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第一章

3. 絶望、吐き出した言葉は

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「この竜を殺したのは貴方?」

 背後から聞こえるその声は、重くのしかかるようだったが、透き通った女性のものである事に俺は驚きを隠せなかった。

「お前が…魔王レヴィオンか?」

 今この状況で俺の背後に存在し得るのはレヴィオンしか考えられないのだが、俺はまだ半信半疑でいた。
 『魔王』という言葉から、暴虐な化け物をイメージしていたからだ。
 まさか…こんな美しい声の持ち主が魔王だというなんて。
 そして俺はそんな声の持ち主を殺さなくてはならないのか。

「ええ…そうよ。私はレヴィオン。こちらを向きなさい」

 意識に摩擦なく入り込む魅惑の美声を自然と受け入れ、振り返る。
 この声には逆らえないような魔力が秘められてる気がした。

「え…」

 俺は構えていた神々封殺杖剣エクスケイオンを下ろし、目の前の魔王、レヴィオンに見入る、見入ってしまう。
 『魔王』の言葉にそぐわない清廉な女性が、そこに佇んでいた。
 色白な肌と、全てをのみ込んでしまいそうなほどに美しい緋色の眼球。
 腰まで伸びた白銀の長髪が、一糸纏わぬその姿をまた美しく彩っている。
 そして一段と俺の目を奪ったのは胸の上辺りに埋まっている紫色の巨大な石、魔石だった。
 薄暗闇でもキラキラと艶かしく輝くそれを、しばしの間見つめてしまう。

「貴方…いい服を着ているわね。私に頂戴」

 意識が錯乱した俺の脳内にまたもや魅惑の声が囁きかける。 
 俺は訳もわからぬまま、近づいて来たレヴィオンに着ていたロングコートを剥ぎ取られた。
 レヴィオンはその際に俺の顔を覗き込んで驚いたように見えたが、その真意はわからない。

「少し肌に擦れるけど…いいデザインの服ね。今は…私が閉じ込められてから四百年後で合ってるかしら?」

 レヴィオンの質問に俺は我に返ったように頭を振る。
 何をしているんだ、俺は。倒すんだろうコイツを。

「…貴方はここで私の復活を待っていたの?」

 無反応の俺に怪訝そうに眉を潜めるレヴィオンだったが、すぐに質問を続けてくる。
 確かにこの状態を前にすれば、俺がレヴィオンの為にヴァルムを殺し、レヴィオンの復活を待っていたと思われても仕方ないだろう。
 ならレヴィオンを殺すのは油断している今が好機だ。
 俺は、質問の答えを返すことなく剣を構える。

「違う…みたいね。面白い」

 俺の行動に、レヴィオンは理解したのか微笑んだ。
 ヴァルムの話によると、レヴィオンは封印開放直後で弱っているはず。それなのに余裕そうに微笑み続けているレヴィオンは異様で、不気味だった。
 しかし、形振り構っていられない。
 このまま何もせずにレヴィオンの好きに行動させてしまえば、悪い方向に進んでしまうのは分かっている。

 俺は目の前の魔王が臨戦態勢になる前にと、刀身に神光支配ハロドミニオを集中させた。
 だが、目の前の魔王に対する殺意は未だ曖昧な物だった。躊躇いがあるのだ。
 ヴァルムは人間では無かった為、罪悪感に似た感情はあったものの斬り伏せる事ができた。
 だが今回の相手は完全な人型。
 いくら人の皮を被った魔王と言えども、切り裂くにはそれ相応の勇気がいる。明確な恨みがあるわけでも無いのに。

 それでも。それでも決めた。ヴァルムと約束した。四百年も孤独に俺を待っていてくれたヴァルムと。

「行くぞ!!」

 覚悟を決め、高々と神々封殺杖剣エクスケイオンを振りかぶり、目を瞑って力一杯に目の前の魔王へとそれを振り落とす。
 剣技などまるで知らない素人の剣撃。
 野球のバットを振るかのような軌道で不格好に閃くその剣先は、確かにレヴィオンの首筋を捉えたかと思えた…が、しかし。

 キィィン!!

