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第二十八話 大望
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沢を渡り、行く手をさえぎる枝をくぐり、シダを踏みしだいて先に進む。
山を歩こうではないか、と三郎に誘われたのだ。
三郎は、時折立ち止まり、息を切らしながら、このあたりには平茸が、このあたりにはシロタモギタケが生える、と教えてくる。
そういったことは、他人には教えないものだと、おばばから聞いたことがある。
教えるにしても、それが生えているときに教えるべきだ。
だが、それを承知の上で教えているのだろう。
薄々気がついたのだ。
イダテンはここにとどまらぬだろうと。
そして住処も教えず、二度と会いに来ないのではないかと。
そうでもなければ食い意地のはった三郎がこのような場所を教えるはずがない。
茸の時期は限られる。
ここを教えておけば会える可能性があると考えたのだろう。
「イダテン、おまえの大望は何だ」
邸からさほど離れていない長者山の中腹にある扇岩に座り込むと、突然、三郎が尋ねてきた。
眼下には田畑が広がっている。
餓死と隣り合わせで生きてきた者に、そのようなものがあるはずがない。
生きていけるだけの食料を手に入れたいと願っていただけだ。
差し出された干し柿を受け取りながら、
「そのようなものはない」
と、答えると、
「そんな馬鹿なことはあるまい。男と生まれたからには志があろう」
と、驚いたように身を乗り出してきた。
「男と生まれたからには名を残したくはないか? イダテン。おまえならできるぞ」
そのようなことは考えたこともない。
万一、残ることがあるとしたら、父がそうであったように汚名を着せられてだろう。
「……おまえにはあるのか?」
「おお、あるとも」
良くぞ訊いてくれた、とばかりに目じりを下げた。
が、急に真顔になって続けた。
「おまえ、ではない、三郎じゃ。わしには三郎という名がある……良いか、これからは、そのように呼べ。友とはそうしたものだ」
そういって、言葉を切った。名を呼ぶのを待っているのだろう。
だが、それに応えることはできない。
大望も友も自分には無縁のものだ。
拒まれたことが分かったのだろう。
三郎は、ため息をつき、近くのすすきに手を伸ばし、穂をむしった。
握りしめた手の平を開くと数えきれないほどの白い穂が盛り上がる。
その穂を風が一つ残らず空に舞いあげた。
三郎は、じっと見つめている――なにひとつ残っていない手の平を。
「わしの望みは……鷲尾の家を再興することじゃ。昔から貧しかったわけではないでな」
三郎は語り始めた。
「わしのご先祖さまにヨシノモリという名の豪傑がおってのう。ヨシノモリ様は、その昔、皇子様に随行して、反乱を治めに回っておったのじゃ。そして、この地で戦があったとき、皇子様の盾になって死んだのじゃ……むろん、ただ、やられたわけではないぞ。体中に何本もの矢を受けながら、命が尽きるまでに十二人の敵を倒したのじゃ。その恩賞として、先祖が、このあたりの土地を……ほれ、おお、あれじゃ、鷲尾山が見えよう。あの地より東十二町歩の田と、それより先、天神川までの土地と山二つを賜った」
三郎が、「あれが」と指差した地では黄金色の稲穂が風に揺れていた。
以前であれば、藁や籾殻を焼いて堆肥としている時期だと聞く。
麦のあとに植える二期作が主流になって刈り取る時期が遅れているのだと。
その始まりは宗我部国親が力をつけ、二重に税を掛け始めた頃と一致する。
「敗走寸前の戦のさなか、皇子の旗印に鷲が舞い降りたことから戦況が大きく変わったそうじゃ。あの地は、その尾が向いていたことから鷲ノ尾と呼ばれるようになったと言われておる。そこに住み着いた先祖もやがて鷲尾と名乗るようになったと……皇子様が夢半ばで倒れず、帝につかれておればと、酒が入るたびに繰り返す親族もおるが、せんないことじゃ。今は昔、じゃ……その後の戦乱や訴訟に敗れ、もはや、この地にわれらが所有する土地はない」
