上 下
2 / 20

2

しおりを挟む


 ゲームの『琴葉』は初対面から強引に迫る天佑に怯えて、彼を知らないのだと告げる余裕がなかった。
 天佑からすれば当然自分のことを覚えているのだと思っていた。このすれ違いにより、二人の溝は深いものになってしまったのだ。

 それならば、わたしが彼を受け入れられない理由を素直に話せば、天佑だって多少は納得してくれるのではないかーーそんな淡い期待に賭けてみた。


(可能性は低いのかもしれないけれど……)

 どちらにしろこの状況は間違いなく背水の陣だ。
 だったら、少しでも可能性のある方に賭けてみたい。
 目を見開いて驚く天佑に、わたしは言葉を重ねた。


「記憶がない以上、人違いの可能性を考慮して頂けませんか?」
「私が間違える訳……」
「……では、わたしが生まれた月は分かりますか?」


 ゲームのシナリオ上。ヒロインへの共感性を高めるために、個人を特定するような話を『琴葉』はしていなかった。
 もしシナリオ通りの交流であったなら、『琴葉』の細かい情報を天佑は持っていないはずだ。

(お願い。どうかシナリオ通りであって……!)

 祈るような気持ちで彼を見つめると、天佑は押し黙ったーー無言が答えなのだろう。
 ホッとする気持ちが表れないように、慎重に言葉を続ける。


「確かにわたしは琴葉、という名前です」
「…………!」
「けれど、わたしの世界では琴葉という名前はそれほど珍しいものではありません」

 抱きしめられていた腕の力が弱まる。
 ともすれば抜け出せるほどに……しかし、ここで焦ってはいけないのだろう。
 彼の言動を注視する。天佑は皇帝だ。絶対的な権力を持っている。彼が気に入らないというだけで、わたしの命運がここで絶たれる可能性だってあるのだ。


(嫌だ。デッドエンドだけは嫌!)


 どうして、わたしがトリップしてしまったのか。
 まして乙女ゲームのヒロインの立場になるなんて。成り変わりたくなんかなかった。平凡な日常に満足していたのに……。

「ならば、賭けをしないか?」

 長い沈黙を打ち破ったのは天佑であった。彼の手がそろりとわたしの頬を撫でる。

「……賭け、ですか?」
「もしもお前が本当に『琴葉』であった場合、私の正妃になって欲しい」
「それは……」
「だが、もし別人であるのならば、お前を元の世界に返せるように心血を注ごう。しかし、私の力を持ってしてもそれが叶わなかった場合、身の保障と自由。そして、生涯金に困らないように手配するーーだから私がお前を見極めるまでの間、後宮に入って欲しい」


 条件を考えれば、良い話なのは間違いない。
 元の世界に戻るすべをわたしは知らない。帰る方法を探すにしても、その間。この世界での生活を工面しなければならないのだから。


(わたしはゲームをしただけで、この世界の常識を知らない)

 住むところもないし、働く場所だって探さないといけない。
 世知辛い話だが、生きていくにためはきちんと生活の基盤を整える必要があった。けれど……。


「わたしはこの国の人間ではありません。そのような人間が後宮に入るだなんて、難色を示す方もいらっしゃいましょう」
「いいや、そのような人間は少ないだろう」
「……どうして、そう言い切れるのですか?」
「それは……すぐに分かる。あまり早く言っても詰まらないだろうからな」

 にんまりと彼は唇を釣り上げた。
 それでどうする、と彼の視線が問いかけてくる。
 迷いながらも頷けば、天佑はホッとしたように息を吐く。

「なぁ、琴葉」
「はい」
「賭けの間は私から逃げないでくれ」

 約束だ、と天佑が耳元で囁く。その艶めいた仕草に顔を赤らめれば、天佑はクツクツと喉奥で笑う。

(揶揄われてる!)

 なんだか悔しくて彼の腕から逃れようと胸を押し除けようとした。なのに、一向に離れられない。それどころか、さらに抱擁がきつくなる。

「私から逃げるな、と約束したろう?」
「けれど、それはあくまで物理的な話で……」
「うん? でもそなたは確かに頷いた」

 満足そうに天佑が頬を緩める。その蠱惑的な笑みで迫られる。完璧なまでに淡麗な願望が近付くーーキスをされるその直前。
 額同士が重なって、彼が「冗談」だと呟いた。
 ……なんて心臓に悪い冗談なのだろう。

(この賭けに乗ったこと間違えだったかもしれない)


 しかし後悔しても、もう遅い。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】帰れると聞いたのに……

ウミ
恋愛
 聖女の役割が終わり、いざ帰ろうとしていた主人公がまさかの聖獣にパクリと食べられて帰り損ねたお話し。 ※登場人物※ ・ゆかり:黒目黒髪の和風美人 ・ラグ:聖獣。ヒト化すると銀髪金眼の細マッチョ

盲目のラスボス令嬢に転生しましたが幼馴染のヤンデレに溺愛されてるので幸せです

斎藤樹
恋愛
事故で盲目となってしまったローナだったが、その時の衝撃によって自分の前世を思い出した。 思い出してみてわかったのは、自分が転生してしまったここが乙女ゲームの世界だということ。 さらに転生した人物は、"ラスボス令嬢"と呼ばれた性悪な登場人物、ローナ・リーヴェ。 彼女に待ち受けるのは、嫉妬に狂った末に起こる"断罪劇"。 そんなの絶対に嫌! というかそもそも私は、ローナが性悪になる原因の王太子との婚約破棄なんかどうだっていい! 私が好きなのは、幼馴染の彼なのだから。 ということで、どうやら既にローナの事を悪く思ってない幼馴染と甘酸っぱい青春を始めようと思ったのだけどーー あ、あれ?なんでまだ王子様との婚約が破棄されてないの? ゲームじゃ兄との関係って最悪じゃなかったっけ? この年下男子が出てくるのだいぶ先じゃなかった? なんかやけにこの人、私に構ってくるような……というか。 なんか……幼馴染、ヤンデる…………? 「カクヨム」様にて同名義で投稿しております。

転生先が羞恥心的な意味で地獄なんだけどっ!!