 おかしな音が広大な空間に響き渡った。
 レヴィオンは何も持っていなかったはず。
 こんな金属音が響くわけがないのだ。
 その原因を確かめようと恐る恐る目を開けた俺は、驚愕、そして困惑に目を見開く。

 力一杯振るったはずの俺の剣は、レヴィオンの左手小指の爪で受け止められていた。
 剣術も何も知らない俺でも鱗で覆われた竜の首を切り落とせる程の剣を、爪如きに止められた。

 俺はここで相手との力の差を理解する。理解させられてしまう。
 封印直後と言えど、かつて勇者ですら封印するのが手一杯だった相手。
 本来ならこのメルクリア大迷宮を攻略できるような人物が対峙するはずだった相手。
 たかだかぬるま湯に浸かるような生活を送ってきた高校生ごときに殺せる相手では無かったのだ。

「ふうん。貴方はあの忌々しい勇者くんと違って、不意打ちはしないのね。気に入ったわ。殺しはしない。一緒にあの転移陣から地上へと出ましょう?」

 レヴィオンは神々封殺杖剣エクスケイオンのあった台座を指差しながら言った。
 確かにいつのまにか台座の上には紫色の魔法陣が展開されている。
 ここは迷宮の最下層。地上へと繋がる転移陣があってもおかしくないのだろう。
 ここで魔王の提案に屈するという手はある。
 いや、それが最善の策だとも思われる。
 勝てない相手に無闇に突っ込み、命を無駄に散らすよりも。
 俺は迷った。このままレヴィオンに反抗するか、提案に乗って身の安全を保障されたまま外へ出るか。そんな下賤な迷いが、脳内を支配し始めた。

 だけど。それだけど──俺は。

「ダメだ。お前を…魔王を地上へ行かせるわけにはいかない」

 諦めない。決めたのだ。
 例え瀕死になろうとも、ヴァルムの意思を無駄にするわけにはいけない。
 漫画やアニメで例えるときっと大丈夫だ。
 きっと今の俺は主人公。きっと今、魔王を倒し切れる。そう自分に言い聞かせた。
 言い聞かせることで自分を奮い立たせた。

「あらあら。さっきの動きを見てわかったけど…貴方ロクに剣を振るったこと無いでしょ?諦めなさい?」

 レヴィオンはとっくのとうに俺の平凡以下の実力を見透かしている。
 だが俺は無視して再び剣を振るった。
 レヴィオンの胸部で煌めく紫色の魔石めがけて。
 だが剣は当然、軽々と弾かれる。
 ならば突きだ。
 それも難なく弾かれる。
 もう一度。
 弾かれる。
 もう一度。
 弾かれる。

 まるで赤子の手を捻るかのように易々と、俺の渾身の一撃は弾かれていった。

「はぁ~。遅すぎてあくびが出ちゃう。それにしても心外。心外だわ。どうしてこんな小僧が私を相手できると?」

 レヴィオンが話す間にも俺は剣を振り続ける。
 しかしその斬撃の全ては爪だけで弾かれていく。
 完全に遊ばれていることは分かっていた。
 封印開放直後のリハビリとでも思われているのだろうか?

「そんな退屈な攻撃ばかりしてないで、魔法でも見せて頂戴?」

 レヴィオンは俺を指差して挑発してみせた。
 しかし俺はその挑発に乗ることはできない。

「使えない」

 俺の紋章は死人の紋章コープスアイデント
 魔法を使いたくとも使うことは出来ないのだ。

「何故?手加減してくれているのかしら?貴方レベルは?」

 俺は紋章を展開させた。胸前に現れたのは案の定、灰色の死人の紋章コープスアイデント
 だが紋章内にある十個の小円の半分は蒼く煌めいている。

「レベルは…五だ」

 そう呟きながら自分の身体が幾分身軽になっているのを感じる。
 ただのプラシーボ効果かもしれないが、レベル上昇につれて身体能力も少しは向上するのかもしれない。
 いや、ヴァルムの言い分からして確実に向上している。
 だとしたら今の俺は元の世界ではできなかった程の跳躍や、アクロバティックな動きが可能になっているのかもしれない。

 レベル上昇に伴う身体能力向上の可能性について昂る俺を、レヴィオンは呆れたように見つめていた。

「レベル五?それに死人の紋章コープスアイデント?それで私と?そしてそれ神々封殺杖剣エクスケイオンでしょ?ロクに扱えてないじゃない。ハハハ。舐められたものね」

 レヴィオンの声が急に笑い混じりのものから冷徹なものへと変化したかと思えば、それと同時にレヴィオンは背後に跳躍し、胸前に真紅の紋章を展開して見せた。
 十個ある小円はもちろん全て蒼く煌めいている。
 瞬時に目の前の魔王は魔法を使うつもりだと判断し、身構える。

