ちはやぶる

八神真哉

文字の大きさ
42 / 91

第四十二話  絆

しおりを挟む


ミコが、べそをかき、ぺたぺたと草履の音を立てながらついてくる。
「戦じゃ、戦の支度じゃ!」
三郎は、声を張り上げ、侍所の侍や下男どもに声をかける。

肝心のおじじはいない。
どこにいるかを教えてくれる者もいない。

「宗我部が攻めてくるぞ! 赤目の国親と髭の兼親が攻め入るぞ! 弓を取れ、矛を持て! 武器庫の鍵を開けるのじゃ」
声を張り上げ、必死で訴えるが、誰ひとり取り合わない。

いかに傍若無人で横紙破りの宗我部兄弟と言えど、国司である阿岐権守様の邸を襲うはずがない、というのだ。

「頼む、責任は取る」
皆、美夜殿の毒殺騒ぎで、ぴりぴりしている。
「あほう。おまえに責任が取れるわけはなかろう。さっさといね! 邪魔をすると張り倒すぞ」
力ずくで邸から追い出されてしまう。

さらに、おじじを見つけるどころか、先ほどまで、あとをついてきていたミコの姿さえ見失ってしまった。
ミコやおじじの名を呼ぶが反応はない。

夕餉の支度を始める者。畑から帰り、家族と語り合う者の姿が目に入る。
皆、なにも起こらぬと安心しきっている。
焦りに駆られ、拳を握り締める。

「くそっ、これで攻めてこられたらひとたまりもないぞ。せめて、武器が手元に……」
と、袖を引くものがある。
振り返ると、ミコが三郎を見上げていた。

「おおっ、心配したぞ。どこに行って……」
そういいながらも三郎の目は、ミコの握っている板に釘付けになった。
その板には、いくつもの鍵が紐で結ばれていたのだ。
中には武器庫の鍵もあった。

幾度も失敬していたのでミコも覚えていたのだろう。
三郎が惟規らに話しかけている隙に侍所から持ち出したのだ。

まさかミコが鍵を持ち出すとは思いもしなかっただろう。
そっと周りを見回し、腰をかがめ、声を潜め、頭をなでてやる。
「ようやった」

だが、大手柄にもかかわらず、ミコの表情は晴れなかった。
その顔は、涙と鼻水で汚れていた。
「何じゃ、その顔は、眼が真っ赤じゃぞ」
しゃがみこみ、自分の袖で鼻水をふいてやる。

「心配するな。おかあは、すぐに帰ってくる。イダテンも、すぐに帰ってくる。あやつは情にもろいでな。いっぱい泣いて、抱きついてやれ。そうすれば、もう出てはいけまいて」
「ほんと?」
「おお、兄者を信じろ」
と、いって、南二の門を指差した。

ミコが振り返ると、ミコの名を呼びながら、門から出てくるヨシの姿が見えた。
「ほれ、おかあが戻ってきたぞ。兄者の言った通りであろう。さあ」
といって、手のひらで軽く背中を押した。
ミコは、涙をぽろぽろとこぼし、嗚咽しながら駆け出した。

三郎は目の前にある東一の門の横に建つ櫓によじ登った。
梯子はついていない。
櫓そのものの高さは二間ほどだが、邸を囲む郭も高所にあるので見晴らしは良い。

国府の街並みと田畑と川、そして三方を囲む山々と、その先にある海を見つめる。
イダテンが狼煙だといった煙が、またひとつ増えていた。
向洋の方向だ。
イダテンがおればと、弱気になった。

「三郎、何をしている」
と、いう声に振り返ると、櫓の下に九郎や喜八郎の姿があった。
仲間も入れれば十五人はいるだろう。
見れば宗我部に親や親族を討たれた者ばかりだ。

喜八郎が怒ったように訊ねてきた。
「赤目の国親が攻めてくるとは、まことのことか?」

侍や下男たちとのやり取りを聞いた者がいたのだろう。
姫様の唐猫の死にざまも耳にしていよう。
目の前にいる者たちは皆、国親がいかに残虐な男かを知っている。

皆が固唾を飲んで三郎の答えを待っていた。
欲しているのは、国親が攻めてくる理由ではない。
背筋に冷や汗が流れる。

三郎は、覚悟を決めて答えた。
「間違うておれば、この首を差し出そう」
そこにいる者すべてが息を飲んだ。

「いつだ?」
と、訊いてきた喜八郎に、高く上がる黒い煙を指差した。
「今宵か?」

三郎がうなずくと、皆の間に動揺が走った。
「まことか?」
と、声を上げる者もいる。

硬い表情の喜八郎が手で制する。
「ならば……わしらも手伝おう」
つばを飲み込んで九郎もうなずいた。
決意が見て取れた。
三郎と同様、恨みは深い。

「おおっ、おまえ達が力を貸してくれれば百人力じゃ」
「おう、とも! われらが恩を返すはこのときじゃ」
「むろん、積もり積もった恨みもな」
目頭が、つんと熱くなる。
これが武門に生まれた者の絆というものだ。

「頼む……まずはこれじゃ」
鍵がついた板を景気よく放り投げた。

受け取った喜八郎は、にやりと笑う。
どこの鍵かわかったのだ。
「やりおったな」
「ミコの手柄じゃ」

「鷲尾にばかり手柄をあげさせるわけにはいかぬ。次は、わしらの番じゃ!」
喜八郎が振り返ると、
「おう!」と、皆が声をあげた。

やってくれるに違いない。
笑みを浮かべ指図する。
「喜八郎は武器庫を開けてくれ。十人で持ち出し、要所要所に置いて回れ。門の近くには多めにな」

「おう、援軍も増やし、あっという間に、やり遂げて見せよう。馬で乗りこまれぬよう、牛車橋も上げておくで」    

「九郎は、五人ほどで手分けして忠信様を探してくれ。忠信様にお伝えするのじゃ。姫様を連れて逃げる算段をせよと。三郎とイダテンが言うておった、と」

「そのイダテンは何をしておる」
九郎が、苛立たしげに口にした。

「国司様を助けに薬王寺へ向こうた」
その一言で、いかに切迫しているかが分かったのだろう。
皆が黙り込んだ。

それでも九郎だけは、鼻をふんと鳴らし強がって見せた。
「――よし、わかった。必ず伝えよう……おい、喜八郎。どちらが先か競おうぞ」
「おう!」

お互いに組を作り、邸と武器庫に向かって走り出す。
頼もしい味方を得た。

イダテンは必ず帰ってくる。
それまでは自分が仕切るのだ。

――と、三の郭から侍所の信綱様の声が鳴り響いた。
馬に乗れるものはわしに続け。向かうは薬王寺じゃ、と。

     *
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

征空決戦艦隊 ~多載空母打撃群 出撃!~

蒼 飛雲
歴史・時代
 ワシントン軍縮条約、さらにそれに続くロンドン軍縮条約によって帝国海軍は米英に対して砲戦力ならびに水雷戦力において、決定的とも言える劣勢に立たされてしまう。  その差を補うため、帝国海軍は航空戦力にその活路を見出す。  そして、昭和一六年一二月八日。  日本は米英蘭に対して宣戦を布告。  未曾有の国難を救うべく、帝国海軍の艨艟たちは抜錨。  多数の艦上機を搭載した新鋭空母群もまた、強大な敵に立ち向かっていく。

処理中です...