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第一章

13. 『逃げ』の選択

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 ロートの過去を聞いて、俺はその悲惨さに絶句する他なかった。
 隣に座るサファも目を伏せている。
 話し終えたロートは切なげに俯いては、何か思い詰めたように息を吐いた。

「その…助けた少女とは会ったのか?」

「……いや、会えてないよ・・・・・・。その子は孤児院で成長したのち、冒険者になったらしいとはトーネさんから聞いたけど」

「へえ、じゃあその内会えるかもしれないな」

 俺は額に火傷跡があると言う少女の姿を想像した。
 まだ生きているのだとしたらその少女は俺たちと同い年くらいなはずで、早いうちに出会えるような気がした。

「あのー、私はライラルの孤児院出なので…もしかしたらその子を知ってるかもしれません」

 ここでそれまで口を閉ざしていたサファが呟いた。
 それに対し俺は「本当か?」と返す。

「ええ…でも、その…村を襲われた時にその子は額に火傷をしたんですよね?孤児院にいる子なんて怪我が多い子ばっかりでしたから…誰かはわからないですけど。私だって顔に傷がありますし」

 サファはそう言うと被っていた帽子を深く被り直した。
 年頃の女の子にとって顔の傷は気になる存在なのだろう。

「そうか…もしかしてその女の子がサファだったりしてな!」

 俺は悪戯に笑みを浮かべたが、サファはいやいやと首を振り否定した。

「私物心つく前から孤児院にいましたし…傷のことも、院長は生まれつきのものだって」

「まあ、そうだよな…」

 それからというもの馬車内には沈黙が続いた。
 確認するだけとは言っても、ロートにとって今から向かう先にいるのは幼少期に復讐を誓った宿敵かもしれないのだ。
 今は精神を集中させようとしているのだろう。

「よし、着きましたよ」

 馬車が止まり、目的地に着いたことを御者が知らせてくる。
 依頼内容はエドナ洞窟周辺に住み着いたダブルホーンブルの討伐と、洞窟内の地崩れによって見つかった地下に蔓延る蜘蛛の巣の調査。
 俺は周囲にダブルホーンブルがいないことを確認して、慎重に馬車から降りた。

「おそらくダブルホーンブルはエドナ洞窟の中にいます。おじさんはここで待っていてください。危険を感じたら即撤退するかもしれないので、すぐに馬車を出発できる準備をお願いします」

 ロートは淡々と御者に状況を説明する。
 その瞳からは何か覚悟のような光が伺えた。

「わかりました。お気をつけて」

 御者も落ち着いた様子で俺たちを見送る。
 今回はすぐに終わる内容なため、俺たちは軽装だ。

「…あれか?」

 エドナ洞窟に入るとすぐに、座って一休みしているダブルホーンブルが目に着いた。
 荒れた茶色の毛並みが野生感を彷彿とさせ、その名前にもある通りの二本の巨大な白い角がよく目立つ。
 音を立てず慎重に足を運んだつもりだったが、さすが野生の本能というやつか、近づく俺たちにすぐさま気づいた猛獣はフンと勢いよく鼻息を放出させ威嚇してきた。
 目当ての魔物が思ったよりも早く見つかったことに拍子抜けしつつ、剣を構える。
 が、ロートが俺の前に右腕を出しそれを制止する。

「俺がやる、肩慣らしだ」

 ロートの低い声は重く鋭く洞窟内に響きわたった。
 その意気をしかと感じ取った俺は、構えた剣を下ろす。
 ん、ちょっと待てよ。肩慣らし?おいおい、まさか今銀鏡の蜘蛛アトロネとやるつもりじゃないよな?
 俺の懸念をかき消すようにロートはそのまま目の前で紋章を展開した。

「そういえばまだロートの紋章魔法アイデントスペルを見たことなかったな」

「確かにそうだね、まあ見ててよ」

 ロートはそう言いながら紋章に自身の手をかざした。
 それに呼応するようにロートの紋章は一層輝き出し、中心部から剣の柄が現れ始める。
 やがてその刀身全てが引き出されると同時に紋章から炎が流出しはじめ、刀身を包み込んだ。