土地を巡ってのいさかいは多い。
イダテン自身、その目で見たことがある。
「わしの兄者……名は、義久というのじゃが『三郎、元服のときにはヨシノモリ様の名を継げ』と言うてくれた。烏帽子親になるであろう大伯叔の信継様にも話しておくと」
三郎は、膝を抱え眼下に目をやっている。
「正直に言うとな……」
三郎が言葉に詰まり、そして、絞り出すように口にした。
「わが家は『武家』とは言えぬのじゃ」
振り向いてイダテンを見つめてきた。
その眼には怯えがあった。
「――いや、名を騙っているわけではない。十年前までは確かに武家であったのだ。胸を張って武士と口にできたのだ。武士とは……国司さまの交代の際の『大狩り』に招かれた者を言うのじゃ」
三郎の声が震えていた。
「……気がついておろう。領地も役料もないわが家では馬を買うことはおろか、養って行くことさえできぬのじゃ。おお、その通りじゃ。馬が無ければ大狩りには参加出来ぬのじゃ。どれほどの弓の腕があろうとも武士とは名乗れぬのじゃ。次に大狩りがあったときに継信様が健在であれば、借りることはできよう……だが、所詮は借り物じゃ。いざというとき、はせ参じることができずに武士と名乗れようか」
その大伯叔も領地持ちではない。
荘園の管理をして役料を得ているにすぎない。
国司が代われば、その役も保証の限りではない。
おじじも領地のない公家侍という立場だ、と続けた。
「鷲尾の名を再び轟かせるのじゃ。再興せねばならんのじゃ。三郎ヨシモリが名でな……戦に出て、手柄を立てるのだ。領地を得れば馬など何頭でも飼える。堂々と武士と名乗れる」
三郎は続けた。
その目はうるんでいた。
「おかあに毎日、白い米を食わせる。よい衣を着せる。頭が痛いときは、働かぬでも良いように使用人を雇う。ミコに立派な嫁入り道具を持たせる……そして、わしは……わしは、この地の棟梁となる!」
イダテンには思いもつかない望みだった。
*
山を歩こうではないか、と三郎に誘われたのだ。
三郎は、時折立ち止まり、息を切らしながら、このあたりには平茸が、このあたりにはシロタモギタケが生える、と教えてくる。
そういったことは、他人には教えないものだと、おばばから聞いたことがある。
教えるにしても、それが生えているときに教えるべきだ。
だが、それを承知の上で教えているのだろう。
薄々気がついたのだ。
イダテンはここにとどまらぬだろうと。
そして住処も教えず、二度と会いに来ないのではないかと。
そうでもなければ食い意地のはった三郎がこのような場所を教えるはずがない。
茸の時期は限られる。
ここを教えておけば会える可能性があると考えたのだろう。
「イダテン、おまえの大望は何だ」
邸からさほど離れていない長者山の中腹にある扇岩に座り込むと、突然、三郎が尋ねてきた。
眼下には田畑が広がっている。
餓死と隣り合わせで生きてきた者に、そのようなものがあるはずがない。
生きていけるだけの食料を手に入れたいと願っていただけだ。
差し出された干し柿を受け取りながら、
「そのようなものはない」
と、答えると、
「そんな馬鹿なことはあるまい。男と生まれたからには志があろう」
と、驚いたように身を乗り出してきた。
「男と生まれたからには名を残したくはないか? イダテン。おまえならできるぞ」
そのようなことは考えたこともない。
万一、残ることがあるとしたら、父がそうであったように汚名を着せられてだろう。
「……おまえにはあるのか?」
「おお、あるとも」
良くぞ訊いてくれた、とばかりに目じりを下げた。
が、急に真顔になって続けた。
「おまえ、ではない、三郎じゃ。わしには三郎という名がある……良いか、これからは、そのように呼べ。友とはそうしたものだ」
そういって、言葉を切った。名を呼ぶのを待っているのだろう。
