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第十話 『天女』
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【義守】
「なぜ、わたしだけが生き残ったのでしょう」
震えが伝わってきた。
かたわらに座り込んだ姫が、おれの袖を握りしめているのだ。
「お前が殺したわけではあるまい」
「わたしの我儘が引き起こしたのです」
先ほどまでの様子とは打って変わって声も震えている。
他人の慰めの言葉など耳に入らぬのだろう。
言いたいことを吐き出した方が気がまぎれるだろう。
説き伏せようとは思わなかった。
おなごを説き伏せるのは、人喰い熊を倒すより何倍も難しい。
「わたしにおなごとしての魅力があれば、このようなことにはならなかったものを」
どうやら、それがこの姫の悩みらしい。
まったく面倒なことだ。
置き去りにできる機会は失ってしまった。
だんまりを決め込みたいところだが、また、護刀を手にされてはかなわない。
「おなごの機嫌を直したかったら……」
かつて、年上のおなごから聞かされたことを想い出した。
贈り物に加え、見目形と性根の両方を、特技があれば、それも褒めるのだと、そのおなごは言った。
性根については、これと言った言葉が思い浮かばなかった。
やむを得ず、滝つぼで見た印象を、そのまま口にした。
「そうでもなかろう。天女が舞い降りてきたのかと思ったぞ」
【輝夜】
男の言葉が、すぐに理解ができなかった。
やがてそれは、じわりと心にしみた。
想定していなかった答えに顔が火照った。
指の先まで火照った。
体中が熱くなった。
確かに、帳のおりた山深い川面を蛍が優雅に舞う様は幻想的だった。
自らもそれに酔うほどに。
ならば、月下の水面に立つ白い裸体は、人ではないものに見えたかもしれない。
だとしても、いきなり言葉で口説くなど野暮なことこの上ない。
褒めるにしても歌にしたため、返歌を待つのがたしなみと言うものだ。
素養ひとつなく、男女の機微もわからぬ朴念仁なのだ。
――いや、喜ぶのは早計である。
このような状況に置かれたおなごに「その通りだ」という男はあるまい。
かつては、見目形を褒めそやされた。
それが日常だった。当たり前だった。
父など、『竹取物語』から引用して、わたしのことを「輝夜姫」と呼んでいたほどである。
今の女房のひとりも、かつては母に仕えていた。
ゆえに、時おり「輝く藤壺」と呼ぶ。
入内して一年――ようやく帝に愛されない理由に思い当たった。
これまでわたしの見目形を褒めそやしていたのが、家族、親族、使用人ばかりだったことに気がついたのだ。
並ぶことなき権勢を誇る左大臣。
その姫君の見目形を悪く言うものなどいるはずがない。
そもそも貴族の姫君であれば、裳着を済ませば男には一切顔を見せない。
幼い頃でさえ、そうそう他人に顔など見せることはない。
追従と、ご機嫌とりの言葉に、うぬぼれていたことに、ようやく気付いたのだ。
帝に愛されぬのは見目形の為であろうことに。
事実、梅壺様は、おなごの自分が見ても、はっとするほど美しく愛らしかった。
そして、明るかった。
それでも、当初は負ける気はしなかった。
周りも持ち上げた。
だが、帝は訪れてくださらなかった。
上の句を詠んだが、下の句を継いではくださらなかった。
自信と誇りは徹底的に打ち砕かれた。
以来、見目形に自信を失った。
――天女に例えられたのは初めてだ。
調子の良い男なら腹が立っただろう。
救いは、心にもないことを口にするような男には見えなかったことだ。
卑下するほどではないのかもしれぬ。
自信を取り戻すまでには至らなかったが、胸の奥に小さな灯りがともったかのようにほんのりと暖かくなった。
*
「なぜ、わたしだけが生き残ったのでしょう」
震えが伝わってきた。
かたわらに座り込んだ姫が、おれの袖を握りしめているのだ。
「お前が殺したわけではあるまい」
「わたしの我儘が引き起こしたのです」
先ほどまでの様子とは打って変わって声も震えている。
他人の慰めの言葉など耳に入らぬのだろう。
言いたいことを吐き出した方が気がまぎれるだろう。
説き伏せようとは思わなかった。
おなごを説き伏せるのは、人喰い熊を倒すより何倍も難しい。
「わたしにおなごとしての魅力があれば、このようなことにはならなかったものを」
どうやら、それがこの姫の悩みらしい。
まったく面倒なことだ。
置き去りにできる機会は失ってしまった。
だんまりを決め込みたいところだが、また、護刀を手にされてはかなわない。
「おなごの機嫌を直したかったら……」
かつて、年上のおなごから聞かされたことを想い出した。
贈り物に加え、見目形と性根の両方を、特技があれば、それも褒めるのだと、そのおなごは言った。
性根については、これと言った言葉が思い浮かばなかった。
やむを得ず、滝つぼで見た印象を、そのまま口にした。
「そうでもなかろう。天女が舞い降りてきたのかと思ったぞ」
【輝夜】
男の言葉が、すぐに理解ができなかった。
やがてそれは、じわりと心にしみた。
想定していなかった答えに顔が火照った。
指の先まで火照った。
体中が熱くなった。
確かに、帳のおりた山深い川面を蛍が優雅に舞う様は幻想的だった。
自らもそれに酔うほどに。
ならば、月下の水面に立つ白い裸体は、人ではないものに見えたかもしれない。
だとしても、いきなり言葉で口説くなど野暮なことこの上ない。
褒めるにしても歌にしたため、返歌を待つのがたしなみと言うものだ。
素養ひとつなく、男女の機微もわからぬ朴念仁なのだ。
――いや、喜ぶのは早計である。
このような状況に置かれたおなごに「その通りだ」という男はあるまい。
かつては、見目形を褒めそやされた。
それが日常だった。当たり前だった。
父など、『竹取物語』から引用して、わたしのことを「輝夜姫」と呼んでいたほどである。
今の女房のひとりも、かつては母に仕えていた。
ゆえに、時おり「輝く藤壺」と呼ぶ。
入内して一年――ようやく帝に愛されない理由に思い当たった。
これまでわたしの見目形を褒めそやしていたのが、家族、親族、使用人ばかりだったことに気がついたのだ。
並ぶことなき権勢を誇る左大臣。
その姫君の見目形を悪く言うものなどいるはずがない。
そもそも貴族の姫君であれば、裳着を済ませば男には一切顔を見せない。
幼い頃でさえ、そうそう他人に顔など見せることはない。
追従と、ご機嫌とりの言葉に、うぬぼれていたことに、ようやく気付いたのだ。
帝に愛されぬのは見目形の為であろうことに。
事実、梅壺様は、おなごの自分が見ても、はっとするほど美しく愛らしかった。
そして、明るかった。
それでも、当初は負ける気はしなかった。
周りも持ち上げた。
だが、帝は訪れてくださらなかった。
上の句を詠んだが、下の句を継いではくださらなかった。
自信と誇りは徹底的に打ち砕かれた。
以来、見目形に自信を失った。
――天女に例えられたのは初めてだ。
調子の良い男なら腹が立っただろう。
救いは、心にもないことを口にするような男には見えなかったことだ。
卑下するほどではないのかもしれぬ。
自信を取り戻すまでには至らなかったが、胸の奥に小さな灯りがともったかのようにほんのりと暖かくなった。
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