思い込みの恋

秋月朔夕

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「もうやだ、別れる!」
「…………は?」



 衝動的に叫んだ言葉はわたしにとっての本心だったが、彼にとってはどうやら地雷だったようだ。
 全ての感情が抜け落ちた一切の感情が見えない顔でこちらを見つめている。


 やばい、と直感的に思った。
 ぶわりと全身に鳥肌が立ち、本能がこの場に居ることへの警告を示している。
 彼が動く前にこの場から抜け出さないと果たしてどうなるのか。数々の奇行を受けたわたしには想像も出来ない。


(逃げなきゃ……)



 咄嗟にわたしは彼に頭突きをした。まさかわたしがそのような行動をするなんて思っていなかったのだろう。彼が痛みに呻いている間に緩んだ腕を押し退けて、胸ポケットに入れていた鍵を奪い取り、入り口の鍵を開けた。
 人間切羽詰れば、自分でも信じられない力を発揮するのだと自分でも感心した。


 そしてそのまま、全速力で廊下を走り抜けていく。
 もしも彼が追ってくるのであれば、いくらわたしが死ぬ気で走ろうと容易く追いつかれるはずだが、こちらに向かってくる気配はない。



 そのことが嵐の前の静けさのように感じてひどく不気味だった。









 家に到着すれば安堵感から玄関で崩れ落ちてしまう。
 体育の授業以外で運動なんかしてこなかったツケからか、心臓はバクバクとすごい早さで脈打ってるし、なんとか酸素を吸い込もうと息も切れている。だらしなく一度座り込んでしまえば、足が震えて暫く立てそうにもなかった。

(でも、なんとか逃げ切れた)

 本来であればきちんと話し合いをすべきなのだろう。そうするつもりで行ったのに、ちっとも目的を果たせていない。けれど、あの場で誰が冷静に話が出来よう。


(少なくともわたしには無理……)


 ああ、もう疲れた。
 昨日から色々と想定外のことが起こり過ぎている。精神的にも体力的にも限界だ。
(……眠い)
 考えてみれば昨日は全く眠れていなかった。その疲労が今になって襲い掛かってくる。
 こんなところで寝てはいけない。せめて部屋に行かなきゃ。頭では分かっているのに目蓋が重くて開けていられない――それになんだか身体が熱い気がする。



 そうして、わたしはこのまま意識を失ってしまった。










 目覚めたら自分のベッドの上だった。カーテンを開けると日は登っている。とりあえず今は何時なのか知りたくて鞄からスマホを取り出して確認すれば、次の日の朝六時過ぎとなっていた。

(寝過ぎちゃったな)


 けれど、どうやってわたしは部屋まで上がってこれたのだろう。記憶の中では玄関でブラックアウトしたはずだった。それなのに何故部屋のベッドで眠れていたのか。
 父は出張中で家に居ないし、母ではわたしを担いでここまで運ぶことは出来ないだろう。

 それに制服を着ていたはずなのに、何故かワンピース型のパジャマを着ているし、肌の感じからして化粧も落とされている。おでこには冷却シートまで貼られていた。
 不思議に思いながら階段を降りてリビングに行けば、キッチンから母が顔を出す。


「起きたの?」
「うん」
「アンタ良い彼氏持ったわねぇ」
「……は?」
「蓮くんよ。蓮くん。昨日の夜、仕事から帰ってきたらアンタ玄関で熱出して倒れているし。どうやって二階まで運ぼうかと思ったら丁度蓮くんから、『一花さん、帰り際に具合悪そうでしたけど大丈夫ですか』ってメールで連絡がきてたから助けて貰ったの」


 なんで娘の知らないところで連絡先を交換し合っているのか。というか、彼女(仮)の母親の連絡先聞くなんて蓮くんのコミュ力が高すぎないか。


「え、蓮くん来てたの?」
「そうよ。まぁ一花を部屋に運んだらすぐに帰っちゃったけど。アンタからもあとでお礼言っときなさいね」
「……うん」

 母が居たのなら恐らく着替えさせてくれたのは蓮くんではないだろう。

(今日が土曜日で良かった)

 一体どんな顔して蓮くんに会えばいいのか。
 お礼を言えばいいのか、頭突きしたことを謝ればいいのか、それとも別れ話か。
 色々と話すことはあるのに、蓮くんがどうでてくるのか分からないことが怖かった。


 今後のことを考えるとどうしても憂鬱になってくる。その気分を引きずりながら出された朝食をとる。母はまだわたしが具合が悪いのだと思ったようで、いつもよりは話し掛けてこない。食べた後に体温計で熱を測れば、まだ微熱が残っていたので市販薬の錠剤を飲んで大人しく部屋で寝ることにした。
 母は仕事に行った為、家の中がやたら静かに感じる。その静けさが少し寂しく思うのは弱っているからだろうか。


(眠くなってきたな……)

 昨日よく眠っていたはずなのに、薬の効果からかウトウトし始める。このまま本格的に眠ろうとしたタイミングで階下からインターホンの音が聞こえた。
(宅配便かな?)
 重い身体を引きずって下まで降りる――そして、不用心にもそのまま玄関のドアを開けてしまい、すぐさま後悔することとなる。


「……一花」
「蓮くん」


 ああ、もう。どうしてわたしは考えなしなのか。






 
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