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1巻
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結果、ヴァイオレット公爵家の力が増し、拮抗していたスカーレット公爵家は立場を弱くした。
均等を保っていた勢力が崩れれば、悪い意味で国内の情勢だって変わる。
宰相位の実権がヴァイオレット公爵家に二代にわたって握られたことにより、ヴァイオレット家にとって都合が良いように人事が采配されるようになった。
政治的腐敗が進み、文官達はヴァイオレット公爵家の顔色を見て閣議を決定していく。
そうなるとスカーレット公爵家だって黙ってはいない。権力が多少弱まったとはいえ、もとはヴァイオレット公爵家と対をなす程の大貴族だ。
剣術に秀でている者が多いスカーレット公爵家には、分家も含めて騎士の重役の立場として国を守る者も多く、歴史を紐解けば国を救った英雄だっている。その為、国民からの信頼は未だ厚い。
だからこそスカーレット家は王家にとって脅威のままだった。
金も爵位も軍事権もあるスカーレット公爵家が本気を出せばあっという間に国は傾く。
その不満を抑え込む為にもアルベルトの父……現王の代でスカーレット家から一人、国母となる女性を娶り、国内のパワーバランスを調整する必要があった。
だというのに、陛下はよりにもよってヴァイオレット公爵家の女性に恋をしてしまったのだ。
事実を知ったスカーレット公爵家は激怒した。
当たり前だ。暗黙の了解とはいえ、時流を無視し、よりにもよって対立しているヴァイオレット公爵家の令嬢と『また』婚姻を結んだのだから。
これでは家名に唾を吐き捨てられたようなものだ。馬鹿にしているにも程がある。
その怒りは凄まじく、シルヴィアの祖父である当主自らが王城に乗り込んで、直接苦情を申し出た程だという。
下手をすれば反逆罪にもなりかねない行為であったが、元を辿れば約束を違えたのは王家の方だ。
スカーレット公爵家の怒りを抑える為に、国王は一つ、念書を残すことにした。
『自らの第一王子をスカーレット公爵家の子女と必ず婚姻させる』という念書を。
つまり、シルヴィアとアルベルトは生まれる前から結婚することを決定付けられていたのだ。
ところで現王がヴァイオレット公爵家の令嬢と婚姻を結んだことで、ますます両家が蜜月的な関係になったかといえばそうではない。
陛下は即位すると同時に、汚職に手を染めていたヴァイオレット公爵家の者を容赦なく更迭していった。
権力と富に肥え太り、三代続いて自分の家から王家に嫁を出したことでヴァイオレット家はすっかり油断していた結果。汚職の証拠は苦労することもなくすぐに集まった。
そしてそれに協力したのがヴァイオレット家の令嬢である王妃と、スカーレット家だった。
(簡単に婚約破棄できるモノであれば良かったのに……)
国も関わる大人の事情がある以上、わたしの口から婚約をしたくないなんて両親に訴えることはできない。
まして今の歳で口にしたところで、どうせ十歳児の我儘で済まされてしまう。そうなればただ自分の立場を悪くするだけで、なんの意味もない。
ゲームでアルベルトがシルヴィアに対し婚約破棄ができたのは、シルヴィアに落ち度があったからだ。
いくらなんでも未来の王妃になる存在に悪評が付けば嫌厭されるし、婚姻自体はスカーレット家が推し進めたものだから、自分の娘が原因であれば破棄することを受け入れざるを得ない。
要はゲームの中でシルヴィアが本当に王子と結婚したかったのならば、ただ黙って静観していればそれで済んだのである。
(まぁ、そうなったらメインヒーローのアルベルトと結婚できなくなるんだから、乙女ゲームとして成り立たないのよね)
だからシナリオでは、シルヴィアを恋に狂った馬鹿な女に仕立て上げる必要があったのだろう。
ふと王子を見ると、彼は真剣な眼差しで黙り込んでいる。
どうやら先程わたしが尋ねた『アルベルト自身、この婚約をどう思っているのか』という問いについて考えてくれているようだ。
まだ会ったばかりのわたしからの問いなんて、てっきり適当に歯切れの良い言葉を並べられて機嫌を取られると思っていたから、ここまで考え込んでくれるなんて意外だと思った。
顎に手を当てていた彼は、ややあって深く息を吸い込んだ後、緊張した面持ちでわたしに向き直る。
「……シルヴィア。僕はきみと政略結婚をするつもりはないんだ」
「は?」
しまった。予想外のことで思わず素で聞き返すことになるとは。
けれど、アルベルトに気にした様子はない。顔を赤らめて次に続く言葉を吐こうとしている。
その表情になんだか嫌な予感がした。
こういう時のわたしの勘は何故だかよく当たる。
心臓がバクリバクリと音を立てる。
続くアルベルトの言葉を阻止しようとしても、動揺のあまり瞬きすらできない。
「昨日からシルヴィアの泣き顔が頭から離れない。その、どうやら……僕は、きみに一目惚れをしたらしい。だから叶うならば、シルヴィア、僕と恋愛結婚をしてくれないか?」
――彼の言葉にわたしはクラリと目眩がした。
だって、泣き顔が頭から離れないという台詞は、十八禁版でアルベルトのヒロインへの告白と全く同じ台詞であるのだ。
顔を真っ青にして震え出したわたしに、アルベルトはすぐに屋敷に居る医者を呼んだ。
そして医者の措置が完了するのを見届けると「自分がこのまま部屋に残っていてはシルヴィアが休まらないだろう」と王城に戻っていった。
その気遣いに感謝しながら、わたしは長い間、布団の中で縮こまっていた。
第二章 震えて眠った夜
(……アルベルトが帰ってくれて良かった)
いくら既に彼の前で倒れたことがあるとはいえ、さすがにこんな情けない姿は見せたくない。
わたしが布団の中で小さく丸まって、これ程までに怯えている理由は、アルベルトの性癖を知っているからだ。
十八禁版での彼は支配欲が強く、虐められて涙を流すヒロインを自分がもっと泣かせてやりたい、その涙すら自分が支配してやりたいという願望を抱いていた。
だからヒロインと両思いになった途端、アルベルトは本性をあらわにして文字通り彼女を調教していく。
男性器を模した張り型を挿入して視察に連れ回したり、王城の地下牢に拘束したまま鞭で打ったり、くすぐり責めによって失神させたり、ベッドの中で首輪を付けて雌犬として扱ったりと、両思いになっても碌な性生活を送れないのだ。
アルベルトがシルヴィアの泣き顔に惚れたということは、このままでは自分もゲーム内のヒロインと同じような目に遭う可能性が高い。
(嫌だ。嫌だ。触手プレイも絶対に嫌だけどSMプレイなんか絶対無理! わたしはお尻を叩かれても興奮なんかしない。羞恥プレイを強いられて悦んだりしない!)
