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第八十三話 この世に生まれ
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欠けていく月を仰ぎ見る。
ふらつきながら尻をあげる。
袴も岩も赤黒く血に濡れていた。
負傷したのは黒駒だけではなかったのだ。
砦を突破するときに飛んできた鉄片らしい物が義久の横腹に突き刺さったのだ。
姫の様子を気にして振り返ったときだ。
僥倖だった。
義久が振り返ったことで、抱きついていた姫の体の位置が変わった。
まっすぐ向いたままであれば、姫の華奢な背を貫いたであろう。
加えて、あの燃え上がる炎と喧騒が――黒駒の尻に刺さった矢が、義久の負傷を隠してくれた。
イダテンが持っていた呪符の効力を聞いて、八幡大菩薩に感謝した。
これで自分の役割が見つかったと。
痛み止めも、喉から手が出るほど欲しかった。
しかし、それを口にすることはできなかった。
捨て駒となって、追手を引きつけようとしていることを姫に悟られるからだ。
だが、これも菩薩の加護だろうか。
イダテンが別れ際に、「痛み止めだ。その馬にやれ」といって丸薬を二つくれた。
黒駒には悪いが自分で飲みくだした。
これで務めが果たせるだろう。
ふらつく足で黒駒に近づき、尻を叩いて帰そうとするが、なかなか離れようとしなかった。
「来世で出会うたら、必ずおまえの主人になろう。わしを信じよ」
首筋を、なでてやると目を細めた。
そして、信じていいのかとばかりに義久の目を見つめ、鼻筋をこすりつけてきた。
結局、黒駒は動かなかった。
まるで本当の主人の帰りを待つかのように。
かわいいやつだ。
だが、感傷にふけっている刻はない。
策として見れば、黒駒が、ここに留まることは悪くない。
怪我をした馬を捨てたと見るだろう。
馬の鞍と、そのかたわらにある岩の上は血に濡れている。
血の跡も点々と山に続くことだろう。
崖の続く峡谷で、数少ない傾斜地だ。
迷わず大人数を割いてくるに違いない。
*
山に入ると樹木が風をさえぎってくれた。
枝や、からみつく蔦をかき分け、太刀を杖に、落ち葉を踏みしめ、斜面を登る。
聞こえてくるのは自分の呼吸音のみだ。
童が火吹き竹を吹いているような情けない音がする。
どれほど登ってきたのだろう。
本当に、自分のやっていることには意味があるのだろうか。
わずかでも、刻を稼ぐことが出来ているのだろうか。
足を止めると、ふくらはぎが震えはじめた。
こむら返りでも起こせば二度と斜面を登ることはできないだろう。
懐から呪符を一枚抜き出した。
下の方が何やら騒がしくなってきた。
ようやく痕跡を見つけてくれたようだ。
薬のおかげで、痛みは薄らいできたものの、体に力が伝わらない。
最後の見せ場だというのに、横になりたいという誘惑に駆られる。
かたわらにあった木の幹にすがりつこうとするが、その腕でさえあがらない。
足はあがらず、息だけがあがる。
胸が悲鳴をあげる。
呪符を流せるような場所までは、とてもたどり着けそうにない。
足を伝い沓にまで入り込んだ血が、ぐずぐずと音をたてる。
頭がうずく。
気がつくと地面が目の前にあった。
落ち葉が顔に張りついている。
何かにつまずいたのだろう。
必死の思いで体を起こしたものの、呼吸ひとつするにも苦痛がともなう。
体が震えはじめた。
くそっ!