高福あさひ
恋愛
とある日、自分が乙女ゲームの世界に転生したことを知ってしまったユーフェミア。そこは前世でハマっていたとはいえ、実際に生きるのにはとんでもなく痛々しい設定がモリモリな世界で羞恥心的な意味で地獄だった!!そんな世界で羞恥心さえ我慢すればモブとして平穏無事に生活できると思っていたのだけれど…?※カクヨム様、ムーンライトノベルズ様でも公開しています。不定期更新です。タイトル回収はだいぶ後半になると思います。前半はただのシリアスです。

気づいたら異世界で、第二の人生始まりそうです

おいも
恋愛
私、橋本凛花は、昼は大学生。夜はキャバ嬢をし、母親の借金の返済をすべく、仕事一筋、恋愛もしないで、一生懸命働いていた。 帰り道、事故に遭い、目を覚ますと、まるで中世の屋敷のような場所にいて、漫画で見たような異世界へと飛ばされてしまったようだ。 加えて、突然現れた見知らぬイケメンは私の父親だという。 父親はある有名な公爵貴族であり、私はずっと前にいなくなった娘に瓜二つのようで、人違いだと言っても全く信じてもらえない、、、! そこからは、なんだかんだ丸め込まれ公爵令嬢リリーとして過ごすこととなった。 不思議なことに、私は10歳の時に一度行方不明になったことがあり、加えて、公爵令嬢であったリリーも10歳の誕生日を迎えた朝、屋敷から忽然といなくなったという。 しかも異世界に来てから、度々何かの記憶が頭の中に流れる。それは、まるでリリーの記憶のようで、私とリリーにはどのようなの関係があるのか。 そして、信じられないことに父によると私には婚約者がいるそうで、大混乱。仕事として男性と喋ることはあっても、恋愛をしたことのない私に突然婚約者だなんて絶対無理! でも、父は婚約者に合わせる気がなく、理由も、「あいつはリリーに会ったら絶対に暴走する。危険だから絶対に会わせない。」と言っていて、意味はわからないが、会わないならそれはそれでラッキー! しかも、この世界は一妻多夫制であり、リリーはその容貌から多くの人に求婚されていたそう!というか、一妻多夫なんて、前の世界でも聞いたことないですが?! そこから多くのハプニングに巻き込まれ、その都度魅力的なイケメン達に出会い、この世界で第二の人生を送ることとなる。 私の第二の人生、どうなるの????

転生したので猫被ってたら気がつけば逆ハーレムを築いてました

市森 唯
恋愛
前世では極々平凡ながらも良くも悪くもそれなりな人生を送っていた私。 ……しかしある日突然キラキラとしたファンタジー要素満載の異世界へ転生してしまう。 それも平凡とは程遠い美少女に!!しかも貴族?!私中身は超絶平凡な一般人ですけど?! 上手くやっていけるわけ……あれ?意外と上手く猫被れてる? このままやっていけるんじゃ……へ?婚約者?社交界?いや、やっぱり無理です!! ※小説家になろう様でも投稿しています

悪役公爵令嬢のご事情

あいえい
恋愛
執事であるアヒムへの虐待を疑われ、平民出身の聖女ミアとヴォルフガング殿下、騎士のグレゴールに詰め寄られたヴァルトハウゼン公爵令嬢であるエレオノーラは、釈明の機会を得ようと、彼らを邸宅に呼び寄せる。そこで明された驚愕の事実に、令嬢の運命の歯車が回りだす。そして、明らかになる真実の愛とは。 他のサイトにも投稿しております。 名前の国籍が違う人物は、移民の家系だとお考え下さい。 本編4話+外伝数話の予定です。

ヒロインではないので婚約解消を求めたら、逆に追われ監禁されました。

曼珠沙華
恋愛
「運命の人?そんなの君以外に誰がいるというの?」 きっかけは幼い頃の出来事だった。 ある豪雨の夜、窓の外を眺めていると目の前に雷が落ちた。 その光と音の刺激のせいなのか、ふと前世の記憶が蘇った。 あ、ここは前世の私がはまっていた乙女ゲームの世界。 そしてローズという自分の名前。 よりにもよって悪役令嬢に転生していた。 攻略対象たちと恋をできないのは残念だけど仕方がない。 婚約者であるウィリアムに婚約破棄される前に、自ら婚約解消を願い出た。 するとウィリアムだけでなく、護衛騎士ライリー、義弟ニコルまで様子がおかしくなり……?

執着系逆ハー乙女ゲームに転生したみたいだけど強ヒロインなら問題ない、よね?

陽海
恋愛
乙女ゲームのヒロインに転生したと気が付いたローズ・アメリア。 この乙女ゲームは攻略対象たちの執着がすごい逆ハーレムものの乙女ゲームだったはず。だけど肝心の執着の度合いが分からない。 執着逆ハーから身を守るために剣術や魔法を学ぶことにしたローズだったが、乙女ゲーム開始前からどんどん攻略対象たちに会ってしまう。最初こそ普通だけど少しずつ執着の兆しが見え始め...... 剣術や魔法も最強、筋トレもする、そんな強ヒロインなら逆ハーにはならないと思っているローズは自分の行動がシナリオを変えてますます執着の度合いを釣り上げていることに気がつかない。 本編完結。マルチエンディング、おまけ話更新中です。 小説家になろう様でも掲載中です。

処理中です...