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第十七話 競弓
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弓場に入ると、端の方で何かをついばんでいた雀たちが飛びたった。
三郎が競(くらべ)弓(ゆみ)を挑んできたのだ。
山の斜面の下に巻藁の的が三つ。
斜面の上には椎の木の間に縄を渡し、そこからぶら下げた板が五枚あった。
これも的なのだろう。
直径三尺の巻藁から三十三間ほど離れた場所が大人の距離。
童は、その半分の位置から射るのだという。
三郎が弓を差しだす。
初めての弓が使いこなせるかどうかに不安はあったが、公平を期すなら、やむを得ないだろう。
鏃の先は修練用に潰してあった。
渡された弓と矢を持って大人が射る場所に向かう。
「おお、自信満々じゃのう」
三郎が、にやにやと笑いながらついてくる。
三郎も自信があるようだ。
ここだという場所について、試しに矢をつがえ弦を引くと、弓が、びしっ、という音を立てて割れた。
三郎は、わずかに驚いた様子を見せ、もう一張を差しだした。
「気にするな。伯叔ごが童の頃につこうておったものじゃ。古くなって傷んでおったのだろう。これを使え」
古いこともあろうが、合わせ目の膠がイダテンの握力に耐えられなかったのだ。
断って、自分の弓と矢を手にする。
その矢と筒袋に残った矢を目にした三郎が、あきれたように訊いてきた。
「何じゃ、それは……」
見ればわかるだろうという顔でイダテンは答えた。
「矢じゃ」
「それはわかっておる。矢羽も軸も不揃いではないか」
「熊や鹿に持っていかれたのだ」
「おお、獣はしぶといからのう。矢が刺さったまま、いくらでも走りよる……で、自分で作ったのか?」
「ほかにあるまい」
見よう見まねで作った。
矢羽も、狩りでしとめた鳶のものだ。
「そんな矢では当たらぬぞ」
「当たらぬ、では、飢え死にする」
イダテンの答えを三郎は鼻で笑った。
「慢心ではないか? その矢では、名手といえど、五本に一本も当たるまい。一本でも当たったら、今日のわしの夕餉はおまえにやろう」
「そのような話にはのれん」
三郎は、にやりと笑った。
「では、こうしよう。勝ったものが菜をもらうというのはどうじゃ? 菜を一度抜くぐらいなら支障はあるまい」
食べ物に固執するたちのようだ。
面倒なので受けることにした。
「わしは同い年の者との競弓では負けたことがないのじゃ。そもそも、この距離を飛ばせる者も珍しい」
三郎も自信ありげに自分の弓を突きだした。
矢ごとに癖はあるが、それは熟知している。
ぶれを抑えるための工夫も怠っていない。
両足を踏み開き、矢をつがえ、弦をひき、気負いなく一射目を放つ。
三郎が目を見張った。
「なんという速さじゃ。たいした強弓じゃの」
イダテンは一射目の結果を待たず、続けて二射、三射と放った。
そのすべてが三つの巻藁の中心に的中した。
「あたり? あたり?」
ミコが問いかけるが、三郎の目は、的の巻藁に、くぎ付けとなっていた。
「おおっ……」
「ねえ、ねえ」
ミコに腕を掴まれ、ようやくわれに返る。
「忠信様並みの腕前じゃな――いや、忠信様より上かもしれぬ。近頃は目が悪うなって、的が見えぬとこぼしておられたで」
「すごい、すごい、ただのぶー」
ミコが手を叩いてはしゃいでいる。
意味は分かっていないだろう。
「ならば、次は、あの上にある板を狙ってみろ。わかるか、あの縄からぶら下がっているやつだ。一辺が五寸しかない」
巻藁より十間は遠く、六丈は高いだろう。
