

「はあ!?」

 思わずそんな声が飛び出した。
 何故なら、俺が見た先にはあり得ない光景が広がっていたからだ。

 ──天井が…とても岩でできたものとは思えないほど形を自由自在に変えながら──まるで荒れた大海原のように激しく、波打っていた。
 もはや完全にあれは液体だ。

「…まだ部下がいたっすか」

 ログリアは既に狂唆きょうさという紋章魔法アイデントスペルを使っている以上、天井をあのような状態にした犯人はログリアでは無い。
 少女は紋章を展開させていないので少女の魔法でも無い。
 あんなことをやる人物としてこの場で考えられるのはログリアの部下しかいないのだが──もはや魔法によるものと考えられないくらいには常軌を逸している。

「実験体アルファー。私はそう呼んでいる。強さは申し分ないが、少々事態を把握するのが遅くてね」

 ログリアは一転して勝ち誇ったかのように広角を不気味に吊り上げた。
 やはり犯人はログリアの部下で間違いない。

「うわっ!!」

 少女とログリアの二人に意識を分散させていた俺の頭に、突如鈍器で打たれたかのような衝撃が飛び込み、思わず叫ぶ。
 神光支配ハロドミニオを全身に纏っていたために大したダメージにはならなかったが、その痛みはゼロでは無い。
 とっさの反応で衝撃を感じた頭頂部を確認したが、あるのは土のような感触と、衝撃によって崩れたと思われる岩の粒。
 ──まさか。
 
 そのまさかだった。
 波打つ天井からまるで水滴が飛び出しているかのように、岩礫いわつぶてが降り注いできていた。
 人工雨。ただし、それは水では無く岩礫。
 その大きさは大小様々で、中には直撃すれば致命傷となりかねないほどに大きな岩まで落ちてきている。
 それは俺とリレッジがいる場所に集中して降り注いでいた。
 つまり術者は岩礫をどこに落とすかまで操作できているということ。
 だとしたらそれは非常にまずい。
 もしかしたらあの天井全てを一度に落下させるなんてことも出来るのかもしれない。
 そうなれば逃げるという選択肢しか取れなくなる。
 そうこうしているうちにも落石の頻度は増していき、リレッジは頭上に降り注ぐ岩礫を捌くことに手一杯になってしまっていた。
 このままだとログリアに逃げられてしまう。
 形勢逆転とはまさしくこのことだった。

「まずいっす。ワタル君、早く逃げるっす!」

 リレッジは落石を捌きながら逃げるよう俺に指示を出したが、そうもいかない。
 先ほど少女への狂唆を解除したと思われるログリアが再び少女への狂唆を発動したのだ。
 抱き抱えた少女が突然暴れ出し、俺の肉体を破壊しようと精一杯の暴力を尽くそうとしてきている。
 俺だけでも助かろうと思えば少女を突き放し、元来た通路に飛び込んでしまえばいいだろうが、少女を見捨てるわけにはいかないのだ。
 ここで少女を見捨ててしまえば、俺はさらなる後悔に苛まれることになる。

「ミル!目を覚ませ!」

 少女……ミルの名を叫びなんとか力を抑え込もうとするが、相変わらずその瞳に色は戻らない。どうすれば。
 その時…
 俺の焦りをさらに加速させるように、この現状を作り出した元凶と思われる一人の獣人がその姿を現した。

 そいつはこの世の全てを切り裂いてしまいそうなほどに鋭利な爪と、体長の二倍はありそうな程に長い尾を持つトカゲのような…いや、竜のような姿をした獣人だった。

 ヴァルムほどでは無いが場を支配するほどまでの威圧感を放ち、不気味で不穏な雰囲気を纏っている。
 これまで姿を見せなかったために魔法だけ強い奴なのかと思っていたが、どうやらそういうわけでは無さそうだった。
 ──肉弾戦でも確実に優位を取られるだろう。
 更に驚くべきことに、ログリアの狂唆の影響を受けているようにも見えなかった。
 おそらくだが狂唆には獣人の力を増幅させる類の効果がある。それ無しにしてこの威圧感。
 コイツが実験体アルファーなどと呼ばれているやつか。ログリアの切り札と見て間違いない。

 目の前の竜獣人…アルファーは冷静にリレッジと俺を見つめ、口を開く。

「天井落下の準備は整いました。ログリア様はわたくしめにお掴まり下さい」

 天井落下。
 俺の最悪の想像はどうやら的中してしまったみたいだった。
 でも、それじゃああいつらも死ぬのではないか?
 この空間への出入り口は、見た感じ俺が入ってきた通路とリレッジが入ってきた通路の二つだけ。
 その二つの通路の近くにはそれぞれ俺とリレッジがいるし、まさかそれを掻い潜って来るのか?
 俺のそんな考えが浅はかとでも言うように、アルファーは信じられない行動に出た。

「お前たちはここで死ね!」

 そう叫んだログリアがアルファーの長い尾に包まれたかと思えば、アルファーはまるで水の中に飛び込むかのように、地面にその身を沈めたのだ。
 迂闊だった。
 まさか液状化させた地面の中に入り込むことが出来るなんて。
 鮮やかにこの場から撤退したログリアに舌打ちするリレッジを横目に、目の前の状況をどう対処するかを考える。

