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第一章

6. 大迷宮

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 ゼレス大迷宮への入り口は大きな岩によって隠されている。
 こうする事で迷宮内部から谷への侵入を阻んでいるのだ。
 今、俺はその大岩の前に立っている。
 今からこれをどかしてゼレス大迷宮へと踏み出すつもりだ。

「よいしょぉお!」

 思いの外威勢のいい声が出たことに自分で驚きながら、大岩を横に引きずりなんとか人一人入れそうな隙間をこじ開ける。
 日本に居た時はこんな超人的なことが出来たはずもないが、今の俺には一ヶ月の特訓の成果とレベルによる身体能力向上の恩恵、そして神光支配ハロドミニオの力がある。
 後でわかったことだが、神光支配ハロドミニオにはオーラを纏った部位の身体能力を向上させるいう効果があるのだ。
 例えば目に集中させれば視力と動体視力が向上する、といったように。
 刀身以外に纏った場合、防御に特化した能力だと思っていた。

 現れた迷宮への入り口はまるで人通りの無い道に佇んだトンネルを彷彿とさせる不気味さだったが、意を決して中へ潜り込む。
 ひんやりとした空気が頬を撫で、不穏な静謐が耳を抜ける。
 暫く進むと薄明るく照らされた広場に出た。
 フォーミュラによるとこの広場の近くに下の層へ降りるための階段があるのだそうだ。

 ゼレス大迷宮は全部で六十階層。今いる階層は四十六階層にあたるらしい。本来迷宮に挑む際は正式な入り口から中へ入り、一階層から順次攻略していくのが普通なのだが、今回の俺のケースのように抜け穴を利用して途中階層から迷宮攻略を開始するパターンも少なくはないとか。
 フォーミュラ曰く抜け穴の殆どはギルドや冒険者に知られているのだが、ハーマゲドンの谷の抜け穴はおそらく誰にも知られてないという。
 ゼレス大迷宮は数ある迷宮の中でも大きい方で、縦だけでなく横にもかなり大きく広がっているらしい。
 それなら他階層へ行くための階段を探すのは一苦労だと思ったが、階段は複数あり、更に有志たちによって地図が作られているので迷うことはないそうだ。
 その地図は四百年前にはまだ完全に出来上がってはいなかったが、今では確実に出来上がっているという。
 それゆえ今俺の手には無いが、フォーミュラから大体の道順は聞いているので多分大丈夫なはず。
 まあ、覚えているかと言われれば曖昧だし、五十層くらいからは自分で階段を探さないといけないから楽ではないのだが。

 広場中央で空間の隅々を見回し、下の層へ降りるための階段を発見する。
 本来なら下ではなく上に行くはずだった。
 レヴィオンの動きが想像以上に速い事に危機感を覚えるが、実際はレヴィオンがベルフェリオを復活させて何を起こそうとしているかわからない以上、その危機感も曖昧なものだ。
 少し長い階段を降りて下へ向かう。
 フォーミュラは、四十七階層は少し特殊な空間だと言っていた。詳しくは聞いてないためどんな光景が広がっているのかは見てからのお楽しみなのだが…

「…っ!」

 思わず感嘆の言葉が漏れそうになるほどの光景がそこには広がっていた。
 迷宮内だというのに足元には草木が芽生え、少し遠くには幾らか魔物の姿が見える。
 土の匂いから一転し、若き芽吹く森の香りが鼻を突き刺す。
 日本にいた時ですらこんな緑豊かな地には訪れたことが無かった。
 ずっと引きこもって、この世界に来てからも全然外には出なくて……そんな俺にとって、今目の前の光景は魅入るには十分な魅力を抱えていた。
 よく目を凝らしてみると目が三つある熊型の魔物や巨大な二つの鎌を振り回す蝙蝠型の魔物、さらに愛嬌ある兎型の魔物の姿まで確認できた。
 その全てには体の一部に魔石と思しき物が埋め込まれている。

「うっ…」

 熊型の魔物が突如走り出し、兎型の魔物にその自慢の爪を向けた。
 熊型の魔物はすぐさま飛び散った肉片を捕食する。
 声を漏らしては気づかれる可能性があるのでなんとか小声で抑えたが、捕食によって肉が飛び散る光景には目を逸らさずにはいられなかった。
 が、熊型の魔物は俺がこの地に足を踏み入れてから見慣れぬ二本足の生き物を捕らえる事に決めていたようで、その不気味な三つ目を俺の方へと向けてきている。