悪役令嬢を全うしてゲーム通りにアルベルトルートに登場する触手に襲われるか、このままアルベルトと結婚してSMプレイを強いられるか。
どうして人生でこんなにも最悪な二択を迫られるのか。
というか触手かSMプレイの二択ってなんなんだ。
どっちにしろ地獄じゃないか。こんなもの罰ゲームにも程がある。
前世で何をやらかしたらこんなことになるのか。神様がいるのならば是非とも教えてほしい。
ぐすぐすと泣きながらアルベルトの行っていたSMプレイを反芻して、さらに恐怖で涙がボタボタと流れ落ちシーツを汚していく。
こんな情け無い姿はアルベルトだけではなく、他の誰にも見せたくない。
もういい。体調が悪いと医者にも判断されたのだから今日は誰にも会わない。このまま寝てやろう。俗に言うふて寝をしてやる。
泣いたせいで腫れぼったくなった瞼を擦りながら、目を閉じるが――その時、部屋の前でドタバタと大きな足音が聞こえた。
(……今日は誰にも会いたくないのに)
一体誰だと八つ当たり気味に部屋の扉を睨めば、ノックと共に自分を呼ぶ声が聞こえる。
「……シルヴィア。休んでいるところすまない。少しでいいからお前の可愛い顔を見せてくれないか?」
焦っているような痛切な声だった。
その声の持ち主を思い出して、ただでさえ真っ青だった顔色がそれを通り越して白くなる。
(なんでよりにもよって『あの人』がやって来るのよ!)
『シルヴィア』にとって一番恐ろしい人物の来訪に身体が震え出す。わたしは自分を守るようにして、布団の中で自身の身体を強く抱きしめた。
部屋の扉に鍵を掛けていないことが心細くて仕方ないが、このまま返事をせずに布団の中にくるまっていても事態が好転する訳がないことくらい分かっている。
それどころかもし相手がこのまま入室した場合、目敏い『彼』がわたしの挙動に不信感を抱く恐れがある――であれば、自分から招き入れる方が得策だろう。
「……どうぞ。お入りになって」
諦めた気持ちで応えると緊張から声が掠れた。
けどそれくらいならば、体調が悪いのだと言い訳が立つはずだ。
内心覚悟を決めきれていない自分に歯噛みしながら、ゆっくりと開く扉を注視する。
来訪したのはやはりわたしが予想していた人物であり、『シルヴィア』となったわたしが最も警戒しなければいけない人物。
――レオン・スカーレット。
ゲームでは殆ど登場することのないサブキャラだが、彼はシルヴィアだけに猛烈な執着心を抱く『異常者』だった。
◇ ◆ ◇
レオン・スカーレットは父の弟であり、若くして騎士団を纏める総帥である。
顔立ちは彫像のように整っているが、他者に向ける双眼は冷たく、完璧過ぎる容姿ゆえに冷酷さを際立たせている。
けれど、ことシルヴィアには違う顔を見せていた。
「シルヴィア、シルヴィア! 倒れたと聞いたが大丈夫なのか!?」
眉根をきゅうっと寄せて、幼児に縋る総帥様の姿なんて騎士団の者は見たことがないだろう。
いやそういえば、過去に一人だけ目撃した者がいた。
仕事を放り出してやってきたレオンを追いかけてきた彼の生真面目な部下は、今と同じような光景を目にした。だが、その部下は『あの冷酷な総帥様がそんな人間のようなことをするはずがない』と思い込んだのか、正気に戻ろうと壁に頭を思い切り打ち付け、気絶したのだ。
昔からレオンはシルヴィアだけに『とんでもなく』甘い。前世を思い出した今でも、過去の記憶を辿れば大層溺愛されてきた自覚はある。
一歳の誕生日にはシルヴィアの名前を付けた船をプレゼントしようとしたらしいが、子供にそんなものあげても喜ばないだろうという父の一言で彼の計画は頓挫した。
しかしここで引き下がらないのがレオン・スカーレットだ。船で喜ばないようならばと、シルヴィア専属の使用人を自費で雇おうとしたり、いっそのこと無人島を買い上げようと画策したこともあったらしい。
権力と金があるからこそできる所業だが、巻き込まれる身内の身にもなってほしいと父がぼやいていたと、母に聞いたことがある。
とにかく姪馬鹿なこの人に余計なことは言わないでおこうとわたしは密かに気を引き締めた。
「叔父様、わたくしはこの通り大丈夫ですわ。それよりお仕事は……?」
「お前よりも大事な仕事があるものか」
強く抱きしめられながらサボったんだなと確信する。
叔父はシルヴィアが生まれた時も喜びの余り、仕事を抜け出してはこの屋敷に通い詰め、シルヴィアの乳母から無理矢理仕事を奪い、彼自らがシルヴィアの世話をしてきたと聞く。
更には、彼が居ない間は、レオンが決めた育児計画書に沿って綿密に行動するように決められ、その細かい指示とモンペと化した叔父の口出しによって精神的に疲弊した乳母が一人また一人と辞めていった。
その結果、父と母によってしばらくの間屋敷の立ち入り禁止を命じられた叔父は、死刑宣告を受けた罪人よりも悲壮な顔をしたのだという。
「叔父様……」
咎めるように呼べば、彼はしょんぼりと肩を落とす。幼児に叱られる青年とはどうなんだろうと思うが、彼はゲームの中でもシルヴィアが可愛い余りに、彼女の我儘を『全て』聞き届けていた。
小さい頃からそうやって甘やかす存在が身近に居たことでゲームのシルヴィアは傍若無人になってしまったのだ。
けれどレオンはそんなシルヴィアを咎めることなく、更に甘やかす。
身内に際限なくドロドロに甘やかれたことにより、すっかり我儘になってしまったシルヴィアはどんどん孤立していったが――彼の真の目的はそこにあった。