「まさか紋章武器アイデントアームの剣を紋章魔法アイデントスペルの炎で包み込んだのか?」

 すごい。これがBランク冒険者の魔法。武器の一つも持ってないのはそういうことだったのか。

「そう…これがBランク冒険者、『炎剣』のロートよ」

 ダブルホーンブルの突進を軽快に躱すロートに熱い眼差しを送りながら、サファは説明してくれた。
 俺も炎を纏う剣などという男のロマンを擽るような武器を使ってみたかった。
 一ヶ月ぶりに嫉妬という感情を思い出してしまう。
 暫く経ってダブルホーンブルは自身の攻撃が当たらないことに腹が立ったのか、威嚇に喉を震わしたがその隙をロートが逃すことはなかった。
 シュン、と一瞬何かを切り裂くような音が洞窟内に響いたと思えば、洞窟内に風が走り、二分割されたダブルホーンブルが崩れ落ちる。
 圧勝。なんの危なげもなく手に入れた勝利。思わず笑ってしまう。

「ふう、とりあえずダブルホーンブルの討伐は終わりだね」

 ダブルホーンブルの亡骸から討伐の証拠となる魔石を取り除きながら、ロートは一息ついた。
 あと残る依頼はこの先にあるという蜘蛛の巣の調査だけ。
 朝食の時に詳しく聞いた話によると、エドナ洞窟は巨大な入り口の割には小さい洞窟で、目ぼしい鉱物や薬草なんかも採れないため、無価値の洞窟としてネルスでは知られていたという。
 そんな中、最近大きな地響きがネルス周辺を襲い、エドナ洞窟内で地崩れが発生したことを知らされた領主ヘレーは、すぐさまエドナ洞窟に調査隊を派遣したのだそうだ。
 そこで調査隊は崩れた地面によって現れた巨大な地下空洞に、大量の蜘蛛の巣が蔓延っていることを発見した。
 調査隊はその蜘蛛の巣を持ち帰るため地下空洞にその身を入れようとしたところ、周辺を根白にしていたCランク相当の魔物、ロートが先ほど難なく倒したダブルホーンブルに邪魔されたのだそうだ。
 結果調査隊は蜘蛛の巣の採取を諦め、それを聞いたヘレーはライラルに依頼を要請し、今回ロートがその依頼に就いたというのが事の次第だ。

「それじゃあ…地崩れが起きたという場所へ向かいましょうか」

 サファの一言で、俺たち一行はエドナ洞窟の奥地へと向かう。
 暫く歩みを進めると、何か異様な音が聞こえてくるのに気付いた。
 それは水か何かが地面の下で流れているような。

「なあ、なんか変な音が聞こえないか?」

 よく耳を澄ますと、前方に見える大きな穴の中からそれは聞こえてくる。

「たぶん地下水脈じゃないかな。この辺には綺麗な地下水脈が通っていて、それもネルスが発展した一つの理由なんだよ」

「地下水脈の流れる音か」

 確かにそう言われてみれば納得する。
 この洞窟までの道中で見た大河や、ネルスの街内で見た整備された水路群。その源泉は地下水脈だったのだ。
 穴前まで行くと、ロートは先程ダブルホーンブルから入手した魔石をサファへと託した。

「ここから先は俺とワタルの二人で行く。サファはこれを持っててくれ」

「わかった…けど気をつけてね」

 サファは何か言いたげだったが、ロートの提案を了承したようだった。
 俺もロートの提案に了解して穴を覗き込むと、地面まではおよそ五メートルといったところ。
 ここには梯子なんかはないため、穴から降りてから戻るにはその程度跳躍しなければならなくなる。
 俺はなんとかそのくらいならできそうだが、サファにはやはり難しそうだったので、ロートの指示は的確だと言えた。
 また、事前情報通り穴の先には幾本の蜘蛛の糸が見えた。
 今回の依頼はあの蜘蛛の糸の一本を持ち替えればいいだけ。楽勝だ。

「それじゃ、行こう」

 ロートはそう言うと、目の前の穴に臆することなく飛び込んだ。俺もそれに続いてすぐさま穴の中に飛び込む。


「──すげえな…」

 穴の中に広がっていた空間に、思わず感動の声が漏れた。

 地面には水晶石のような結晶が形成されており、薄暗い空間を照らし出すためにロートの紋章魔法アイデントスペルによって生み出された炎を反射して美しく辺りに光をもたらしている。
 また、通路の脇を流れる地下水脈の激流はゴウゴウと音を立てながらも透き通った輝きを放っており、水晶石の光とマッチしていた。
 また、幾何学的な模様で作り上げられている巨大な蜘蛛の巣群は、そんな神秘的な情景と合わないはずもなく、効果的に辺りに花を添えている。
 この洞窟は価値がないと最初に言った人間は愚か者だ。
 そう思ってしまうほどに煌びやかな宝石によって彩られた光景が、そこには広がっていたのだった。

