ちはやぶる

八神真哉

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第八十五話  後手

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雄叫びをあげ、弓を手に藪から飛び出してきた黒い影に向けて手斧を飛ばした。
手斧は、その影の頭部を吹き飛ばし、中にあるものをぶちまけながらその先に落ちた。

道を駆け戻りながら、柄に結び付けている縄を手繰り寄せる。
藪に潜んでいた者たちが、弓を手に次々と姿を現した。
残り七人――いや、まだ出てきていない者もいるだろう。

怒りが体を突き動かした。
敵が矢をつがえるより早く間合いに入った。

低い姿勢から手斧を振り回し、足を吹き飛ばした。
二人目の腹を裂き、三人目の肩を砕いた。
血潮をぶちまけながら、先に進もうとして足を滑らせ、膝をついた。

左足の踏ん張りがきかない。
手斧に振り回され、力も息も続かない。
凍えた指にも力が入らない。

ここぞとばかりに太刀を振りかぶってきた男の胸に手斧を投げつけた。
ひしゃげた音と、こぽっという音がして男は口から血を吐きだした。

だが、明らかに力が落ちている。
加減したわけでもないのに突き抜けさえしない。

男が落とした太刀を掴む。
残り――あと三人。

一人はいかにもがっしりとした横幅のある男。
二人目は背の高い若い男。
もう一人は中肉中背。
三人は顔を見合わせ藪に消えた。

体力を消耗する攻防を避け、先を急ぎたかった。
しかし、柵越えに手間取るだろう。
後方から矢を射かけられれば、すべてが終わる。

太刀と血まみれの手斧を手に、重い体に鞭打って藪に入る。

姫の苦しそうな声が耳に届いた。
怒りにまかせた動きで負担がかかったようだ。
かわいそうだが、しばらく辛抱してもらうほかはない。

通り抜けると、絶壁に囲まれた草地に出た。
押さえつけられ踏みつけられた枯草と洞窟近くの岩場を月の光が照らしだした。

三人は、左手奥の朽ちかけた祠の横で太刀を手にして待っていた。
月の光を背負い黒い影となっている。
光の差し込まない右手崖下の窪みに姫を乗せた背負子を下ろし、間合いを詰める。

手にした太刀を投げつけようと握り直した時、祠の後方から、新たな影が現れた。
すでに太刀を抜いている。
兼親の物ほどではないが、これも五尺を超える大太刀だ。

ゆっくりと近づいてきた。
頭の中で警鐘が鳴った。

不慣れな太刀を手放したとたん、大太刀が、唸りをあげて襲ってきた。
かわす余裕はなかった。
やむなく手斧で受けた。両手で受けた。

鎬を削る音が鼓膜を刺し、火花が頬を焼いた。
大太刀に押し込まれた。
並の太刀であれば、手斧で受けられれば、折れるか曲がるはずだ。

だが、名のある刀工に作らせたであろう、その大太刀は、身幅も重ねも太く、折れる気配ひとつ見せなかった。

迫り合いになった。
上から押さえ込まれ、踏ん張った左足が悲鳴を上げた。
痛みが脳天までつきあがった。
左腕が震え、凍えた指に力が入らない。

常ならば力負けなどしない。
そもそも、迫り合いになど持ち込ませない。

肩で息をするイダテンに、月の光を背に男が声をかけてきた。
「思った通りじゃ。情深いことよ」

その言葉で瞬時に悟った――この男は、おれの命を奪うだけでは気がすまなかったのだ。
その前に、おれが大事に思っている者の命を目の前で奪って見せねば満足できなかったのだ。

ゆえに、あえて痛めつけるに留めたのだ。
国司の邸で看病され、情が移るようにと。

「……にしても、その体で五人を倒したか」
初見で悟られるほどに体のあちこちが悲鳴を上げていた。
「もしや、砦を突破する前からではなかろうな」
やはり、あの場にいたのだ。

イダテンに向かって矢を放ったのも、この男だったに違いない。
足をかばいながら右に押し返すと、月の光が男の顔を照らし出した。

血の色を思わせる真っ赤な目がイダテンを睨みつけていた。
一度見れば忘れられないその双眸。

この戦を仕掛け、三郎を、ミコを、そしてヨシと老臣の命を。
さらには、罪なき民の命を奪った男――宗我部国親だ。

怒りが気力を奮い立たせた。

硬直した迫り合いを見て、がっしりとした体つきの男が、その体を揺らして右手から近づいてきた。

男が太刀を振り上げると同時に国親の大太刀を押し上げ、体を左にかわしながら手斧を右に流した。
男の手が止まる。
国親の体が間に入り込んだからだ。

が、国親は、体勢を崩しながらも大太刀を下から切り上げた。
青白い光が走った。

右頬に冷たい痛みが走る。
大太刀の切先が届いたのだ。
襟元をも切り裂かれ、胸もとにしまいこんでいた鏡が姿を現した。

体をひねり、踏み込んだ。
右腕を伸ばし、背中を見せて手斧を一閃する。

手斧の刃が国親の袖を切り裂いた。
枯れ草の上に、ぽたりと血が落ちた。
切り裂いた袖の下から覗く二の腕に赤い筋がついていた。

引導を渡そうとして足を滑らせた。
倒れた拍子に肘を打ち、手斧を落とした。

すでに国親は大太刀を振りあげている。
後方に逃げることができる体勢ではなかった。

顎のあがった状態で懐に飛び込んで弾き飛ばそうとしたが、わずかに間に合わなかった。
大太刀の柄頭が、イダテンの人中を叩き、前歯が折れた。

のけ反るように左後方に跳んだ。
首にかけた鏡の山吹の紋が踊った。

国親の振るう大太刀が空気を切り裂き、枯草をなぎ、イダテンの袴を裂いた。

ここぞとばかりに割り込んできた背の高い男の顔をめがけ、口に含んだ歯を飛ばした。
ひるんだ男の足元に転がり込み、国親の二の太刀から逃れた。
足をすくわれそうになった男もあわてて飛びのいた。

体を起こそうとして足元で鈍く光っている物に気がついた。
先ほど落とした太刀だ。

だが、太刀を手に取ることさえできなかった。
膝が震え、喉が狭まり、呼吸ひとつ満足にできないのだ。
反撃どころか立ち上がることさえできなかった。

これでは、討ってくれと言わんばかりだ。
薬を飲み過ぎたか、と臍を噛む。

にもかかわらず、国親は襲ってこなかった。
思ったよりも深手を与えたのか。

――いや、そうではない。

国親は笑っていた。
まるで目的を達成したかのように。

あわてて姫を置いた崖下の窪みに目をやった。
矛を持ったもう一人の郎党が、そこへ向かっていた。

瞬時に頭から血の気が引いた。
手遅れと悟った。

争いに気をとられ、姫を置いた場所から遠ざかっていたのだ。

     *
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