「殺さないつもりだったけど、もういいわ」

 レヴィオンの紋章がより一層輝き始め、レヴィオンの頭上に巨大な魔法陣が展開されると、そこから更に巨大な炎が出現した。
 それにより薄暗かった迷宮内の空間が、一気に昼間の様に明るくなる。
 言わばそれは一種の太陽の様だった。
 封印される程の魔王が使う魔法はこれ程のもの。
 埒外の光景に震えが止まらなくなる。

 こんな相手に敵うはずは無かったのだ。

 何を根拠にあの赤竜…ヴァルムはこの化け物を俺如きが殺せると思ったのだろうか?
 恨みにも似た感情が湧き上がってくる。
 何故ならレヴィオンが具現した、視界を凶悪なまでに歪ませる陽炎を作り出す炎球、それがあまりにも鮮明に俺に死のイメージを植え付けたのだ。
 あんなものを食らったら確実に塵一つ残らず俺の肉体は消失してしまうだろうに、そんな敵との対峙をヴァルムは強要したのか。
 この世界に来たばかりで右も左もわからない、戦い方も知らない俺に。
 明確な死への恐怖は俺の弱い意思を簡単にへし折り、捻じ曲げた。
 もはやヴァルムとの誓いなんて、どうでも良いものになっていた。

 そうして何も考えられなくなってしまった俺の口から出てきたのは──、

「その…わかった。俺はお前に…勝てない。今回は見逃して…くれ」

 只の命乞いの言葉だった。

 四肢が震えだし、神々封殺杖剣エクスケイオンへの意識が散漫になる。徐々に神光支配ハロドミニオの勢いは衰えていって、消失する。
 情けない、だが死んでしまったら何もかも終わりだ。今勝てなくても、いつかやればいいじゃないか。
 そんな自分を生かすための思考が、意図せず言葉となって俺の口から溢れ出ていた。

「ええ?貴方一度断ったわよね?私、優柔不断な男の子は嫌いよ。あら?もしかして私の魔法を見て怖気付いちゃった?随分と意志が弱いのね」

 俺の命乞いに、レヴィオンは尚も冷徹に返す。
 ダメだ、なんとかしてコイツを説得させないと、今ここで俺は死んでしまう。

「頼む。俺にはやらなきゃいけない事がある」

 俺は震える体で頭を垂れた。絶対にコイツ…魔王の機嫌を損ねてはならない。
 格上の相手に謙るのに、不思議と羞恥心は感じられなかった。

「へぇ~。何?」

 レヴィオンは頭を深々と下げる俺に侮蔑の目を向けたようだった。
 もはや魔王レヴィオンには、目の前の俺は無力な家畜同然の存在に見えているのだろう。

「それは……」

 言葉に詰まる。何故ならそれ・・はとてもこの状況で言えるようなものではないから。

「ふん。まあいいわ。少し興醒めだけど。じゃあ…この服に免じて今回は見逃してあげる。どう?私と一緒に地上へ行く?」

 レヴィオンは俺から奪い取ったロングコートを翻し、自身の魔法を解いた。
 辺りは再び薄暗い空間へと戻る。

「いや、いい。俺は…後から行く」

「そう。じゃあ、またね。そう言えば、貴方の名前は?」

「俺は…ワタルだ」

 レヴィオンはそれを聞くと満足げに微笑み、そのまま台座へ上って紫色の魔法陣の上に身を乗せた。
 瞬時にその姿は光に包まれて消える。
 紫色の魔法陣はレヴィオンの言う通り地上の何処かへ繋がっているので間違い無いだろうと思われた。

「はあ…」

 俺はレヴィオンの姿が完全に消えた事を見届けると、ため息を吐きながらその場にへたりこんだ。
 未だに脳裏にはあの巨大な炎球が焼き付いている。

「ごめん…ごめんヴァルム。今の俺じゃアイツに勝てないよ…死んだら元も子もないだろ…?必ず生きて…強くなってアイツを倒すから。今はこの不甲斐ない俺を許してくれ…」

 自身が切り捨てたヴァルムの頭部に手を置きながら、先程の情けない言動を思い返す。
 本当に情けない。
 物語の主人公ならば、あそこで屈服することなどなかっただろう。
 でも俺はただの日本人だ。剣も魔法も知らないただの一般人だ。主人公なんかじゃ無かった。
 ただただ俺は俺を何百年も待ってくれていた竜を殺し、その死を無駄にしたのだ。