 そしてなんと言っても、空間の奥で怪しげに艶々と輝く巨大な蜘蛛の糸の繭。
 それが見る人を誘ってしまいそうなほど蠱惑的な雰囲気を醸し出している。
 繭はそばを流れる地下水脈の上部まで飛び出るくらい巨大で、ましては威厳さすら感じられた。

「この蜘蛛の巣……ヤツで間違いない」

 この景色を楽しむ俺とは裏腹に、ロートは憎悪の漲った声を響かせる。
 それで我に帰った俺は、依頼を完遂する為にとりあえず壁に張り巡らされた糸の一本を回収しようと手を伸ばした。

 ──直後。

「汝、我の眠りを邪魔するか」

 地の底から──否、目の前で艶々しく輝く繭の中から。その声は地下空間内に響き渡った。
 張り巡らされた糸は外敵を感知するセンサー。
 もしかしてダブルホーンブルは、コイツを起こさないように見張ってくれていたのではないか?
 そう気づいた時にはもう遅かった。

 巨大な繭を突き破るようにして、まず脚から、次に胴体といったようにその姿は現れる。
 禍々しい光を灯す八つの真紅の目。全身が漆黒の毛で覆われたおぞましい肉体。欠損しているのか、バランスが悪いようにも見える巨大な七本の脚。そして極め付けは胸部で輝く紫色の大きな魔石……
 その全てが俺の予想を大きく上回っており、頭の中では大音量で警鐘が鳴り響く。
 数秒見ているだけで、命が削り取られてしまいそうな程に忌まわしい姿──、

「逃げるぞ!!」

 ロートの叫びで俺は目が覚めた。
 こんな絶望感、レヴィオンの魔法を前にしたときと比べたらなんてことはない。
 でも、勝てるかどうかで言ったら話は違う。
 そうだ、まずは逃げるべきだ。
 確かに、あの距離なら銀鏡の蜘蛛アトロネがこちらに糸を放出するより先に戦線を離脱することができる。
 走り出すロートと共に、入ってきた穴へ跳躍しようと足に力を入れた。が、状況は一変した。

「逃すわけないだろう?」

 銀鏡の蜘蛛アトロネのその言葉と同時に、空間内で蔓延っていた蜘蛛の糸たちが生き物のように一斉に動き出したと思えば、入ってきた穴を塞いだのだ。
 ロートはそれを見ても跳躍を諦めず、紋章から炎剣を取り出して穴を塞ぐ糸に切り込んで見せる。
 だが、何重にも積み重なった強靭な糸が切断されることはない。
 慌てて俺は振り返る。そこで見えた光景で、俺は先程の糸の不可思議な動きの正体に納得した。

 銀鏡の蜘蛛アトロネは自身の胸前に紋章を展開させていた。
 すなわち銀鏡の蜘蛛アトロネ紋章魔法アイデントスペルは、糸を操るものだったのだ。

「サファーーッ!!!!逃げろ!そしてギルドに報告するんだ!!!!」

 辺りの空気が揺らぐほどの絶叫をロートはあげた。
 確かにここでサファまでも犠牲になってしまえば、ギルドへの銀鏡の蜘蛛アトロネの報告が遅れ甚大な被害を及ぼしかねない。

「仲間がいたか…まあいい」

 サファは御者の元まで戻っただろうか。
 それを確かめる術はないが、覚悟を決めて神々封殺杖剣エクスケイオンを構える。
 俺がやるべきことはコイツが外の世界に出ていかないようにすることだ。

「お前…十年前の村のことを覚えているか?」

 突然ロートが目の前の銀鏡の蜘蛛アトロネに何か訴えかけるように疑問を投げかけた。

「十年前?何年眠っていたか分からんが…あの炎使いがいた村か?」

「そうだ」

 炎使いとはおそらくグライトのことだろう。

「ああ、覚えているぞ。汝はあの時逃げた小僧か。勇敢にも我に復讐を挑もうと言うのか?」

「そうだ!この十年間…お前を殺すためだけに俺は剣を振ってきたんだ」

「復讐…か。それはお門違いじゃないか?」

「何?」

 銀鏡の蜘蛛アトロネの発言に、俺とロートは共に首を傾げた。

「あの村の腰が曲がった男が我の封印を解除しなければ、あの村の連中共は今でも安らかに過ごせていたのではないか?」

「腰が曲がった男……だと?」

 信じたくないというように呻くロートを横目に、俺はロートから聞いた過去の話を思い出した。
 銀鏡の蜘蛛アトロネが言う腰が曲がった男というのは、想像しうる上で一人しかいない。