 そのまま熊型の魔物は胸前に紋章を展開したかと思えば、雑巾を絞るように兎の肉を引き裂いてその血を浴びる。
 すると熊型の魔物の周囲が一瞬黄色の光に包まれた。
 確かフォーミュラは身体強化系の魔法を行使した際には黄色のエフェクトのようなものが現れると言っていた。
 それにより…初めて見るものだったが、熊型の魔物の紋章魔法アイデントスペルは、返り血を浴びれば浴びるほど自身の肉体が強化されるというものなのだろうと推測する。

 初めての実践。
 相手の力量と能力を測る俺に対し、熊型の魔物は兎の血を浴びた事でしっかりと臨戦態勢を整えたようだった。
 こちらを見て不気味に口角を上げる熊型の魔物に、俺は自分が武者震いしていることに気づく。
 それと同時に訓練によって今では不可視となった神光支配ハロドミニオを練り上げていき、俺も戦闘態勢を整える。

 剣を構えているにもかかわらず、臆さず突進してくる熊型の魔物。
 きっとこの階層で好き勝手してきた自分の実力に自信があるのだろう。
 二百メートルほど離れていたように思えたが、自動車を超える速度で疾走する熊型の魔物はもう目の前まで迫ってきていた。
 大丈夫、俺はやれる。
 そう言い聞かせながら俺も熊に近づき、オーラを纏わせた一閃を繰り出す。
 滑らかな動きでするりと獲物を目掛けた俺の剣先は、しっかりと熊型魔物の右腕を捕らえ切り裂いた。
 宙を舞う、魔物の右腕。噴出する鮮血、咆哮。
 
 マジ、か。
 正直意外だった。
 こんなにも自分の動きが魔物に通用することが。
 今までやってきたことは無駄ではなかったのだ。
 だがまだ相手は絶命したわけではない。

 絶叫する魔物の隙を捉えようと、尚も剣を魔物の首筋へと向ける。
 ──いける。

 と、その時。予想外の出来事が生じた。


「なんだ!?」

 突如迷宮内がもの凄い勢いで震え出したのだ。
 それに伴い野性の本能というやつか、先程俺が切り裂いた熊型の魔物を含む魔物たちが一斉に空間の奥の方へと走り出す。
 明らかに異常事態。
 それはまるで地の底から響くような唸り…いや。

「上からか…?」

 頭上から熱のようなものを感じる。それも以前体感した事があるような。

「──レヴィオン!?」

 俺はこの熱の感覚が、レヴィオンの紋章魔法アイデントスペルによって顕現した炎の熱と同じ性質のものであると確信した。
 間違うはずがない。
 あの炎によって俺の心はねじ伏せられたのだから。
 でもそれはおかしい。
 フォーミュラによるとレヴィオンは療養中であり、こんな場所で魔法を行使するわけがない。
 千里眼によって確かめているのだから間違っているはずがないのだ。
 フォーミュラが嘘をついた?

 直後。
 天井を突き破って軽く半径百メートルはありそうな炎弾が現れた。
 それは俺の僅か三十メートル前方をかすめ、地面をえぐり取りながら下の階層へと消えていった。
 その後を追うように人影が三つ、炎弾が作り上げた巨大な穴の中に飛び込んでいくのを確認。
 おそらくあれらがフォーミュラが言っていた魔族なのだろう。
 だがしかし、俺はありえない事態にヘナヘナとその場に座り込んだ。

「レヴィオンはいないって…それに迷宮の床や壁は絶対に壊れないんじゃなかったのかよ…」

 フォーミュラが俺に嘘を教えていたとは思わないが、明らかに情報と違いすぎる。
 今も尚迷宮の大地を焼き続けるほどの熱量を持った炎弾は、間違いなくレヴィオンのものだった。
 咄嗟に神光支配ハロドミニオを全身に纏わなければ、俺の肉体は完全に蒸発して消え去っていたかもしれない。
 しかしこのままへたり込んでいても仕方がないので、あの魔族たちに続いて炎弾が作り上げた穴に飛び込むことにする。
 おそらくあの穴の先は最下層六十階かその近く。
 階段を探して降りる手間が省けたとプラスに考える事にしよう…

「行くか…」

 乗り気はしないが、行くしか選択肢はない。
 この先にある石版とやらを魔族の手に渡してはならないのだ。予想外の出来事で先を越されてしまった。
 俺は再び立ち上がって穴の前へと向かい下を覗き込む。
 穴の先は真っ暗で何も見えない。
 また穴の縁に存在するいまだに高熱でドロドロと溶けている岩片が炎の威力を物語っている。
 多少の恐怖心はあったが意を決して跳躍し、穴の中へ飛び込んだ。