「あれ?」

 俺は手に落ちた小さな水粒をみた。ここは洞窟内。
 雨なんか降るわけ無いのに。

「そうか…思ったより悔しかったんだな…俺」

 死を拒み、生にしがみついた。
 犠牲にした赤竜の思いをないがしろにしてまで。

 でも、死んでしまっては元も子もないではないか。生きていればいずれチャンスは巡ってくる。そんな悪魔の囁きを受け入れてしまった。
 後になって自分を責め出すが、あの判断が正解だったと思う自分がいる事もまた癪に触った。

「ヴァルム許してくれ。待ってろよレヴィオン…俺は絶対にあの魔王を倒せるくらいには強くなってやる」

 立ち上がり、制服の袖で頬を伝う水を拭いとる。
 やらなきゃいけないこと…『打倒レヴィオン』をこの胸に刻み付けて。

 その時、左腕にはめた竜王のリングの宝石が、キラリと輝いた気がした。



 薄暗い迷宮最下層の広大な空間で、何時間経っただろうか。
 ヴァルムの首の断面から流れる血は、既に地面に吸収され固化してしまっている。
 そこで俺はただ一人、呆然としていた。これからどうすればいいのか検討もつかないし、行くあても無い。
 神々封殺杖剣エクスケイオンの台座に現れた紫色の魔法陣から地上へ出ることは出来るが、どうも気が進まない。
 先に行ったレヴィオンが待ち構えているかもしれないし、レヴィオンが居なくても魔物の蔓延る場所に出るかもしれない。
 推測に過ぎないが、今の時刻を考えれば地上は恐らく夜。
 危険の少ない朝に地上へ出た方がいいだろう。

 この場にはゲームもスマートフォンも何も無いので、やる事はただ呆然と考え事をするしかない。
 この世界で生き残るためにはまず何をすべきだろう?
 食糧を確保すること?
 その為には金が必要?
 金はどうやって手に入れればいいんだ?
 そういえばこの空間に来る前にあった食欲も、すっかり無くなっている。

 日本にいた頃にはあまり深く考えてこなかったような事が、次から次へと溢れてくる。
 俺は自分がいかに恵まれた環境で生まれ、育ってきたのかを痛感した。
 ダメだ、寝よう。
 このまま無駄な時間を過ごすよりも、睡眠はしっかりとった方がいい。
 とりあえずなんとか落ち着いて寝れそうなスペースを確保して、様々な思考を巡らせながらも意識を夢の中へと旅立たせた。
 疲れていたのか、早く眠りにつけたのだった。


 背中に広がるゴツゴツとした感覚と痛みで俺は飛び起きた。どうやらこの劣悪な環境下でも眠れたらしい。

「…行くか」

 誰もいない空間内でポツリ呟く。音を吸収するものがほとんど無い空間内で、その声はやけに響いた気がした。
 そのまま神々封殺杖剣エクスケイオンがあった台座へと足を進め、紫色の魔法陣の上へ立ち、最後になんとなくヴァルムの死体の方を見る。
 その瞬間、紫色に輝く魔法陣は光を強めた。

「ごめん…」

 ヴァルムとの別れ際に不意に出た言葉は謝罪の言葉だった。


「ここは…?」

 魔法陣の光の収束と共に辺りを見回すと、岩の壁に左右を囲まれている事に気付いた。
 壁と壁との感覚は大凡二メートル。それが前後に見渡す限り続いている。
 俺は一瞬再び洞窟の中に転移したと思ったが、その考えは見上げた先にあったものによって否定された。

「眩しい…」

 太陽の光だ。
 先程まで薄暗い空間に居たからか、突如視界に飛び込んできた眩い光に思わずたじろぐ。
 というか異世界にも太陽はあるらしい。

「ここは…崖の下か?」

 左右は岩の壁に阻まれており、天高く登った太陽からの光が頭上から降り注いでくる。
 地上までは数百メートル…といったところか。
 その状況から考えてみるに、どうやら俺が目覚めたのは真昼間のようだった。
 昼間まで寝ているなんて予想外の連続で思いの外疲れが溜まっていたのかもしれない。
 それとも時間軸が日本とは全く異なっているのだろうか?