この大事に、なんというありさまだ。
それに比べ、
――イダテン、おまえはたいしたものだ。
腕も立つ、頭も良い。
わしは、おまえがうらやましい。
――今、このとき限りでよい。
おまえと同じ力が欲しい。
人のものならぬ、その力が欲しい。
お前の力を手に入れることができるのなら、わしは喜んで鬼となろう。
人に忌み嫌われようが、地獄に落ちようが、虫けらに生まれ変わろうが後悔などしない。
鷲尾小太郎義久が名が、悪名として国中に鳴り響こうが、後世に残ろうがかまわない。
姫さえ守ることが出来るなら、何ほどのことがあろう。
どのような代償とて喜んで払おう。
――だが、体は動かなかった。
みぞおちが締めつけられ、震えが走る。
寒けに襲われ――目の前が次第に暗くなり苦痛が遠のいた。
ぼんやりと、母者の姿が浮かび上がった。
微笑んではいるものの、その口もとは心配げに歪んでいた。
「必ず名を上げる。出世して帰ってくる」
覚悟を口にした。
母者の隣で、三郎が拳を握りしめ、火照った顔で笑みを浮かべた。
「兄者ならば鷲尾の家を再興できよう」
その隣で、いつもは気難しいおじじが別人のように微笑んでいる。
「武士の矜持を忘れてはならぬぞ。よいな義久」
母者は、なかなか声をかけてくれなかった。
別れ際にようやく、
「体にだけは気を付けるのですよ」
と、一言告げて背を向けた。
まるで、涙をこらえるかのように。
何を心配しておるのだ。
わが名は、鷲尾小太郎義久ぞ。
皇子を守るために、盾となったヨシノモリが末裔ぞ。
心配などいらぬ。
必ずや、先祖の名に恥じぬだけの武名をあげてみせよう。
苦労を掛けた母者が、あれが、わが息子よと胸を張って自慢できるだけの手柄をあげてここへ帰って来るのだ――それができぬなら、二度とこの地を踏まぬ――そう覚悟を決めていた
大伯父の口利きで、備後国の安那様のもとで郎従として働くことが決まっていた。
そこに向かう途中で行方をくらました。
宗我部の懐に潜り込むためだ。
むろん、正体を知られれば、なぶり殺されるだろう。
おじじや母者を脅す駒として使われたあげくにだ。
――ああ、そのような性質だと承知しているからこそ心配なのか。
今になって気がついた。
無謀で世間知らずの息子が、夫同様、自分より先に逝くのではないかと。
三郎が、おじじが、そして母者が、手を差しのべてきた。
もう良いのだと、皆が笑っていた。
お前は兼親を葬ったではないか。
一矢報いたではないかと。
あれは、手柄と口にできるものではない、と応えるが、それでも皆が手を差し伸べる。
――待て、待ってくれ。
わしには、まだ遣り残したことがある。
一人でも多く、わずかの距離でも引きつけねばならない――つぶやくように口にした。
「……イダテン……」
「姫、こっちじゃ!」
呼応するようにイダテンが叫んだ。
いや、イダテンではない。
イダテンの姿をとった呪符が叫んでいるのだ。
遠のいていた意識が戻ってきた。
このまま逝くわけにはいかない。
父の最期を、母と三郎の最期を、そしておのれの無念を思い描いた。
ああ――そうじゃ。
一言じゃ。一言でよいのだ。
八幡大菩薩よ、最後の願いじゃ。
わしに力をくれ――せめて、おのれが役に立てたと思うほどに。
「こっちだ! ……ささらが姫とイダテンがいるぞ!」
絞り出した声は悲鳴のように響き渡り、木霊した。
事実、胸は悲鳴をあげた。
息ができない。
頭がねじれるように痛む。
せせらぎの音が聞こえてきた。
いざるように進み、ようやくのことで木の幹にもたれかかる。
喉が、唇が渇く。
震える右手で腰につけた瓢箪を探る。
だが、どういうわけかなくなっていた。
どこかに落としたのだろうか。
頭上に、ぽっかりと穴が開いていた。
梢がそよぎ、ゆっくりと雲が流れる。
真ん中にやせ細った月の姿があった。