 態勢を崩さないように集中しながら、オーラを足元へ集中させていく。
 そうすれば着地時の衝撃にも耐えられるはずだ。
 赤。
 緑。
 青。
 落下によって高速で階層を跨いでいくうちに、視界に様々な色が巡っていく。まさか迷宮内の景色の変化を楽しむ間もなくなるとは。
 そうは行ってもゼレス大迷宮には転移陣がないため結局帰り道に見る事になり、今気にすることでもないのだが。

 数秒後、足元に多大な衝撃を感じ地にたどり着いたことを察する。
 落下時間は意外と短かった。
 徐々に着地によって巻き上がった土煙が晴れ、視界が明瞭になっていく。
 そうして鮮明になった視界で捉えたのは、四人の魔族たちの姿だった。
 三人は男で、一人は女。レヴィオンはいない。
 女と男たちは対峙しているようで、どちらかがレヴィオンの手下なのは明らかだった。
 レヴィオンの作り出した穴に飛び込んだ影は3つだったので、男たちの方がそうである可能性が高いが、一旦様子を伺った方がいいだろう。

「なんだぁ?冒険者か?」

 男の一人が振り向き、穴から飛び込んできた俺を見て言った。
 それを機に、他の三人も一斉に俺へ目を向ける。

「魔族…ではないな。人間族か?あの穴から降りて無事ってことは相当のやり手ってことみたいだな。お前、何しに来た?」

 三人は俺を見て少し後退りした。
 三人にとって俺は予想外の存在なのだ。

「お前たちがレヴィオンの配下の魔族か?お前らが石版を手に入れるのを防ぐために来た」

 魔族の質問に正直に答える俺だったが、その回答に三人の男魔族たちは動揺したようだった。

「バカな…石版について知っている人間は僅かなはず!」

「そういえばレヴィオン様が言ってなかったか?ワタルという男がこの計画を止めに来るかもしれないと」

 魔族たちは何やら話し合っている。
 静かなこの空間での会話は筒抜けであるのだが。

「お前がワタルで間違いないか?だとしたらお前はレヴィオン様のお気に入りだ。邪魔しない限り殺しはしない。どうする?」

 ここで意外な提案をしてくる男魔族。
 俺がレヴィオンのお気に入りだと言ったか?
 しかも命の保証までされている。
 正直三対二は分が悪い。
 今ここでレヴィオン側の魔族に寝返った方が確実に生きられるんじゃないかなんて考えが思い浮かんでくる。
 しかしそんな思考に屈していては一生後悔に苛まれる結果となるだろう。
 それにきっとこいつらは勝てない相手ではない。
 それにここで寝返れば俺を育ててくれたフォーミュラに顔向けできないし、レヴィオンに屈服して命乞いしたあの恥までも無駄なことになる。
 だから俺は──、

「残念だがレヴィオンに石版を渡すわけにはいかない」

 神々封殺杖剣エクスケイオンを構え、その剣先を三人へと向けた。
 剣先を向けたことにより、男魔族の一人はやれやれといった風に口笛をヒュウと鳴らす。

「どうやらあいつは死にたいらしい。レヴィオン様に気に入られてるのも気に食わないしな。あいつは俺がやる。お前らはリリシアをやれ」

「「了解」」

 どうやら三人の男魔族達と対峙している女性はリリシアという名らしい。
 というか一対一で勝てると思われてるなんて随分と舐められものだ。
 まあレヴィオンから俺の情報は共有されているみたいだし、雑魚と思われていても仕方ないのだが。

「行くぞワタル。私の名はデオフライト。いざ尋常に!!」

 デオフライトと名乗った男は背中から大剣を抜き取り構えをとった。

「随分礼儀正しいんだな。一応名乗っとくが俺はワタルだ。じゃあ行くぞ!」

 意外と礼儀正しい魔族に驚いた。
 しかし相手はこちらを殺す気でいる。
 なら自分も相手を殺すくらいの気概で挑まなければならない。

 こうしてこの世界に来てから初めての、まともな対人戦闘が始まった。

 まず、この世界の戦闘において警戒しなければならないのは相手の紋章魔法アイデントスペルの存在。
 紋章魔法アイデントスペルはその性質上、一人の人間につき一つの魔法しか使うことができない。
 例えばレヴィオンは炎を操る魔法しか使うことができず、水魔法や封印魔法なんかは扱うことができない。
 つまり神々封殺杖剣エクスケイオン神光支配ハロドミニオ以外の魔法を使うことはできない。
 よって、相手がどのような紋章魔法アイデントスペルを使うかどうかを知ることが鍵となっているのだ。

