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第十三話 人ではないモノ
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忠信は、姫の戯れかたが気にかかった。
はしゃいでいるといってよいほどだ。
少なくとも、これまでの姫であれば、忠信のことを人前で茶化すことはなかった。
常と違う状況に舞い上がっているのではないか。
これが、先日、姫の伯母上の尽力により届いた唐猫にであればよい。
だが、いかに神の眷属か鬼神のごとき力を持っていようとイダテンは異形の者なのだ。
だからと言って、姫の様子を気に病んでいても始まらない。
なによりイダテンには聞きたいことがある。
「繭殿、ああ、いや……おばば様は息災かな?」
*
老臣に言われてようやく、そんな名だったかと思い出す。
イダテンにとっては、おばば、が名そのものだった。
おばばを質に何かを企んでいるのだとしても、もはやその心配はない。
「一年前に死んだ」
イダテンの言葉に、姫は小さく息を飲む。
老臣がわずかに腰を浮かした。
手の中の扇がきしんだ音をたてた。
「……病か?」
病ではなかったが、無駄な説明は避けたかった。
小さくうなずくと、それとわかるほど肩を落とした。
「それでは、ひとりで暮らしているのですか?」
姫が、場を取りなすように疑問を口にする。
答えるまでもない。
退治しようとする者はいても引き取ろうとする者などどこにもいない。
それが肯定だと受け取ったのだろう。姫は続けた。
「いくら人並みはずれた力があるといっても、不便なことも多いのではありませんか?」
不便などという生易しいものではない。毎日が生きるか死ぬかだったのだ。お前らにはわかるまい。
黙り込んだイダテンを見て、老臣が、いらついたように声を上げた。
「イダテン、答えよ!」
姫は、自分の問いがイダテンの癇にさわったことに気がついたようだが、表情一つ変えず老臣に提案した。
「どうでしょう。イダテンがここで暮らせるよう考えてみては。じいであれば、なにか良い仕事を見つけられるのではありませんか」
「姫様、それは……」
老臣は、言葉を濁したが、イダテンには老臣の言いたいことがわかった。
仕事がないのではない。
力仕事なら人の十倍、百倍はこなせよう。
国府と馬木をつなぐ峡谷沿いの峠道は父であるシバの力無しには切り開かれなかったと聞いている。
だれが見ても一目で人間ではないとわかるイダテンを姫のそばにおきたくないのだ。その気持ちが透けて見えた。
だからといって、老臣に憎しみを覚えることはなかった。
誰もが、この姿を見れば逃げ出した。
こうして家に迎え入れ、話しかけてくる者など皆無だったのだ。
少なくとも、老臣はイダテンに敵意や悪意を持っていない。
それは今、自分がこうして生きていることを見ればわかる。
目の前の姫の考えがどうであれ、この老臣の腹一つで寝首をかくことはできたのだから。
*
忠信は、あわてると同時に姫のしたたかさに舌を巻いた。
事前に無理だと伝えてあることを、あえて、この場で持ち出すのは、いくばくかの譲歩を引き出せると踏んだからだろう。
むろん、忠信とてイダテンの使い道は考えていた。
宗我部の謀反に備え、海田に通じる甲越峠に監視所を設けようと考えていたのだ。
様子を見るために海田に忍び込ませるのも良いだろう。
それを引き受けるのであれば住処を与え、生きていくに困らぬほどの手当てを与えることもできる。
しかし、忠信の一存で決めることはできない。
これには姫の父であり、国司である阿岐権守の許しが必要となる。
「おばばの遺言がある」
イダテンが、唐突に声を発した。
忠信は扇を振り開き、救われたように身を乗りだす。
「おお、何じゃ、それは?」
姫も興味深げにイダテンを見つめた。
「人とまじわるな。信用するな」
姫は、イダテンの言葉に息をのみ、唇を震わせた。
忠信は、返す言葉を失った。
そしてイダテンが尋ねてきた。
「なにが目的なのだ」