柿色のその光が、義久に降りそそぐ。
左肩が笹の葉に触れたのだろう。
青々とした葉から円い粒が転がり、地面の枯葉に転がり落ちて、ぱらぱらと音をたてる。
夜露だった。
瑞々しく輝いている。
せめて、夜露を口に含みたい。
だが、左腕はあがらなかった。
幹に背中をつけたまま、首だけを傾け、笹の葉に口を近づける。
露は唇を濡らしただけで、こぼれ落ちた。
手にした呪符の上にも転がり落ちた。
周りにはイダテンの姿はない。
しばらくすると呪符に戻ってしまうようだ。
呪符を残してはならないことに気がついた。
追手に手の内を知られれば、イダテンが二度目を使えなくなる。
姫の身が危うくなる。
だが、呪符を握った手も震えるばかりで、思うようにあがらない。
迎えるように口を近づける。
腹にも力が入らず、体が小刻みに震え続けた。
それでも、どうにか呪符を口に押し込んだ。
なんともみっともないことだ。
いまわの際に震えるなど。
これでは冥土で、ご先祖様に顔向けできぬではないか。
しかも、後世に名を残すどころか、功名ひとつ上げられなかった。
親孝行もできなかった。
姫にふさわしい男になれなかった。
ずっと、上だけを見て生きてきた。
男と生まれてきたからには、天辺をとらねば意味がないと思っていた。
だが、なにひとつ叶えられなかった。
ここで死んでは成仏できまい。
わが魂は永遠に、この世を彷徨おう。
焦燥にかられ震える身に、包みこむようなあたたかな声が聞こえてきた。
「春になったら……皆で、苺を摘みに出かけましょう」
こぼれるような微笑みを浮かべ、義久に花を所望した姫の姿が浮かんだ。
憑きものでも落ちたように、すっ、と気が楽になった。
ああ、好いたおなごのために死ねるのだ。
――ならば、
そう悪い生きざまでもあるまい。
生まれてきたかいがあったというものよ。
――のう、イダテン。そうであろう。
お前なら、わかるであろう。
*
甲冑、具足の音が響いてくる中、動かなくなった義久の顔を、欠けていく月の明かりが静かに照らしだした。
その頬を、つーっと、ひとすじの涙が伝った。
唇の左端を上げた、その顔は微笑んでいるように見えた。
*
ふらつきながら尻をあげる。
袴も岩も赤黒く血に濡れていた。
負傷したのは黒駒だけではなかったのだ。
砦を突破するときに飛んできた鉄片らしい物が義久の横腹に突き刺さったのだ。
姫の様子を気にして振り返ったときだ。
僥倖だった。
義久が振り返ったことで、抱きついていた姫の体の位置が変わった。
まっすぐ向いたままであれば、姫の華奢な背を貫いたであろう。
加えて、あの燃え上がる炎と喧騒が――黒駒の尻に刺さった矢が、義久の負傷を隠してくれた。
イダテンが持っていた呪符の効力を聞いて、八幡大菩薩に感謝した。
これで自分の役割が見つかったと。
痛み止めも、喉から手が出るほど欲しかった。
しかし、それを口にすることはできなかった。
捨て駒となって、追手を引きつけようとしていることを姫に悟られるからだ。
だが、これも菩薩の加護だろうか。
イダテンが別れ際に、「痛み止めだ。その馬にやれ」といって丸薬を二つくれた。
黒駒には悪いが自分で飲みくだした。
これで務めが果たせるだろう。
ふらつく足で黒駒に近づき、尻を叩いて帰そうとするが、なかなか離れようとしなかった。
「来世で出会うたら、必ずおまえの主人になろう。わしを信じよ」
首筋を、なでてやると目を細めた。
そして、信じていいのかとばかりに義久の目を見つめ、鼻筋をこすりつけてきた。
結局、黒駒は動かなかった。
まるで本当の主人の帰りを待つかのように。
かわいいやつだ。
だが、感傷にふけっている刻はない。
策として見れば、黒駒が、ここに留まることは悪くない。
怪我をした馬を捨てたと見るだろう。