 また、意外と盲点になっているのは紋章武器アイデントアームの存在だ。
 何故なら紋章武器アイデントアームは使える人が極端に少なく、紋章魔法アイデントスペルとは別に使うことができるからだ。
 紋章武器アイデントアームの使い手にとっては、戦闘を魔法だけで行い、追い込まれたら隠していた紋章武器アイデントアームで一発逆転なんてのは珍しくないらしい。
 まあ、強い冒険者や魔王なんかになると、紋章魔法アイデントスペル紋章武器アイデントアームの性質が知れ渡ってしまっているので、そんな戦法を使える人物は限られているのだが。

「レヴィオン様にはお前は剣術すらままならない小僧だと聞いていたのだが、この一ヶ月だけで随分実力を伸ばしたみたいだな?」

 暫く剣を交えながらデオフライトと名乗った魔族は俺に話しかける。
 その表情にはまだまだ余裕が見えるが俺もまた然りだ。

「ああ。お前なんかで手こずってるようじゃレヴィオンを倒すなんて夢のまた夢だがな!」

 通じる。自身の剣術が確かに剣の世界の住人に通じている。
 相手が魔法を使わないのは不自然だが、暫く抗戦を続けているうち、少しづつだが相手に攻撃が通り始めてきた。
 特訓の確かな手応えを感じて思わず笑みが溢れる。

「戦闘の中で笑うほどの余力があるか。ならこれはどうかな!」

 それに焦りを感じたのか、デオフライトは背後に跳躍して俺から一度距離をとった。
 その状態でやる事として考えられるのは一つだ。

「長距離系の紋章魔法アイデントスペルか…厄介だな」

 魔法が使えない俺にとって炎弾を跳ばしたり、弓を使うなどの長距離型の魔法や武器は圧倒的に不利だ。デオフライトはそれを察したのだろう。
 デオフライトは地面に大剣を突き刺し、自身の紋章を露わにさせ、更に右手を突き出してそこから魔法陣を一つ展開させた。
 輝く小円は七つ。俺よりも二レベル上だ。
 刹那、そこから飛び出したのは光速の電撃。
 俺の動体視力ではその電撃を僅かしか視認することはできなかった。

「はは、どうだ?動けないだろ?」

 勝ちを確信したようにデオフライトは紋章を消した。
 だが、俺にとってその電撃攻撃は致命的なものとはなっていなかった。

「いた…くない」

 放たれた電撃の質から考えて、デオフライトの魔法はおそらく威力に特化したものでは無く、相手を痺れさせて拘束するのに特化したもの。
 よって、常に全身に神光支配ハロドミニオを纏わせていた俺の生身に、その電撃は届かなかったのだろう。

「何!?」

 これにデオフライトは一段と焦りを示したように見えた。
 おそらくデオフライトは剣術が不得意だが、この魔法の力によって成り上がってきた男なのだろう。
 このままではまずいと感じたのか、デオフライトはリリシアと戦っているはずの二人に助けを求めた。

「おい!こっちに来てくれ!リリシアは後回しだ!」

 それはまずい。
 デオフライト一人でもなんとか戦っていたのに、仲間を二人も呼ばれたら確実に勝ち目がなくなる。
 が、男魔族二人からの反応は無かった。代わりに反応を示したのは、その魔族二人と対峙していたリリシア。

「こいつらのこと?」

 危険だが、一度デオフライトから視線を離しリリシアの方を向く。
 それはあまりにもデオフライトがリリシアの方を凝視していたからだ。

「まじ…か…」

 呟きながら、見た先にあった光景に絶句する。
 リリシアの両手には二つの塊があった。よく見ると、それはデオフライトが助けを呼んだ二人の首に他ならなかった。

「ひぃ!!!」

 それを見て自らの行く末を悟ったのか、デオフライトは情けない声を上げた。
 リリシアは容赦無く二つの生首を地面に放ると、魔法陣を展開させる。
 そのレベルは九。これほどの実力を持っていてもレベルが十じゃないのには驚いた。

「ごめんなさい」

 リリシアの謝罪の言葉と共に魔法陣から放たれる氷の礫。直後、空間内に響く肉を切り裂く音。
 ガシャリと鎧の音を立てながら崩れ落ちたデオフライトの肉体から、首より上は消え去っていた。
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