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その1 料理人、いえ猫になりました
猫になったようです
しおりを挟む(今なんて……!? 一定期間猫と人間を繰り返すって……一体どういうこと!? 当分私猫のままかもしれないってこと??)
助けを求めるようにオズワルドとレキオルを交互に見やれば。
「ごめんな、リィナちゃん。警護の隙をつかれたようだ。まさか香水瓶にあんな魔法薬を隠し持っているとは……」
(魔法薬……?? 魔法薬ってことは、これは魔法なの!? だったら確かに一定の時間が過ぎれば元には戻れるってこと……だけど……)
「俺のせいだ……。嫌がるお前を無理矢理こんなところに連れてきた俺の責任だ。すまない……リィナ。にしてもあの女、一体何のためにこんなことを!?」
苛立ったようにそうつぶやいたオズワルドに、レキオルがため息交じりに答えた。
「どうやらお前に近づく女たちをいつでも撃退できるように、常に携帯していたらしい。お前の嫌いな猫に変えてしまえば、きっと排除できるだろうと踏んでな。あの女の処遇はこちらで預からせてもらう。魔法薬の出処も吐かせる。もちろんリィナちゃんの治療もこちらですべて引き受ける。許せ……、オズワルド」
「……くっ!!」
そのやりとりに、思わずかわいらしい肉球がのぞく両手で頭を抱えた。
(そんなぁ~……。私、猫になっちゃったのぉ!? せっかく生活も軌道に乗ってきたっていうのに、なんでこんなことに……)
そしてはっと気がついた。猫になったということはオズワルドのお屋敷にもういられなくなってしまうのでは、と。だってオズワルドは猫柄の包み紙ひとつ身の回りに置けないほどの猫嫌いなのだ。そんな料理人がそばにいたら発狂するに違いない。というか、そもそもこんなかわいらしい肉球のある手でどうやって料理を作ればいいのか。
(まさか……私、首?? もうあのお屋敷で料理人を続けられなくなっちゃう……?? そんな……)
行きの馬車の中でこのままあのお屋敷でいつだってオズワルドの帰りを皆と待っていると話したばかりだというのに、なんてついてないんだろう。こんなにも早く失職してしまうなんて。
思わず「ふみゅううぅぅ……」と情けない声を上げうなだれたら、上から声が降ってきた。
「俺がこんなところにリイナを連れてきたのが間違いだったんだ。いくら女性たちの攻勢と香水の香りで頭がぼうっとしていたとは言え、あんなに近づくまであの女の気配に気づけなかったとは……。……すまない、リイナ。俺のせいだ。……必ず一日も早く元の体に戻れるようにするから、しばらく耐えてくれ。本当にすまない……」
オズワルドの声はいつになく落ち込んでいて、いやでもこれはオズワルド様のせいではないのだし……と、猫の声でそう伝えれば。
「にゃお、なぉーん……!」
その声に、オズワルドはなぜか何かに必死に耐えるような表情を浮かべ口元をぐっと引き結んだのだった。そして。
「とにかく今はリイナを休ませてやりたい。だが王都ではとても気も体も休まらん……。すぐにリイナを連れて辺境に戻る」
オズワルドはそう言うとそっと手を伸ばし、まるで壊れ物を扱うような優しい手つきで小さな私の体を抱き上げた。
「わかった。何か変化があったらすぐに医師を急ぎ向かわせるから、いつでも連絡してくれ」
「……あぁ。頼む。レキオル。さぁ、俺たちの屋敷へ帰ろう。リイナ。……大丈夫だ。俺がついてる。何も心配はいらないからな」
そう言って私にこれ以上なく優しい眼差しで語りかけたのだった。その声に、なんだかどきりとした。でもきっと気のせいだ。そうに決まってる。私に語りかけるその声が、とんでもなく甘く聞こえたのは――。
◇◇◇
ゴトゴトゴトゴト……。
ガコンッ! ゴトゴトゴトゴト……。
夜の王都をひた走る、辺境伯の家紋が入った馬車。その中には、強面ながら緩みきった顔をした死神とその腕に抱かれる私がいた。
(なぜ……なぜ腕の中に……?? 床の上でも座面の上でもいいじゃないの……。なぜ……なぜこうもがっちり私はオズワルド様に抱きかかえられているのか……)
