ちはやぶる

八神真哉

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第二十二話  老臣の頼み

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第二十二話 老臣の頼み

老臣が切り出した。
「弔いをあげさせてもらいたいというのは本心からじゃ……わしには、負い目がある……わしは、おぬしやおぬしのおばば様の苦境に気づいておった。見殺しにしたと言われても返す言葉がない……それをまず、詫びねばならぬ」

イダテンに向き直った老臣が、この通りじゃ、と言って白髪頭を下げた。
人が自分に頭を下げることがあろうとは思いもよらなかった。

「そのような男の話など聞きたくもなかろうが……」
と、老臣は居住まいを正した。
鬼を相手に、聞かせてよいのかという内容だった。
それだけの見返りを要求するつもりだろう。

「わが一族は先祖代々、この地で生きてきた。が、わしが生まれた頃には家も没落しておってのう。わしはといえば学問も礼儀も知らぬ、腕だけが自慢の荒くれ武者じゃ」
 老臣は、白い髭をなでながら庭を見つめた。
「……わしは、死に損ねたのじゃ。当時仕えておった主人が病を理由に、船越の郷司、船越満仲様の談合に参加しなかったがゆえにな」

十年ほど前のことじゃ、と老臣が続けた。
「主人が出向けば、わしも同行しておったはずじゃ。腰が引けただけなら救いもある。宗我部国親に、その談合を知らせたのが、その主人だったのだ。でなければ、船越の後任の郷司に推されることはなかったであろう……わしの代わりに何も知らぬ息子が討ち死にした……主人の急な病……仮病を満仲様に伝えに出向いたがために」

イダテンの父も、同じ頃、濡れ衣を着せられ殺された。
「……わしは主従の契りを解消した」
 老臣の握る扇子が、きしんだ音を立てた。

「阿岐国の領主は皆、国親の顔色を伺うようになった。国親に息子を殺されたわしを雇おうという領主などどこにもいなかった。息子の嫁、ヨシは三番目の子を宿しておった。連れあいにも苦労をかけた。百姓仕事もろくに知らぬ、雇われ侍じゃ。今の主人である阿岐権守様に拾われねば、われらは、とうに、どこかで野たれ死んでおったであろうよ――仕えてすぐに姫様がお生まれになった。ヨシが三郎を生んだばかりということもあり乳母として声がかかった……乳を与えただけで高い報酬はもらえぬと自ら厨女に転じたが」

老臣は続けた。
「姫様は、摂関家嫡子である主人の一の姫としてお生まれになった。本来ならば、われらのような一族から乳母が出るなどありえないこと。田舎のことゆえ、家柄にふさわしい者が見つからぬという幸運に恵まれたこともあった。だが、ヨシが選ばれたには、他にも理由がある……貴族や役人のおなごでは信用できなかったのじゃ」

政争に敗れたとは聞いていたが、それほどの遺恨を残していたのか。
「赤子の命を奪うなどたやすきこと――悪霊や物の怪にとりつかれた――そう見せかけるなど造作もない……わしでも、ひとつやふたつは思いつくでな。貧しい百姓は、そうやって生まれたばかりの赤子を間引くのじゃ」

初めて聞く話だった。
それで間引かれるというなら、イダテンこそ間引かれてもおかしくなかった。
おばばにしてみれば、イダテンは疫病神以外の何ものでもなかっただろう。

「……よちよち歩きの姫様がなついてくださってのう。わしが言うのも口幅ったいが、姫様は、見目形は言うまでもなく、書や歌、楽に加え漢文の才にも優れ、さらには誰にでも好かれるお人柄じゃ。姫様には、この地で子をなし、いつまでも健やかにと、それだけを願うておる。が、しかし、この地にあの兄弟がおる限り、心休まる日が来ることはあるまい」

言いたいことの見当がついた。
いや、とうについていた。
「あの男――宗我部国親は畜生以下の男じゃが戦上手で蓄財もある。すでに、この地の領主たちの大半を味方につけた。それでも、国親は満足しておらぬ。国司の代官として好き勝手が出来た、あの頃に戻りたいのだ。いや、それ以上を望んでおろう。だが、主人を都に帰らせまいとする者がいる限り、その夢はかなうまい――そして、とうとう、我慢しきれなくなったと見える」

老臣は少しの間、黙り込んだ。
「わしに頼む資格がないのはじゅうじゅう承知しておる……が、おぬしを助けた姫様のために、ひとつ頼まれて欲しい」

そしてようやく、見返りを口にした。
「国親が兵を挙げたときは、山を越え、馬木まで走ってもらいたいのじゃ。馬木の隆家様のお邸はわかろう」

馬木で一番大きな邸だ。貧しい貴族というのはいるのだろうか。
「隆家様は、異国の獰猛な海賊でさえ追い払われた剛の者じゃ。たとえわが方に分がなくとも、必ずや助勢してくださるであろう……馬より早いと言う、おぬしの足なら半日とかかるまい」

国親の寝首をかけという要求ではなかったが、それでも返事はしなかった。
老臣も念押しをしてこなかった。

老臣に明かす気はないが、二年ほど前まで、誰かが時折、イダテンとおばばの住む家の近くの六地蔵に雑穀やイモなどを供えていた。
それで幾度飢えをしのいだことだろう。
供えた者も鬼の家族が持っていくことは承知していたはずである。

走ってやってもよい。
その人間が、国司の家族であったとでもいうのなら。


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