叔父と姪では結婚できない。
しかし誰からも疎まれている状態に整えれば、シルヴィアは自分の手を取ることしかできなくなる、と。
我儘を聞けるのも甘やかしてあげられるのも自分だけなんだから、一生私の元に居ればいい。
初めからそう計算されていたがゆえの行動。
つまり、いつからか分からないがレオン・スカーレットは実の姪を愛していたのだ。
シルヴィアがレオンの手に落ちるルートは一つだけ。それはヒロインがシルヴィアの弟、ミハエルルートのハッピーエンドに進んだ場合である。
シルヴィアがヒロインとミハエルの邪魔をした理由は、レオンによって形成されたシルヴィアの山のように高いプライドのせいだ。
庶民の成り上がり女がスカーレット家の者と交際するなんて認めない、という選民思考により二人の仲を引き裂こうとした。
けれどまぁ、シルヴィアは幼い頃から弟と折り合いが悪かった。
アルベルトであれば恋情を、ウィリアムであれば愛憎を抱いていたが、ミハエル自身には正直何の興味も持っていなかったのだ。
その為、アルベルトルートやウィリアムルートの時の様に、何がなんでも邪魔をしてやるという気概はないので、アンジュの命を奪おうとしたり、他の男を使って襲わせようとしたりはしていない。
せいぜいアンジュと遭遇したらネチネチと嫌味を言うか、思い出したかのように気まぐれに軽く虐める程度であった。
しかし幼い頃からシルヴィアの高慢ちきな性格に耐えかねていたミハエルは、シルヴィアの罪を捏造し、公爵家から追放して、こっそりとレオンに引き渡す手引きをしたのだ。
ミハエルは叔父が、自分の姉に並々ならぬ執着を抱いていることを知っていた。
ゆえに公爵家当主の弟であり騎士団総帥のレオンにシルヴィアの始末を任せ、ついでに恩を売ることを選んだのである。
レオンはシルヴィアを手に入れた直後、すぐにシルヴィアに文字通り喰らい付いた。今まで隠していた遠慮は一切取り払われ、獣のように容赦なく彼女を抱き潰す。
だって彼女を守っていた公爵家という強力な後ろ盾はもう消え去ったし、温室育ちの彼女が自分一人の力でレオンの元から逃げられる訳がない。
――自分だけがシルヴィアを甘やかせるし、愛してあげられる。
働いたこともなく、庶民の常識も知らない彼女はどうせ自分の元を離れて生きていけない。
それにシルヴィアが屋敷から抜け出したところで、世間知らずで癇癪持ちのお嬢様が誰の頼りもなく生きていけるはずもない。
だったら彼女をどう扱おうとレオンの自由である。
シルヴィアの逃げ場をなくしたことで、レオンはそれまで隠していた自分の、恐ろしいまでの執着心を曝け出し、怯えるシルヴィアを無理矢理犯して、容赦なく何度も子種を注ぎ続けた。
子供ができれば、自分の元から更に逃げ出しにくくなる。
レオンにとってシルヴィアを自分の元に繋ぎ止める鎖は多い程に良く、自分の愛に雁字搦めにしてそのまま息もできなくなれば良いとすら思う。
だからレオンはシルヴィアの意思を無視して蹂躙し続けた。
ずっとずっと欲しかった存在。
珠玉の宝石。
それがやっと手に入ったのだ。
我慢なんてしていられるか。
徹底的に貪り尽くす。
長年にわたる執着はそれに比例して重く、おぞましいモノに成り果ててしまった。
初めは姪として純粋に可愛がっていたというのに、彼女が成長していくことで、次第に女として見るようになった。
自分でも異常だと分かっている。
二十程、年が離れている自分の姪に欲情を抱いているのは狂人のすることだ。
何度踏み止まろうとしたか分からない。
けれどその度に想いが溢れて、ついには止まることができなくなった。
公爵家の長女で、王位継承者のアルベルトと婚約を結んでいるシルヴィアを手に入れるのは非常に困難だ。
だからこそ長い年月を掛けて、彼女の性格を作り替える必要があった。誰にも愛されることのないように、誰からも嫌われるように、実の家族ですら見放すように、レオンだけが彼女の手を取れるように、密かに画策したのだ。
長年の妄執がようやく叶ったことで、レオンの狂気に似た想いは更に加速する。
『死ぬまでも、死んでも手放さない。永遠にきみは私のモノだ』
『これからもずぅっと一緒だよ』
『可愛いシルヴィア。きみは何人の子を孕めば、私のことを愛すのかな?』
余談ではあるが元の世界では『シルヴィアを幸せにする会』によって、レオンとシルヴィアの二次創作は非常に人気が高かったことを記しておく。
◇ ◆ ◇
レオンとシルヴィアの末路を思い出して、内心頭を抱える。
(絶対『最愛の果てに』の製作陣、シルヴィアに何か恨みあるでしょ)
いつもいつも扱いが酷過ぎる。
なんなんだ。シルヴィアに村でも焼かれたというのか。
ご丁寧にシルヴィアの最後はしっかりとスチルで描かれている。
レオンルートでのスチルはお腹が大きくなって絶望し切った表情のシルヴィアを、レオンが蕩けるような笑みを浮かべて後ろから抱きしめていた場面だ。
その顔は恍惚としていて、彼一人だけが幸せそうだった。
ちなみに『シルヴィアを幸せにする会』によって作成された二次創作で多かった話は腹ボテからの絆されハッピーエンドである。
皆、一度頭を冷やして欲しい。
冷静に考えて、いくら溺愛されていても、血筋が良くても、剣の腕が良くても、顔が良くても、幼い頃から自分のことを虎視眈眈と狙う叔父は怖くないか?