だが、それに応えることはできない。
大望も友も自分には無縁のものだ。
拒まれたことが分かったのだろう。
三郎は、ため息をつき、近くのすすきに手を伸ばし、穂をむしった。
握りしめた手の平を開くと数えきれないほどの白い穂が盛り上がる。
その穂を風が一つ残らず空に舞いあげた。
三郎は、じっと見つめている――なにひとつ残っていない手の平を。
「わしの望みは……鷲尾の家を再興することじゃ。昔から貧しかったわけではないでな」
三郎は語り始めた。
「わしのご先祖さまにヨシノモリという名の豪傑がおってのう。ヨシノモリ様は、その昔、皇子様に随行して、反乱を治めに回っておったのじゃ。そして、この地で戦があったとき、皇子様の盾になって死んだのじゃ……むろん、ただ、やられたわけではないぞ。体中に何本もの矢を受けながら、命が尽きるまでに十二人の敵を倒したのじゃ。その恩賞として、先祖が、このあたりの土地を……ほれ、おお、あれじゃ、鷲尾山が見えよう。あの地より東十二町歩の田と、それより先、天神川までの土地と山二つを賜った」
三郎が、「あれが」と指差した地では黄金色の稲穂が風に揺れていた。
以前であれば、藁や籾殻を焼いて堆肥としている時期だと聞く。
麦のあとに植える二期作が主流になって刈り取る時期が遅れているのだと。
その始まりは宗我部国親が力をつけ、二重に税を掛け始めた頃と一致する。
「敗走寸前の戦のさなか、皇子の旗印に鷲が舞い降りたことから戦況が大きく変わったそうじゃ。あの地は、その尾が向いていたことから鷲ノ尾と呼ばれるようになったと言われておる。そこに住み着いた先祖もやがて鷲尾と名乗るようになったと……皇子様が夢半ばで倒れず、帝につかれておればと、酒が入るたびに繰り返す親族もおるが、せんないことじゃ。今は昔、じゃ……その後の戦乱や訴訟に敗れ、もはや、この地にわれらが所有する土地はない」
土地を巡ってのいさかいは多い。
イダテン自身、その目で見たことがある。
「わしの兄者……名は、義久というのじゃが『三郎、元服のときにはヨシノモリ様の名を継げ』と言うてくれた。烏帽子親になるであろう大伯叔の信継様にも話しておくと」
三郎は、膝を抱え眼下に目をやっている。
「正直に言うとな……」
三郎が言葉に詰まり、そして、絞り出すように口にした。
「わが家は『武家』とは言えぬのじゃ」
振り向いてイダテンを見つめてきた。
その眼には怯えがあった。
「――いや、名を騙っているわけではない。十年前までは確かに武家であったのだ。胸を張って武士と口にできたのだ。武士とは……国司さまの交代の際の『大狩り』に招かれた者を言うのじゃ」
三郎の声が震えていた。
「……気がついておろう。領地も役料もないわが家では馬を買うことはおろか、養って行くことさえできぬのじゃ。おお、その通りじゃ。馬が無ければ大狩りには参加出来ぬのじゃ。どれほどの弓の腕があろうとも武士とは名乗れぬのじゃ。次に大狩りがあったときに継信様が健在であれば、借りることはできよう……だが、所詮は借り物じゃ。いざというとき、はせ参じることができずに武士と名乗れようか」
その大伯叔も領地持ちではない。
荘園の管理をして役料を得ているにすぎない。
国司が代われば、その役も保証の限りではない。
おじじも領地のない公家侍という立場だ、と続けた。
「鷲尾の名を再び轟かせるのじゃ。再興せねばならんのじゃ。三郎ヨシモリが名でな……戦に出て、手柄を立てるのだ。領地を得れば馬など何頭でも飼える。堂々と武士と名乗れる」
三郎は続けた。
その目はうるんでいた。
「おかあに毎日、白い米を食わせる。よい衣を着せる。頭が痛いときは、働かぬでも良いように使用人を雇う。ミコに立派な嫁入り道具を持たせる……そして、わしは……わしは、この地の棟梁となる!」
イダテンには思いもつかない望みだった。
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