馬の鞍と、そのかたわらにある岩の上は血に濡れている。
血の跡も点々と山に続くことだろう。
崖の続く峡谷で、数少ない傾斜地だ。
迷わず大人数を割いてくるに違いない。
*
山に入ると樹木が風をさえぎってくれた。
枝や、からみつく蔦をかき分け、太刀を杖に、落ち葉を踏みしめ、斜面を登る。
聞こえてくるのは自分の呼吸音のみだ。
童が火吹き竹を吹いているような情けない音がする。
どれほど登ってきたのだろう。
本当に、自分のやっていることには意味があるのだろうか。
わずかでも、刻を稼ぐことが出来ているのだろうか。
足を止めると、ふくらはぎが震えはじめた。
こむら返りでも起こせば二度と斜面を登ることはできないだろう。
懐から呪符を一枚抜き出した。
下の方が何やら騒がしくなってきた。
ようやく痕跡を見つけてくれたようだ。
薬のおかげで、痛みは薄らいできたものの、体に力が伝わらない。
最後の見せ場だというのに、横になりたいという誘惑に駆られる。
かたわらにあった木の幹にすがりつこうとするが、その腕でさえあがらない。
足はあがらず、息だけがあがる。
胸が悲鳴をあげる。
呪符を流せるような場所までは、とてもたどり着けそうにない。
足を伝い沓にまで入り込んだ血が、ぐずぐずと音をたてる。
頭がうずく。
気がつくと地面が目の前にあった。
落ち葉が顔に張りついている。
何かにつまずいたのだろう。
必死の思いで体を起こしたものの、呼吸ひとつするにも苦痛がともなう。
体が震えはじめた。
くそっ!
この大事に、なんというありさまだ。
それに比べ、
――イダテン、おまえはたいしたものだ。
腕も立つ、頭も良い。
わしは、おまえがうらやましい。
――今、このとき限りでよい。
おまえと同じ力が欲しい。
人のものならぬ、その力が欲しい。
お前の力を手に入れることができるのなら、わしは喜んで鬼となろう。
人に忌み嫌われようが、地獄に落ちようが、虫けらに生まれ変わろうが後悔などしない。
鷲尾小太郎義久が名が、悪名として国中に鳴り響こうが、後世に残ろうがかまわない。
姫さえ守ることが出来るなら、何ほどのことがあろう。
どのような代償とて喜んで払おう。
――だが、体は動かなかった。
みぞおちが締めつけられ、震えが走る。
寒けに襲われ――目の前が次第に暗くなり苦痛が遠のいた。
ぼんやりと、母者の姿が浮かび上がった。
微笑んではいるものの、その口もとは心配げに歪んでいた。
「必ず名を上げる。出世して帰ってくる」
覚悟を口にした。
母者の隣で、三郎が拳を握りしめ、火照った顔で笑みを浮かべた。
「兄者ならば鷲尾の家を再興できよう」
その隣で、いつもは気難しいおじじが別人のように微笑んでいる。
「武士の矜持を忘れてはならぬぞ。よいな義久」
母者は、なかなか声をかけてくれなかった。
別れ際にようやく、
「体にだけは気を付けるのですよ」
と、一言告げて背を向けた。
まるで、涙をこらえるかのように。
何を心配しておるのだ。
わが名は、鷲尾小太郎義久ぞ。
皇子を守るために、盾となったヨシノモリが末裔ぞ。
心配などいらぬ。
必ずや、先祖の名に恥じぬだけの武名をあげてみせよう。
苦労を掛けた母者が、あれが、わが息子よと胸を張って自慢できるだけの手柄をあげてここへ帰って来るのだ――それができぬなら、二度とこの地を踏まぬ――そう覚悟を決めていた
大伯父の口利きで、備後国の安那様のもとで郎従として働くことが決まっていた。
そこに向かう途中で行方をくらました。
宗我部の懐に潜り込むためだ。
むろん、正体を知られれば、なぶり殺されるだろう。
おじじや母者を脅す駒として使われたあげくにだ。
――ああ、そのような性質だと承知しているからこそ心配なのか。
今になって気がついた。
無謀で世間知らずの息子が、夫同様、自分より先に逝くのではないかと。