わたしは怖い。
だって普通にヤバい奴じゃん。
シルヴィアを悪役令嬢となるよう育てた諸悪の根源じゃん。
『シルヴィアを幸せにする会』だったら安易にそんな相手とくっつけないで欲しいと切実に思う。
ただでさえ身内に攻略キャラが二人も居るというのに、ここにきて更なる地雷源。
わたしは地雷の上でタップダンスする趣味はない。
だというのに、どうして休めるはずの屋敷でドキドキハラハラの生活をしていかなければいけないというのか。お陰で胃がキリキリしてくる。
チラリと未だ眉を下げて気まずそうにしょぼくれているレオンの目をじっと見つめれば、そこに色情を宿した様子がないことにひとまず安堵する。
恐らく、まだわたしのことを『姪』として可愛がっているだけなのだと思うが、公爵家次男として育ってきた彼はそれこそ自分の表情くらい簡単に作れるだろうから油断はできない。
ゲームのレオンはシルヴィアを際限なく甘やかすことで、彼女の性格を歪ませていった。
それは『いつ』からのことなんだろう?
まだその期限に余裕はあるのだろうか?
「……シルヴィア。今日はなんだか甘えてくれないんだね」
ちょうど考えていた内容を言い当てられたようで、心臓がドキリと跳ね上がると同時にしまったと後悔する。
確かにいつものシルヴィアであれば、レオンが訪ねるとくっついて離れない。
だというのに今日は明らかに距離感を出していた。これではおかしいと思って下さいと宣伝しているようなものだ。
「だ、だって……わたくし、もう十歳ですのよ。いつまでも子供のように叔父様にくっついていられませんわ」
「それは随分寂しいことを言うね」
「わたくしも同じ気持ちです。けれど叔父様はいつもわたくしを甘やかしてくれるんですもの。それに縋ってばかりではアルベルト殿下の婚約者として相応しくありません」
「……ああ。先日顔合わせしたんだっけ? けれどそのせいで倒れたと聞く。もしもシルヴィアがその婚約を重荷に思うのなら私がどうにかしてあげるよ?」
蕩けるような顔でやすやすとそう述べたことに、シルヴィアは不安が的中したようで、冷や汗がダラリと背中に流れる。
こともなげに王族との婚約破棄を匂わせた発言の大胆さに驚いてしまったのだ。
決定的な言葉ではないが、彼の眼は妖しく爛々と輝いていて、わたしが頷けばすぐに行動しそうで心臓に悪い。
(どうしよう。なんて言えば……)
正直な話、わたし個人としては攻略キャラである王子とは離れたいとは思う。
けれどこの婚約は国の事情が深く関わっているもので、一個人の感情で簡単に覆せるものではない。
ましてスカーレット家の前当主が単身で自ら王城に乗り込み、国王を脅して念書を書かせたのだ。これでは『余程』のことがない限り、こちら側からの婚約破棄など認められる訳がない。
レオンだってシルヴィアの役割を重々承知のはずだ。
だというのに、突然そのようなことを言い出したのは何か別の意図があるのだろうか。
じっと彼の顔を観察しても笑顔が深まるばかりで、レオンが何を考えているかちっとも分からない。
このままでは本当に現段階で『叔父』としてシルヴィアを可愛がっているのかも怪しく思えてくる。
(いくらレオンでもまさか十歳児相手に欲情しないだろうけど、そのくらい、シルヴィアに対してとんでもないくらいの執着心を抱いていたのよね)
彼の計画を知っている以上、警戒しておくに越したことはないだろう。
――ふと思い出すのはレオンとの腹ボテエンド。あんなこと絶対にお断りだ。その為には彼の甘言に乗せられないようにしなければいけない。
「嫌ですわ、叔父様。まさかわたくしでは国母は務まらない、そう仰りたいの?」
ぞわりと肌が粟立つ恐ろしさを押し殺して、なるべく明るく笑い掛けた。
こてんと首を傾げてレオンを見上げれば、彼も口元を綻ばせる。
「まさか! 私の可愛いくて賢いシルヴィアならきっと誰よりも上手く務まるだろうさ。ただ少し、過ぎたる叔父としての情が邪魔をして、つい要らぬことを口にしてしまったようだ」
「叔父様はどうにも心配性ですのね」
「ああ。私はどうやらきみのことが心配で仕方ないらしい」
やけにねっとりとした熱の籠った台詞を気付かないフリをして、子供らしさを強調させる為にわざと口を尖らせる。
「過保護も程々になさって下さい」
「それは中々難しい注文だ。知っているだろう? 私はシルヴィアのことが何よりも大切なんだ」
「ありがとうございます。わたくしも叔父様のことを大切に思っていますわ。だけど、わたくしのことを思うならどうかあまり甘やかさないで欲しいの」
「どうして?」
「だってわたくしはアルベルト殿下と婚約した立派なレディなんですから、あんまり叔父様ばかりを頼っていては殿下に対して面目次第もございませんもの」
困ったように眉を下げると、途端に彼はさぁっと顔色が青くなった。
叔父様、と声を掛けようとしたけれど彼は苦しそうに顔を顰めて、そのままよろよろと扉に向かっていく。
「すまない。今日中に片付けておかなければいけない書類のことをすっかり忘れていた」
子供でも分かるあからさまな嘘は彼らしくない。
雑な理由を口にして退出していった彼を呆然と見届けたわたしは、今度こそ部屋に一人取り残されたのだった。
均等を保っていた勢力が崩れれば、悪い意味で国内の情勢だって変わる。
宰相位の実権がヴァイオレット公爵家に二代にわたって握られたことにより、ヴァイオレット家にとって都合が良いように人事が采配されるようになった。
政治的腐敗が進み、文官達はヴァイオレット公爵家の顔色を見て閣議を決定していく。
そうなるとスカーレット公爵家だって黙ってはいない。権力が多少弱まったとはいえ、もとはヴァイオレット公爵家と対をなす程の大貴族だ。