姫はイダテンの問いの意味するところを、すぐに理解できなかったようだ。
困惑した表情で忠信に目を向けた。
忠信は、静かに扇を閉じた。
その表情としぐさでイダテンは察しただろう。
少なくともこの年寄りが、善意だけで看病させていたわけではないということを。
姫は瞼を伏せた。その長い睫毛が震えていた。
「あなたとおばば様を、そのような気持ちにさせたこと……この地を治める者の――」
「姫様!」
忠信は、あわててその言葉をさえぎった。
そうしなければ姫は、詫びの言葉を口にしただろう。
それだけはさせてはならない。
帝を支え続けた主人の家系に。零落したとはいえ、いずれは関白と謳われた主人の顔に、遡れば帝の血をひく姫の家系に泥を塗ることになる。
性根のやさしい姫に育ってくださったのは良いが、立場を考えぬ素直さも時と場合による。
姫も、それに気付いたのだろう。言葉を重ねることはなかった。
*
今のやり取りで、老臣や姫が、おばばと自分の置かれてきた境遇を掴んでいたことがわかった。
知りながら何もしてくれなかったことも。
しかし、先ほどと違って怒りは湧いてこなかった。
そもそも、世間知らずの姫や公家侍になにができよう。
姫が、イダテンの顔をひたと見つめてきた。
肩に力が入っているのがわかる。袖の下の両手を強く握りしめているのだ。
「――ですが、わたしはあなたのことを信じます。皆が驚く力を持ちながら、その力を一度たりとも奮わなかったあなたは誰よりも……」
イダテンは、邪険にその言葉を遮った。
「おばばが生きておったからな」
ささらが姫の表情がこわばり、イダテンを見つめるその目から涙が一筋こぼれ落ちた。
姫は察したのだ。
怒りにまかせて力を奮えば、人間たちの矛先は弱者であるおばばに向かったであろうことに。
なにをされても耐えるほかなかったであろうことに。
人とは泣くようにできておるのだろう。
おばばもよく泣いた。
おれは人ではないから泣けぬのであろう。
声もあげず、ぽろぽろと涙をこぼす姫を見ながらそう思った。
*
はしゃいでいるといってよいほどだ。
少なくとも、これまでの姫であれば、忠信のことを人前で茶化すことはなかった。
常と違う状況に舞い上がっているのではないか。
これが、先日、姫の伯母上の尽力により届いた唐猫にであればよい。
だが、いかに神の眷属か鬼神のごとき力を持っていようとイダテンは異形の者なのだ。
だからと言って、姫の様子を気に病んでいても始まらない。
なによりイダテンには聞きたいことがある。
「繭殿、ああ、いや……おばば様は息災かな?」
*
老臣に言われてようやく、そんな名だったかと思い出す。
イダテンにとっては、おばば、が名そのものだった。
おばばを質に何かを企んでいるのだとしても、もはやその心配はない。
「一年前に死んだ」
イダテンの言葉に、姫は小さく息を飲む。
老臣がわずかに腰を浮かした。
手の中の扇がきしんだ音をたてた。
「……病か?」
病ではなかったが、無駄な説明は避けたかった。
小さくうなずくと、それとわかるほど肩を落とした。
「それでは、ひとりで暮らしているのですか?」
姫が、場を取りなすように疑問を口にする。
答えるまでもない。
退治しようとする者はいても引き取ろうとする者などどこにもいない。
それが肯定だと受け取ったのだろう。姫は続けた。
「いくら人並みはずれた力があるといっても、不便なことも多いのではありませんか?」
不便などという生易しいものではない。毎日が生きるか死ぬかだったのだ。お前らにはわかるまい。
黙り込んだイダテンを見て、老臣が、いらついたように声を上げた。
「イダテン、答えよ!」
姫は、自分の問いがイダテンの癇にさわったことに気がついたようだが、表情一つ変えず老臣に提案した。
「どうでしょう。イダテンがここで暮らせるよう考えてみては。じいであれば、なにか良い仕事を見つけられるのではありませんか」
「姫様、それは……」
老臣は、言葉を濁したが、イダテンには老臣の言いたいことがわかった。
仕事がないのではない。
力仕事なら人の十倍、百倍はこなせよう。