 さてどうするか。
 いつ天井が落下してくるのかわからない以上モタモタしている時間は無い。
 そしてどうやってこの馬鹿力少女を無力化すればいいのかもわからない。リレッジに頼もうにも、リレッジとは少し距離がある。
 それにリレッジは未だ落石の対処に追われているのだからこちらまで気を使う余力は残ってないだろうし、リレッジはリレッジが入ってきた通路の方へ向かわなければもう間に合わないだろうし…
 だとしたら…一か八かだ。

「目を覚ませぇぇえ!」

 ダメ元で、神光支配ハロドミニオで少女を包みながら叫んでみた。ログリアはもうこの場にいない。
 だとしたら…だとしたらログリアの紋章魔法アイデントスペルの効力が薄まっているかもしれないのだ。
 神光支配ハロドミニオは外部からの攻撃をある程度防ぐことはできるが、精神にかけられた魔法までを軽減させるかは分からない。
 しかし人を狂わせる魔法なんて、何か制限があると考えていいはずだ。範囲もなく無制限に使えるのだとしたら、それは脅威すぎる。
 だから何もしないよりはマシなはずなんだが──!

 土煙が当たりを舞い始め、落石の量も尋常じゃなくなってくる。
 遂には壁に設置されていた無数の松明たちの明かりも消え始め、状況はさらに悪くなっていく。
 なんとか耐えられているが、それもいつまでもつのかわからない。
 さすがに冷静にしようとしていた心も揺らいでくる。

「ワタ……!ミル………は諦めて…君だけ…………るっス!おいら………逃げるっすよ!」

 叫ぶリレッジの声も、大きな落石が地面にぶつかる音でかき消されてよく聞き取れない。
 少女はもう諦めるべきか。
 それとも狂唆されている少女を担いで逃げるべきか。
 いや、担いでいる最中に暴れられてしまえば俺の命も危ういだろう。
 もう…どうしようもないか…
 少女を諦めようとした、その直後だった。

「ん…?おい!大丈夫か!?」

 俺の叫びが届いたのか、少女の瞳に色が戻ってきた。
 暴れ狂う力が突然弱くなり、目の前の少女は怯えているのが分かる。

「あれ…私。変な奴らに捕まって…あぁ……村が…!みんながぁぁぁあああ!!!!」

 突然、頭を抱え込み発狂する少女。
 それは村の惨状を思い出してしまったが故の行動だろう。
 そうなるのも無理はない。
 事後のあの光景ですら、俺の脳裏に焼き付いて離れないほどに悲惨なものだった。
 それをこの少女は、体感し、視覚し、痛感したのだ。

「ミル、俺はお前の仲間だ。まずはこの場から逃げるぞ!」

 何がなんだかわかっていない様子で暴れ回る少女…ミルをなんとか抱え込んで、元来た通路の方向へと走る。
 辺りに降り注ぐ落石は勢いを増し、その礫が頭に、体に降りかかる。
 痛い。
 背中や後頭部から血が滲んできているのが分かる。
 俺は神光支配ハロドミニオの殆どを、ミルに分け与えていた。
 だから完全に俺自身に降り注ぐ落石を防ぐことはできない。

 あと少し。どこなんだ、通路への入り口は!
 もう壁にかけられていた松明は完全に消え、辺りは完全に暗闇となっている。
 だから俺は手探りで出口を探している。
 確かにここら辺からこの空間の中へと入ったはずなのに、なんで見当たらないんだ。
 焦燥感が吐き気を催すほどまでに増してきたその時、俺はログリアが去り際に叫んだ言葉を思い出す。

 ──あいつは確かに俺たちの死を確信していた。

 普通に考えれば、たとえこの空間の天井が崩壊したとしても通路まで待避してしまえば助かることができるのは分かるはずだ。
 そしてログリアには「俺たちにミルを助ける道理はない」と言っているはずだし、俺たちがミルを見捨てられずに死ぬということは考えなかったはずだ。
 つまりログリア、いや、アルファーは俺たちを確実に殺すための策を打っていたというわけだ。

「やられた…」

 俺が入ってきた通路への入り口…逃げ道は完全に岩によって埋め尽くされていた。
 リレッジが入って来た側の通路まで行く時間はもうないだろう。あるいはあちらも同じ状況に陥っているか。いや、確実に同じ状況になっている。
 完全に詰んだ。
 もう終わりだ。
 どうあがいても助からない。
 あんな青年の頼みなど聞くんじゃ無かった。
 村なんかに寄らずに真っ先に王都を目指していればよかった。馬鹿だ。俺は。

 思考を放棄し、絶望の淵に沈む俺に追い討ちをかけるように、大きな落石が俺の背中に直撃する。
 俺は硬い地面へと身を投げ出された。
 それにより抱えていたミルも地面に放り出される。
 痛い。冷たい。
 血が溢れ、手にべっとりとその不快な感触が纏わり付く。
 ああ、俺は…ミルを守れただろうか。いや、もう少女も助からないだろう。
 結局無駄死にだ。
 魔王レヴィオンに殺されるでもなく、誰かを守って死ぬのでもなく、こんなところで。こんな何も無い、ただのありふれた使命感で訪れた道中で、俺は、死ぬのか?
 恐怖。
 結局自分は何者にもなれなかったという、絶望。
 ヴァルムに生かされ、フォーミュラに生かされ、リリシアに生かされ、ロートに生かされて。
 俺はその誰の思いも無駄にして、こんなところで誰にも知られずに朽ちていく。

「ごめん…」

 溢れ出す血と涙とともに、そんな言葉が口を出た。
 俺は仰向けになって莫大な質量の物が迫っていることを感じ──天井が落下を開始していることを悟った。
 もう、完全に死を受け入れていた。
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