「村…長」

 ロートはポツリ呟いた。

「ほう。あいつがあの村の村長だったのか。だとしたらその男を恨むんだな。身の程知らずにも我の力を求めて、我を呼び起こした張本人であるそいつをな」

「嘘…だ…」

 頭を抱えて屈み込むロートを見て、俺も話の辻褄が合うことを理解する。
 確かロートの話に出てくる上で、銀鏡の蜘蛛アトロネが現れる直前に蜘蛛洞窟とやらにいたのは村長だ。
 銀鏡の蜘蛛アトロネが嘘をついているようにも見えないし、真実だろう。
 それにしても、ロートは村長のことを尊敬していると言っていた。信じたくない気持ちもわかる。

「その復讐ごっこもここで終わりだ。汝らはここで息絶えるのだからな」

 刹那、壁に這うように設置されていた蜘蛛の糸がうずくまるロートに向かっていくのを確認した。
 瞬時に神々封殺杖剣エクスケイオンを構え直してロートのそばまで瞬発し、その糸をはじき返す。

「でもお前の村を壊滅させたのはあの蜘蛛で間違いないんだろ!しっかりしろ!」

 俺は柄でもなく声を荒げた。
 ロートは俺の言葉が届いたのか、態勢を整える。

「ごめん、ワタル。どうかしてたよ。一緒にあいつを倒そう」

「おう!」

 そうは言ったものの、正直目の前の化け物に勝てるビジョンは全く見えない。
 なんとか神光支配ハロドミニオを纏った神々封殺杖剣エクスケイオンで弾き返すことはできたが、ロートの炎剣でも切れなかったような糸を打開する策を見つけなければどうすることもできないだろう。

「汝、その武器は神々封殺杖剣エクスケイオンだな?」

 思考を巡らせる俺の意識を乱したのは、突如銀鏡の蜘蛛アトロネが発した意外な言葉だった。

「そうだが…なぜ知ってる」

「大昔に…我の脚の一本を奪った勇者の一撃。それを放ったのは紛うことなくその武器、神々封殺杖剣エクスケイオンだ」

「なんだと?」

 俺はてっきりグライトが足の一本を奪ったのだと思っていた。

「封印の勇者…だったか?そいつによって我はあの忌々しき洞窟で封印されたのだ。その封印を村の長とやらが解いてくれたのだがな。愚かなことよ」

「封印の勇者…と言うのは魔王レヴィオンを封印した勇者と同じ人物か?」

「レヴィオン?あやつもあの勇者によって封印されていたのか?これは面白いことを聞いたな」

「それで、この神々封殺杖剣エクスケイオンを見て戦意喪失でもしたのか?」

 銀鏡の蜘蛛アトロネは話すばかりで攻撃の一つもしてこない。
 辺りを見回してみても、やつが何か攻撃を仕掛けようとしているようにも見えなかった。
 もしかして対話でなんとかなったりしないか?

「いやはや、嬉しく思うのだ。まさか我を苦しめた武器を使う者を、目覚め早々殺せることをな!」

 銀鏡の蜘蛛アトロネは声高々に宣言した。
 どうやら上手いこと見逃してくれる流れにはならなかったらしい。
 窮地。
 俺は武者震いにも似た体の震えを抑えることに必死だった。

「ワタル…それアルテナ五大古代秘宝の一つだったんだね。納得だよ…」

 ロートはため息混じりに言うものの、その目には希望の光を灯していた。
 きっと古代秘宝の一つである神々封殺杖剣エクスケイオンがあればなんとかなるとでも思っているのだろう。
 だが、神々封殺杖剣エクスケイオンがあったとしてもその使い手は紋章魔法アイデントスペルを使えないこの俺だ。
 剣術に秀でた勇者なんかが使えば状況は変わるだろうが、俺は所詮一ヶ月前に初めて剣を握った凡人。
 あまり期待しないでくれと言いたかったが、ロートにそれを言うことはできなかった。

