お姫さんと呼ばないで

秋月朔夕

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 強引に身体を開かれてから数か月が経つのに彼は連日わたしを求めている。場所は決まってわたしの部屋。彼はどれだけ帰りが遅くなろうと、意地でも張っているかのように毎晩わたしの部屋を訪ねてくる。そして行為の最中に決まって聞いてくることは、なにか欲しいモノはあるか、ということだ。
 (彼に施しなんてうけたくないわ)
  そんなことしたら、本当に身体を売っている女性そのものではないか。突っぱねている今でさえ、俺に買われたのだから媚を売れだの、愛想良くしたらどうだ、と言ってくるのだ。もし実際にわたしが強請りでもしたら、どこまで要求されるか。考えただけで恐ろしい。
 (……だけど、どうしてわたしは彼を気になってしまったのかしら)
  自分でも最初の内は分からなかった。けれども彼と抱かれている時に、ふと白檀の爽やかで甘い匂いが彼から漂っていることに気が付いた。それは昔どこかで嗅いだことのあるもので、その懐かしさに自分でも知らない内に魅かれていたのかもしれない。
 (香りくらいでほとんどなにも知らない方に魅かれるなんて本当にわたしって馬鹿だわ)
  これだから彼に『お姫さん』と呼ばれ続けるのだ。わたしを抱く度にお姫さんと揶揄してくる彼は、いつも険しい顔をしている。その理由は知らない。聞いてもあまり楽しい話題ではないだろうし、わたし自身も自分から傷をえぐろうとは思わない――それにわたしが聞いても彼は答えないだろう。
  結婚して半年以上が過ぎているのに、彼が訪ねて来るのは必ずわたしが寝た後で、朝わたしが起きた時に彼が隣に居ることもない。彼は徹底的にわたしを避けているのだ。
 (子供が出来たらどうなるのでしょう)
  今、彼がわたしを抱くのは跡継ぎを産ませるためだと言っていた。それなら子どもが出来たらもう彼と身体の関係すらなくなるのだろう。








 (嗚呼っ! 俺は何をしているのだろう)
  激情のまま、お姫さんを抱いてから半年も経つ。それなのにお姫さんとまともに話すらしていないのだ。
 「……旦那様。いい年した大人が机に突っ伏さないで下さい。せっかく積み上げた書類が汚れてしまいます」
 「佐田。主人が落ち込んでいるんだから、優しい言葉の一つや二つくらい出せ」
  確かに行儀が悪かったが、俺と佐田の二人しかいない執務室くらい気を抜いてもいいじゃないか。
 「か弱い女性を無理矢理抱いた鬼畜野郎に優しくは出来ません」
  にこやかに言い切る佐田の顔はどこまでも爽やかだ――しかし眼は笑っていない。佐田は徹底した女性至上主義者なのだ。俺とお姫さんの関係を間近で見ているこの男が怒らないはずがない。あれからチクチクと嫌味を言われるが、それはお姫さんのことを心配してのことだろうから咎める気はない。
 「……俺だって反省はしている」
  佐田に聞こえないほど小さく呟いた言葉は間違いなく俺の本音だ。あの日から、彼女は明確なる敵意を向けるようになった。俺のしでかした野蛮な行為のことを考えれば仕方のないことのように思える。頭ではそう分かっている。だがしかし、彼女の反抗的な態度を見ると頭に血が昇ってしまうのだ。
(俺は本当に馬鹿野郎だ)
 誰よりも大切にするはずだったのに、自分の感情一つ制御出来やしないで、みっともなく彼女に当たってしまう。これではまるで癇癪を起こした子どもそのものだ。
 「…………そろそろ話し合いをすべきですよ」
 「話し合い? 今更そんなことをして何になる?」
  佐田の進言はかなり前からのものなのに、今更だと否定する俺は卑怯者だ。だが、俺は器の小さな人間なのだ。お姫さんに俺自身を否定されるとなると、気が狂って今よりもさらに取り返しのつかないことになるだろう――だから、佐田が幼馴染みとして進言しているのだと分かっているがこればかりは聞けない。
 (ああ、本当に情けない男だ)
  そう自覚しているのに今宵もまたお姫さんを求めるのだから、本当に俺はどうしようもない。




 「……っひぁ、あぁっ!」
 「ほら、お姫さん。今夜こそ何か欲しい物をねだれよ」
  お互いに一糸纏わぬ姿で激しく律動している時、俺は毎回それを聞く。だが、すでに何度も果てて、思考も身体も蕩けきっているくせに、首を横に振って、何もいらないと突っぱねてくる。俺はそれが気に入らない――だって今の俺がお姫さんに与えられるのは金だけだ。それを否定されるのであれば、彼女との繋がりはなくなってしまう。それがひどく恐ろしくて、俺は行為を激しくすることで、わざと彼女の思考力も奪っているのに、何もいらないと首を振る――これでは俺の存在価値はどうなるんだ。
 沸き上がる焦りを抑えきれず、より一層激しく抽出すれば、彼女は甘い声で鳴く。それが生理的な反応でも構わない。ただこの時だけは俺が必要であると錯覚させてくれるのであれば……みっともなく縋るのだ。少しでも彼女が俺を求めてくれることを願って。




 「お姫さん」
  行為が終わり、横たわる彼女は気絶するように眠り付いている。膝に乗せ、用意したぬるま湯に浸した手ぬぐいで丁寧に拭いても彼女はピクリとも反応しない。そのことに安心する俺は本当にひどい男だ。ゆっくりと壊れ物を扱うように手ぬぐいを滑らせ、肌に所々散りばめた蹂躙の跡を眺めれば、ほの暗い悦びが胸に広がる。
 「……薫子さん、アンタは俺のだ」
  彼女の名前を呼ぶ時は決まって自分に暗示を掛けたい時だ。不安はいつだってある。本来彼女は俺なんかが触れることは出来なかった存在だ。たまたま彼女の家が金に困っていたからこそ婚儀を結べただけで、そこにお姫さんの気持ちはないどろか、結婚相手を偽られたままここに来てしまったのだ。
 (お姫さんはまだあの男が好きなのだろうか)
  そう聞きたいが、勇気が出ない。それに、そんなこと今更聞いてどうする。これ以上ひどい扱いをする気か。今でさえ、一回りも年が離れた平民男に毎日気絶するまで犯されているのだ。それなら心くらい彼女の自由にしなければならないだろう。頭ではそう考えている。だけれども実際にそんなことを聞いてしまったら、俺は平静ではいられなくなる。だからこそ、俺は普段彼女に関わらないようにする――そうすれば、彼女の心情を察することが難しくなるから。そうしなければ、俺自身が抑えが効かなくなる。
 「薫子さん……今ばかりは邪魔はしねぇからゆっくり休んでくれ」
  そっと彼女に口付けて、部屋を後にする――俺はこの時知らなかった。俺が居なくなった直後に彼女の眼が開くことを。俺の言葉を聞いていたことを。そして彼女が何を思っているのか知らないまま執務室に向かったのだった。



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