風に揺られた五枚の的が小さく揺れている。
「ひとつでも当たれば……」
三郎の言葉が終らぬうちに矢を放ち、背の筒袋の矢に次々と手を伸ばした。
甲高い音がここまで届く。
すべて的中した。
どれも、ほぼ真ん中だ。
五枚の的が矢をぶら下げたまま、ゆらゆらと揺れていた。
「……信じられぬ。わしは夢でも見ているのか……そうじゃ、夢に違いない」
斜面の的に向かって三郎が歩き出した。
しばらくすると我慢できなくなったのか、全力で駆け出した。
三郎は感心していたが、驚くにはあたらない。
これぐらいの腕が無ければ獲物など狩れない。
獲物は留まってなどいないし、人ほどのろくはない。
「ねえ、ねえ、イダテン。ミコ、数かぞえられるんだよ」
ミコがイダテンの袖を引いて、風に揺れる的を見ながら指を折る。
「ひい、ふう、みい……ええっと、それから、えーっと、えーっと」
*
息を切らして灌木と枯草の生い茂る斜面を駆け上がる。
崩れ落ちそうな膝をなだめながら命中した板を仰ぎ見た。
――あやつ、一体何者じゃ。
いや、鬼の子だということは重々承知しておる。
だが、これはもはや神業ではないか。あやつは本当に、ただの鬼なのか。
振り返ると、その鬼が弓を引いていた。
鏃は三郎に向いている。
思わず息を飲む。ミコは指をかぞえるのに夢中で気がついていない。
血の気が引いていく。
ひゅん、と音をたてて放たれた矢の音にミコもこちらを向いた。
矢は、三郎の頭上を遥かに越えて山の斜面の茂みに消え、鈍い音をたてる。
小さな物が転がり落ちて、途中の潅木に引っかかった。
三郎は震える足を叱咤し、斜面を駆け上がった。
息を整え、それを手にすると、天に突き上げ振り回した。
毛並みの良いムジナだった。
「おまえがおると、食膳が豊かになりそうじゃのう!」
イダテンに聞こえるよう声を張りあげた。
「菜は、おまえのものじゃ!」
無愛想ではあるが、こいつといると面白い。
*
三郎が競(くらべ)弓(ゆみ)を挑んできたのだ。
山の斜面の下に巻藁の的が三つ。
斜面の上には椎の木の間に縄を渡し、そこからぶら下げた板が五枚あった。
これも的なのだろう。
直径三尺の巻藁から三十三間ほど離れた場所が大人の距離。
童は、その半分の位置から射るのだという。
三郎が弓を差しだす。
初めての弓が使いこなせるかどうかに不安はあったが、公平を期すなら、やむを得ないだろう。
鏃の先は修練用に潰してあった。
渡された弓と矢を持って大人が射る場所に向かう。
「おお、自信満々じゃのう」
三郎が、にやにやと笑いながらついてくる。
三郎も自信があるようだ。
ここだという場所について、試しに矢をつがえ弦を引くと、弓が、びしっ、という音を立てて割れた。
三郎は、わずかに驚いた様子を見せ、もう一張を差しだした。
「気にするな。伯叔ごが童の頃につこうておったものじゃ。古くなって傷んでおったのだろう。これを使え」
古いこともあろうが、合わせ目の膠がイダテンの握力に耐えられなかったのだ。
断って、自分の弓と矢を手にする。
その矢と筒袋に残った矢を目にした三郎が、あきれたように訊いてきた。
「何じゃ、それは……」
見ればわかるだろうという顔でイダテンは答えた。
「矢じゃ」
「それはわかっておる。矢羽も軸も不揃いではないか」
「熊や鹿に持っていかれたのだ」
「おお、獣はしぶといからのう。矢が刺さったまま、いくらでも走りよる……で、自分で作ったのか?」
「ほかにあるまい」
見よう見まねで作った。
矢羽も、狩りでしとめた鳶のものだ。
「そんな矢では当たらぬぞ」
「当たらぬ、では、飢え死にする」