「死ぬがいい」

 どこが口かも分からないような蜘蛛から重低音が響きわたると、辺りで意思を持ったように蜘蛛の糸が蠢き始めた。
 やがて、俺とロートはなす術も無いまま四方八方を糸で囲まれ、気づけば二人背中合わせになる。
 神光支配ハロドミニオをフル出力させて糸に斬りかかったが、どれだけやっても重畳した銀鏡の蜘蛛アトロネの糸を斬り裂くことは出来なかった。
 まさかこれほどまでに通用しないとは思っていなかった。

神々封殺杖剣エクスケイオンでも…どうにもならないみたいだね」

 ロートも同様に糸に斬りかかっていたようだったが、無理なのを悟ったようだった。

「そう…だな。ごめん」

 ああ、俺はここで死ぬのか?
 まさかレヴィオン以外に殺されることになるとは。
 もはや笑ってしまいそうになる。
 思えばこの世界に来てから酷い人生だった。人の期待を裏切るのは何回目だろう。
 俺なんか死んだ方がマシなのかもしれない。
 
 何故か、俺は楽観的だった。
 死んでしまってもいい。どうせ俺が皆の期待に応えることなんてできないんだから。
 そんな自暴自棄に似た感情を、リリシアが目の前で息絶えた時からずっと持っていたからだと思う。

 ──いや、待てよ。もしかしたら。
 その時、卑屈になる俺の脳内にこの状況を打開できるかもしれない一つの方法が舞い込んだ。
 一か八かの可能性だが、それでもやらない手はない。

「おいロート!もう一度思いっきり糸に斬り込んでみろ!」

「えっ、でも…」

「いいから!」

 躊躇うロートを無視して俺は叫んだ。
 神光支配ハロドミニオの一部をロートの炎剣に流し込みながら。

「な、なんで!?」

 ロートの反応から、ロートの一撃がなんとか糸の層を打ち破ったことがわかる。
 そう、神光支配ハロドミニオは自分だけでなく、触れているものにそのオーラを分け与えることができるのだ。
 二人以上で行動したことが無かったから、今の今まで忘れていた。いいところで思い出した。

神々封殺杖剣エクスケイオン紋章魔法アイデントスペルによる力だ!次が来るぞ!」

 銀鏡の蜘蛛アトロネは自身の糸が打ち破られたことに驚いたのか、俺とロートを取り囲む糸の支配を一度止めたようだった。
 支配から外れた糸は地面にだらしなく落下する。

「我の糸を斬ったのか?神々封殺杖剣エクスケイオンでも無いただの紋章武器アイデントアームで?」

 どうやら先の行動は銀鏡の蜘蛛アトロネの逆鱗に触れたようだった。
 対して俺は、銀鏡の蜘蛛アトロネの糸の攻略口を見つけて拳を握りしめる。
 いける。ロートと俺の二人ならあいつに勝てるかもしれない。

「干からびるまで糸で吊るして食料にしてやろうと思っていたが…回りくどい事は無しだ。一思いに殺してやる」

 随分と物騒な発想をしている。
 次は先ほどよりももっと強力な攻撃がくるらしい。
 状況的に周囲の糸を再び操り始めるはずだと思っていたが…意に反して銀鏡の蜘蛛アトロネは突如七本ある脚の一本を持ち上げた。
 聞いたことがある。
 尻の先からではなく脚先からも糸を出すことが出来る蜘蛛もいると。
 わざわざ周囲の糸を使うことなく、新たに糸を放出するメリットとは。
 俺の脳内で一つの結論が纏まり、絶望を加速させる。
 ヤバイ、そうだとしたら逃げられない可能性が一段と高くなる。

「ロート、逃げるぞ。地下水脈に飛び込むんだ」

 俺は銀鏡の蜘蛛アトロネには聞こえないように小声でロートに逃げ道を指示した。
 このまま戦うよりもあの激流に飲まれた方が生き残れる可能性は高いからだ。

「…わかった」

 ロートも理解したのか、素直に俺の提案に乗ってくる。
 本体を見るまでは、あの禍々しい姿を見てしまうまでは、剣が全く通用しないことを知ってしまうまでは、ロートは確固たる自信を持っていたはずだ。
 自分ならば倒せる、そんな知識不足で若さ故の蛮勇に身を任せた思考が実に愚かなものであったのか、気づいたのだ。

 俺たちは身構える。
 銀鏡の蜘蛛アトロネがその脚先から糸を出す瞬間を見極めて背後に流れる水脈に飛び込むために。
 だが、その作戦が上手くいくことは無かった。
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