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第九話 『下賤な男』
しおりを挟む【義守】
羽衣に見えたものは姫の薄物だった。
岸辺の木の枝に掛けられたそれが、風にそよいでいたのだ。
その姫はと言えば、納屋の奥にたっぷりと藁を盛ってやったが、このようなところでは寝られるはずがないと文句を言った挙句、仰向けに寝転んでいたおれの傍らに佇む。
濡れた髪を乾かすための布を革袋から出して渡してやっても、箱の上に載せたままだ。
おれが横になった場所は入口に近く、月明かりがさしこんでいる。
その近くに立てば顔を隠すことは難しい。
相変わらず蒸し暑い。
それでも肌が透けて見える薄物一枚と言うわけにもいかないのだろう。
姫は小袖を脱ごうとはしなかった。
袖に血がついていなかったら、袿でさえも脱がなかっただろう。
納屋にあった竹と縄を使って、その袿をかけるための衣架(いか)を即席で作ってやった。
あれほど口うるさかった姫が、だんまりを決め込んでいる。
さすがに気鬱に沈んでいるのだろう。
おなごに話しかけるのは気が進まなかったが、同じことを繰り返されても面倒だ。
会話をした方が気が紛れるのではないかと、
「化粧はせぬのか?」と、尋ねてみる。
間髪おかず、木で鼻をくくったように返してきた。
「する必要がないのです」
裳着をとうに済ませた貴族の姫であれば、そうもいかぬのではないかと思うが、当人が言い切るのであれば口をはさむことではない。
おれとは話したくないのだろうと、
「そうか」と、答え、目を閉じた。
ところが一泊置いて、
「あなたは、どうなのです」と、尋ねてきた。
何のことだと、目をやると、
「あなたは、おなごの化粧をどう思うのです」と、口にする。
おれに訊いて、どうしようというのだ。
意味が分からない。
気を紛らわすために話していたいのであろう。
ならば返事はいらぬだろうと黙っていると、強い口調で続ける。
「話してはなりませんよ」と。
滝壺の下で護刀を握りしめていたことか、さもなくば従者が皆殺しにされたことだろう。
「ああ……」と、気のない返事をすると、袖を引いてきた。
振り返ると、うつむいた顔が火照り、口調とは違い、恥じらうような表情が浮かんでいる。
「初めてです」
当然だ。
頻繁に護刀を喉元に突きつけられたのでは、たまったものでは無い。
思いが表情に出たのだろう。
そうではないとばかりに、
「先ほど見たことを誰かに話したら殺しますよ」
と、怒りを含んだ瞳で見つめてきた。
どうやら衣を身に着けていなかったことの方らしい。
恥じて、「死にます」ではないあたり、さすがに生まれながらの姫である。
「わかった」と、答えた。
沈黙が続き、眠くなったのかと目をやると、袂が震えている。
気が強いと言ってもおなごである。
目の前であれだけの者の命が奪われたのだ。
今になって恐ろしさがぶり返したのであろう。
気がつかないふりをして背を向けた。
人に背を向け、横になるなど何年ぶりだろう。
【輝夜】
――なぜ、わたしだけが生き残ったのだろう。
それだけの価値もないおなごだというのに。
使用人たちの暮らしぶりなど一度たりとも気にかけたことがなかった。
だが、働き手を失った従者の家族は早晩暮らしに困るだろう。
信用できる者に命じて暮らしが立つようにしてやらねばなるまい。
先日、女房達の会話を耳にした。
洛中では物乞いが増えているという。
わたしが命を断てば、父や親族は哀しむだろう。
だが、それは政争の道具を一つ失うからだ。
帝の外戚になる機会を逸するからだ。
父は二の姫、三の姫を入内させるだろう。
権力を盤石にするために、その座から転げ落ちぬために、十手も二十手も先を読んでいるだろう。
だが、万一政争に敗れても、かつての政敵がそうであったように、我が一門が物乞いにまでおちぶれることはない。
わたしがいなくてもだれも困らないのだ。
代わりはいくらでもいるのだ。
それでも、わたしが一門を危機に陥れようとしていることに変わりはなかった。
胸が押しつぶされそうだった。
気がつくと義守の袖を握っていた。
義守は何者なのだろう。
袿の袂に、「汗」がついていると言ってきた。
確かについていた。
山賊の手は「血」に濡れていた。
車から引きずりだされそうになったときについたのだろう。
だが、礼義ひとつ知らぬ粗野な男が、われらが「血」を穢れとして嫌い、「汗」と呼ぶことをどこで知ったのだろうか。
貴族に仕える侍か下男であれば知っていよう。
ならば――そのような下賤な男に見られてしまった、ということだろうか。
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