イダテンの答えを三郎は鼻で笑った。
「慢心ではないか? その矢では、名手といえど、五本に一本も当たるまい。一本でも当たったら、今日のわしの夕餉はおまえにやろう」
「そのような話にはのれん」
三郎は、にやりと笑った。
「では、こうしよう。勝ったものが菜をもらうというのはどうじゃ? 菜を一度抜くぐらいなら支障はあるまい」
食べ物に固執するたちのようだ。
面倒なので受けることにした。
「わしは同い年の者との競弓では負けたことがないのじゃ。そもそも、この距離を飛ばせる者も珍しい」
三郎も自信ありげに自分の弓を突きだした。
矢ごとに癖はあるが、それは熟知している。
ぶれを抑えるための工夫も怠っていない。
両足を踏み開き、矢をつがえ、弦をひき、気負いなく一射目を放つ。
三郎が目を見張った。
「なんという速さじゃ。たいした強弓じゃの」
イダテンは一射目の結果を待たず、続けて二射、三射と放った。
そのすべてが三つの巻藁の中心に的中した。
「あたり? あたり?」
ミコが問いかけるが、三郎の目は、的の巻藁に、くぎ付けとなっていた。
「おおっ……」
「ねえ、ねえ」
ミコに腕を掴まれ、ようやくわれに返る。
「忠信様並みの腕前じゃな――いや、忠信様より上かもしれぬ。近頃は目が悪うなって、的が見えぬとこぼしておられたで」
「すごい、すごい、ただのぶー」
ミコが手を叩いてはしゃいでいる。
意味は分かっていないだろう。
「ならば、次は、あの上にある板を狙ってみろ。わかるか、あの縄からぶら下がっているやつだ。一辺が五寸しかない」
巻藁より十間は遠く、六丈は高いだろう。
風に揺られた五枚の的が小さく揺れている。
「ひとつでも当たれば……」
三郎の言葉が終らぬうちに矢を放ち、背の筒袋の矢に次々と手を伸ばした。
甲高い音がここまで届く。
すべて的中した。
どれも、ほぼ真ん中だ。
五枚の的が矢をぶら下げたまま、ゆらゆらと揺れていた。
「……信じられぬ。わしは夢でも見ているのか……そうじゃ、夢に違いない」
斜面の的に向かって三郎が歩き出した。
しばらくすると我慢できなくなったのか、全力で駆け出した。
三郎は感心していたが、驚くにはあたらない。
これぐらいの腕が無ければ獲物など狩れない。
獲物は留まってなどいないし、人ほどのろくはない。
「ねえ、ねえ、イダテン。ミコ、数かぞえられるんだよ」
ミコがイダテンの袖を引いて、風に揺れる的を見ながら指を折る。
「ひい、ふう、みい……ええっと、それから、えーっと、えーっと」
*
息を切らして灌木と枯草の生い茂る斜面を駆け上がる。
崩れ落ちそうな膝をなだめながら命中した板を仰ぎ見た。
――あやつ、一体何者じゃ。
いや、鬼の子だということは重々承知しておる。
だが、これはもはや神業ではないか。あやつは本当に、ただの鬼なのか。
振り返ると、その鬼が弓を引いていた。
鏃は三郎に向いている。
思わず息を飲む。ミコは指をかぞえるのに夢中で気がついていない。
血の気が引いていく。
ひゅん、と音をたてて放たれた矢の音にミコもこちらを向いた。
矢は、三郎の頭上を遥かに越えて山の斜面の茂みに消え、鈍い音をたてる。
小さな物が転がり落ちて、途中の潅木に引っかかった。
三郎は震える足を叱咤し、斜面を駆け上がった。
息を整え、それを手にすると、天に突き上げ振り回した。
毛並みの良いムジナだった。
「おまえがおると、食膳が豊かになりそうじゃのう!」
イダテンに聞こえるよう声を張りあげた。
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