剣術に秀でている者が多いスカーレット公爵家には、分家も含めて騎士の重役の立場として国を守る者も多く、歴史を紐解けば国を救った英雄だっている。その為、国民からの信頼は未だ厚い。
だからこそスカーレット家は王家にとって脅威のままだった。
金も爵位も軍事権もあるスカーレット公爵家が本気を出せばあっという間に国は傾く。
その不満を抑え込む為にもアルベルトの父……現王の代でスカーレット家から一人、国母となる女性を娶り、国内のパワーバランスを調整する必要があった。
だというのに、陛下はよりにもよってヴァイオレット公爵家の女性に恋をしてしまったのだ。
事実を知ったスカーレット公爵家は激怒した。
当たり前だ。暗黙の了解とはいえ、時流を無視し、よりにもよって対立しているヴァイオレット公爵家の令嬢と『また』婚姻を結んだのだから。
これでは家名に唾を吐き捨てられたようなものだ。馬鹿にしているにも程がある。
その怒りは凄まじく、シルヴィアの祖父である当主自らが王城に乗り込んで、直接苦情を申し出た程だという。
下手をすれば反逆罪にもなりかねない行為であったが、元を辿れば約束を違えたのは王家の方だ。
スカーレット公爵家の怒りを抑える為に、国王は一つ、念書を残すことにした。
『自らの第一王子をスカーレット公爵家の子女と必ず婚姻させる』という念書を。
つまり、シルヴィアとアルベルトは生まれる前から結婚することを決定付けられていたのだ。
ところで現王がヴァイオレット公爵家の令嬢と婚姻を結んだことで、ますます両家が蜜月的な関係になったかといえばそうではない。
陛下は即位すると同時に、汚職に手を染めていたヴァイオレット公爵家の者を容赦なく更迭していった。
権力と富に肥え太り、三代続いて自分の家から王家に嫁を出したことでヴァイオレット家はすっかり油断していた結果。汚職の証拠は苦労することもなくすぐに集まった。
そしてそれに協力したのがヴァイオレット家の令嬢である王妃と、スカーレット家だった。
(簡単に婚約破棄できるモノであれば良かったのに……)
国も関わる大人の事情がある以上、わたしの口から婚約をしたくないなんて両親に訴えることはできない。
まして今の歳で口にしたところで、どうせ十歳児の我儘で済まされてしまう。そうなればただ自分の立場を悪くするだけで、なんの意味もない。
ゲームでアルベルトがシルヴィアに対し婚約破棄ができたのは、シルヴィアに落ち度があったからだ。
いくらなんでも未来の王妃になる存在に悪評が付けば嫌厭されるし、婚姻自体はスカーレット家が推し進めたものだから、自分の娘が原因であれば破棄することを受け入れざるを得ない。
要はゲームの中でシルヴィアが本当に王子と結婚したかったのならば、ただ黙って静観していればそれで済んだのである。
(まぁ、そうなったらメインヒーローのアルベルトと結婚できなくなるんだから、乙女ゲームとして成り立たないのよね)
だからシナリオでは、シルヴィアを恋に狂った馬鹿な女に仕立て上げる必要があったのだろう。
ふと王子を見ると、彼は真剣な眼差しで黙り込んでいる。
どうやら先程わたしが尋ねた『アルベルト自身、この婚約をどう思っているのか』という問いについて考えてくれているようだ。
まだ会ったばかりのわたしからの問いなんて、てっきり適当に歯切れの良い言葉を並べられて機嫌を取られると思っていたから、ここまで考え込んでくれるなんて意外だと思った。
顎に手を当てていた彼は、ややあって深く息を吸い込んだ後、緊張した面持ちでわたしに向き直る。
「……シルヴィア。僕はきみと政略結婚をするつもりはないんだ」
「は?」
しまった。予想外のことで思わず素で聞き返すことになるとは。
けれど、アルベルトに気にした様子はない。顔を赤らめて次に続く言葉を吐こうとしている。
その表情になんだか嫌な予感がした。
こういう時のわたしの勘は何故だかよく当たる。
心臓がバクリバクリと音を立てる。
続くアルベルトの言葉を阻止しようとしても、動揺のあまり瞬きすらできない。
「昨日からシルヴィアの泣き顔が頭から離れない。その、どうやら……僕は、きみに一目惚れをしたらしい。だから叶うならば、シルヴィア、僕と恋愛結婚をしてくれないか?」
――彼の言葉にわたしはクラリと目眩がした。
だって、泣き顔が頭から離れないという台詞は、十八禁版でアルベルトのヒロインへの告白と全く同じ台詞であるのだ。
顔を真っ青にして震え出したわたしに、アルベルトはすぐに屋敷に居る医者を呼んだ。
そして医者の措置が完了するのを見届けると「自分がこのまま部屋に残っていてはシルヴィアが休まらないだろう」と王城に戻っていった。
その気遣いに感謝しながら、わたしは長い間、布団の中で縮こまっていた。
第二章 震えて眠った夜
(……アルベルトが帰ってくれて良かった)
いくら既に彼の前で倒れたことがあるとはいえ、さすがにこんな情けない姿は見せたくない。
わたしが布団の中で小さく丸まって、これ程までに怯えている理由は、アルベルトの性癖を知っているからだ。
十八禁版での彼は支配欲が強く、虐められて涙を流すヒロインを自分がもっと泣かせてやりたい、その涙すら自分が支配してやりたいという願望を抱いていた。
だからヒロインと両思いになった途端、アルベルトは本性をあらわにして文字通り彼女を調教していく。
男性器を模した張り型を挿入して視察に連れ回したり、王城の地下牢に拘束したまま鞭で打ったり、くすぐり責めによって失神させたり、ベッドの中で首輪を付けて雌犬として扱ったりと、両思いになっても碌な性生活を送れないのだ。
アルベルトがシルヴィアの泣き顔に惚れたということは、このままでは自分もゲーム内のヒロインと同じような目に遭う可能性が高い。
(嫌だ。嫌だ。触手プレイも絶対に嫌だけどSMプレイなんか絶対無理! わたしはお尻を叩かれても興奮なんかしない。羞恥プレイを強いられて悦んだりしない!)
