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「今日からお嬢さんのお世話をさせて頂く御堂です」
短い挨拶だったけれど、なぜだか一目見た瞬間から男が恐ろしかった。草食動物が肉食動物に抱くような本能的な警告が脳内に響いて、全身がこの男を拒絶したからかもしれない。
「……お嬢さん?」
身体をこわらせばるわたしを心配そうに眼を細める男は、一見したら優しそうにも見えるし、眉目秀麗を具現化するとしたら、この男が出来上がるのだと言われたら誰もが納得するだろう。
ダークグレーのスーツが似合うすらりとした体躯に、すっと伸びた鼻に、薄い唇。眼の下にあるホクロがますます男の魅力を引き立てている。
けれど、この男はただ顔が良い男じゃない。
――だって、ここはいわゆる極道の屋敷だ。そんな所に普通な男がいるわけない。
この男は人の良い笑顔を浮かべて、いったいどれだけの人を狂わせてきたのだろう。そう考えるだけで身震いする。
(わたしは騙されてなんかやらないわ)
この時はその決意こそが自分の首を絞めることになるだなんて分かっていなかった。
「…………お嬢さん、今日も学校に行くのですか?」
男の眼は言外に行くなと言っているが、わたしはあえてそれを無視する。
「まだ義務教育の身ですから」
ここ一カ月も続く押し問答にいい加減面倒になっておざなりに答えると、形のいい眉が吊り上る。
「義務教育だからといって、無理に通うことはありません。聞いた話だと今のクラスは居心地があまりよろしくないのでしょう?」
(……誰のせいだと思っているの)
言っておくがほんの二か月前まではクラスに溶け込んでいたはずだったし、わたしも普通の生徒として通っていた。けれどこの男が世話係となってからは、見た目からしてその筋だと分かるような人が送迎するせいでクラスメイトは怖がってわたしから離れて行ってしまった。
「もう送り迎えは必要ありません」
「そうはいきません。あなたはもう両親のことを忘れたのですか?」
――忘れるわけがない。
それは平凡に暮らしていたわたしがこの屋敷に来るキッカケになった出来事だ。争いごとが苦手な母は成人するとすぐに家と縁を切り、父と凡庸な幸せを手に入れた。私は母が孤児として育ったと教えられていて、二か月前に両親が事故で亡くなるまでサラリーマンの家庭に育つごく普通の娘でしかなかった。
「…………忘れてはいません」
「それならば、分かっていただけますよね?」
言外にあなたの為なのですよ、という声が聞こえた気がする。笑顔を深めただけなのに男が掛けてくる重圧がビリビリと肌に突き刺さり、一歩身を引いてしまう。
「お嬢さん」
答えを言わないわたしに柔らかく声を掛ける。なのに一層追い詰められた気になるのはなぜなのだろうか。
「……せめて普通の車で送って欲しいんです」
御堂が世話係になる前も確かに車で送って貰ってはいた。だけど今と違って、家のことを周囲に知られたくないと言い張った効果か、送迎してもらうのはワンボックスの車にスキンヘッドだけど屋敷のなかじゃ比較的強面じゃない若い人が運転手だった。そのおかげで親戚のお兄さんだと周囲に説明することはできてなんとか誤魔化すことができた。けれど、それは一カ月の間だけだった。御堂が世話役になった途端、全てを変えてしまった。車はいかにもな黒塗りの車で護衛もガタイのいいサングラスをつけた黒服が何人も付けられてしまい、小さな中学校には相応しくない異様な光景に皆わたしから離れてしまった。いくら祖父に頼んでも聞き届けてくれることはない。
(きっとこの男がなんらかの力を働きかけているんだわ)
祖父は御堂に全幅の信頼を寄せている。弁護士の資格を持っている御堂は、その持前の頭脳で何度も組を助けてきたし、彼の経営している会社の売り上げも順調過ぎるせいで組の資金繰りが上手くいっているのは御堂のおかげでもある。まだ二十八だというのに(わたしからみたら十分大人だが)才気に満ち溢れている男を組は手放したくない。だからこそ屋敷のことくらいは、彼の一存でどうとでもなるのだろう。
眉根を寄せるわたしに御堂はため息を吐く。
「お嬢さん、あんまりワガママを言っていると屋敷から出しませんよ」
髪の毛を撫でる御堂の手は優しいのに、眼は獰猛な輝きで満ちている。もしも学校に行かなくなったら益々この男と過ごす時間が増えてしまうだろう。今だってわたしの休みの日は守るために、と称して男の眼の届く範囲に居なければならない。どれだけ学校の居心地が悪くても、この男の側で居なくちゃいけないなら、まだ逃げ場のある場所の方がいい。
「私は心配で堪らないのですよ。いっそ私の手で閉じ込めてしまいたいくらいに……」
声を震わせながら狂信的な想いを口にする御堂がそのまま言葉通りに実行してきそうなのが恐ろしくて、反射的に腕を払いのけてしまった。乾いた音が玄関先に響き、冷たい沈黙が辺りを支配した。
「お嬢さん」
「……いけない! もうそろそろ学校に向かわないと、遅刻しちゃいます」
逃げ出すようにわざとらしく彼から背を向けて、玄関に急ぐ。それでも彼の視線はわたしを背中から突き刺していた。
(やっぱり御堂は危険だ)