「やあ。ようやく出てきたんだね」

 背後から突然投げかけられた、聞き慣れない声に咄嗟に振り向く。
 そこにいたのは白銀の髪を持つ少年だった。
 こんな場所に人間が?明らかにおかしい。

「誰だ?まさかレヴィオンの手先か?」

 辺りを見回した時にレヴィオンの姿は見えなかった。
 待ち伏せしてるとも思わなかったが、手先を寄越してくる可能性は無くはないはずだ。少年の口調は俺を待っていたかのようだったし。
 しかし俺のそんな考察は杞憂に終わる。

「違うよ。僕はフォーミュラ。ヴァルムの友達で、ワタル。君をずっと待っていたんだ」

 フォーミュラ、そう名乗った少年は神々封殺杖剣エクスケイオンを構えた俺に対し両手を挙げ敵意が無いことを示してくる。

「ヴァルムの友達か…つまりお前も俺の事を四百年も待っていたって事か?」

「そうだね」

 冗談めかして聞いたのに、あっさりとそれは肯定された。
 俺は驚きもせずに考えつく当然の疑問を口に出す。

「この世界の住人の寿命はとんでも無く長いのか?」

 リオーネ、レヴィオンにヴァルム。それに目の前のフォーミュラまで四百年以上生きていることになる。
 俺が会ってきたほぼ全員がそれくらい生きているということは、そう考えてもおかしくないだろ。

「いやそんな事は無いよ。人間族は八十年生きれば長い方だね」

「人間族…という事はこの世界にはいろんな種族が居るって事か。それにしてもお前は俺の『この世界』という発言に反応しないんだな。つまりお前は俺が別の世界から転移してきた者だと知っているのか?」

 ヴァルムは俺が転移者だと知らなかった。
 だとしたらフォーミュラも俺が転移者ということは知らないはずだ。
 ただ単に聞き逃しただけか、それとも…

「うん。僕の紋章魔法アイデントスペルは所謂『千里眼』ってやつでね。ヴァルムとのやり取りも見てたし、聴いてたよ。驚いたけど、納得のいったこともある」

「じゃあレヴィオンとのやり取りも聴いてたのか?」

「勿論」

 まさかあれを見られていたなんて。
 ヴァルムを切り捨て、レヴィオンに対し潔く降伏したことを。

「その…すまない。お前の友達を……俺は…!」

 ああ、俺は何てずるいやつなんだ。
 誰にも見られてないから、まあいいや。
 そんな気持ちが俺の行動を正当化させていた。
 誰かに見られていたと知った途端に掌を返し、謝罪の言葉を述べるなんて。

「まあ…僕もびっくりしたよ。でもレヴィオンに降伏した事を責めたりはしない。僕やヴァルムは君がメルクリア大迷宮を攻略してくる事を前提としていたんだ」

 フォーミュラは優しく諭すように、微笑みながら語った。
 だが、俺にとってその微笑みは胸に突き刺さるようで痛かった。

「そう言ってもらえるとありがたい…」

 よかった、責められなくて。
 そう思ってしまう自分がつくづく嫌いになりそうだった。
 にしても未来視の勇者とやらは…俺がメルクリア大迷宮に転移でやってくることまでは読めなかったみたいだな。
 流石にそこまで万能では無いってことか。

「まあ、ついてきなよ」

 フォーミュラはそう言うと踵を返し歩き出した。
 遠方を見渡してみてもあるのは岩壁ばかり。
 下手に歩き回っても迷うだけなので、大人しくフォーミュラの後をついていくのがいいだろう。
 暫く歩いた先でフォーミュラは立ち止まり、岩壁の一角に手をかざした。
 するとかざした部分から岩が下に沈み込み、硬質な鉄扉が姿を現した。

「凄いな…これも魔法なのか?」

「いや、これは普通のカラクリの類だよ。下手に隠蔽魔法なんかを施すと、魔法の痕跡からバレてしまうんだ。レヴィオンだったら簡単に見破れるだろうしね」 

 魔法の痕跡、か。
 紋章魔法アイデントスペルによるものでないとすれば、俺も成長すれば見えるようになるのだろうか。

「…そう言えばレヴィオンはどうしたんだ?」

 もうこの近くにはいないだろうが…

「レヴィオンは、現れるなり凄い勢いで壁をジャンプで登ってったよ」

「そうなのか…」

 俺はレヴィオンが、某赤帽子を被ったキャラクターの如く壁キックで崖を登っていく光景を想像して苦笑した。

「取り敢えず入りなよ」

 フォーミュラが鉄扉を押すと、ギギギと滑舌の悪そうな音を立てながらも、重厚な見た目に反してすんなりと扉は開いた。
 扉の奥は洞窟のようになっており、岩壁をそのまま削って作ったのだろうことがわかる。
 フォーミュラに続いて中に入り少し進むと、空間となっている場所へ辿り着いた。
 壁にはランタンの様なものがかけられており、適度に室内を照らし出している。
 部屋の中央には木製のテーブルと椅子。必要最低限の家具以外無いといった感じだった。
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