ちはやぶる

八神真哉

文字の大きさ
上 下
89 / 91

第八十九話  わが名は

しおりを挟む
目を細めた龍神が、
「望みのままにしてやろう」
と言うと、イダテンが手にした花緑青色の勾玉が透きとおり始めた。

そして、翡翠色から若苗色に変わり、輝き、閃光が迸った。
姫は、その眩しさに目を閉じた。

閃光は徐々に鎮まり、暖かな光が全身を包んだ。
それは極楽浄土を信じぬイダテンさえも、そこに迷い込んだのではないかと錯覚するほどの安寧に満ちたものだった。

やがて、その若苗色の光は、小さな渦を巻き始め、イダテンの両腕を螺旋状に包み込んだ。
そして体に流れこんだ。

それはまるで熱を持っているようだった。
体の中心が暖かくなり、やがてたぎるように熱くなった。
その熱は徐々に腕や足に広がり、その末端まで達し、ゆっくりと引いていった。

指先には痺れるような熱が残っている。
先ほどまで感じていた寒さが吹き飛んでいた。
足の痛みも、肩の痛みも、頭の疼きも嘘のように消え去っていた。
それどころか、体中に力がみなぎりはじめた。頭の中が晴れ渡った。

「おおっ……」
イダテンは、思わず声をもらした。
確かに傷は塞がっていないが、体が動けば問題ない。
馬木の邸まで持てばよいのだ。

「願いは叶えたぞ」
龍神は、そう言い残すと、ゆっくりと池に沈んでいった。

波が押し寄せ、そして、あたりに闇が流れ込んできた。
龍神が姿を消すと、風が戻り、滝の音が聞こえてきた。
滝が起こす風が草木を、姫の髪を、衣を、イダテンの真紅の髪をなびかせた。

イダテンは、横たわった姫の肩に手を回し、力強い声で、
「もう少しの辛抱だ。すぐに届けてやる」
と、声をかけた。

頬が火照り、胸が高鳴った。
三郎の無念を晴らすことができる。

姫の顔色は相変わらず悪かったが、それでも薬が効いてきたのだろう。
うなずけるほどにはなっていた。
とはいっても、常ならば必ず相手の目を見て話す姫がうつむいたままだ。

立ち上がろうとして姫がよろめいた。
あわてて支え「横になれ」と、口にする。

「だいじょうぶです」
と、気丈に答えるものの、イダテンの胸に顔を埋め、動くことができない。
息をするのも苦しそうだ。
それでも先ほどよりは震えもおさまり、汗も引いているように見えた。

「イダテン。あなたに詫びねばなりません」
姫が、血の気を失った震える唇を開いた。
「重い黄金を忍ばせ、あなたに負担をかけました。これを池に捨てますから、その音を合図に走り出してください」

姫が倒れた後、懐に抱いていた守袋を背負子に括りつけたのだ。
話しに聞く通り、見た目以上に重かった。

足に力が戻った今、少々の重さは気にならなかったが、姫にあまり喋らせたくなかった。

「わかった」
と、応え、捨ててやろうと紐の結び目に手を伸ばすと、
「わたしが……」
と、姫が、ほのかに笑った。

軽いに越したことはないが、親族に世話になるなら黄金とやらも必要なはずだ。
無事、姫を届けた足で取りに戻ってやれば良い。
命との引換まで一日ある。

「衣の裾が乱れてしまいました。直しますから後ろを向いてください」
滝の音で、聴き取りにくかったが、言っていることは見当がつく。
時間は惜しいが、今のイダテンであれば取り戻せよう。

背を向けて姫の準備を待つ。
衣ずれの音が途絶えても、姫は、すぐに座ろうとしなかった。

あせる気持ちを抑える。
息遣いも聞こえる。
問題はあるまい。

座りやすいようにと膝を折ると、ようやく背負子に重みが加わった。
自分と姫を結んでいた縄が見あたらなかった。
池の水が押し寄せて来たときに、引きこまれてしまったのだろう。
代わりに手斧の縄をほどいて後ろに回した。

「……疲れてしまいました……もう、話ができそうにありません……後ろを振り返らず、走り続けてくれますね?」
背後の姫が、切れ切れに声をかけてきた。

苦しげな様子に、これ以上、喋らすまいと、
「おれを信じろ。あっという間に届けて見せる」
と、応えた。

「わたしの名は……都子(みやこ)と言います」
問うてもないのに、唐突に姫が名を明かした。

公家に生まれた姫は、呪を怖れて本当の名を明かさないのではなかったか。
老臣が姫の名について、ほかにも何か言っていたはずだが、すぐには思い出せなかった。    

姫が、途切れ途切れに吐く、白い息が風に乗ってイダテンの横を通り過ぎる。
「支度はできたか」
と、声をかける。

「あなたに会えてよかった……」
声のあとに、岩の上に、ぽたり、と水滴が落ちた。

担いだ背負子が、ふっ、と軽くなった。
続いて、守袋が水面を叩く大きな音が耳に届いた。

それを合図にイダテンは走り出した。
滝の音が遠ざかる。

様子を見ながら、姫の傷に負担がかからないよう、少しずつ速度をあげていく。
肩も足も、まったく痛まなかった。
疲れも消え去っている。
黄金はおろか、姫さえ乗っていないのではないかと思うほど軽く感じた。

イダテンは確信した。
これなら、どんな走りでもできる。

ひゅんひゅんと軽快に風を切り裂いて走る。
姫の袿の袖が風を受け、音をたてて翻る。

だが、しばらくすると不安にかられた。
疲れた。話ができそうにない。
振り返らずに走ってくれ、という姫の言葉にしたがっていたが、我慢ができず声をかけた。

「すぐにつく。もう少しだ」

振り返ると、はかなげな姫の姿があった。
続いて優し気な声が返ってきた。
「イダテン、走って。振り返らずに」

三郎の遺志を継いで、この姫を親族のもとに送り届けるのだ、と思っていた。
だが、それだけではない。

そうだ――おれは、この声を、ずっとずっと聞いていたかったのだ。
「ああ、もう誰にも追いつかせん」

       *
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

おぼろ月

春想亭 桜木春緒
歴史・時代
「いずれ誰かに、身体をそうされるなら、初めては、貴方が良い。…教えて。男の人のすることを」貧しい武家に生まれた月子は、志を持って働く父と、病の母と弟妹の暮らしのために、身体を売る決意をした。 日照雨の主人公 逸の姉 月子の物語。 (ムーンライトノベルズ投稿版 https://novel18.syosetu.com/n3625s/)

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

仇討ちの娘

サクラ近衛将監
歴史・時代
 父の仇を追う姉弟と従者、しかしながらその行く手には暗雲が広がる。藩の闇が仇討ちを様々に妨害するが、仇討の成否や如何に?娘をヒロインとして思わぬ人物が手助けをしてくれることになる。  毎週木曜日22時の投稿を目指します。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...