出会った時から感じている直感は今も変わることはなかった。
短い挨拶だったけれど、なぜだか一目見た瞬間から男が恐ろしかった。草食動物が肉食動物に抱くような本能的な警告が脳内に響いて、全身がこの男を拒絶したからかもしれない。
「……お嬢さん?」
身体をこわらせばるわたしを心配そうに眼を細める男は、一見したら優しそうにも見えるし、眉目秀麗を具現化するとしたら、この男が出来上がるのだと言われたら誰もが納得するだろう。
ダークグレーのスーツが似合うすらりとした体躯に、すっと伸びた鼻に、薄い唇。眼の下にあるホクロがますます男の魅力を引き立てている。
けれど、この男はただ顔が良い男じゃない。
――だって、ここはいわゆる極道の屋敷だ。そんな所に普通な男がいるわけない。
この男は人の良い笑顔を浮かべて、いったいどれだけの人を狂わせてきたのだろう。そう考えるだけで身震いする。
(わたしは騙されてなんかやらないわ)
この時はその決意こそが自分の首を絞めることになるだなんて分かっていなかった。
「…………お嬢さん、今日も学校に行くのですか?」
男の眼は言外に行くなと言っているが、わたしはあえてそれを無視する。
「まだ義務教育の身ですから」
ここ一カ月も続く押し問答にいい加減面倒になっておざなりに答えると、形のいい眉が吊り上る。
「義務教育だからといって、無理に通うことはありません。聞いた話だと今のクラスは居心地があまりよろしくないのでしょう?」
(……誰のせいだと思っているの)
言っておくがほんの二か月前まではクラスに溶け込んでいたはずだったし、わたしも普通の生徒として通っていた。けれどこの男が世話係となってからは、見た目からしてその筋だと分かるような人が送迎するせいでクラスメイトは怖がってわたしから離れて行ってしまった。
「もう送り迎えは必要ありません」
「そうはいきません。あなたはもう両親のことを忘れたのですか?」
――忘れるわけがない。
それは平凡に暮らしていたわたしがこの屋敷に来るキッカケになった出来事だ。争いごとが苦手な母は成人するとすぐに家と縁を切り、父と凡庸な幸せを手に入れた。私は母が孤児として育ったと教えられていて、二か月前に両親が事故で亡くなるまでサラリーマンの家庭に育つごく普通の娘でしかなかった。
「…………忘れてはいません」
「それならば、分かっていただけますよね?」
言外にあなたの為なのですよ、という声が聞こえた気がする。笑顔を深めただけなのに男が掛けてくる重圧がビリビリと肌に突き刺さり、一歩身を引いてしまう。
「お嬢さん」
答えを言わないわたしに柔らかく声を掛ける。なのに一層追い詰められた気になるのはなぜなのだろうか。
「……せめて普通の車で送って欲しいんです」
御堂が世話係になる前も確かに車で送って貰ってはいた。だけど今と違って、家のことを周囲に知られたくないと言い張った効果か、送迎してもらうのはワンボックスの車にスキンヘッドだけど屋敷のなかじゃ比較的強面じゃない若い人が運転手だった。そのおかげで親戚のお兄さんだと周囲に説明することはできてなんとか誤魔化すことができた。けれど、それは一カ月の間だけだった。御堂が世話役になった途端、全てを変えてしまった。車はいかにもな黒塗りの車で護衛もガタイのいいサングラスをつけた黒服が何人も付けられてしまい、小さな中学校には相応しくない異様な光景に皆わたしから離れてしまった。いくら祖父に頼んでも聞き届けてくれることはない。
(きっとこの男がなんらかの力を働きかけているんだわ)
祖父は御堂に全幅の信頼を寄せている。弁護士の資格を持っている御堂は、その持前の頭脳で何度も組を助けてきたし、彼の経営している会社の売り上げも順調過ぎるせいで組の資金繰りが上手くいっているのは御堂のおかげでもある。まだ二十八だというのに(わたしからみたら十分大人だが)才気に満ち溢れている男を組は手放したくない。だからこそ屋敷のことくらいは、彼の一存でどうとでもなるのだろう。
眉根を寄せるわたしに御堂はため息を吐く。
「お嬢さん、あんまりワガママを言っていると屋敷から出しませんよ」
髪の毛を撫でる御堂の手は優しいのに、眼は獰猛な輝きで満ちている。もしも学校に行かなくなったら益々この男と過ごす時間が増えてしまうだろう。今だってわたしの休みの日は守るために、と称して男の眼の届く範囲に居なければならない。どれだけ学校の居心地が悪くても、この男の側で居なくちゃいけないなら、まだ逃げ場のある場所の方がいい。
「私は心配で堪らないのですよ。いっそ私の手で閉じ込めてしまいたいくらいに……」
声を震わせながら狂信的な想いを口にする御堂がそのまま言葉通りに実行してきそうなのが恐ろしくて、反射的に腕を払いのけてしまった。乾いた音が玄関先に響き、冷たい沈黙が辺りを支配した。
「お嬢さん」
「……いけない! もうそろそろ学校に向かわないと、遅刻しちゃいます」
逃げ出すようにわざとらしく彼から背を向けて、玄関に急ぐ。それでも彼の視線はわたしを背中から突き刺していた。
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