国府と馬木をつなぐ峡谷沿いの峠道は父であるシバの力無しには切り開かれなかったと聞いている。
だれが見ても一目で人間ではないとわかるイダテンを姫のそばにおきたくないのだ。その気持ちが透けて見えた。
だからといって、老臣に憎しみを覚えることはなかった。
誰もが、この姿を見れば逃げ出した。
こうして家に迎え入れ、話しかけてくる者など皆無だったのだ。
少なくとも、老臣はイダテンに敵意や悪意を持っていない。
それは今、自分がこうして生きていることを見ればわかる。
目の前の姫の考えがどうであれ、この老臣の腹一つで寝首をかくことはできたのだから。
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忠信は、あわてると同時に姫のしたたかさに舌を巻いた。
事前に無理だと伝えてあることを、あえて、この場で持ち出すのは、いくばくかの譲歩を引き出せると踏んだからだろう。
むろん、忠信とてイダテンの使い道は考えていた。
宗我部の謀反に備え、海田に通じる甲越峠に監視所を設けようと考えていたのだ。
様子を見るために海田に忍び込ませるのも良いだろう。
それを引き受けるのであれば住処を与え、生きていくに困らぬほどの手当てを与えることもできる。
しかし、忠信の一存で決めることはできない。
これには姫の父であり、国司である阿岐権守の許しが必要となる。
「おばばの遺言がある」
イダテンが、唐突に声を発した。
忠信は扇を振り開き、救われたように身を乗りだす。
「おお、何じゃ、それは?」
姫も興味深げにイダテンを見つめた。
「人とまじわるな。信用するな」
姫は、イダテンの言葉に息をのみ、唇を震わせた。
忠信は、返す言葉を失った。
そしてイダテンが尋ねてきた。
「なにが目的なのだ」
姫はイダテンの問いの意味するところを、すぐに理解できなかったようだ。
困惑した表情で忠信に目を向けた。
忠信は、静かに扇を閉じた。
その表情としぐさでイダテンは察しただろう。
少なくともこの年寄りが、善意だけで看病させていたわけではないということを。
姫は瞼を伏せた。その長い睫毛が震えていた。
「あなたとおばば様を、そのような気持ちにさせたこと……この地を治める者の――」
「姫様!」
忠信は、あわててその言葉をさえぎった。
そうしなければ姫は、詫びの言葉を口にしただろう。
それだけはさせてはならない。
帝を支え続けた主人の家系に。零落したとはいえ、いずれは関白と謳われた主人の顔に、遡れば帝の血をひく姫の家系に泥を塗ることになる。
性根のやさしい姫に育ってくださったのは良いが、立場を考えぬ素直さも時と場合による。
姫も、それに気付いたのだろう。言葉を重ねることはなかった。
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今のやり取りで、老臣や姫が、おばばと自分の置かれてきた境遇を掴んでいたことがわかった。
知りながら何もしてくれなかったことも。
しかし、先ほどと違って怒りは湧いてこなかった。
そもそも、世間知らずの姫や公家侍になにができよう。
姫が、イダテンの顔をひたと見つめてきた。
肩に力が入っているのがわかる。袖の下の両手を強く握りしめているのだ。
「――ですが、わたしはあなたのことを信じます。皆が驚く力を持ちながら、その力を一度たりとも奮わなかったあなたは誰よりも……」
イダテンは、邪険にその言葉を遮った。
「おばばが生きておったからな」
ささらが姫の表情がこわばり、イダテンを見つめるその目から涙が一筋こぼれ落ちた。
姫は察したのだ。
怒りにまかせて力を奮えば、人間たちの矛先は弱者であるおばばに向かったであろうことに。
なにをされても耐えるほかなかったであろうことに。
人とは泣くようにできておるのだろう。
おばばもよく泣いた。
おれは人ではないから泣けぬのであろう。
声もあげず、ぽろぽろと涙をこぼす姫を見ながらそう思った。
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