悪役令嬢を全うしてゲーム通りにアルベルトルートに登場する触手に襲われるか、このままアルベルトと結婚してSMプレイを強いられるか。
どうして人生でこんなにも最悪な二択を迫られるのか。
というか触手かSMプレイの二択ってなんなんだ。
どっちにしろ地獄じゃないか。こんなもの罰ゲームにも程がある。
前世で何をやらかしたらこんなことになるのか。神様がいるのならば是非とも教えてほしい。
ぐすぐすと泣きながらアルベルトの行っていたSMプレイを反芻して、さらに恐怖で涙がボタボタと流れ落ちシーツを汚していく。
こんな情け無い姿はアルベルトだけではなく、他の誰にも見せたくない。
もういい。体調が悪いと医者にも判断されたのだから今日は誰にも会わない。このまま寝てやろう。俗に言うふて寝をしてやる。
泣いたせいで腫れぼったくなった瞼を擦りながら、目を閉じるが――その時、部屋の前でドタバタと大きな足音が聞こえた。
(……今日は誰にも会いたくないのに)
一体誰だと八つ当たり気味に部屋の扉を睨めば、ノックと共に自分を呼ぶ声が聞こえる。
「……シルヴィア。休んでいるところすまない。少しでいいからお前の可愛い顔を見せてくれないか?」
焦っているような痛切な声だった。
その声の持ち主を思い出して、ただでさえ真っ青だった顔色がそれを通り越して白くなる。
(なんでよりにもよって『あの人』がやって来るのよ!)
『シルヴィア』にとって一番恐ろしい人物の来訪に身体が震え出す。わたしは自分を守るようにして、布団の中で自身の身体を強く抱きしめた。
部屋の扉に鍵を掛けていないことが心細くて仕方ないが、このまま返事をせずに布団の中にくるまっていても事態が好転する訳がないことくらい分かっている。
それどころかもし相手がこのまま入室した場合、目敏い『彼』がわたしの挙動に不信感を抱く恐れがある――であれば、自分から招き入れる方が得策だろう。
「……どうぞ。お入りになって」
諦めた気持ちで応えると緊張から声が掠れた。
けどそれくらいならば、体調が悪いのだと言い訳が立つはずだ。
内心覚悟を決めきれていない自分に歯噛みしながら、ゆっくりと開く扉を注視する。
来訪したのはやはりわたしが予想していた人物であり、『シルヴィア』となったわたしが最も警戒しなければいけない人物。
――レオン・スカーレット。
ゲームでは殆ど登場することのないサブキャラだが、彼はシルヴィアだけに猛烈な執着心を抱く『異常者』だった。
◇ ◆ ◇
レオン・スカーレットは父の弟であり、若くして騎士団を纏める総帥である。
顔立ちは彫像のように整っているが、他者に向ける双眼は冷たく、完璧過ぎる容姿ゆえに冷酷さを際立たせている。
けれど、ことシルヴィアには違う顔を見せていた。
「シルヴィア、シルヴィア! 倒れたと聞いたが大丈夫なのか!?」
眉根をきゅうっと寄せて、幼児に縋る総帥様の姿なんて騎士団の者は見たことがないだろう。
いやそういえば、過去に一人だけ目撃した者がいた。
仕事を放り出してやってきたレオンを追いかけてきた彼の生真面目な部下は、今と同じような光景を目にした。だが、その部下は『あの冷酷な総帥様がそんな人間のようなことをするはずがない』と思い込んだのか、正気に戻ろうと壁に頭を思い切り打ち付け、気絶したのだ。
昔からレオンはシルヴィアだけに『とんでもなく』甘い。前世を思い出した今でも、過去の記憶を辿れば大層溺愛されてきた自覚はある。
一歳の誕生日にはシルヴィアの名前を付けた船をプレゼントしようとしたらしいが、子供にそんなものあげても喜ばないだろうという父の一言で彼の計画は頓挫した。
しかしここで引き下がらないのがレオン・スカーレットだ。船で喜ばないようならばと、シルヴィア専属の使用人を自費で雇おうとしたり、いっそのこと無人島を買い上げようと画策したこともあったらしい。
権力と金があるからこそできる所業だが、巻き込まれる身内の身にもなってほしいと父がぼやいていたと、母に聞いたことがある。
とにかく姪馬鹿なこの人に余計なことは言わないでおこうとわたしは密かに気を引き締めた。
「叔父様、わたくしはこの通り大丈夫ですわ。それよりお仕事は……?」
「お前よりも大事な仕事があるものか」
強く抱きしめられながらサボったんだなと確信する。
叔父はシルヴィアが生まれた時も喜びの余り、仕事を抜け出してはこの屋敷に通い詰め、シルヴィアの乳母から無理矢理仕事を奪い、彼自らがシルヴィアの世話をしてきたと聞く。
更には、彼が居ない間は、レオンが決めた育児計画書に沿って綿密に行動するように決められ、その細かい指示とモンペと化した叔父の口出しによって精神的に疲弊した乳母が一人また一人と辞めていった。
その結果、父と母によってしばらくの間屋敷の立ち入り禁止を命じられた叔父は、死刑宣告を受けた罪人よりも悲壮な顔をしたのだという。
「叔父様……」
咎めるように呼べば、彼はしょんぼりと肩を落とす。幼児に叱られる青年とはどうなんだろうと思うが、彼はゲームの中でもシルヴィアが可愛い余りに、彼女の我儘を『全て』聞き届けていた。
小さい頃からそうやって甘やかす存在が身近に居たことでゲームのシルヴィアは傍若無人になってしまったのだ。
けれどレオンはそんなシルヴィアを咎めることなく、更に甘やかす。
身内に際限なくドロドロに甘やかれたことにより、すっかり我儘になってしまったシルヴィアはどんどん孤立していったが――彼の真の目的はそこにあった。