三郎が、おじじが、そして母者が、手を差しのべてきた。
もう良いのだと、皆が笑っていた。
お前は兼親を葬ったではないか。
一矢報いたではないかと。
あれは、手柄と口にできるものではない、と応えるが、それでも皆が手を差し伸べる。
――待て、待ってくれ。
わしには、まだ遣り残したことがある。
一人でも多く、わずかの距離でも引きつけねばならない――つぶやくように口にした。
「……イダテン……」
「姫、こっちじゃ!」
呼応するようにイダテンが叫んだ。
いや、イダテンではない。
イダテンの姿をとった呪符が叫んでいるのだ。
遠のいていた意識が戻ってきた。
このまま逝くわけにはいかない。
父の最期を、母と三郎の最期を、そしておのれの無念を思い描いた。
ああ――そうじゃ。
一言じゃ。一言でよいのだ。
八幡大菩薩よ、最後の願いじゃ。
わしに力をくれ――せめて、おのれが役に立てたと思うほどに。
「こっちだ! ……ささらが姫とイダテンがいるぞ!」
絞り出した声は悲鳴のように響き渡り、木霊した。
事実、胸は悲鳴をあげた。
息ができない。
頭がねじれるように痛む。
せせらぎの音が聞こえてきた。
いざるように進み、ようやくのことで木の幹にもたれかかる。
喉が、唇が渇く。
震える右手で腰につけた瓢箪を探る。
だが、どういうわけかなくなっていた。
どこかに落としたのだろうか。
頭上に、ぽっかりと穴が開いていた。
梢がそよぎ、ゆっくりと雲が流れる。
真ん中にやせ細った月の姿があった。
柿色のその光が、義久に降りそそぐ。
左肩が笹の葉に触れたのだろう。
青々とした葉から円い粒が転がり、地面の枯葉に転がり落ちて、ぱらぱらと音をたてる。
夜露だった。
瑞々しく輝いている。
せめて、夜露を口に含みたい。
だが、左腕はあがらなかった。
幹に背中をつけたまま、首だけを傾け、笹の葉に口を近づける。
露は唇を濡らしただけで、こぼれ落ちた。
手にした呪符の上にも転がり落ちた。
周りにはイダテンの姿はない。
しばらくすると呪符に戻ってしまうようだ。
呪符を残してはならないことに気がついた。
追手に手の内を知られれば、イダテンが二度目を使えなくなる。
姫の身が危うくなる。
だが、呪符を握った手も震えるばかりで、思うようにあがらない。
迎えるように口を近づける。
腹にも力が入らず、体が小刻みに震え続けた。
それでも、どうにか呪符を口に押し込んだ。
なんともみっともないことだ。
いまわの際に震えるなど。
これでは冥土で、ご先祖様に顔向けできぬではないか。
しかも、後世に名を残すどころか、功名ひとつ上げられなかった。
親孝行もできなかった。
姫にふさわしい男になれなかった。
ずっと、上だけを見て生きてきた。
男と生まれてきたからには、天辺をとらねば意味がないと思っていた。
だが、なにひとつ叶えられなかった。
ここで死んでは成仏できまい。
わが魂は永遠に、この世を彷徨おう。
焦燥にかられ震える身に、包みこむようなあたたかな声が聞こえてきた。
「春になったら……皆で、苺を摘みに出かけましょう」
こぼれるような微笑みを浮かべ、義久に花を所望した姫の姿が浮かんだ。
憑きものでも落ちたように、すっ、と気が楽になった。
ああ、好いたおなごのために死ねるのだ。
――ならば、
そう悪い生きざまでもあるまい。
生まれてきたかいがあったというものよ。
――のう、イダテン。そうであろう。
お前なら、わかるであろう。
*
甲冑、具足の音が響いてくる中、動かなくなった義久の顔を、欠けていく月の明かりが静かに照らしだした。
その頬を、つーっと、ひとすじの涙が伝った。
唇の左端を上げた、その顔は微笑んでいるように見えた。
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