「にゃあにゃ、にゃあおぅんっ!!」
必死にもがくも、その腕はがっちりと猫の体を抱え込んでいてびくともしない。
「馬車は揺れるからな。けがでもしたら大変だ。おとなしくしているんだ。リィナ」
「ふみぃぃぃぃ……」
やれやれとため息をつき仕方なく身を縮こめた私の頭の中は、とある疑問でいっぱいだった。一体これは何がどうしてこうなっているのか、という疑問で。
自分が祝賀会の最中、オズワルドに恋焦がれる赤いドレスの女に猫の姿に変化させる魔法薬をぶちまけられたことはまぁいい。いや、よくはないけど今さら言ったところで仕方がないことだ。あの医師の診立てでは体にこれといった害はなく一過性でふた月もたてば、猫化しなくなるらしいし。猫になったとかいう一大事を抱えた今となっては些末なことだ。問題は、目の前のこの人だ。
「…………」
思わずじっとその顔を見上げ、じっとりとした視線を送る。
「ん? どうした? おなかが空いたのか? リイナ」
調子が狂うどころの話ではない。一体目の前にいるこの人は何者なのだ。このデレッとしたしまりのない笑みを浮かべた、どこから見てもウキウキ全開のご機嫌そうな大男は。この国最強最恐の武人で、各国から死神と恐れられる男。しかもとんでもなく強面の。なのにこのデレた顔は何なのか? 大の猫嫌いで猫柄の包装紙一枚、小物ひとつ近づけてはならないというあの話はどこへいった?
(様子がおかしい……。絶対におかしい……! 子猫一匹お屋敷に迷い込んだだけで使用人全員で探し回るくらい、猫とオズワルド様は水と油ではなかったの??)
なのになぜそんな大の猫嫌いのオズワルドの膝の上にがっちり抱きかかえられ、一瞬でも離れようとすると「ここにいるんだ。揺れて危ないからな」とすぐさま抱き寄せられ、なんなら頬をスリスリされているのか。 どうにも解せない。絶対に解せない。
そりゃあもちろんこんな事態になったことに責任を感じて我慢しているという可能性もなくはない。けれど果たして大の猫嫌いが、こうも猫を一時も離そうともせず抱きしめこんなにもだらしなく顔を緩ませるものだろうか。
あの赤いドレスの女が私にぶちまけた魔法薬は、実に良く効いた。見る見る私の体は小さく縮んで、会場を抜け出した頃には淡いクリーム色の毛に全身を覆われた一匹の猫へと変身してしまったのだから。オズワルドが猫化しはじめた私を抱きかかえ、急ぎレキオルの指示で王宮内の医務室に運び込んでくれたおかげで周囲には見られずに済んだらしいけど。
あぁ、ちなみにレキオルは実は王族の一員であるらしい。とは言っても王位継承権はよほどのことがない限り回ってくることがないほど、下位らしいけど。なんでも先代の国王の三男である王子が市井で知り合ったとある平民女性との間に作った隠し子らしい。だからあんなに偉そうに衛兵に指示を出していたり、王宮内を自由に使えるのかと腑に落ちた。
(ものすごい爆弾級の秘密を知ってしまった気もするけど、正直自分が猫になっちゃった事実に比べればなんてことないというか……。なんか感覚が麻痺しちゃってる気がする……。それになんといっても今一番の問題はこの人だし……)
どうやらこの薬は一過性のもので、数ヶ月もすれば人間に戻れるらしい。が、当分はちょこちょこ人と猫を行ったりきたり変化を繰り返すことになる。となれば当然猫嫌いのオズワルドがあのお屋敷に私を置いておくはずはない。となれば、どこか早く次の働き口を探して一日も早く屋敷を出ていかなくては。しかしいつ猫になるともしれない体でどこへ行けばいいのかと途方に暮れながら、この馬車へと乗り込んだはずなのだが――。
(分からない……! これは一体どういうこと!? どうしてこんなにオズワルド様はデレきってるのぉ!? 私はどんな顔でこれを受け止めれば……!?)
激しく混乱する頭を抱え、猫化した私とこれまで一度だって見たことのないような緩みきっただらしない顔つきをしたオズワルドを乗せて、馬車はひた走るのだった。私たちの暮らす、あの辺境のお屋敷へと――。
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