叔父と姪では結婚できない。
しかし誰からも疎まれている状態に整えれば、シルヴィアは自分の手を取ることしかできなくなる、と。
我儘を聞けるのも甘やかしてあげられるのも自分だけなんだから、一生私の元に居ればいい。
初めからそう計算されていたがゆえの行動。
つまり、いつからか分からないがレオン・スカーレットは実の姪を愛していたのだ。
シルヴィアがレオンの手に落ちるルートは一つだけ。それはヒロインがシルヴィアの弟、ミハエルルートのハッピーエンドに進んだ場合である。
シルヴィアがヒロインとミハエルの邪魔をした理由は、レオンによって形成されたシルヴィアの山のように高いプライドのせいだ。
庶民の成り上がり女がスカーレット家の者と交際するなんて認めない、という選民思考により二人の仲を引き裂こうとした。
けれどまぁ、シルヴィアは幼い頃から弟と折り合いが悪かった。
アルベルトであれば恋情を、ウィリアムであれば愛憎を抱いていたが、ミハエル自身には正直何の興味も持っていなかったのだ。
その為、アルベルトルートやウィリアムルートの時の様に、何がなんでも邪魔をしてやるという気概はないので、アンジュの命を奪おうとしたり、他の男を使って襲わせようとしたりはしていない。
せいぜいアンジュと遭遇したらネチネチと嫌味を言うか、思い出したかのように気まぐれに軽く虐める程度であった。
しかし幼い頃からシルヴィアの高慢ちきな性格に耐えかねていたミハエルは、シルヴィアの罪を捏造し、公爵家から追放して、こっそりとレオンに引き渡す手引きをしたのだ。
ミハエルは叔父が、自分の姉に並々ならぬ執着を抱いていることを知っていた。
ゆえに公爵家当主の弟であり騎士団総帥のレオンにシルヴィアの始末を任せ、ついでに恩を売ることを選んだのである。
レオンはシルヴィアを手に入れた直後、すぐにシルヴィアに文字通り喰らい付いた。今まで隠していた遠慮は一切取り払われ、獣のように容赦なく彼女を抱き潰す。
だって彼女を守っていた公爵家という強力な後ろ盾はもう消え去ったし、温室育ちの彼女が自分一人の力でレオンの元から逃げられる訳がない。
――自分だけがシルヴィアを甘やかせるし、愛してあげられる。
働いたこともなく、庶民の常識も知らない彼女はどうせ自分の元を離れて生きていけない。
それにシルヴィアが屋敷から抜け出したところで、世間知らずで癇癪持ちのお嬢様が誰の頼りもなく生きていけるはずもない。
だったら彼女をどう扱おうとレオンの自由である。
シルヴィアの逃げ場をなくしたことで、レオンはそれまで隠していた自分の、恐ろしいまでの執着心を曝け出し、怯えるシルヴィアを無理矢理犯して、容赦なく何度も子種を注ぎ続けた。
子供ができれば、自分の元から更に逃げ出しにくくなる。
レオンにとってシルヴィアを自分の元に繋ぎ止める鎖は多い程に良く、自分の愛に雁字搦めにしてそのまま息もできなくなれば良いとすら思う。
だからレオンはシルヴィアの意思を無視して蹂躙し続けた。
ずっとずっと欲しかった存在。
珠玉の宝石。
それがやっと手に入ったのだ。
我慢なんてしていられるか。
徹底的に貪り尽くす。
長年にわたる執着はそれに比例して重く、おぞましいモノに成り果ててしまった。
初めは姪として純粋に可愛がっていたというのに、彼女が成長していくことで、次第に女として見るようになった。
自分でも異常だと分かっている。
二十程、年が離れている自分の姪に欲情を抱いているのは狂人のすることだ。
何度踏み止まろうとしたか分からない。
けれどその度に想いが溢れて、ついには止まることができなくなった。
公爵家の長女で、王位継承者のアルベルトと婚約を結んでいるシルヴィアを手に入れるのは非常に困難だ。
だからこそ長い年月を掛けて、彼女の性格を作り替える必要があった。誰にも愛されることのないように、誰からも嫌われるように、実の家族ですら見放すように、レオンだけが彼女の手を取れるように、密かに画策したのだ。
長年の妄執がようやく叶ったことで、レオンの狂気に似た想いは更に加速する。
『死ぬまでも、死んでも手放さない。永遠にきみは私のモノだ』
『これからもずぅっと一緒だよ』
『可愛いシルヴィア。きみは何人の子を孕めば、私のことを愛すのかな?』
余談ではあるが元の世界では『シルヴィアを幸せにする会』によって、レオンとシルヴィアの二次創作は非常に人気が高かったことを記しておく。
◇ ◆ ◇
レオンとシルヴィアの末路を思い出して、内心頭を抱える。
(絶対『最愛の果てに』の製作陣、シルヴィアに何か恨みあるでしょ)
いつもいつも扱いが酷過ぎる。
なんなんだ。シルヴィアに村でも焼かれたというのか。
ご丁寧にシルヴィアの最後はしっかりとスチルで描かれている。
レオンルートでのスチルはお腹が大きくなって絶望し切った表情のシルヴィアを、レオンが蕩けるような笑みを浮かべて後ろから抱きしめていた場面だ。
その顔は恍惚としていて、彼一人だけが幸せそうだった。
ちなみに『シルヴィアを幸せにする会』によって作成された二次創作で多かった話は腹ボテからの絆されハッピーエンドである。
皆、一度頭を冷やして欲しい。
冷静に考えて、いくら溺愛されていても、血筋が良くても、剣の腕が良くても、顔が良くても、幼い頃から自分のことを虎視眈眈と狙う叔父は怖くないか?
わたしは怖い。
だって普通にヤバい奴じゃん。
シルヴィアを悪役令嬢となるよう育てた諸悪の根源じゃん。
『シルヴィアを幸せにする会』だったら安易にそんな相手とくっつけないで欲しいと切実に思う。
ただでさえ身内に攻略キャラが二人も居るというのに、ここにきて更なる地雷源。
わたしは地雷の上でタップダンスする趣味はない。
だというのに、どうして休めるはずの屋敷でドキドキハラハラの生活をしていかなければいけないというのか。お陰で胃がキリキリしてくる。
チラリと未だ眉を下げて気まずそうにしょぼくれているレオンの目をじっと見つめれば、そこに色情を宿した様子がないことにひとまず安堵する。
恐らく、まだわたしのことを『姪』として可愛がっているだけなのだと思うが、公爵家次男として育ってきた彼はそれこそ自分の表情くらい簡単に作れるだろうから油断はできない。
ゲームのレオンはシルヴィアを際限なく甘やかすことで、彼女の性格を歪ませていった。
それは『いつ』からのことなんだろう?
まだその期限に余裕はあるのだろうか?
「……シルヴィア。今日はなんだか甘えてくれないんだね」
ちょうど考えていた内容を言い当てられたようで、心臓がドキリと跳ね上がると同時にしまったと後悔する。
確かにいつものシルヴィアであれば、レオンが訪ねるとくっついて離れない。
だというのに今日は明らかに距離感を出していた。これではおかしいと思って下さいと宣伝しているようなものだ。
「だ、だって……わたくし、もう十歳ですのよ。いつまでも子供のように叔父様にくっついていられませんわ」
「それは随分寂しいことを言うね」
「わたくしも同じ気持ちです。けれど叔父様はいつもわたくしを甘やかしてくれるんですもの。それに縋ってばかりではアルベルト殿下の婚約者として相応しくありません」
「……ああ。先日顔合わせしたんだっけ? けれどそのせいで倒れたと聞く。もしもシルヴィアがその婚約を重荷に思うのなら私がどうにかしてあげるよ?」
蕩けるような顔でやすやすとそう述べたことに、シルヴィアは不安が的中したようで、冷や汗がダラリと背中に流れる。
こともなげに王族との婚約破棄を匂わせた発言の大胆さに驚いてしまったのだ。
決定的な言葉ではないが、彼の眼は妖しく爛々と輝いていて、わたしが頷けばすぐに行動しそうで心臓に悪い。
(どうしよう。なんて言えば……)
正直な話、わたし個人としては攻略キャラである王子とは離れたいとは思う。
けれどこの婚約は国の事情が深く関わっているもので、一個人の感情で簡単に覆せるものではない。
ましてスカーレット家の前当主が単身で自ら王城に乗り込み、国王を脅して念書を書かせたのだ。これでは『余程』のことがない限り、こちら側からの婚約破棄など認められる訳がない。
レオンだってシルヴィアの役割を重々承知のはずだ。
だというのに、突然そのようなことを言い出したのは何か別の意図があるのだろうか。
じっと彼の顔を観察しても笑顔が深まるばかりで、レオンが何を考えているかちっとも分からない。
このままでは本当に現段階で『叔父』としてシルヴィアを可愛がっているのかも怪しく思えてくる。
(いくらレオンでもまさか十歳児相手に欲情しないだろうけど、そのくらい、シルヴィアに対してとんでもないくらいの執着心を抱いていたのよね)
彼の計画を知っている以上、警戒しておくに越したことはないだろう。
――ふと思い出すのはレオンとの腹ボテエンド。あんなこと絶対にお断りだ。その為には彼の甘言に乗せられないようにしなければいけない。
「嫌ですわ、叔父様。まさかわたくしでは国母は務まらない、そう仰りたいの?」
ぞわりと肌が粟立つ恐ろしさを押し殺して、なるべく明るく笑い掛けた。
こてんと首を傾げてレオンを見上げれば、彼も口元を綻ばせる。
「まさか! 私の可愛いくて賢いシルヴィアならきっと誰よりも上手く務まるだろうさ。ただ少し、過ぎたる叔父としての情が邪魔をして、つい要らぬことを口にしてしまったようだ」
「叔父様はどうにも心配性ですのね」
「ああ。私はどうやらきみのことが心配で仕方ないらしい」
やけにねっとりとした熱の籠った台詞を気付かないフリをして、子供らしさを強調させる為にわざと口を尖らせる。
「過保護も程々になさって下さい」
「それは中々難しい注文だ。知っているだろう? 私はシルヴィアのことが何よりも大切なんだ」
「ありがとうございます。わたくしも叔父様のことを大切に思っていますわ。だけど、わたくしのことを思うならどうかあまり甘やかさないで欲しいの」
「どうして?」
「だってわたくしはアルベルト殿下と婚約した立派なレディなんですから、あんまり叔父様ばかりを頼っていては殿下に対して面目次第もございませんもの」
困ったように眉を下げると、途端に彼はさぁっと顔色が青くなった。
叔父様、と声を掛けようとしたけれど彼は苦しそうに顔を顰めて、そのままよろよろと扉に向かっていく。
「すまない。今日中に片付けておかなければいけない書類のことをすっかり忘れていた」
子供でも分かるあからさまな嘘は彼らしくない。
雑な理由を口にして退出していった彼を呆然と見届けたわたしは、今度こそ部屋に一人取り残されたのだった。
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